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「色々と? ちなみに紗綾は色の中では紫が一番好きなんですが」
すっとぼけたような口調で紗綾が細やかな髪が少しばかりかかった口元をわずかに緩ませて不敵に微笑んだ。それを見て駿河は眉を少しばかりしかめた。駿河は紗綾のこういう顔自体は嫌いではなったが、その時の状況がいつも自分に不利であるのが不満であった。
「……紗綾ちゃん、いいかい? 仮にこの学校に昔悲運にも死んでしまった将来有望な若者が居たとして……なんで今、なんだい? その嫉妬の対象はこの大学をとっくに卒業しているはずじゃないか。この大学に何らかの恨みがあるわけじゃないんだろう?」
月並みな意見ですねと紗綾が一笑に付した。駿河が大のオカルト好きなくせにいつも常識人染みたことを言うのが、紗綾には面白かったようで。
「いやいや、げに恐ろしきは人の嫉妬ですよお。この大学に入らずに、あいつと同じ大学でなければ、俺はこんなにも劣等感を抱えながら生きていくことはなかったのに……悔しい……。あるいは同じ学部の女の子に思いきってアタックしたところ秒殺でフラれた……この大学に来なければ……。こんなところでしょうか?」
「相変わらず適当かつ、信憑性のないことをペラペラと言うね。素晴らしいと思うよその思考回路」
「ありがとうございます。先輩にお褒めに預かり光栄の極みです。いやあ、まさに不徳の致すところで」
いやあ失敬! と、まるで歌舞伎の役者のようにでも仰々しく言ってから、紗綾がぴょこんと跳ねた。
「本当にね。相変わらず録な結果が待ってなさそうだなあ」
「ははは。おっと、月夜が綺麗です」
「誤魔化さないでくれ。どうせ彼氏とやらが煙草でも吸うためにつけたライターの光か何かじゃないのか、通りすがりの教授とか。暗闇の中で煙草を吸う教授の方がむしろ一種のホラーだが」
「煙草とは夢が無いことを。第一それを確かめる為に来たんじゃありませんか。一パーセント以下の確率に賭けて。先輩何でもかんでも頭からどうせ何々だろう、って考え方は関心しませんよ。そんな当たり前を疑わない心構えでは人類は発展しません」
「僕は人類の発展とかどうでもいいから帰りたいんだが」
「帰らせませんよ」
「願望だよ。……というよりもいいかい、紗綾ちゃん。僕に言わせれば大学生のカップルがそんな夜中に大学構内の暗闇で待ち合わせをしようとしてる方が奇妙なんだが」
「えっ、ちょ。紗綾に何を言わせる気ですかセクハラですよ捕まってください!」
「僕はまだ何も言ってないんだけどね。そういう意味じゃなくて純粋に何してるんだって興味が出ただけだ」
「興味? 変態ですか先輩? 人の事情に首突っ込んで色々と探る人間は豆腐の角に頭ぶつけるか馬に蹴られて死んでしまえっていいますのに」
「それは世界中の探偵が死にそうだな。手始めに僕の事情を考えずに僕の首根を掴んで首突っ込ませてこんな事に付き合わせてる如月紗綾ちゃん、豆腐の角に頭をぶつけてみない?」
「やりませんよ、先輩」
「ということでやっぱり僕は帰らせていただく。紗綾ちゃん」
「ちょ、ちょっと待ってください先輩! 何がということ、ですか! 脈絡ゼロじゃないですか!」
スタスタと去っていく駿河を紗綾が腕をとって引き止めた。駿河が紗綾の方を振り向くと黒猫のような不吉な目でこちらを見てきていた。
「なんだい紗綾ちゃんまだあるのか。くだらない話が」
「止まってくれないと修理代、先輩持ちにしますよ」
「ぐ。ずるいな紗綾ちゃん……ずるい……それはやめてくれ。紗綾ちゃん、でもさ、火の玉なんて存在してもどうせ何かの見間違いか、科学現象で説明がつく、ただのありふれた事象だと思うんだよ」
「____でも、でもですねえ、先輩」
「なんだい紗綾ちゃん?」
「それじゃあ____」
「ん?」
「それじゃあ、アレは_____一体なんだっていうんです?」
紗綾が指差した先には仲諒大学横の林があり、その奥で何か仄かに提灯大の大きさの、赤橙色に光るものがふわふわと漂っていた。
「何ですかあれ……」
「ッ! 紗綾ちゃん! なんで早く言ってくれないんだ!」
駿河は、今までとはうってかわって目の色を変えて駆け出した。
「え、あの。その、いや。ちょっと待ってください先輩! 行動が早すぎますよ! 置いていかないでください~」