33
「……甘利ちゃん?」
声の方へ視線をやるとそこに立っていたのは紗綾ではなく、甘利の姿だった。甘利がむせび泣いていた。
「黒澤先輩、」
震えた声。躊躇う声。
「何だ、何があった!?」
「黒澤先輩、……紗綾さんが……」
……紗綾ちゃん? 紗綾ちゃんがどうかしたのか? 駿河の心臓は理由なく波打っていた。
甘利の顔色が悪い。今にも倒れこみそうだ。おかしい、と駿河は思う。甘利ちゃんがこんなに取り乱しているのは____甘利ちゃんがか弱そうに見えるといっても____初めてだ。
違和感。そればかりがぞわっと駿河の体を覆っていった。駿河の脳裡には朝にお地蔵様がアスファルトの上に無造作に倒れ込んでいる様子が、何かの暗示のような気がして浮かび上がった。
「紗綾ちゃんが……紗綾ちゃんがどうかしたのか!?」
「……ひぐっ。……うぅ……紗綾さんが……紗綾さんが!」
甘利は辛うじて静寂を保っているようだった。
落ち着け。そう自分に言い聞かせる。どうして興奮している? 甘利ちゃんだって僕が落ち着かなければ落ち着けないじゃないか。
「……甘利ちゃん。泣いてばっかじゃ分からないよ。ほら、落ち着いて、僕に……」
「紗綾さんが……死にました」
何かに殴られたような衝撃を感じた。何か真っ黒で、硬くて、大きいもので思いっきり後頭部を打ち付けられて、そのまま前に倒れてしまいそうな衝撃が駿河を、襲った。
「七号館から飛び降りて、即死だったそうです」
意識が、白色に呑まれそうになった。意識の奥底で黒と白が目まぐるしく入れ代わっていた。目の奥に閃光がはしった。
「嘘だろ。だって、そんなの、嘘だよ。昨日まであんなに楽しそうに笑ってたじゃないか。そうだというのに僕が朝起きて、いつものように学校に、来たらもうこの世には居ない? 嘘だろ?」
返しに紡いだのは____紡ぐことが出来たのはそんな言葉だった。
しかしそれは意味もない言葉だった。力を持たない言葉だった。甘利はその言葉を聞いて哀しそうに俯いた。
嘘だ。不可解だ。いや、違う。
だって、それが不可解だとかそんなことじゃなくて、そもそも、自分の身近な人間が、昨日まで笑っていた人間が、朝起きて目が覚めて、自分の近くに居てくれた____人が、もう、冷たい土くれと同化し始めているなんて、誰が認められる? もう顔を合わせて、言葉を交わすことが出来ないなんて誰が。誰が信じられる? 信じられる訳がない。信じていない。でも。
じゃあなんで、どうして甘利ちゃんは泣いている?
ならば、何故先程青いブルーシートとそれを囲む白い傘がこんなにも頭に浮かぶ? 何も無かったのなら、どうしてこんなにも大学の構内がざわついているのだろうか。人の出入りが多いのだろうか。
「ついさっき、警察の方が寮へと来て、……私に、言って、その……」
「……分かった、甘利ちゃん。もういいよ」
「先輩?」
「甘利ちゃん。……伝えてくれてありがとう」
駿河はよろめくように立ち上がった。甘利がそれを追おうとする。
「先輩、どこへ行くんです?」
駿河は黙ってその場を去った。