1.永原桜子(ゴウカイギャー)
貝民高校のラー研男子達と合流したが、あまり盛り上がらなかった。
弥生と赤田君は元々知り合いなだけあってポソポソと会話を交わしていたけれど、私と志乃もずっとモジモジするばかりだった。
このまま解散となりそうになったころ、私のドストライクの青河君が自販機のほうに移動した。距離にして約10メートルほどみんなと離れたその瞬間、ゴウカイギャーが発進した。私は頭で考えるより先に彼のいる場所に突進していた。
「あのっ」
「えっ」
「こ、こんどふたりで……」
「うん」
「二人でラーメン食べに行きませんかっ!」
青河君は一瞬きょとんとした顔をしたけれど、すぐに破顔して「いいよ」と言ってくれた。
私は青河君と連絡先を交換した。やるじゃんゴウカイギャー。
ウキウキして家に帰る。自室でもウキウキしていた。
しかし、ベッドにごろんと横になって、ナルトのクッションを抱いて考え込む。
脊髄反射でラーメンに誘ってしまったがよく考えたらあまり良くない。私はもう、あんな肩の凝る苦しいラーメンはしたくない。あんなのラーメンじゃない。
ラインで連絡してハンバーガーに変えてもらった。
しかしその後シミュレーションして、ハンバーガーなんて大口開けて頬張る食べ物はまた苦行の類じゃないかと思い直してそのまま通話ボタンを押す。
「もしもし? やっぱりおにぎりに変えたいんだけど!」
「おに……ぎり?」
だいぶ困惑した声が返って来た。
「あ……」
おにぎり、ちょっとハイセンス過ぎたかな。ていうか、誰が握るのかな。コンビニ? それ、どういうこと? どこで食べるの? 自分で言っておきながらたくさんの疑問符が頭を回る。
「……映画にする?」
聞かれて勢いよく是の返事をした。
*
映画は最新作ではなくて、青河君が観たいと言った昔の映画だった。
「駅前の市役所の裏にある小さい映画館でリバイバル上映してるみたいで、ちょうどそれ観ようと思ってたんだ」
青河君が教えてくれる。
ふたりで、隣り合っているのに微妙な距離を開けながら映画館に向かう。
市役所の入っている大きなビルの正面がガラス張りになっていて、青河君と私が二人映し出される。
心の中で「ホワオ!」とわけのわからない悲鳴を上げて興奮していると青河君がちょっと嫌そうな顔で私の腕を引っ張って足早に移動しようとする。
腕! 部分的接触!!
今、青河君の皮膚と私の皮膚の一部がこの地球上で最も近い距離に!
脳内をピンクに染めていると入口を入ったところで青河君が「まだ、伸びてるから」とボソッと伝えてくる。
そうかい。私の心の青河メーターも今、まさに現在進行形でぐんぐん伸びているよ。心の中で返事をしてから、なんのことだろうかと思いを巡らす。
「あ、身長?」
言ってからまた嫌な顔をされてしまい、後悔した。私は身長が166㎝ある。女子の中ではそこそこ大きいほうかもしれない。並んだ時に青河君も、さほど変わらない。そのことが何かコンプレックスを刺激したのかもしれない。
だいぶ反省して、小さい声で「ゴメン」と伝えるが、青河君は少し先に行ってしまって聞こえてなさそうだった。ちょっと落ち込んで映画館に入ったけれど、映画が面白くて落ち込みは吹っ飛んだ。潰れそうなラーメン屋を立て直す話だった。
「すっごい面白かったね!」
「うん、俺はDVDで何度か観てるんだけど……」
「あ、そうなんだ」
そんな何回も観てるのにまた観たいとは相当好きなんだろう。デカい画面は違うっていうしな。
「……好きなんじゃないかと思って」
「何が?」
聞き返したのがいけなかったのだろうか、青河君はまたちょっと不機嫌そうになってしまった。まずい。どうにかして挽回せねば。
「ねぇ、ラーメンじゃないのって言ったけどさ、さっきの映画観てたらやっぱり食べたくなったんだけど」
「あ、俺も」
「だよね! 私の行きつけのお店が近くにあるから、案内するよ!」
幕翠高校女子ラー研の主な巡回店は三つ。
この間会合に使った家系っぽい味の『希麺屋』
それから比較的大手チェーンの九州ラーメン『麺ばしょっと』
そして今から私が行こうと思っているのは店主の親父がひとりで切り盛りしている『天龍軒』だ。塩ラーメンが美味しい。
なんだかんだ言っても馴染みのお店が一番緊張しなくていいかもしれない。あそこは少ないけれどテーブル席もあるし、男の子とふたりで行ったら色々空気を読んで協力してもらえるかもしれない。
もうすぐ火を落とす時間だ。
急ぎ足で天龍軒に向かう。
路地を曲がって店の前に着くと、ちょうど店主の親父が外で煙草を吸っていたが、私と青河君を見て目を丸くして口元から煙草をポロリと落とした。
「さ、桜ちゃん……? 青ボウズ……?」
口の中で小さく呟いて苦々しい顔をした。青河君を見ると店主と同じような顔をしていた。
「おじさん、まだ平気? もう火落とす?」
聞くと親父はクワッと眉を吊り上げて巻き舌で「へェりな!!」と怒鳴った。
後に続いて店の中に入ると乱暴に水を置いてくる。なんなんだよ。
親父は青河君を胡乱な目で見て言う。
「アオ、お前、何やってんだ? まさか桜ちゃんに……」
「うるさいな……」
何かおかしいと思ったら青河君も店主と顔見知りらしい。よく考えたら幕翠女子と目と鼻の先にある貝民高校ラー研がここを部活動の場所にしていないはずがない。
「俺は絶対認めねえからな!! 高校生の癖に……! 桜ちゃんにはそういうのはまだはえぇぇえんだよ! ラーメンドカ盛りニンニクマシマシ二つだな!!」
親父は早口で言って、勝手にオーダーを決めた。悪意のあるメニューだ。
「俺が高校生の頃なんて一人でインスタントラーメンの研究してたっつーの!」
親父はエキサイトしながら調理器具をガンガン鳴らし作り出す。普段はニコニコしていてチャーシューをサービスしてくれるいい店主だと思っていたのに、今は目が血走っている。人間の本性は思わぬところで明らかになるものだ。
「おうお前ら! ニンニクくっせぇ大盛りラーメンお待ちどう! お代はいらねぇ! 完食しろ!」
親父……空気読め……。
目の前の青河君は頬杖をついて明らかに不機嫌顔だった。
なんでこんな頭のおかしい店主の店に連れてきてしまったんだ私は……。
もう今日だけで三回はこの不機嫌顔を見ている。恋愛シミュレーションゲームだったら完全に好感度がガタ落ちしている。いや、現実にもガタ落ちだろう。
なんだかんだ言っても味は美味いので食べる。しかし、親父がカウンターの奥から血走った目で見張っているのでろくに会話もできやしない。
今度来たときに親父にはたっぷり制裁を加えるとして、今は我慢だ。向かいに青河君がいる、手荒なことはできない。親父……命拾いしたな。
頭の中で親父への呪詛を唱えつつ、もくもくと集中して食べていたらウッカリ青河君より先に完食してしまった。
「いい食べっぷりだね……」
ぽそりと言われて顔が猛烈に熱くなった。最悪だ! 恥ずかしすぎる! 思わずラーメンのずんどうにその身を隠したくなった。
*
親父の呪いによって私と青河君はしみったれた顔でニンニク臭い息を吐きながら歩いていた。互いに口元の匂いを気にして会ったときより余計に距離が開いていた。
こんな強烈な匂いをさせていたら普通の喫茶店にも入れない。帰るしかないじゃないか。
ぶすったれた顔で歩いていたら青河君が少し早足で少し先の公園に入っていく。なるほど公園ならばニンニクによる被害も少なかろう。
彼が入口から離れたベンチに座ったので少し間を空けて隣に腰掛ける。
陽の光がオレンジになっていく、夕方近い時間帯。季節はもうすぐ夏で少しだけ蒸す。
私と青河君は揃って空を見上げていた。
男の子とデートをしたのは初めてだったけれど、それがこんな大失敗に終わるとは思わなかった。半分以上は天龍軒の親父のせいだが、それを除いても私は粗相が多かった。
私は青河君のことをまだよく知らない。
だからそれは好きというにはまだ幼い、あと少しで好き、という位の、育ちきる前の気持ちだったけれど、それでも落ち込んでいた。
小六のころの片思いを最後に恋なんてずっとしていなかった。恋愛シミュレーションゲームしかしてない。ゲームならこの後攻略サイトを見て何度も誘えばなんとかなるけれど、これは現実だ。もうゲームオーバーだろう。
夕方の陽が射して、少しだけ色素の薄い彼の髪を透かす。それを見て、この光景だけは、もう自信を持って好きだと言えると思った。思ったら余計に悲しくなった。
「あのさ……」
青河君が口を開く。
どんな苦い言葉をぶつけられるのかと恐る恐る顔を見ると、こちらを見て口を閉じて笑っていた。それからまた正面を向いて言う。
「今度また、リベンジさせてくれない?」
「えっ」
「……次はちゃんと楽しませるから」
「ええっ」
青河君はこちらを向いて口の前を手のひらで塞いで言う。慌てて私も同じように塞いだ。ニンニク臭ぇ。
口を塞いだままこくこくと頷く。
「俺、永原さんのことまだよく知らないし、本当は今日も、女の子に誘われて嬉しくなって深く考えずに来たとこあるんだけど……」
「そ、そうなんだ」
「でも、永原さんのラーメンの食いっぷりが……すごい……気持ちよくて、もう頭から離れなくて」
あああああ!!
もう恥ずかしくて脳内でごめんなさいごめんなさいすみませんすまんかったと謝罪を繰り返した。
「俺、自分が割とみみっちいから……豪快な人ってちょっと憧れる」
喜んでいいやら悲しんでいいやら。
青河君は口を塞いだまま、篭った声で「また会ってくれる?」と言った。
私は思わず口を塞ぐのも忘れて思い切り豪快に「喜んで!」と叫んだ。