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「タイプライター、印刷でその辺りは誤魔化していると思いますが?」
「筆跡っていう言い方は少し適当でなかったかな。手書きでないってことだ」
「どういうことです?」
「紗綾ちゃんって遺言書って書いたことあるかい?」
その言葉に紗綾が途端に駿河を怪訝な表情で見つめた。出し抜けに遺言書の経験を聞かれても……流石に人格を疑うだけだ。
「遺書っぽいものならばこの小説の為に書いたことはありますが……でも遺言書なんて、私のような華の大学生があるわけないじゃないですか」
「それじゃあ仕方がないか」
何が仕方がないか、ですか! と紗綾は悪態をつきたかったが堪えた。駿河はそれに気付いていないようで、少し得意気にすうと息を大きく吸った。
「あのね、日本では手書きの遺言書しか認められていないんだよ。だから紗綾ちゃんの小説の犯人が遺言書、もとい遺書を偽装して自殺に見せ掛けつつ遺産の相続人にもなるというアイディアは成り立たないんだよ」
二人の間に沈黙が流れた。暫くの間、時間がゆっくり流れていった。
「なんと!」
紗綾が大袈裟に驚いた。そして目を大きく開けたまま、駿河をじっと見つめた。
「先輩!」
上擦るような声。
「なんだい?」
「流石に先輩は無駄なことには詳しいですね!」
駿河の笑い顔がひきつった。
駿河が仏頂面で暫く黙っている間、紗綾はずっとクスクス笑っていた。
閑話休題。
「最後に、動機付け、だ。犯人は最後に自分が被害者の血縁者、娘であることを暴露するのだけれど、一つ考えてみて欲しい。この血縁者なのだけれど、どうやって判断する?」
駿河の言葉に紗綾がきょとん、とした目になった。
というのは紗綾の小説の中ではクライマックスのシーンで、犯人は殺害された教授の昔、離婚し、別れた妻の子供____娘で、幼少期に受けた虐待と母を苦しめ自殺に追いやった憎しみから復讐をした自らの境遇を語るのだが、それは問い詰められてからの話だ。犯人が自分から明かすことであって、探偵役が気付くことではないのではないかと紗綾は思った。
「それは、犯人が最後に明かすということにしているつもりなのですが。探偵役である先輩が気付かなければならないことなのでしょうか?」
「うんと、多分必要、かな?」
「何故です?」
「だってさ、人間が人間を殺すのには、相当突発的な犯行か、殺してやろうっていう確固たる意思が必要だろう? そして今回は明らかに練られた犯行だ。後者であるはずだ。……だから、確固たる動機が必要だろう?」
紗綾がお冷やを一口飲んだ。
「そりゃ、そうですけど。それとその人が犯人であることは関係があまりないんじゃないですか?」
「真実は何時だってその瞬間にしか無い。完璧な状況証拠は、その犯行が目の前で行われている時にしかない。つまり、犯人へ動機を提示しない限り、犯人を追い詰めることは出来ないんだよ」
「ふうん、そうですかねえ」
紗綾がお冷やに浮かんだ氷を口に含んだ。舌で転がす。
「動機が不明瞭な人間は、この世に無数に存在するんだよ。つまり、動機が不明瞭な限り、その人は最も可能性が高い人間としか言いようがない。最も可能に近いということでしかない。だから、重要だよ、動機って奴はさ」
「……なるほど」
紗綾が手を小さくポンと叩いた。
「流石は先輩ですねえ」紗綾が感心した。「先輩も私のように書いてみたらいかがです?」
きょとん、とした目をする駿河。その表情に紗綾から笑みが零れた。
「僕が?」
「はい、そうです。先輩がです。ちょっと考えてみてくださいよお。これは大家命令です!」
大家命令とはまたけったいな事を言い出す。しかし、そうだな……。
「僕が書くんなら、そうだなあ」
最近読んだ本……核の抑止力。汚染物質。DNAの異常変異……。
「ふむむ」
インドのドラキュラ……チュパカブラ風なイエティ。……ふむ。ふむふむ。
「そうだな。インドの核実験が行われる時分に、秘密裏に運び出した核汚染物質が手違いで森に放置されることになった。その森に残された汚染物質によって丁度そこを棲みかにしていた猿の遺伝子が弄られた結果、高度な知性と足と手が四本でドラキュラの犬歯みたいな歯がゾロゾロ並んだ禍々しい体を有した新しい類人猿が人類を_____」喋るのを止めた。「ってこれ推理モノか?」
紗綾がぶんぶんと首を振る。
「全く。それじゃあSFじゃないですか。しかももはやホラーです!」
紗綾が体を縮込ませた。
「……僕には向いてなさそうだなあ、推理小説家」
「予想外の適性の無さです」
紗綾がなんだか安心した様子で駿河のコーヒーのおかわりを頼んだ。紗綾が奢ってくれるらしい。駿河も紗綾の好意に甘えておいた。
「あ、そうだ先輩。オカルティックな話と言えば最近私の周辺でおかしなことがあったんですよー」
「へえ、そりゃまた」眉唾物だ、とは続けなかった。
「怪奇現象って言うよりも、不審者? 的な話なんですけれど」