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2.音梨志乃(オトナシノ)



 一目惚れだった。


 わたしは以前桜子ちゃんに貸された恋愛シミュレーションゲームでも大抵眼鏡のクール系キャラに弱かった。そればっかりとデートして、他のキャラには目もくれなかった。


 彼、石黒君を見た時にもうそのまま、どこかのゲームキャラがいるように思えて息が止まりそうになった。


 艶やかな黒髪。涼しげな目元。笑うときほんの少し口元が意地悪そうに歪む。そこもまたよかった。


 彼と初めて会ったのはラー研の合同会だった。


 ラーメンを食べ終わって皆で公園にいたとき、ワイルド系の赤田君と弥生ちゃんが何やら甘酸っぱい空気で話し始めて、可愛い系の青河君が自販機のほうに行ったのを桜子ちゃんが物凄い速さで追いかけて行って、私は石黒君と二人だけになった。


 石黒君は鞄から眼鏡拭きを出して眼鏡を拭いていた。今しかない。話しかけるチャンスだ。


「……あ、あの」

「なに?」

「ど、っ……」

「……ど?」

「どんな……ラーメンが……好き……ですか」


 我ながら質問のチョイスがイマイチだと思う。仲良くなりたいのならもう一歩踏み込んだ質問じゃないと駄目だ。彼女はいるのか……とか、そこまで聞けなくても、友達になりませんか、的なこととか……せめて趣味とか……いや、無理だ。


 自分で自分に駄目出ししておいて、結局諦めて自己完結してしまう。しかしわたしのような引っ込み思案でチキンな人間にはどれもこれもハードルが高すぎるんだ。


 何をどうやったって、友達になるのもどうせ無理だ。でも、なら今ここで、この瞬間だけでもこの素敵なゲームキャラみたいな人とラーメンの話ができればもうそれだけでもいいじゃないか。充分じゃないか。


 脳内で望みのハードルをどんどん下げていく。よく言えば簡単に幸せになれるタイプだけれど悪く言えばこころざし低く向上心の足らないタイプだ。

 わたしは高校受験のときも、落ちるのが嫌だからどんどん志望校を下げていっていた。あげく先生に勧められて推薦で今の高校に入った。勝負に出るのも苦手なのだ。


 石黒君は眼鏡拭きをゆっくり鞄に戻して眼鏡をかけ直す。


「……タンメン好き?」

「え…………好き」

「西荻にすごい美味しい店があって、そこのタンメンが好き」

「え……あ」


 どんなラーメンが好きかの問いに対するアンサーだったとようやく気付いた。


「い、いいねぇ」


 よくわからない感想を漏らすと「一緒に行く?」とさらっと返ってきた。


「えっ」と言ったのかひゅっと息を呑んだだけなのか、自分でわからないくらい衝撃を受けた。


 黙ってモゴモゴしていると「どうする?」と言って顔を近付けられる。びっくりしてしまって思わず小さく「あっ」と声をあげると、少し離れた。


「ごめん、目が悪いから、つい近付いてしまう」

「眼鏡してるのに?」

「視力が落ちてからもしばらく裸眼でいたから、その時からの癖」


 しゃべった感じは機敏なアンドロイドみたいなシャープさといびつさを感じる人だった。それに見た目はすごく神経質そうなのに、実際はそうでもなさそうだ。


「で、どうする? 無理しなくていいよ」

「……行く」


 やっとの事で返事を絞り出した。





 わたしは約束の前日の夜にトイレで吐いていた。


 緊張のしすぎだ。


 もうあと数時間後には自分は彼と一緒にいるのだ。信じられない。


 あれから何度も、あの日のことを反芻して、気持ちはすっかり恋愛モードだったし、年がら年中石黒君の事ばかり考えて好き好き好き好き思っていた。


 自分だけでそういう風になるのは、楽しい。


 けれど、わたしのような人間は当然のことながら今まで眺めるだけの恋愛しかしておらず、恋愛相手と二人だけで会うなんて経験が今までない。どうしたらいいのかわからない。


「志乃、明日これ着ていきなよ〜」


 大学生のお姉ちゃんが、からかうように言ってくる。


「……おねえちゃんの服はケバいからいやだ」

「は……? この程度の露出で何言ってんの? あんたチビだし、ちょっと丈が短いほうが似合うんだって」

「だめ! 丈だけじゃなくて胸元も開き過ぎ! こんな服着て行ったら痴女だと思われちゃう!」

「……ちじょ! なんつーこと言うのよこの子は!」

「お姉ちゃんわかってない! 出てって!」


 お姉ちゃんは普段からかなり激しめのギャルメイクで比較的露出の高いギャルファッションなので、まったく参考にならない。趣味が違う。


 お姉ちゃんはちょっとぶーたれた顔で、ショックを受けて部屋から出て行った。


 でも実際問題着ていく服も、なかなか決められなかった。わたしの持っているあれもこれもそれも、買ったときはわくわくしていたけれど、石黒君から見たら全部ダサい気がするんだ。自分のセンスに自信がない。しかし、全裸で行くわけにもいかない。

 タンスやクロゼットの中をひっくり返して服は無難なワンピースになった。デザインうんぬんより、割合新しめで、くたびれていなかった。わたしはそれに慎重にアイロンをかけて壁に吊るした。


 あまり眠れないうちに朝が来た。

 シャワーを浴びて牛乳と小さなクロワッサンだけ口に入れて準備にかかる。

 はっと思い直して隣の部屋に駆け込む。


「お姉ちゃん!」

「なに!」


 お姉ちゃんが待ってましたとばかりに勢いよく笑顔で出てきた。何か待ち構えていたかのように感じる素早さだ。しかしすっぴんだと本当に別人にしか見えない。


「お姉ちゃん普通の人間のメイクできる?」

「ちょっと! どーいう意味だよ!」

「目と同じ幅の異常なまつ毛も化け物みたいな色合いのグロスもグロテスクなアイシャドウもいらないから!」

「妹の理解のなさにお姉ちゃん悲しいわ!」


 お姉ちゃんは面白い顔で絶句していたけれど、昔からわたしにはとても甘い人なので、ブツブツ言いながらもネットで検索してナチュラルメイクを出してそれに近いのをしてくれた。


「可愛い?」

「うん。でもさ……もうちょいまつ毛盛ったほうが良くね?」

「いい。止めて」


 お姉ちゃんに「ありがとう、もう行くね」と行って家を出た。




 駅前の待ち合わせ場所に石黒君はまだいなかった。

 そりゃそうだ。まだ30分前。明らかに早く着きすぎた。


 だけどわたしは自分が遅れるよりは、人を待っているほうが苦にならないタイプだ。

 そこは背の高い時計が中央にある広場になっていて、多くの人が待ち合わせスペースとして使っていた。他にも待ち合わせらしき人達がいて、待ち人が来てひとりふたり減っていく。それからまた新しい人待ちの顔と入れ替わっていく。



 時間になったけれど、石黒君は現れなかった。


 携帯を何度か見て10分過ぎぐらいに、もしかして忘れてるのかな、と思ったけれど、あの場で約束してから一度も連絡を取ってなかったので、電話もラインもする勇気が出なかった。


 15分……20分……時間が過ぎてくたびに、嫌な予感が胸に充満する。

 電話をしたほうがいいとは思うけれど、こちらからかけるのは勇気がいるし完全に忘れてなければ、遅れてても連絡はくれるんじゃないかとか、思って、結局突っ立っていた。


 広場の入口に人が来るたびにどきんとして、違ってがっかりして、どこかほっとする。


 それでも40分を越えた辺りで涙が出そうになってきた。


 もしかしてわたしは最初から、からかわれたんじゃないだろうか。


 そんなことに急に思い当たって悲しくなる。あの場で口約束して当日集合なんて、普通の感覚の人からしたらおかしいことなのかもしれない。

 そもそもこちらは女子校だけどあっちは共学なのだ。石黒君みたいなスラッとした人には普通に彼女もいるかもしれない。


 昨日の夜の張り切った自分を思い出して、それと今の自分の情けなさが対比されて、余計に悲しくなる。


 約束は11時だった。背の高い時計の針は50分を回っていた。

 もう、帰ろうかな。あまりしつこく待っていてもしょうがない。目の前が霞んで行く。


「あれ、えっと、……シノちゃん?」


 声がして振り向くと、期待していたのとは違った顔がそこにあった。


「えっと……青河君?」


 お互い自信なさげに疑問符を付けて呼び合って確認する。ちょっと自信がなかったけれど当たりで、向こうもわたしが呼んだことで確認できて安心した顔をした。


「うん……その、どうしたの? 何かあった?」


 はっきりとは口にはしなかったけれど「どうしたの?」はわたしが泣きそうにしていたから、いやもう涙がじんわり目に溜まっていたからだろう。


「なんにもないよ。今帰る所だったから」

「帰るの? ……それならいいけど」


 服の袖で目元を拭って足早にそこを離れようとすると「待って」と呼び止められた。


「……なに?」

「もしかして……違ったら、その、あれなんだけど……」


 青河君はそこまで躊躇いがちにしゃべって、また口を閉じる。言いにくそうにまた口を開く。


「俺の知ってる奴と、待ち合わせてたりする?」

「…………」


 そう聞かれて頷いたら、そのタイミングでなんだか堤防が決壊してしまって、涙がボロボロと止まらなくなってしまった。


 青河君はちょっと困った顔で立ち尽くしていたけれど、スマホを出して指先で操作してから耳に当てる。


「あー、おはよう。……起きてた? 今日は何月何日の何曜日?」


 電話の向こうから薄っすら抑揚のない声が聞こえる。


「うん、うん、8日の土曜? 惜しい。ざんねーん。今日は9日の土曜」


 わたしはなんとなく青河君の手の中のスマホをじっと見つめていた。


 通話を切って青河君はこちらを向いた。


「ごめんね、あの馬鹿、やってるバイトが夜の23時から翌6時までで……日付またいでるせいか曜日感覚が狂いやすくて、よく曜日と日にちがズレてるんだよ。約束は9日の日曜とか阿呆な事言ってなかった?」


 ……言ってた気がする。9日と強く脳に焼き付けたのでそこは覚えている。

 日曜日って言ってた気がするけれど、そのあと9日ですねと念押しして確認したから言い間違いかなと思って、そこまで気にしなかった。ちゃんと後で文字で確認すればよかった。


「やば、遅れそう……俺もちょっと今日は大事な約束があって……ごめん、すぐ来ると思うから」


 青河君は頭を下げて早足で行ってしまった。


 少し離れたベンチに腰掛けた。涙はとまったけれどなんだかすでに疲れ果てていた。


 ぼんやりしていたら人影がざざっと目の前に滑り込んだ。石黒君だった。だいぶ息を切らしている。汗もかいている。先程の通話から10分も経っていない気もする。随分と早かった。


 石黒君は最初に「本当にごめん」と謝って、そのまましばらくゼェゼェ言っていた。


「明日だと勘違いしてた……ごめん」


 途切れ途切れに事情を説明しながら。歩き出す。


「怒ってる?」

「いえ、もう……あの、会えたので……いいです」


 怒ってはいなかった。忘れられていたわけでもなかったので落ち込んでもいない。ものすごく気疲れしただけだ。


「あと、できればもっと早くに直接電話ほしい。待たせたくない」

「ごめんなさい……」


 言われて下を向いてしまった。それがパッパとできるような性格ならこんなすれ違いは起きていない。


「あと、何度かかけたんだけど……」


 鞄から携帯を出すと青河君が去った後の時間に着信が入っていた。わたしはさんざん携帯を気にしていたのでくたびれてしまって、もう来るだろうと思い鞄にしまいこんで見もしなかった。いろいろ申し訳ない。


「お腹減った?」

「うん、なんか急に減ったかも……」


 なんだか脱力してしまって、妙な緊張は、涙と一緒にどこかに行ってしまっていた。


「今日はもう近所で食べてすまして、他のとこに遊びにいく?」

「えっ、あっ……はい」


 てっきり、ラーメンを食べにいくのがメインだとばかり思ってた。

 それだと、まるで普通のデートみたいだ。石黒君はそれでいいのかな……さっきも思ったけれど、学校に彼女とか……いろいろ考えながら隣を見るとばっちり目が合って、びっくりして赤くなってしまう。


 石黒君がわたしを見て「うわ……」と小さな声を上げて口元を押さえた。


「な、なに……」

「しのさんて、すぐ赤くなるんだな」

「シノサン……?」

「ごめん、名字、知らなくて……他の子が、あなたのことを志乃って呼んでたから……」


「あああ! はい! わたし、言ってなかったですか? そうです。わたし、志乃です。音梨志乃です。すいません……あの……“さん“なんて要らないんで! すいません! わたし、いっつも自分のことは言い忘れちゃうこと、多くて!」


 語尾をどんどん小さくゴニョゴニョさせながら勢いよく言って石黒君を見ると、ゆっくりとこちらを見た。それから一度だけ大きく頷く。


「じゃあ…………志乃」

「…………きゃっ」


 “さん“なんて、要らないとは今自分で言ったことだったが、それはだいぶ卑屈な感覚だったので、急にそのまま呼び付けにされて、思ったより恋愛的にドキドキしてしまい戸惑う。

 なんというか自分で「あそこに向かって吹き矢を吹け」と言っておいて、急いでそこに行ってその矢にプスッと打たれた馬鹿な兵士のような気持ちだった。


「大丈夫?」

「いえ……そのあの……」


 あまり大丈夫じゃないかもしれない。顔が、火を噴いている。最後にこんなに熱くなったのはラーメンに間違えてコショウを大量にかけてしまったとき以来だ。


 おまけに石黒君が口の端をほんの少し歪めて笑って、わたしの片方の手をぽっと掴んだので、びっくりしてまた「ひゃっ」と「きゃっ」が混じったような悲鳴を小さく上げて、俯くしかなかった。




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