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「嘘を言っても仕方がないじゃないか」
「へへほ。ふへへへへ」
「何だその変な笑い方は」
本当に楽しそうに紗綾が笑った。駿河には紗綾のその笑顔をなんだか久しぶりに見たような気がした。チュパカブラの時から大して時間は経ってないというのに、その仕草も踏まえて懐かしみを感じていた。不思議な気分だった。
「まさか私がこんなものを書いているとは流石に先輩でも御存知でなかったでしょう?」
何故か紗綾は得意気だ。
「そうだね。正直聞いたときはかなり驚いた。紗綾ちゃんらしくないからね」
「らしくないとは? 紗綾がそんな人間に見えますか?」
「見える」
即答した。
「うう……そう見えてしまいますか。でも紗綾がこれを書きたいと思ったのには理由がありましてですねー」
紗綾はナフキンをとって目の前に置いた。指の先でくるくるとそれをなぞって遊んでいたのは、少し、恥ずかしかったためだろうか。
「もともと昔っから本は好きで、ああ、だから文学部に入ったんですけども。そんでなんかお話みたいなのは小さい頃にはよく書いていたんですよ」
駿河は紗綾が小さい頃にはという言い回しを用いたのが気になった。それは現在と過去の間に断絶が発生していることを暗に示しているからだ。
「一旦やめちゃったの?」
「ええ、作家なんて儲かりませんからね」
紗綾が悲しそうな目でそう言った。
「家がお金持ちな紗綾ちゃんなら儲かる儲からないは関係ないんじゃないのか?」
「先輩! 怒りますよ!? いくら事実だとしても人の親が金持ちだからってそれに甘えて将来の事を考えなくても良いんじゃないかなんて言うのはひどいです!」
思ったより強い語気で紗綾が反論してきた。失礼だったか。
駿河が場を濁すように口に含んだコーヒーは苦かった。
「ごめん」
「気を付けてくださればいいですよ。……それでつらつらと日々を暮らして、普通に大学へ進学し、それから、それから」
紗綾が駿河の目をじっと見つめる。
「なんだい紗綾ちゃん。僕の方をそんなにも見て」
紗綾は駿河を見て少しためをつくった。
「先輩に、出会ったんですよ」
駿河は紗綾の言葉に少なからず疑念と驚きを受けた。
「意味が分からないな。紗綾ちゃんが子供の頃に紗綾ちゃんが書くのをやめた小説を大学生になってから再開したことと僕と何の関係がある?」
「関係は大有りですよ。オオアリクイですよ」
「紗綾ちゃん、それはキツい」
「まあ、先輩の推理的思考みたいなものに私は感銘を受けたとのことですよ」
駿河が紗綾の瞳を覗くとどうやら本気で言っているようで、駿河にとってはそれが不可解極まりなかった。余りにも異次元からの言葉だったためだ。テーブルの上の伝票に駿河は目を向けた。
それから、もう一度紗綾の表情を確認したあとにコーヒーではなくお冷やを飲んだ。冷たい液体が喉を通っていった。
「僕がいつ推理的だったっていうんだ? 紗綾ちゃんに付き合わされていただけだろう」
「いつ? ちっちっですね先輩。分かってませんねえ。推理的な思考というのはなるというわけではなく、そうであるものなんですよ。そういう意味では先輩の思考は実に推理的です」
「分からないな」
仏頂面で応えると紗綾はニヤニヤと笑ってカップに少しだけ残っていたミルクを注いだ。
「ふっふっふ。私は残したいんですよ、紗綾の青春の記憶と先輩の推理的思考の産物をですね」
「ますます分からない。何がいいたいのか」
「分かりません? 先輩にも?」
駿河は時計を見た。微動だにしない短針を長針が頑張って追いかけていた。コーヒーの匂いが鼻につん、ときた。その匂いにつられて前を向くと、紗綾が身を乗り出していた。
コホン、と紗綾が咳き込んだ。
「先輩に会って、大学内で噂を暴くのはなかなかに楽しかったです。その中で先輩の思考が面白いなあって思ったんですよ。先輩の推理の過程は聞いてみると普通で当たり前のことなのだけれど注意してみないと決して気付かないことなんです。そして紗綾は思いました。名探偵というのは凡人が絶対に思い付かないような奇抜な推理をする人間のことではなくて、先輩のように気づけない当たり前を、当たり前だと感じることが出来るような人間がそうなんだって、そう思ったんですよ」
それは____照れるな。その言葉を駿河は飲み込んだ。
「その小さなエッセンス的なもの、先輩の考え方と、それから生まれた紗綾の楽しい生活をですね。文章に残しておきたいというか、小説の中の事件というものに代替して保存したいというかなんというか。形はないけど紗綾にとってはとっても大切なものだから、それが完全なモノとしてではなくても、ずっと残しておきたいというか」
「……分かるような、分からないようなだね」
紗綾がぐでー、と机に突っ伏した。
「まあ、とにかく夢なんですよ。分かってくださいよお」
「分からないだなんて一言も言ってないじゃないか」
「言ってますよお。こんなの笑われても困らない先輩くらいにしか言えませんよお。どうせみんな私のことを笑うんだ。思い出をずっと残しておくだなんて子供っぽいって、そう笑うんだ」
駿河の表情がひきつった。笑われても困らないという言葉にどうやって反応すればいいのだろう。
「笑われても困らない?」
「おっと、言葉の綾ですよ、先輩。先輩ならちゃんと聞いてくれる優しい人だってことです」
……そういうことにしておこう。紗綾が頭を下げながら後ろ髪を手でとかした。




