至極虹影なことでございます
誰もかれもが笑っている。靴を履いて、制服を着て、小学生は私服を着て、何も憂うことなく道を歩き続ける。ゆっくりと踏みしめたこの一歩が、一体どれだけ凄いことなのかも気づかないでただただ歩いている。
………まったく、自分にうんざりする。なんでこんなにひねくれているのか、なんでこんなくだらないことしか考えられないのか、結局は言い訳して周りを批判しているだけのクズ人間だってことが理解できてしまう。自分という存在が消えたのならば、一体どれだけ世界が綺麗になるのか。……いや、そんな考え方はおこがましいか。俺ごときが世界に影響を与えれるわけがない。地球の産毛の先端に付いた細かな垢みたいなドウデモイイ存在の俺が、世界を汚しているわけがないか。
「宏美、おはよう」
宏美の家の前に着くと、いつも通り宏美が待っていた。
だから俺は片手を上げて挨拶をする。
「…………ああ、おはよう。」
俺が宏美の横を通過してそのまま先へと歩いていくと、宏美も並行して俺の隣を歩く。
変わらない景色だ。いや、逆に変わるわけがないんだ。俺ごときが何かしただけで、なにかが変わるなんてことがおかしいのだ。
チラリと夢の内容が頭をかすめた。
…………だけれど、忘れられるわけがない。今の俺の生活になんら影響を与えていないとはいえ、命を奪ったのには変わりはない。だが、もう俺には関係ない。もう俺が彼女に会うようなことはないだろうからだ。
「狩虎、お前最近調子が良くないんじゃないか?」
俺の顔を見ずに、道の端を見ながら宏美が尋ねてくる。最近伸ばしてきて、少し長い赤い髪が、歩くときの風でほんの少しさざめく。制服の後ろ襟にかかるかかからないか、それぐらいの髪の揺れが、妙に儚く感じた。
俺の顔を見てはいないが、顔色を伺っているような雰囲気だ。
俺は一昨日のことは宏美に話していない。………話したくなかった。心配をかけたくないとかじゃなくて、自分が情けなさすぎて、宏美に知られたくなかったのだ。
「…………さぁな。最近は早起きを心がけるようにしているからな、まぁ、新たな挑戦だ。だから、少し疲れているかもしれないな。」
俺も前で走っている子供達を見ながら答える。
春の風が妙に鬱陶しく感じる。急き立てるような、追い立てるような………前を進めと囁いているかのようだ。あの子達のように?………そうだと言うのなら、俺はあの子達のように綺麗じゃない。一般人ほども綺麗じゃない。人として汚れきっている。それなのに、あの無垢な子供達と比較できるわけがないのだ。あの子達のようには、もう俺は出来ない。前に進むことは、そう簡単にはできないだろう。
「そうか………まぁ、辛かったら私に愚痴でも零してくれ。私は早起きが得意だからな。お前の助けぐらいにはなると思うんだ」
…………やっぱ、俺と違って宏美は人間ができてるな……。はぁ、なんでこんなに俺ってクズなんだろう
自然に囲まれた山間を抜け、徐々に都心へと近づいていく。小さめの一軒家が、チラホラと見え始めてきた。
俺の家の周りは高級住宅街だ。都心なんかの家と比べられないぐらい大きな家が乱立している。真っ白な4階建ての家だったり、黒色で何百坪って感じの家だったり、茶色レンガで造られた洋風な家だったり………まぁ、俺みたいな庶民じゃ手の届かなさそうな家を見ることができるというのは面白いことだけれどね。
ただ、都心もビルとかがあるので巨大である。けれど、都心と俺がいる高級住宅街の間の地区はちっちゃな家ばかりだ。今俺がいる場所が正しくそれだ。庶民の場所だ。………俺の家も庶民的だから、どちらかっていうとこの周辺に住みたかったかな…………場違いすぎて恥ずかしいのだ。
「たまーにこんなこと思わないか?」
のっそのっそと無言で宏美と歩いている時間が10分ほど続いた。10分………息が詰まりそうになるほどの間だ。そんなものに耐えられなくなって、俺はてきとうな話題を作って会話を弾ませることにした。
「出来損ないの自分を消して、もっと優れていて、憧れている人間になりたい。ってさ」
俺は毎日であるけれど、いつもいつもこんな自分が憎らしくって情けなくって、ぶっ殺したくてたまらなく思っている。
なんでこんなにダメな人間が生まれてしまったのか、なんでこんな人間に育ってしまったのか、不思議に思ってしまう。
明滅した黒と白の世界を焦点を合わせずに見ているような景色が、いつも俺の頭にこびりついている。艶やかな色なんて欠片もない。ただの白と黒だけ。自分の全てがモノクロで、輪郭も何もない、常に揺れ続けている、黒と白の世界の住人みたいだ。
「………………」
俺の言葉を聞いて黙る宏美。
きっと、質問の答えを考えているのだろう。
…………なぜ俺は、宏美からいい影響を受けていないのだろうか。こんなにも毎日一緒にいて、こんなにも素晴らしい人間であるのに。
俺が白と黒ならば、宏美は虹だ。俺が持っていない殆ど全てを持っている。俺なんかじゃ直視できないような、眩い輝きだ。白と黒色の世界に、毎日虹をかけてくれている。………けれど、なぜか俺は、その色に染まらない。どうやら醜く蠢く影に、色がつくということはないらしい。虹のように空を駆けずに、影は影らしく地面を這いつくばっているのがお似合いらしい。
「…………私はそうは思ったことはないな。」
考えた末、出てきた宏美の言葉は、少し予想外のことであった。
俺はてっきり誰もがこう思っていると思っていたからな………まぁ、宏美ならこう考えないのも当たり前っちゃ当たり前なのか。憧れている人間とか少なそうだもんな
「憧れている人間はいるんだ。私じゃ手に届きそうもない…………いや、憧れじゃないかな。敬慕っていうのかな、[こいつの為なら何やってもいい]って人間なら確かにいる。」
敬慕………難しい言葉が出てきたな。憧れから一気に難易度がランクアップだ。
表情を変えずに宏美は俺の顔を見て言葉を重ねる。
喋るごとに動く口と、微かに揺れる眉毛が妙に艶めかしい。
ヒュ…………
空気を揺らす程度の風が、宏美の髪を少しだけ浮かせた。
「でも、そいつになりたいと思ったことは一度もない。もしなれる呪文があったとしても、私はその呪文を使う気はない。」
そこまでなりたくないのかよ。………あれか?顔面がお粗末とか?いやーーーそれは酷いな。同族として慰めてやることしかできないよ
「だってさ、もし私がそいつになったとしたら、私はそいつの隣にいられなくなってしまうじゃないか。…………私は、憧れた人間の側にいられるだけでいいんだよ。」
「…………はぁ、やっぱりあれだよな。俺って考え方が稚拙だよな。宏美と一緒にいると常に実感させられるわ」
人間出来すぎだろ。俺なんかじゃ到底辿り着けない領域だ。
「いや、いいじゃないか別に。現状に満足している豚よりも、現状に不満足なフリーターの方が救いようがあるってよく言うだろ?現状維持に徹底している私よりも、頑張って先に行こうとしている狩虎の方がよっぽど高邁だよ」
いや、それどちらも…………やめておこう。俺ももしかしたら将来フリーターになっているかもしれないからな。自分の転ぶかもしれないところに撒菱を撒いておくような愚かしいことはやめだやめ。
「宏美が豚なら俺はなんなんだよ。イボか?ホグワーツか?」
「豚のイボなわけないだろ。狩虎はあれだ………寝巻きに付着した毛玉みたいなものだ」
「せめて生き物についていたかったな………あんなのガムテープでまとめて取られるのが定めだろ」
毛玉って取る必要は確かにないけれど、なんか邪魔なんだよなぁ。見ていてイラつくっていうのかな…………取らずにはいられないっていうの?指の逆剥け見つけたら剥がしたくなる衝動に似た、あの絶対に絡め取ってやるっていう意思。あれにどうしても逆らえない
「イボよりはましじゃないの。イボなんて腫瘍なんだからな、無害な毛玉の方がまだ可愛らしいだろ」
「いや、まぁ、………うん。確かにそういう見方も出来るけれどさ………………」
もう少し生物に寄せて欲しいんだよな。
「いいのいいの!毛玉だろうとなんだろうと、常に現状を見つめている狩虎は偉いんだ。私なんかよりもよっぽどな!…………だからさ、自分を嫌いになるなよな」
宏美の悲しそうな目が、俺の細い目の錐状体に映り込む。揺れる髪と端整な顔立ちが相まってまるで絵画のようだ。きっと、俺の錐状体からこの映像は一生消えないだろう。そう思えてしまうほど、宏美の[今]が美しかった。
…………ただ、それは無理な話だな。俺は現状を見ているわけじゃない。見ないで否定しているんだ。見たところでどうせ否定するだけだからな。…………それに、俺はこの世で1番自分が嫌いだ。人類で唯一嫌いなやつが俺だ。それなのに、一体どうやって自分を嫌わないでおけというんだ。
スゥーー……………
明滅した白と黒の世界が現実に侵攻し始めたのだろうか?宏美以外の全てが白と黒に移り変わっていく。
……………やはり、宏美は俺には眩しすぎるな。どうしても目を背けてしまう。
ああ、そうか。なんで学習しないかわかった。俺って宏美のことをずっと直視できてないんだ。影からコソコソと、宏美を見ることもできずに宏美の足元ばっかり見ていたからだ。だから、宏美から何も影響されていないのか。
虹はかかれど影はただ退き行くのみ…………か。まったく、俺らしいったらありゃしないな。やっぱり自分を好きになれそうにない
「…………まっ、努力してみるよ。多分無理だろうけどな」
俺はあくびをしたフリをする。思いっきり両腕を上げて口を大きく開けて「ふぁ〜〜」と思いっきり腹から声を出した。
「ああ、頑張れよ狩虎。」
ドン!!と宏美が思いっきり背中を叩く。
俺はその衝撃で口から朝ご飯が出そうになったが、口蓋垂を無理矢理下げることでなんとか阻止した。
………やはり宏美の力は異常だ。これで1割にも満たない力だって言うんだからな……………
俺と宏美の間にさらに沈黙が降りた。
俺はやっぱり、宏美のような考え方はできない。憧れの存在の側にいたいなんて、俺には考えられないのだ。確かに俺は宏美とか遼鋭とかと一緒にいたいって気持ちはある。けれど、大人になったら今のように頻繁に交流ができるってわけではないのだ。
今のうちに、覚悟を決めておかないといけないと俺は常々思っている。「ずっと一緒にいたい」なんて、俺からすればただ辛いだけだし相手からすればさらに辛いことだろう。俺みたいな人間に一生つきまとわれる宣言されたらげんなりとするに違いない。
日陰はやはり、隠れるようにして生きるのがお似合いなんだな。
俺は学校に着くまでの残りの5分間を、無意味な自己否定に費やした
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