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(ふう、飲み過ぎたかな)
夜風に当たりながら駿河はそう思った。宴のたけなわは過ぎてアパートへと帰る途中の駿河の横には冴木良平が居た。電灯の光が酔っ払った男子大学生二人に照らしている様子は風情も何もないなと駿河が冴木の方をチラと見ると冴木もどうやら同じことを考えていたらしく、苦笑いで応えてくれた。
どうして女性たちを送らないで男二人でこんな夜道を悲しく歩くハメになっているか。それは駿河と冴木が会計を済ました後にここは一応男だからと昨今叫ばれている男女平等、男女同権に反してレディファーストで送っていくことを提案してない訳ではなかった。
店を出ると御丁寧にタクシーが呼ばれていて、二人は察したのであった。後は何も言うまい。とはいえ歩いて帰れない距離ではない。
「黒澤は酒強いな。あんなに飲んで大丈夫かよ?」
冴木が何するでもなく、駿河に話し掛けた。無言で歩くには寒すぎる夜道だが、誰かと話していれば全く気に入らない程度の寒さでもある。秋と冬の間には幾日かこういう日がある。
「大丈夫じゃないよ、全く」
駿河が、冴木の方を見ると薄い笑いを浮かべていた。
「今日は楽しかったな? 黒澤よ」
「僕はかなり恥ずかしかったけどね」
「でも楽しかっただろ?」
「それについては否定しないが」
駿河と冴木が誕生日パーティーもつつがなく終わり帰宅、帰アパートの途中、ということは今までも幾度かあり、その度にくだらない話が両者の間で飛び交った。それは、両者ともまんざらではなかった。
駿河は微かな吐き気を抑えながら出来るだけ風に当たるようにと祈りながらアスファルトを踏みしめていた。この調子だと明日は頭が痛くて悶々とした一日を送らなければならないことを覚悟しなければならないようだった。
「そもそも、僕は普段飲まないんだよ。今日はうまく飲まされた」
「ははは」
「あ、そうだ」
「何だ」
「ありがとうって他のみんなに言いそびれてしまったけど、とりあえず冴木に言っとくよ、今日はありがとう」
「いや、こんな手間で駿河のキメ顔を見ることが出来たんなら安いもんだぜ」
ニタニタと笑いながら冴木が意地悪そうにゆっくりとそんな言葉を駿河に向けて吐く。駿河は頭をかきながら俯いた。
「全く。冴木、人が悪いなお前」
「それほどでも」
「褒めてないよ」
まだ恥ずかしさは雪山の様に凍って駿河の中に残っているのだが、まんざらでもない口振りで駿河は冴木を肘でつついた。駿河は心の中でこんな顔を紗綾にしたら紗綾が喜ぶだけだろうと思った。
「冴木が僕の為に何かしてくれるなんて珍しいね。焼肉目当てで手伝ったのか?」
「知らねえよ。管理人さんの頼みとあっちゃ俺が断れる訳ねえだろ」
「ん、紗綾ちゃん?」
管理人さんという表現に何かもやもやした違和感を覚えて駿河は紗綾のことだと再確認しようとすると、冴木は少し唇が重くなったようだった。
「ん……そう、だ。紗綾さんのことだ」
「やけに言い渋るね」
「駿河、いいか」冴木が言った。いつになく真剣な表情だった。
そして次に冴木の口から出てきた言葉は明らかに駿河の想定外の言葉だった。
「俺は管理人さんのことが好きだ」
「はっ?」
「そうだ、めちゃめちゃ可愛くないか? スッゴく気立ても良いじゃないか」
「待って管理人さんって紗綾ちゃん?」
「それ以外に誰が居るんだ?」
紗綾について話す冴木の目から偽りの感情を見出だすことは駿河には出来なかった。
お前の目は節穴か。と悪態をつくか、節穴かどうかを確かめるために指を冴木の両目にぶっ刺してやる気分に襲われた駿河だったが、目潰しはともかく紗綾ちゃんの悪いところをわざわざそれを口に出して人の恋路を邪魔するほど野暮じゃないと思い、やめた。しかし、少し吐き気が強まったことを自分でも分かるくらいに感じた。のは、風が弱まったせいだと駿河は自分ではそうだと思った。
「んー……そうか、頑張れ」
「だが多分この恋は成就してくれそうにないんだよなー」
口を尖らせて皮肉たっぷりに言ったつもりの冴木の言葉は駿河の耳を通り抜けていった。
「へ? そりゃまた何で」
「ライバル……ていうか管理人さんは好きな人がいるみてえなんだよな」
また有らん限りの皮肉を込めたつもりの言葉は駿河の耳をまたも通り抜けていった。
「へえ……紗綾ちゃんに好きな人ねえ。一体誰なんだろ」
冴木は流石に駿河をぶん殴ってやろうかと思ったが必死に我慢する。
「黒澤駿河」
「え?」
「黒澤駿河先輩」
「リピート」
「くろしゃわしぇんぱい」
「嘘だ。変な声でからかうな」
「からかってねえよ。いつ恋人関係になってもおかしくなさそうな関係じゃねえか」
「は? 待て冴木。僕と紗綾ちゃんの間の関係はただの利害関係だ。というか紗綾ちゃんが利で僕が害を受ける関係だ」
「紗綾ちゃんだなんて俺には呼べねえもんなあ。いいか駿河。誰がどう見たって管理人さんはお前に惚れてるぞ、気付いてやれよ」
「冴木、僕を騙すために妄言を吐くのは結構だが」
「妄言じゃねえよ」
鋭い口調。
「酔いすぎだ。落ち着け」
「羨んでんだよ」
二人の間に少しばかりの静寂が流れた。
「本当にそういうんじゃないって」
「そうかな? お前は疎いからな。自分で自分が分かってない可能性も考えられる」
「分かってないっていうなら何だってんだ。言っとくが僕は自分のことは自分なりに分かってると思ってるぞ」
「いいか、いつかお前は管理人さんに応えなければならない時が来る。その時にどう応えるかはお前の自由だが、下手な返答したら俺はお前を許さないからな」
冴木が駿河の目を覗き込んだ。冴木の目は相も変わらず真剣だった。




