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「不審者?」
思ったよりも物騒な話だ。
「ええとですね、先週末くらいに私の部屋に誰かが入ったかも知れないんですよ。ちょっとした用で鍵をかけずに出っ張ってたんですけどね、帰宅すると私が大切に扱っている家族の写真が床に落ちてバキバキに割れていましてね、それでずっと不可思議に思っていると、そういう訳なんですよお」
「ただ何かの拍子で落ちただけじゃないのか?」
紗綾は駿河に言葉を遮られたように感じたようでしかめ面をした。
「そんなことはありませんよ。昔一回落としてしまったことがあったので落ちないような場所に置くように意識をしていましたから。しかも叩き割ったように粉々になっていましてね」
「紗綾ちゃんが出かける前に急いでたせいで倒した訳じゃないのかい?」
「硝子が割れたんですよ? 下はカーペットじゃない。流石に気付くと思いませんか」
紗綾が首をゆっくりと横に振った。
「そうか」
「それだけじゃないんです!」
「……何だい。それともう少しトーンを下げて。客はあまり入っては居ないけど」
「まあ写真が割れた一件はうやむやになっていたんですが、その後……そうですねえ、ずばり私が夜ご飯を済ませて御風呂に入り、そして執筆に入ろうとしたところ! なんとネタ帳の一頁が、私の原稿の遺書の部分だけ取り除かれていたんですよ。これはミステリイじゃないですか?」
「うん、警察に電話したら?」
「普通に常識的な対応を!?」
駿河は吸った息を吐いた。しかし、仮に物取りかストーカー、もしくはそれに準ずる何かである可能性がありながらも、不謹慎な興味は湧いていた。
いや、どうせ紗綾の勘違いだとは思っていたのだが、しかし
「人事でないなら犯人は人でなしじゃない? なんていうのは冗談だけど紗綾ちゃんが言うように何かの怪奇現象じゃないの?」
「ふざけてますよね? 適当ですねえ。……しかし、なんでなんでしょうかね? これ?」
ふむ。駿河は考える。といっても流石にこれだけでは材料が少なすぎる。包丁とまな板と人参を渡されてどうやってカレーを作れと? イクュ神話の虻の神様が手足を盗まれたのに気付かないで体を再構築してしまって妙ちくりんな体になったように、材料がなければ歪んだ結果しか生まれない。
「何でだろうね、僕にもその話を聞いただけじゃちょっと判断がつかないよ。紗綾ちゃんの言葉を鵜呑みにするならストーカー? っていう線が勿論一番強いんだけど、もしストーカーや強盗だったらもっと派手にやっていくだろうし……そうだな、もう一つありそうかな」
「何です?」
「紗綾ちゃんの勘違い」
紗綾が飲んでいた甘ったるいコーヒーを吹き出しそうになった。驚きすぎだ、と駿河はちょっと笑ってしまった。
「えっ。ちょ。ゴフッ。ゴフッゴフッゲホッゲホッ。……先輩?」
「いや、でもさ。書いたつもりでも書いてなかったとか、疲れてて色々見えなくなってしまっていたとか、人間年を食うとよくあるものだよ。たとえ、それが華の女子大生といってもね」
「そうですかねえ……。そうですかあ」
「そうだ先輩! 取り合えずその頁を奪われたネタ帳を先輩に貸しますよ! 小説本文にももっと細かい指摘もしてほしいですし! 明日」
紗綾が可愛らしい桃色の鞄から
「ルーズリーフ?」
「え? ああ、そうですよ先輩。今時ノート使ってノートをとってるのは先輩くらいですよ?」
そんなものかな。……確かにそうか。
「あ、それと一つ。先週の終わりくらいに電話番号を新しくしたので先輩に教えておきますね。まだ誰にも教えていなかったので……さてと」
不意に紗綾が立ち上がった。
「そろそろ次の講義が始まってしまうので私はこれで。それに先程電話で今日の夜来てほしいととある人に呼び出しも食らって予定も入りましたし、また明日ということになりますね」
「あ、そうだ紗綾ちゃん」
「ん? 何ですか先輩?」
紗綾がきょとんと首を傾げた。
「紗綾ちゃんってさあ」
「はい、なんでしょうか」
「あ、僕の冗談として聞き流してもらってもいいんだけどね?」
駿河はその言葉を前置いた。
「はい」
「紗綾ちゃんって僕のこと好き?」
ボオン!
駿河の言葉に、紗綾は顔を真っ赤に____いや____駿河は、冗談混じりに聞いたつもりで、紗綾もそんなことは百も承知____しかし、紗綾は顔を林檎の様に真っ赤にして、動揺してしまった。
「ふえ? せ、せせせ、先輩のことなんかだいっきらいに決まってるじゃないですか! 何を言うんですか!」
「そっか」
「そ、そそそそうですよ! いや違う違いますって! 嫌いではないですけど! いきなり変な事を聞いてくる先輩は嫌いです!」
体を小さく竦めて紗綾が驚いた。
「ま、全く何を言い出すのかと……! 先輩……っ! 冗談はやめてくださいっ! やめっ……! やめっ……! そういうのはやめてください! せんぱいのっばかっ!」
赤くなった紗綾は可愛い。駿河は、勿論口には出さないがそう思った。
「じゃあね紗綾ちゃん」
「は、はい。____それでは先輩!」
また、明日。紗綾はそう言いながら大きく手を振って足早に去っていった。




