リンゴォォオオ!!
俺と、その、いきなり声をかけてきた女性と2人で廊下の端っこに、目立たないようにひっそりと備え付けられたベンチに座っていた。正直、こんなもの一体誰が利用するのだろうかと思っていたが、なるほど。こう言うよく分からない関係の2人が集まった時に座るためのものだったのか。配慮が行き届いていると言うのかなんと言うのか………こんな稀な状況を想定できる人間ってのは恐ろしいな。
「………………」
「………………」
そしてまぁ、案の定無言である。無言にならないわけがないのだ。俺はこの学校の誰よりも恥ずかしがり屋であると言う自負がある。しかも女性に対してはより如実にその性格を表す。言ってしまえば俺は女性に対して極端にまで弱い。いままでレベル50ぐらいあったものが女性と向き合った途端レベルが2ぐらいになるのだ。もはや完璧に受け身だ。先制なんて取れるわけがない。相手が何をするのかをただ呆然待つことしか俺はできないのだ。
俺に対して話しかけたのであれば、女性の方よ。貴方から喋ってくださいお願いします。本当もうね、何年経ってもこの空気には慣れないんだよ。助けてくださいお願いします。なんか喋って下さい。現状を打破する力が俺にはないんですよ。
俺は床を見ながら女性の方に必死に意思を飛ばす。顔を直視できないから仕方のないことさ。俺は常に相手と会話をするときは床か空かネクタイかリボンか左肩と左目を線で結んだ線分の中点を見るようにしているからな。絶対に目を合わせない。目なんて合わせたら恥ずかしさで死んでしまう。
だが女性の方も全然喋ってくれない。恐ろしいほど喋ってくれない。
雰囲気で俺の顔をチラチラ見ているってことは分かるのだが、それでも言葉を切り出そうとしてくれない。
なんだこの空気。一瞬の気の緩みを探り合っている手練れの武士同士の居合合戦みたいな感じになってるぞ。ハタから見たら絶対に「あいつら、一体いつになったら斬りかかるんだよ」みたいな感じになってるよ。俺には隙しかないから!もういつでも斬りかかってくれてもいいんだよ!そりゃもうバッサリと!ドッサリと!俺のこと血まみれにしてくれちゃっていいんだよ!!
「あ………」
「!?な、なんでしょうか!?」
女性の発した僅かな言葉に俺はすかさず食いつく!待ってた!俺、貴方の言葉を待ってたんだよ!
「いや、あの、その、そのお茶毎回飲むのかなって…………」
俺の傍に置いてあるお茶を女性は指差す。
お茶………あーーこのパチモン臭しかしないお茶ね。
「いや、飲まないですよ。僕はいつもコーヒー牛乳しか飲まないですから」
今日はなんとなくコーヒー牛乳って気分ではなかったのだ。今日っていうのか最近かな。俺なんかが呑気にこんな美味しいものを飲んでいいのかって言う罪悪感とは違うけれど、何か、ほんの少しの引け目が俺のこのボタンを押す指を引き止めているのだ。あと少しで買えるのに、どうしても前にいかない。それが本当に正しい選択なのかって、頭が勝手に訴えてきて俺の行動を抑制する。
「そう……………」
「そうです………」
こうしてまた沈黙が訪れた。武士たちの立ち会いは、双方致命傷を与えることなくまた睨み合いの段階に落ち着いてしまったようだ。
うん、なんとなくこんな感じになる気がしてはいた。宏美ならともかく俺だからな。鉄壁のガード能力を持つこの俺を突き崩すなんてのは非常に難しいことだ。長時間コツコツと攻め込まないといけないからな。
「……………」
そしてやはりどう攻め込もうか考えあぐねているようだ。俺の右ズボンのポケットを見ているような気がする。気がするだけである。相手の目を見れないからそこんところは確証がないのだ。
「………それじゃあさ、あんたはそのフィギュアを集めてないの?」
………フィギュア?ああ、このリンゴのやつね。
俺はポケットを弄り、リンゴのフィギュアを取り出した。改めて見ると……ふむ、可愛らしい。地中に埋まっている状態なのだが、地上に出ている両目がジトーっと、上目遣いで可愛らしくこちらを見つめている。なるほど、どうやらこれは癒し系のキャラクターのようだ。
俺は今度は見知らぬ女性の方を向いた。首より上には目がやれないので、ブレザーのネクタイを見たのだが、なんとなくそわそわした感じがする。顔が見れないから雰囲気だけでの考察ではあるが、確かに落ち着きのない挙動と気持ちが漏れ出ている感じがする。長年女性と面と向かって喋れなかった俺が身につけた会話テクだ。こいつをバシバシ活用しないとこれ以上に会話ができなくなってしまう。
「………ああ、そう言うことですか。」
俺は手に持っていたフィギュアを彼女の近くのベンチの上に置いた。
「あげますよ。僕が持っていたところでゴミになるだけですからね」
この年代の女性が好きそうな奴だ。他の種類を見ていないから確実なことは言えないが、どうせこう言う可愛い系のモンスターのフィギュアが何種類もあって、それを売りにしているのだろう。パクリといいあざといと言い、このお茶の会社はズル賢いな。きっと一時期の話題性だけで利益を狙おうとする企業だろう。多分あと1年もしないうちに株を全部売却してがっぽり儲けてまた新たな会社を作っていくに違いない。
「いいの!?」
彼女が驚く。顔を見ていないからなんとも言えないが、驚いた表情をしているような気がする。
「これ、すっごくレアなんだよ!自販機限定のフィギュアで、そのくせ出てくる確率がめっちゃくちゃ低くて………私お小遣い全部使って買ったのに一個も当たらなかったの!ネットでは当たる確率が1%とか狂気じみた数字が書いてあるぐらいで」
ほーーん、そんなにレアなのか。1%なんてソシャゲーの最高レアリティーがあたるレベルの確率じゃないか?………いや、ソシャゲーの方がもっと低いか?
しかしそんなどうでもいい事に運を使ってしまうなんてな。やはり嫌な時には立て続けに嫌なことが起こるものだ。
「他の全80種はチョコのおまけとかだから全て持ってるんだけど、これだけ全然当たらなくて…………今更[やっぱり返して]なんて通用しないからね![お金払え]なんてのも通用しないからね!私今無一文だから!!」
ああ、なるほどね。だから声をかけてきたのね。
「………いいですよいいですよ。いくらでも貰ってください。」
俺はよっこらしょっと言いながら、ペットボトルを握って立ち上がる。
「え?いいの?これ売ったら2万円ぐらいするんだけど……」
「いいんですよ別に。わざわざそんな、合成樹脂を着色しただけのような物にお金を掛けさせるなんて忍びないですし、そんな事でいざこざを起こすのもめんどくさいですからね。」
売ってもいいのだが、その後に起こる事を考えると、どう考えても売らないで渡した方が俺に利益がある。[俺がケチ]という噂が女子内で飛び交い、ただですら見た目がアレの俺の評価が下がりクラス内で生き辛くなるのだ。それに2万円なんてマンガを買ってチョコを買ったらすぐに消える。あんな紙切れで俺の今後の生活を邪魔されるのは困るのだ。
「いや、でも…………」
………まったく、自分で言っておいてなぜ渋る。貴方からすれば最高の条件じゃないか。ここで喜ばないというのであれば、一体貴方が求めているのはなんなんだ。
「貰えばいいじゃないですか。ずっと欲しいと思っていたんですよね?だったら迷う必要はないですよ」
俺はそこから去ることができず、立ちながら彼女と話す。
本当はさっさとここから立ち去りたい。俺なんかと会話している所を見られたら、「え?あの子い………えーっとなんだっけ?飯島?みたいな奴と会話してるんですけどww。なになに好きなの?え?え?もしかして付き合っ……まじかよありえないわwwww」みたいな感じになってしまって彼女に対して非常に申し訳ないのだ。俺なんかのために評価を落とすのは由々しきことだ。そればかりは避けなければいけない。
俺は振り向いて教室に向かって一歩を踏み出した。
多分、このまま会話していてもラチがあかない。この場合はさっさと戻った方がいいだろう。
「……………」
おし黙る彼女。
うむ、やはりここを去るのが正解だ。あの女性はタダで物をもらう事に対して気がひけるのだろう。俺も人から物をもらう時には躊躇ってしまう。その気持ちはよくわかる。
また一歩踏み出した。
「………ま、」
後ろから声が聞こえた。
「待って!」
………待って?ああ、返そうとしてるのね。それじゃあ無視するに限るか。そうじゃないと彼女は受け取らない。
「ま、待ってって言ってるでしょ!」
ビン!
と、ブレザーの襟を掴まれる!いや、掴まれるだけじゃなくて思いっきり後ろに引っ張られる!
「春休み中ぐらい私と会話しなさいよ!暇なのよ!」
………はい?
「暇って………あの、暇ですか?何もやることがなくて怠惰に時間を潰しているという意味の暇?」
「そうよ!なんか文句あるわけ?入学したての高校一年生にも暇なときぐらいはあるわ!逆にないということの方が驚きって話よ。」
俺は襟を正して彼女の方を向く。
………顔が見れないからなんとも言えないが、なんか慌てているような気配がする。それに、語気が強まっていくと彼女は腕を組み始めた。まるで俺を威圧するためにわざわざ組んだみたいだ。
「………はぁ、そうなんですか」
「何よその気の抜けた返事は!疑ってるわね!?私が暇な理由を疑っているわね!?どうせあれでしょ、[うわ、まさかこいつ友達いないんじゃねーのダッセェ!]とか思ってるんでしょ!?友達ぐらいいるっつうの!今日たまたま友達全員がインフルエンザで休んでるだけで…………」
「………この時期にインフルエンザって珍しいですね」
「そ、そうよ!珍しいのよ!私の友達は全員特殊なの!ガールを[girl]ってうまく発音できるぐらい特殊なのよ!」
うわ、すげー特殊。
「ちょっとくらい付き合いなさいよ!女の子が恥を忍んで頼んでるんだから承諾してあげるぐらいの義理を見せなさい!」
「わ、わかりました。それじゃあ座りなおしますね」
彼女の気迫に負けて俺は再度ベンチに座り直した。
「しかし良いんですか?僕なんかと会話して。僕なんてつまらないですし、カッコよくないですし、いまだに旧友以外友達できていないですし、運動がダメダメですし、おしゃれじゃないですし、お茶がそこまで好きじゃないですし、椎茸が嫌いですし………」
「な、なんか自分の欠点言う時だけは雄弁ね。」
しかし、暇か………勉強をすれば良いのに。いや、勉強だと聞こえが悪いな。自分の好きなことを学習すれば良いのに。実際のところ暇なんてこの世にあってないようなものだ。
彼女がベンチに座るのを傍目に、色々と頭を巡らす。
「自分の欠点ですからね。どんなに言ったところで誰も傷つけることはない。気楽なんですよ」
俺は左手の腕時計を見る。
あと10分か………結構長いな。何を話そうか。と言うか俺が話すのはちょっと無理だから彼女に喋ってもらうか
「………それじゃあ、そうですね。さっき集めているって言っていたそのフィギュアについて少し聞きたいですね。一体どんな魅力があるのでしょうか?」
「お、何々?興味を持っちゃった?それはそうよね、なんと言ったってあのフィギュアは世界的デザイナーの…………」
俺を呼び止めた当初は憎ったらしいような顔をしていたが、今はすごく楽しそうに笑いながら話している。顔は見えないからこれもまた雰囲気による考察なのだが…………
こうして俺は10分間ほど、彼女の話を聞き続けた
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