綿雲
文章: ペン
「――ねえ、どこまで行くの?」
「さあね。……僕の知ったこっちゃないね」
女の子は窓を見る。そこから外の景色が見えるから。
景色はどんどん流れていっている。
「あの雲、食べれるかな?」
「食べたいのかい? じゃあ食ってきなよ。空まで行けば思う存分、食えるぜ」
「無理だよそんなの。だってあたし、空飛べないもん」
「飛べるさ、翼なんかなくたって」
「ええ? じゃあどうやって行くの?」
「翼なんかなくたって、羽生やしゃあいいんだよ、羽を」
「えー、そんなの無理だよう」
「うるせえ、つべこべ言わずに俺のを見てろ」
男のコートの背中から羽毛が突如として現れる。
そして男は、電車の車窓から身を乗り出して、飛び立とうとする。
「――って、何で俺が飛ぶことになってんだよ。あの空行きたいのはお前だろ。さあ、さっさと羽生やして行きな」
「どうやるの?」
「んなもん、気合だよ。歯、食いしばれば、んなもんいくらでも生えるわ」
「えー」
「うるせえ。とりあえずやってみな」
女の子は小ぢんまりと食いしばって、出そうとする。
「んん……。うーん。……んー。――――……やっぱり、出ないよう」
「ふん。気合が足んねえんだよ、気合が。お前みたいなやつにはこうだ」
男が脇腹をくすぐりにかかる。
女の子は当然、笑い出す。男のくすぐり方は地味に上手いらしく、女の子の笑いに拍車がかかる。
「――あはははは、ダメッ、もうやめて、息できないっ――」
「うるせえっつうんだよ。さっさと観念して、羽生やしな!」
もう女の子の息は絶え々々で、まさに涙が目に浮かんでいて、気絶するというその一瞬前、くすぐりの手が弱まる。
女の子が本能的に、顔を上げて一息に吸う瞬間、女の子の背中からささやかな羽毛が生える。
「なんだ、やればできるじゃねえか」
「――え?」
女の子が背中を手で触る。羽毛のあるのを感触で察知した。
「あれ……生えてる?」
「ああ、そうだ。お前が生やしたんだ。――――さあ、ソイツであの空まで行ってきな。雲が食いてえんだろ? 俺はここで昼寝でもしてるからよ」
「おじさんも一緒に行かないの?」
「俺はいいんだよ。面倒くさいし。何より、飛ぶのは疲れる。――――嬢ちゃんに任せるよ。俺の分まで、あの空どもをたいらげて来な」
「うん、じゃあちゃんとここで待っててね」
「おうよ。――――じゃあ、おやすみ」
男は横になって、帽子を顔にかける。すぐに寝息を立てる。なんだか嘘くさい。
「じゃ、すぐ帰ってくるから。雲いっぱい食べてくるね」
そう言って、女の子は車窓から飛び立った。
帽子がずれる。男は片目で、女の子が飛び立っていくのを見守っていた。