地獄はされど遠し
「ねぇ、この村で美味しいものってなんなの?」
俺の視線の真横にいて、一緒に歩く女性から声をかけられる。
「んーー………なんでしたかねぇ、確か薬草とかだった気がします」
そして、俺?がそれに答える。
「うへぇ、苦そう!じゃあこの村では食事はいいかな………苦いの苦手だし」
「何言ってるんですか。[良薬は口に苦し、諫言は耳に痛し]ですよ。苦いものこそ体に取り込まないと成長できません」
「えぇ…………食べたくないなぁ」
そう言うと女性は苦笑いを浮かべた。どことなく、楽しそうだった。
「んん!いい景色だねーー。現実じゃこんな景色味わえないよ」
俺?と女性は水に乗っかって上空に来ていた。目の前に広がるのは地上を埋め尽くすほどの雲。雲海だ。それが落ちていく夕陽の朱色に照らされ西の方は紅く、東の方は蒼く染まっている。心がゾワつくような、体が無意識で震えてしまうような景色があった。
「来てよかったね」
そう言うと、女性は俺の方を向いて笑いかけた。
「いつの間にか身長が同じになっちゃったね。目線も一緒だし…………」
俺の視線と女性の目線が同じだ。目と目が合う。だけれど俺は、視線を外したかったから右を見ようとしたが視線が動かない。ずっと彼女の綺麗な目を見続けなければならなかった。
「不思議な気持ちだなぁ………人と目が合うって、こんなにドキドキするんだね」
女性は恥ずかしそうに後ろを向いた。
「ねぇ」「うん」「あはははっ!!」「美味しいなぁ」「綺麗…………」「ドキドキする」「うん…………」
色々な景色が現れてはたまり続ける。そのどの光景も笑顔が絶えていなかった。俺の目の前に常にいる女性は、常に笑っていた。喜びが尽きていなかった。…………いや、それはないか。ほんの少し彼女の現実を垣間見たのだが、俺と同じぐらい寂しい生活だった。……いや、俺以下か。
両親は離婚、男手一つで育てられた。父親は優しく温和な性格ではあるものの、滅多に家に帰ってこれず、彼女は大きな家で1人で生活をしていた。学校でだって誰とも会話をせず、1人でただただ無表情。社交的な表情を作ることはあったが、本当の意味の笑顔なんて…………何1つとしてなかった。
けれど、そんな彼女でも、あの世界に行った途端、その心は喜びと感動で満ち溢れていた。それはやはり俺の視線となっていた男のお陰であり、また、あの世界の不思議な魅力の力でもあったのだろう。
……………けれど、彼女が笑っていられる世界は、いつも途中で終わる。こんな素晴らしい幸福な時間は同じ景色で、同じ状況で必ず終わってしまうんだ。
寸分違わず配列された兵隊。真っ暗な世界を覆い尽くす暑い雲。そんな中、真っ赤な鎧を着た男が手を伸ばす。
それは脳裏を蝕むように、視線を貫き、その恐怖を頭に直接響く。
「いや…………」
声にもなっていない、頭の中で振り絞られた思考。それが俺の心に響いた瞬間…………
ドォォォオンン!!!
燃え上がるような真っ赤な炎が男を舐めとり、目の前を爆発が埋め尽くす。無情に焼き滅ぼす褐赤色。そして、その火炎がなくなった後、
カラン………
黒く焦げた鎧が一個虚しく転がった
それに、おぼつかない足取りで近づく女性。ゆっくりと、時が止まったかのようにゆっくりと歩み寄っていく。引きずるように……心と足がぎこちない。現実が理解できいないのかもしれない。それがなんなのかわかっていないのかもしれない。だから、歩みが遅くなる。
ようやく鎧のところまで来た女性は鎧を手に取り抱き上げた。目の前を埋め尽くす青色の鎧が、鈍く輝いている。丸みのある部分の光り方が……なんとも、泣いているように見える。
シュワッシュワッ
降り止まぬ水が蒸発していく。水はこの場には存在できない。愚かな熱が、全てをかき消してしまうから。
「あぁぁぁあああああ!!!!!」
大きな声で叫び続ける女性。それは、もう何も無くなった大地に広がり続けていく。胸に広がる鈍い輝き……言葉にできない想い。それが叫びとなって体から抜け出ていくんだ。降り止まむ雨音、それがただただ永遠と俺の心に染み込み続けた。
「…………っ!!」
俺は目を開き跳ね起きる。今は…5時か……
俺は汗でビシャビシャになったシャツを脱ぎ、それで体を拭く。意味はないような気がするが、気持ちだ。
「はぁ…………はぁ………………」
荒い息が漏れる。脳と心と体が締め付けられているかのように苦しい。ああ、息苦しくってたまらない。……吐きそうだ。胸の奥の方が重たくって、何か溜まっているような感じがするのだ。
そしてたまったものが、押し込もうとする意思をこじ開けるように喉まで這い上がってくる。全てをぶちまけたいと喚き散らす。
だが俺はそれを必死に押しとどめてまた寝転がった。
パサッ
シャツをそこら辺にぶん投げる。
俺は目を片手で塞ぎ、何も見えないようにした。ほんの少し差し込み始めた日の光も、何も……俺の手によって遮られ、目には届かない。暗闇だけが俺を包んでいる。
「……………」
俺は10分ほどそうした後、起き上がり、脱ぎ捨てたシャツを拾い、部屋を出た。あのまま寝ていたら、またあの夢を見そうだったからだ。……今の俺は、耐えられない。
「………うわっ、お兄ちゃんおはよう」
部屋から出ると妹の花華が、洗面所から出てくるところとはちあった。
うちの妹と弟は筋金入りのスポーツマンだから、この時間に起きてくるのは彼らからすれば当たり前なのだ。もう色々と身支度を済ませており、今から歯を磨いて朝練に洒落込むのだろう。
花華の素っ頓狂な声………きっと俺が上半身裸なことに驚いたのだろう。
そりゃそうだ、いつも遅く起きてくる兄が珍しく早起きし、自室から出てくるなり半裸だったら並の妹はひく。
「ん………おはよう」
俺は花華に挨拶しながら洗面所に隣接した脱衣所へと向かう。汗でくしゃくしゃのシャツを洗濯機に入れなければいけないからだ。ずっと持っておくのも気持ち悪いから………
「お兄ちゃん大丈夫?クマは酷いし足元もおぼつかないし、寝れてないんじゃないの?」
「大丈夫大丈夫、俺はすこぶる元気だぜ。ほんのちょっと勉強で徹夜しただけ…………」
グキッ
俺は足首を思いっきりひねり床に倒れこむ。
「わわっ、ちょっと本当に大丈夫なの?」
それを、超反射をなぜか標準装備している妹がすぐに俺の元に近寄り、床にぶつかる前に体を支えてくれた。
あ、やべぇ。立ちくらみが発動してしまった。視界が完璧にゼロだ。何も見えないし平衡感覚がない。宙に浮いてるみたいだ。
「…………ああ、大丈夫。ちょっと足元が見えなかっただけだ、全然大丈夫。」
俺は壁に体重を預けて起き上がる。
ああ、スッゲーー何も見えない。俺今どっち向いてるんだ?
俺は壁伝いに脱衣所へと向かう。
ドシーーン!!
歩いているとどこからか大きな音が聞こえてきたような気がした。空耳だったかもしれない。とにかく、なんか、転んだような音が聞こえてきた。
花華かな?花華が転んじゃったのかな?
俺は壁伝いに進もうと、手を前に持って行った。
…………ん?壁がない?
けれど、手には壁の感触なんて何1つとしてない。
おかしいなぁ…………あっ、脱衣所に着いたのか。だから壁がないんだな。
俺は左を向こうと足を動かした。けれど、思うように体を動かせない。
おかしいな………なんだこれは……………
「………ちゃん」
俺が左を向こうと、手とか足を動かしていると遠くから誰かの声が聞こえる。
「………にいちゃん。…………にいちゃん!お兄ちゃん!お兄ちゃんったら!」
段々と声がはっきりとしてきてわかったが、声の主は花華のようだ。声が段々とはっきりしてきたってことは、聞こえ始めた当初は、花華と俺の距離は最初結構あったって事なのかな?
「何転んで手足ばたつかせてるの!!!」
「……………え?」
次第に視覚が回復していき、俺の目の前に現れたのは床だった。そして、それを意識した瞬間顔面の、特に鼻の部分に鈍い痛みが広がっていく。
…………どうやら俺は平衡感覚どころか、痛覚も重力感覚も何もかもが無くなっていたようだ。
そんな俺を見かねた花華に持ち上げられ、俺は居間へと強制連行された。
そして目の前にはご飯と味噌汁と漬物と味のり。いつも俺の朝ご飯は花華が朝練を終えた後に作るのだが、俺が変な時間に起きて来てしまったから、いまつくってくれたのだ。今テキトウに作ったとはいえ、いい出来だと思った。
「お兄ちゃんさ………もしかして一昨日の事で尾っぽ引いちゃってる?」
俺が味噌汁を飲んでいると花華から質問がくる。
「…………全然?なんで見ず知らずの人間なんかのために俺が落ち込まなきゃいけないんだよ。俺は花華と光輝を守れて、それだけで満足よ。それ以外の感情はない」
味噌汁を飲み干すと、今度は味のりに手をつける。
パリパリとのりが音を出しながら風味を、口の中に醸し出す。
「………本当に?本当にそう?さっき倒れたのと言い、あのシャツの汗濡れ感といい普通じゃないと私は思うよ。それにぃ……」
俺は3枚目の味のりに手を伸ばす。
「お兄ちゃんが落ち込まないわけがないもん。私とか光輝ならともかく、お兄ちゃんみたいに[なんでも考える事ができる人]が、心を痛めないわけがないからさ」
「………どうだかね。俺はそこまでできる人間じゃないよ。なんつったって俺は他人の心ってのがいまいち読めない人間だからね。それなのに全てを考えられるなんて評価されるのは妥当ではないと俺は思う」
「できるよ。だってお兄ちゃんバカじゃないもん。」
バカじゃないって…………なんだそりゃ
「…………なぁ、花華。お前、練習大丈夫なのか?結構いい時間経ってるけど」
時計を見ると5時40分だ。30分も経ってたのか…………気がつかなかった。
「ありゃ!本当だ!いつもの日課が出来なくなっちゃう!それじゃお兄ちゃん、ご飯食べ終えたら食器洗って置いてねー!」
そう言いながら花華は玄関に消えていった。
…………さてと、
俺は食べやすいのりと漬物を早急に食べ終え、白米にお茶漬けの素をかけてお湯を流し込みお茶漬けにする。
全然食欲がわかないのだ。いまさっき漬物とのりと味噌汁を食べたが、辛かった。喉が全然受け付けてくれなかった。それだと言うのに白米を食べろだなんて………無理に決まってんだろ。
だがしかし食わなければいけない。朝食は1日の半分の時間を生活するために必要なエネルギーを補給するための食事だ。食えなくても無理矢理胃袋に流し込まなくてはならない。
そのためのお茶漬け。噛まずに、とにかくかきこんでのみこむ。本当はダメなことだが、背に腹は変えられん!
俺はお茶漬けを喉に流し込み、朝ご飯を完食し、食器を洗い、トレイ?って言うのか?分からんけどそこに食器を置く。
そして俺は自室へと戻り勉強机に座る。
ずっと頭の中で、ここ2日間の夢の映像が流れ続ける。この夢が……あの、女性と男の記憶が、現実で本当に起こったことかはわからない。なにせ確かめようがないからだ。
もしかしたら俺のただの妄想で、本当はあんなこといままで起きていなかったかもしれない。本当にただの夢だったのかもしれない。
けれど、それでも俺はあの夢を夢だと断定することができない。一蹴することが出来ない。「所詮は作り物、いまの俺には関係ない」なんて言葉を吐き捨てられるほど、俺の心は頑丈ではないからだ。
机に出しっぱなしの英語のノート。その偶然開かれた部分に[Long is the way And hard,that out of Hell leads up to Light.Gates of adamant,Barrig us out,prohibit all ingress〜John Milton 失楽園〜]と書かれていた。
これは失楽園を読んでいた時に気に入ったから書いたんだっけかな…………よくもまぁこんなことを言えたもんだな。俺はこれから地獄から這い上がれるってのか?え?
俺はそのノートのページを破ろうとしたが、よく考えるとこのページの裏に他の例文が載っているんだった。破ったりなんかしちゃダメだろ。
そう思い俺はノートをバックの中に放り投げる。
…………ウジウジしてらんないな。少し俺も体を動かすか。
俺は学校の指定ジャージに着替えて外に出てた。
体を動かして気分をリフレッシュだ!少し寝不足気味ではあるけれど、なに、軽めのジョギングさ。吐きながらぶっ倒れることはないだろ。
30分ほどジョギングをした。やはり運動ができない俺には結構酷だったようで汗が滝のように流れる。それに、足もガクガクだ。
もうね、出し切った。たった30分でも、いまの俺には限界だ。もう無理、これ以上は走れない。もう全て使いきりました。
俺はジャージを脱いで洗濯機に投げ入れる。
俺の汗と苦労は全て俺の体から取り去った。そしてこの洗濯機で轟々と洗い流されるのだ。
ゴウン……ゴウン………
音が響く。全てを洗い流し、綺麗清潔にするために。
「…………」
ピクッ
水の渦に、あの男の顔が映し出される
…………ただ、やはり、あの夢だけはどうしても俺の頭から離れなかった。
重要関連作品
狩虎とイリナが出会い始まった本編まだまだ更新中→https://ncode.syosetu.com/n2411cs/
カイが死んだあの事件とそれ以降をイリナの視点で追っていた作品。全4話約94000文字→https://ncode.syosetu.com/n6173dd/
カイが死んだあの事件とそれ以降を狩虎視点で追っていった作品。全15話約60000文字→https://ncode.syosetu.com/n1982dm/