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眼帯娘とオカルト先輩  作者: 水戸
HINOTAMA
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1


一、始まり


 仲諒ちゅうりょう大学は愛知県、十幡とうた市の矢後やしなり丘の上に建っている。


 都市から少し外れた所に立地しているために学園の少し高い所から西を向いてみると遠くの方にビル郡がよく見える。


 それとは対照的に東の方に視線をやれば県内でも有名な平べったい形の書心山がそびえていて、年に一度程度は狸などの野性動物が敷地内に入り込んでいることを見かける事があった。


 そして仲諒大学の図書館の蔵書数の多さと言えば付近の住民にも広く知られている。県内有数と言っても異を唱えるものは一人として居ないくらいに。


 無論、向学の志があまり無い学生にとっては意味の無い話ではあったが、しかし、その様な学生が滅多に足を運ばない訳ではなかったのは何年か前に大幅な改修工事を行った際に開設された落ち着いた雰囲気の喫茶店が、図書館の二階に併設されているからだった。夕暮れ時の今の時間帯は、そもそも学園に留まっている学生の絶対数が少ない上にサークル活動も忙しいために喫茶店の客、老婦人や教授らしき壮年の男性や学生がまばらに座っている。


 その一つのテーブルに腰を下ろし、ブラックコーヒーを喉に流し込んでいる青年が居た。彼の学生証にはアルファベットのTの後ろに学生番号を示す六桁の数字、それに黒澤駿河というこの青年の名前が記されている。


 青年は珈琲の苦々しさも人間関係の苦々しさと比べればすこぶる甘い、ブラックコーヒーを一口、口に含みながら心中でそう悪態をついた。

 ブラックコーヒーの苦味を舌で転がしながら、テーブルの目の前でニヤニヤ笑っている人物を無視するかのように自らが今開いている夏目漱石の「こころ」の読んだところまでの頁数の番号を覚えてから、パタンと本を閉じた。本を閉じる度に一緒に瞬きとして目を閉じてしまうのは、この青年のちょっとした癖だった。


 それから視線をテーブルの向かい側に座っている人物に移した。可愛らしさも備えた美人が座っている。吸い込まれる美しさには妖しさすらも宿っていた。


 しかし、面倒くさいな、声には出さないが、駿河はそう思う。声に出さないのはこの目の前の女の子に配慮してのことではなく、この女の子にそう言えば、恐らくこの女の子は笑顔で、そうですねえ、それを待っていたんですよ、と憎たらしく喜んでしまうのが目に見えているからだった。


「漱石だよ紗綾ちゃん」


「へえ、先輩って鴎外よりも漱石派なんですか、意外ですね。先輩、鴎外の方が好きそうなオーラを出しているくせに」


「毎回思うけど君はこの質問をして僕から何を得たいんだ」


「いやだなあ。私が先輩から得るものなんて何もありはしませんよお」


 図書館に併設された喫茶店でブラックコーヒーを飲んでいる駿河に、会うたびに漱石と鴎外のどちらが好きかという珍妙な質問を問い掛けてくる人間が、今駿河の目の前で親の仇かのようにこれでもかと珈琲に砂糖とミルクをぶち込み、ブラックコーヒーを好物とする駿河に見せつけて神経を酷く刺激しながら微笑を浮かべている如月紗綾という人間だった。


 コーヒーを一口飲む度に、こくりと細く、夕焼けに照らされた白い喉が跳ねて、僅かながら駿河の目に届く光の色を変えていく。


 黒くて長い髪と生まれつきの白い肌は喫茶店で珈琲を飲むという行為が映画のワンシーンのようで妙に似合っている。滔々とした深みのある黒髪の艶は、平安時代の十二単を着こなす才女に混ざっても、決して見劣りはしないだろう、というのは駿河が紗綾から聞いた自慢話だ。


 駿河もそれについてはこの少女を見ると同意せざるを得ないほど綺麗な女性よりの中性的な整った顔立ちではあった。美少女とも美人とも言っていい。こちらを見据える大きな黒い瞳は吸い込まれそうになる。その女の子を前にして駿河は眉をひそめた。


 紗綾の白と黒で纏められた可愛らしい上下の服装に何一つ汚れがないのを確認して、それから喫茶店のレジの上に立て掛けられている時計を見た。


「ああ、美味しい。先輩がいつもここの喫茶店の珈琲を馬鹿の一つ覚えのように飲んでいる理由も分かる気がしますよ」


 そう言うと紗綾はにい、と笑って駿河に目をやった。


「馬鹿?」


 駿河は聞き返した。紗綾はあえて何の反応も示さなかったように見える。聞いていないという態度をとって駿河を怒らせようとしたからだと容易に想像できる。如月紗綾という女学生は模範的な可愛らしい女学生と大学内では通っているのだが、その如月紗綾が憎らしい鬼よりも鬼畜な言葉しか放たないこの女の子とどうやら同一人物らしいことが、駿河にはにわかには信じられない不遜な態度だ。


「いえいえ、ただの使い降るされた比喩表現ですよ先輩」


「そうかな?」


「先輩を馬鹿と言っているのではなく何時来てもこの席でブラックコーヒーを飲んでいる先輩のその一途な様子を馬鹿のようだ、と形容したにすぎません。先輩を馬鹿というつもりなんてとてもとても」


「そんなにたくさん砂糖とミルクを入れて味が分かるのかって言うのも僕は疑問なんだけど」


「どう飲もうが人の勝手じゃないですか……いちいち、しちめんどくさいですねえ、先輩は。本当に」


 そう言うと紗綾は持っていたカップをテーブルの上にゆっくりと置いた。駿河の鼻腔を甘ったるい珈琲の匂いが刺激してきた。大学図書館附属の喫茶店だからか、やけに静かだ。硝子張りの窓の先に見える森から木の葉が互いに身をすりあわせる音すら聞こえてきそうな気がする。


 駿河は一度、溜め息を吐いてみた。そして少し拒絶の雰囲気を瞳に宿らせて紗綾の方を見た。


 だが紗綾はそんなものはものともせずに、むしろ絶対的な力関係を把握している上でそれを駿河に見せつけるように微笑みの色合いを強めた。嫌な顔だ。駿河は心底そう思う。何度でも思う。こちらから話を切り出すのを永遠に待っている、そんな顔だ。


「……紗綾ちゃん、今日は何の噂話を持ってきたの」


「おお、流石先輩。話が早いですねえ。私がここへ先輩に会いに来た理由はそれです。御明察ですよ。しかしどうしてそうだとお気づきに?」


「過去に四度は同じ状況を経験したからね」


「なるほど! 過去にあった状況と今の状況が非常に酷似しているからその時と同じ災難が降りかかると類推した訳ですか。いやはや、なんて陳腐な……おっと、なんという卓抜した推理なのでしょうか。シャーロック・ホームズも顔負けのご聡明であられますねえ」


「嫌味もそこまで来ると一級品だね紗綾ちゃん」

「ふふふ」


 紗綾が照れた振りをして後頭部をかいてみせた。だが、駿河の言葉に違和感を覚えて、はっと、真顔になった。


「しかし、いくらこの状況下で四回も私が先輩に厄介事を頼んだ過去があったとはいえ、私がこうして喫茶店で先輩の目の前に居るのはいつものことじゃないですか」


「そうだね」


「当然のように、噂話を聞かずにただ先輩を冷やかしにここに来たときだって幾度となくあります。なのに何故今日だけは厄介事を頼まれると分かったのです?」

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