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〔限りある人生を永遠なる君に〕My limited life for you

作者: 白神凛子

 「あなたに初めてお会いしたとき、確信したのですよ。〝妹〟の愛した、本当の方の名を」



 けれど口には出しますまい。この国家的な裏切りを、私は死ぬまで持っていく。

 罪滅ぼし――そう言えば聞こえはいいが、私には他に、あなたに遺してやれることがなにもないのです。





* * *


「――吹雪いてくるかな……」

 鼻面に乗る小さな雪の冷たさに身を縮めて、フェイリットは空を見上げた。

 薄白い、冬特有の空。灰色の雲が吐きだす真っ白な雪は、風に流れてふわふわと舞っている。

 ブナの木がびっしりと生え、縫い歩くようにしなければ前へ進むことができない。サミュンが作ってくれた猪の革の長靴(ちょうか)も、中に雪が入り込んで歩くごとに冷たさが足を覆った。


 山麓にある家からふもとの村まで三刻。冬場なら五刻近くも歩かなくてはならない距離を、フェイリットはたった一人で歩いていた。

「コレジさんいるかなぁ」

 吹雪いていないだけましだったが、これではどう見積もってもあとニ刻はかかるだろう。深い雪を漕ぐようにして歩きながら、その真っ白な光景の中心に、細い木が立っていることに気づく。


 何度も通りなれたこの獣道に、あんな木は立っていたろうか。

 フェイリットは不自然さに足をとめて、自分から五十歩ほども離れた場所に佇むそれを、じっと目を凝らして見据える。

「……人?」

 口からほわりと白い息がのぼって、鼻の先をかすめていく。


 ――木ではない、人だ。


 白樺の木のように見えたそれは、白いローブを頭まで被った人の姿だった。

 山あいを降りるフェイリットからは、ちょうど見下ろす位置にいるその人は、静かに、こちらを見上げるようにして立っている。

 それはどう見ても、フェイリットがそこまで降りてゆくのを「待っている」ようにしか思えなかった。


「あんな知り合いいたかな?」

 ひっそりと呟きながら、また歩き始める。


 サミュンから、知らない人には存分に注意をはらうよう強く言われていた。けれどフェイリットにとって、自分はただの子供でしかない。

 こんな痩せっぽちの子供をさらったところで、銅貨三枚にもならないだろう。もっと裕福で育ちのよさそうな子供ならまだしも、山深く育った自分にはそういったものは全くない。

 ぼろきれのような衣を纏って、ひょっとしたら山あいの村人よりも貧しいのではないかと思えるほど質素な生活をしているのだから。


「……ああ、」

 と、白い人は言った。

 手を伸ばしても届かないくらいの、わずかな距離で再び足を止めたフェイリットを見て、驚いたように。

 若木にめばえる新芽のような色の瞳が、頭を覆うローブからこちらを見つめている。じっと、まるで全てを見透かすかのような眼差しで。

 その微動だにしない様子は、いつだったかサミュンに連れられて街で見た、メルトローの端正な人形にどこか似ていた。

 緩やかに波打つ濃金の髪が、そのほっそりした白い頬に垂れている。


「あの、」

 視線に耐えかねてフェイリットが口を開くと、また息が白くのぼっていった。

 その人は二三歩、恐る恐るというふうに近づいてくると、またフェイリットを見つめる。

 近づいてみると、思っていたよりも背が高い。女の人かとも思ったが、さきほど僅かに発した声を聞けば、ちがうようだ。

「あの……えっ、?!」

 すらりと伸びた白樺の木のような青年は、ずるり、と両膝を雪の中に下ろすと、



 ―――次の瞬間、あっという間にフェイリットを抱きしめてしまったのだった。



 「おつかいですか?」

 しばらくして体をはなすと、青年はそう言って柔らかく微笑んだ。

 思わず顔が赤らむのを感じながら、フェイリットは小さく首を縦に動かす。

「下まで送りましょう」

 いりませんと、そう答えようとした矢先に体が浮いていく。華奢に見えるのに、軽々とフェイリットを持ち上げその腕に乗せて、青年はにっこりと笑った。


「……だれ?」

 唐突でぶしつけだったかもしれない。ぱっと口に出してから、フェイリットはそう思った。けれど突然知らない男の人に抱きあげられて、下まで送ろうだなどと怪しまない方がおかしい。

 誰、というフェイリットの問いに、青年はほんの少しだけ口元を緩めた。人形のように綺麗な顔が、すぐそばで微笑んでいる。


「私は、あなたの名前を、知っていますよ」

「え?」

 フェイリットは目を瞬かせて、青年の言葉を考える。

 一番危険なのは〝誘拐〟なのだと、サミュンがいつも言っていた。身代金目当ての誘拐。それは、フェイリットがメルトロー王国の王女であることを知っていなければ、できないことでもある。


 彼の口からもし〝サディアナ〟という名前がひとかけらでも出たならば。この綺麗な顔に噛みついてでも、逃げなくてはならない。

 王宮からの使者をことごとく断り、金銭の援助さえ受けつけていない現状で、メルトローから〝知り合い〟が訊ねてくるという状況も、考えにくい。



「フェイリット、でしょう?」



「……え、と、あの」

「あなたのお母様とは親戚でしてね、仲もよかった。寝食をともにもしていたくらいですよ」

 ゆったりとした、柔らかな声だった。

 男の人の声だというのに、どうにもそんな気がしない。きっと、サミュンの低くて渋い声や、麓の村の男たちの〝どす〟のきいた野太い声ばかりを聞いていたからだ。こんなにも中性的で、綺麗な音を聞いたのは初めてのこと。


「お……おかあさまは、」


 〝母〟という単語を耳にしただけで、青年の怪しさを疑う気持ちはどこかに飛んでいってしまった。フェイリットは食い入るように彼の顔を見つめて、物心ついたころからの疑問を口にする。

「おかあさまは、あたしに似ている?」

 青年は小さく微笑んで、首をわずかに傾けた。

「どうでしょうね。……今はどちらかといえば、お父様に似ているかな」

「おとうさま……国王陛下?」


 困ったように眉を上げて、青年は頷いた。その仕草さえ、まるで流れる水のようにしなやかに見える。

 こんなにも綺麗な人が親戚だなどと、信じられない。この人と血筋が近いのならば、きっと〝母〟も綺麗な人だったのだろうと、思わずにいられなかった。


「おつかいは、毎日来ているのですか?」

「ううん。木曜と、日曜だけ。日曜は、サミュンと一緒のこともあるよ」

「ほう、では、今日は何を?」

「今日はコレジさん家にいくんだ。コレジさんは蜜蜂をたくさん飼っていて、はちみつを分けてくれるんだよ。あ、これと交換するんだけど」


 背中に背負った麻袋を、フェイリットは指差した。中には今朝サミュンが狩ってきた、兎が三羽入っている。

「あなたが狩ったのですか?」

「ちがうよ、父さんが……ええと、サミュンが朝に狩った兎。あたしは弓はやらないんだ」

 喋るたびに、ふわふわと白い息が顔を包む。青年はふと驚いたような顔をして、フェイリットを見やった。


「弓を習っていないのですか?」

「うん。弓は狩りにだけつかえればいいって。あたしは狩りをさせてもらえないから、教わる必要がないの」

 もう少しで街が見える。その時になってフェイリットは、自分の足がそっと雪を踏むのを感じた。抱き下ろされたことに気づいて上を見上げると、青年がやわらかく微笑んでいる。

「では、こういうのはどうですか。木曜のおつかいの日に、私があなたに弓をお教えしましょう」


「弓を?」

 初対面の青年に、まさか「弓を教えてあげよう」などと言われるとは、思ってもみないこと。フェイリットは驚きつつも、どう応えてよいかわからずに、ただただぽかんと口を開けた。

「ええ、あなたの〝父さん〟には、内緒にしてあげましょう。……それとも、弓をできるようになりたくはないですか?」


 サミュンが放つ、鋭い矢じり。その軌跡は空にきれいな弧を描いて、まっすぐ獣に向かってゆく。あんな弓を自分も引けたら、大好きなサミュンに近づけるのではないだろうか。

 そんな考えが頭に浮かんでは、もうフェイリットには断る理由もみつからなかった。


「――なりたい。弓、できるようになりたい」


 どうしてだろう。フェイリットがそう答えると、青年は泣きそうなほどにっこりと笑って頷く。再び雪に膝をつくと、彼はその人形のようなうつくしい顔を綻ばせて言った。

「では、私の名前をおぼえていて下さいますね――カランヌ、と」




 ……このうつくしい青年に弓を習った記憶を、彼女はどこかに忘れてしまう。再び出会った十六の夜にも、その遠い面影が脳裏に浮かぶことはなかった。




* * *


 リエダ、あなたの愛した男の名前は―――、




〔限りある人生を永遠なる君に捧ぐ〕My limited life for you


――終――



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(おまけ小説あります♪)
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