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雨音が迫ってきた。追いかけてきた。斜めに刺すような雨が空という天に根付く大樹から降り注いだ。空の色まで洗い流して灰色に染めてしまいそうな大雨だった。
雨が矢後丘の地面を濡らしていった。水が硝子を執拗に叩く音で駿河は目を覚ました。
その日、駿河が朝起きてまず一番に感じたことは雨の匂いがしたことだった。
そしてその匂いが妙に、やけに、鼻につくということだった。机の上に平積みされている教科書の重しと化している目覚まし時計は六時少し前を指していた。駿河が重い体をおこすと布団の温もりが一気に空中へと発散していった。
窓から外を見ると車軸を流したような雨が未だに未練がましいように降っている。
……まだ、眠い。駿河は寝間着のまま台所に行って蛇口をひねり、ポッドに水を注いだ。……いつもの習慣だ。
駿河がため息をつきそうになりながら珈琲を口の前に持ってくるとつん、と酸っぱい匂いがした。
コーヒーを口に含んだところ、予想外の感覚が湧き上がってきた。
「……苦い」
今までコーヒーは散々飲んできたのだが、舌が痺れるような苦味を味わったのは初めてのことだった。新しいコーヒーを試したわけでもないのにいつもより……いつも? いつもが分からなくなってしまう程に苦かった。
仕方なくミルクと砂糖を入れて、駿河はやおらに細いスプーンでコーヒーをかき混ぜる。それを飲んでみた。まだ苦い。多く入れたはずにも関わらずにだ。駿河はシュガースティックをもう一本余計に入れた。
蠱惑的な甘さが駿河の口の中を満たしていった。自分は甘いものが焼き肉を食べるときの炭酸飲料以外は苦手だったはずだ。
しかし珈琲は舌がとろけそうなほど甘く感じて、しかもそれは美味しかった。舌を舐められるかのように優しい甘味が口内を満たしていった。
自分でも分かるほどの味覚の変化、おかしさに戸惑う。駿河は持っている取っ手に白鳥の装飾が施された下部がずんぐりとした白磁器のカップをまじまじと見つめた。
紗綾ちゃんにいつぞやに御礼という名目で貰ったものだ。特に変わっているところはない。昨日このカップで薬か何かを飲んで洗わずにそのままということは記憶の内には無いし、そもそも記憶が飛ぶほどに酔っぱらっていてもいなかった。
「ったく、なんだってんだ」
悪態をついた。誰に聞かせるでもなく呟いたそれは言葉に出しても抜けていくことはなく、自らの耳に残って反響した。
……今日は学校がある。もうこんな時間か。行かなくては。立ち上がるとやけに体が重い。石の棺桶でも背負って歩かされているようだった。それに頭が重い。ズキズキと痛む。




