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第三章 勇者(弟子)、勇者(師匠)と修行を始める

 ――この世は色で溢れている。


 赤を追えば青に行き着き、周りに緑が踊って黄色が瞬く。闇の中でも光があって、眩しさの中でも影がさす。

 世界に色があったり明るい暗いがあるのは当然なんだけど、今あたしが「目を瞑って見ているモノ」は本当にあたしが生きている世界なのかと思うくらいにごちゃごちゃで、きれいで、複雑で、すっきりしてて……

 あー、やっぱり分からない。まだ何て言ったらいいか分からない。

 こんな風に頭は働いていないけど、それでも身体に染み入ってくるものが「これは本当の世界なんだよ」って教えてくれてる気がする。


 世界は、精霊で出来ている――って。


「エフィリー?」


 ふと、精霊で出来ていたあたしの身体は今まで知っていた「人間の身体」に戻る。耳が耳として働いて、精霊が「音」として伝わって、あたしは自分の名前が呼ばれていたことに気付いた。

 思い出そう。あたしの名前はエフィリー。

 最近姓を貰ったからまだ慣れないけど、フルネームはエフィリー・ミスリア。

 ここは女の子だけの戦士養成所、ミスリア女学園。今は闘技場で武術の対戦訓練中……だけど、あたしは「出来ない子」なので一人基礎訓練として闘技場周りをランニング中。

 そしてそれさえ途中でサボっちゃって、噴水広場のほとりで一人ベンチに座り……いつの間にか隣に座っていたマテリアに肩を揺すられた、という所まで思い出した。思い出した、というか、戻ってきた。


「あ……マテリア。どうしてここにいるの?」


 いつもキラキラしているマテリアの金髪は、後ろに見える噴水の輝きを受けて、もっとキラキラしているように見える。同じ「運命の子」という名前を背負っていて、そしてこの学園で唯一の友達である彼女は、いつものにこにこ顔に不思議そうな色を浮かべてあたしの顔を見ていた。

 ……正しくは「あたしの顔に乗っているもの」を見ていた。


「エフィリー、それ……なんですの?」

「葉っぱだよ」


 瞼の上に乗せていた緑の葉っぱ(何の葉っぱか忘れた)をマテリアの伸ばした手に渡す。

 ただの葉っぱを彼女はとてもしげしげと眺めていた。……そうだよね。あたしも最初はそうしたからね……。

 あたしがその時に持った疑問をマテリアも持つと思ったので、先に答えを言っておこう。


「マテリア、目を瞑って瞼の上にその葉っぱを乗せてみて」

「え? 何かの魔法なの……?」


 そう言いながらも素直なマテリアはあたしの言う通りにする。途中で一度葉っぱを落としたので拾い、晴天の空を見上げるように顎をあげて、さっきのあたしがそうしていたように上を向いた。


「……どう? 何か見えない?」

「……何か……と言われましても……」


 その言葉の後にたっぷり時間を置いて、マテリアは諦めたように葉っぱを取ってあたしの顔を見た。


「まっくらでしたわ」

「何かキラキラしたものとか、赤や青のつぶつぶしたものとか見えなかった?」

「いえ……。そもそも目を瞑っていたら何も見えないのは当たり前だと思うのです」

「そっか……。そう……だよね」


 マテリアの答えに落胆はしていない。大体それが「ふつう」で、あたしたちの世界では「目を瞑っていたら何も見えない」が当たり前なのだから。

 返してもらった葉っぱを手にして、ぼんやり考える。

 じゃあ、その「ふつう」じゃないモノが見えるあたしは何なんだろう。

 もう一度――昨夜の言葉を噛み締めた。


『君は勇者になれる人間なんだ』


 月夜の下で差し出された手と共にあたしを助けてくれた、その声を――。



「……うん、まあ、いきなり言われて固まるのも無理ないかな」


 彼が――ジュドウさんがそう言って照れくさそうに頭をぽりぽりするまで、あたしは文字通り固まっていたみたいだった。

 なんていうか……その、この月明かりが真っ直ぐ上から降ってくる幻想的な森の中で、重い闇で押し潰されていたあたしの心の中を、御伽噺の魔法使いが魔法をかけて明るく照らしてくれたみたいな余韻もあって……

 色々な現実感が、あたしの周囲から消えていたから。


「そうだなあ。やっぱり言葉で説明するより感じてもらったほうが納得するかなあ。俺も最初はそうだったし……。よし、ちょっと待っててね」


 そう言ってキョロキョロし、彼は指先をピッと空に向かって立てる。

 何やら呪文みたいな声を小さく紡ぐと、不思議なことにどこかから葉っぱが一枚、彼の指に吸い付くように降ってきた。

 あまりにも幻想的。呪文を唱えて奇跡が起こる。それは魔法を身近に学び、それを見てきたあたしには日常の光景であるはずなんだけど、今あたしが目にしているのは……何か違う。

 魔法なんだけど魔法じゃない。何か別の世界の景色を見ているようだった。

 だからあたしはこの段階でも、未だ声も発せず固まって葉っぱを凝視していた。


「これは普通の樫の葉っぱだよ。この葉っぱが一番精霊配合的にいいんだ」


 何だか意味の分からないことを言われた。呪文……でもなさそうだった。


「じゃあエフィリーさん。今から君が勇者になれる証明の一片を見てもらうよ。

 まず、目を閉じて?」


 あたしは何も考えず、目を閉じた。彼の言葉に理由など求めない。あたしを助けてくれるために差し伸ばされた手は、絶対に離さないで握っていこうと思ったから。もはやあたしは彼の魔法にかかっているも同然だった。


「何か見える?」


 暗闇の中で彼の声がする。


「何も見えないです」


 当たり前のことを、あたしは真剣に答えた。


「そうかな? もう一度目を開いて」


 目を開く。闇に慣れたあたしの目は、少しの月明かりでもジュドウさんの微笑む顔を見ることが出来ていた。


「もう一度目を瞑って。ただし今度はギュッギュ、と強く。もう絶対目を開けないぞ、って感じですごく強く。……はい!」


 掛け声に従って、あたしは水の中に顔を入れる時と同じような感じで強く目を閉じた。

 耳に向かって何か音じゃない音が走り、頭の中がツーンとする。


「さて。よーく見てごらん。その暗闇の中、何か見えない?」


 何か……?


「具体的に言うと、赤や青のつぶつぶとか。何か細かい光の粒が、見えないか?」


 ……。

 あたしはぎゅーっと瞑っている目の中で、彼の言葉通りのものを捜した。

 暗闇の中に赤。暗闇の中に青。光の、つぶつぶ……。

 ……。

 ――――。

 ある。

 確かに……ある。見える!


「見えますっ」


 不思議な光景だった。目を瞑っているのに見える光と色がある。

 それは赤だったり青だったり、遠くに見ているようですごく近くにあるようで、よく見ようと目を凝らすともうそこにはいなくなり、目の端っこにまた見えるようになって……。

 一つを見ようとすると全体に広がり、全体を見ようとするとまた小さい光の粒に戻り、たしかに瞼の裏は暗闇の世界なんだけど、あたしは光(?)を瞳に感じていた。


「そのまま聞いてくれ。大体そこまでは普通の人間でも感じることが出来るからね。

 その見えている光の粒は、「精霊」だよ。他に言うべき言葉が無いからそう呼んでいるだけなんだけれど……。

 いいかい、世界はすべてその「精霊」でできている。

 空、水、大地、花、そして人間……生命すべて。

 何もかもが精霊でできている。その小さな色のついたつぶつぶが、意思を持って、様々な精霊と結びついて、世界を作って、そして動かしているんだ。

 エフィリーさん、それを今から君に見せる。いや、君なら見ることが出来る。

 いいかい、そのまま目を閉じていて――」


 ふっと、あたしの瞼の上に何か冷たいものが触れた。そして次の瞬間――

 現実の明かりでない明かりが。

 この世界で見たことも無い色の塊が。

 目を閉じているはずのあたしの目の中に、突然広がっていた。


「あ……あっ……!?」


 思わず声が出る。その自ら発した声さえ、色がついている。くるくると世界に回り、ごちゃごちゃな色の世界に溶けていく。ゆらゆらと世界が波打ち、それを見ているあたしは本当に今地面の上に座っているのかすら分からなくなっていた。


『多分、君は今色々な色のついたワケの分からない景色を見ていると思う』


 音ではない声、声ではない音が景色の端っこをよぎり、あたしの頭の中に響く。これはジュドウさんの……言葉、だ。


『でもこれは魔法で見せた幻覚でもないし、君が勝手に見ている夢でもない。

 これが本当の「世界」なんだ。

 世界はこういう様々な色の精霊が集まってできているんだよ』


 これが……世界。

 これが本当の……現実?


『まずは……信じてもらうしかない。この世界が本当であることを。

 この世界が見えるのは、勇者の資質……己の精霊配合が均一で偏りがなく、魂の色を白色に保てる生命だけなんだ。自分の手を見てごらん』


 あたしは……多分手を持ち上げたんだと思う。視界の中に、なんとなく手の形をした白く光る物体が入ってきたから。よく見るとそれは色々な粒がそれぞれの色を発している塊なんだけど、嵐の中の川みたいに激しい勢いであたしの手……を流れているから、白く発光しているように見える……んだと思った。


『白いよね? 君の身体は全体が白く発光しているよ。それこそ勇者の資質の証明だ。

 君は世界の真理、精霊を感じることが出来て、またその精霊に通じることが出来る。

 戦士ではないもう一つ上の存在、勇者として世界を救うことが出来る。

 君には何も無いわけじゃない。君は何でも出来るんだ。

 世界が精霊でできている、それを信じることが出来るなら……

 俺は君を勇者にしてあげられる。

 君が本当に勇者になれるって、証明してあげる』


 あたしは声のする方向に首を傾けた。ぼんやりと薄暗い、紫のような精霊(?)が集まっている部分がある。……これがジュドウさん、なのかな。


『あたしが……勇者に? 証明って……?』


 あたしの口から螺旋のような精霊の列がくるくる回って伸び、紫の塊……ジュドウさんに届いた。


『ああ。一ヵ月後の武術試験、君がアザリカに勝つことで証明できると思う。

 自分が本当に勇者なんだ、って』

「本当ですかっ!」


 思わず乗り出した身が、いきなり世界を蹴破って別の世界に出てきたように、ぐわんと揺れた。眩暈がする。今まで瞑っていた目を開けてしまったのに何も見えず、もう一度目をパチパチすることでようやく感覚を取り戻した。夜。月。星。草。木。ああ、知っている世界だ。現実の、世界。でもこれは……本当の世界じゃない……。瞼の上に乗っていた葉っぱは、今私の握り締めた手の中にあった。


「あ、ああ。精霊と通じることができれば、君は誰にも負けないからね」


 ジュドウさんの声も普通に聞こえる。ちょっとびっくりしたような、あたしの目をまともに見るのが恥ずかしいような、そんな照れた感じの顔もちゃんと見える。


「あたしが……アザリカさんに……勝てる……」


 それは誰も口にしなかった言葉。あたしの親友で、いつもあたしを励ましてくれる同じ運命の子――マテリアであっても、そんな夢物語を言ったりしなかった。

 それが今、冗談でも慰めでもない本当に「当たり前」な響きでもって、ジュドウさんの口から発せられた。


「世界は精霊でできている。それを言葉で説明するのは無理だ。

 だからそれを頭ではなく、資質で感じることの出来る君だから俺は教えてあげられる。

 今の世界を信じることが出来るなら、また俺のところにおいで。

 ただしその時はこれまでの現実を捨てる覚悟を持って来ること。

 精霊の世界はそれほど君の知ってる世界と違うからね。

 その葉っぱで何度も精霊の世界を垣間見て、自分で決めるんだ。

 いくら俺が言ったところで、こればっかりは自分で信じられなきゃ……資質があっても精霊に通じることは出来ないからね」


 今までの現実を……捨てる。

 それは覚悟がある。今までの現実って、要は「何も出来ないあたし」を捨てるってこと。

 見せてもらった精霊の世界であたしが何か出来るなら、その運命を選ぶことに迷いは無い。

 勇者。

 あたしたちの知らない世界にいながら、あたしたちの世界を救ってくれる英雄――。


「ジュドウさん、聞いていいですか」

「なんだい?」

「ジュドウさんって、あのジュドウさんだったんですね」

「あ、あのって?」

「勇者のジュドウさんです」

「えっ……ど、どうして? あのジュドウさんは死んじゃったって話じゃないかぁ」

「だっておかしいです。さっきジュドウさんは『この精霊世界は勇者の資質を持ってる者じゃないと見ることが出来ない』って言いました。

 ってことは、それを知ってるジュドウさんは精霊世界を見たことがあるってこ――」


 ――……。

 …………。

 頭の中が……もやもやする。なんだか……土の中にいるみたい。苦しい……。

 息……しなきゃ。あたしは……なんでこんな暗闇の中にいるんだろ……?

 すはっ、と息をしたら急に視界が開けた。

 ジュドウさんが心配そうにあたしの顔を覗きこんでいた。

 ……あれ?

 いつの間にか倒れていたみたい、あたし。背中を起こしてゆっくり周囲を見渡す。

 虫の声と、風にさわさわ鳴る葉っぱの音も一緒に聞こえた。葉っぱ……。

 葉っぱ、だ。

 あたしは手の中の葉っぱを見た。

 あれ? えーと……葉っぱで何かを見て……あれ?


「と、とにかく今日はもう寝たらいい。じっくり考えてどうするか決めるんだ。分かったね、エフィリーさん」


 ポンと肩を叩かれて、あたしは反射的に「はい」と答えた。

 あれ……えーと……忘れていることがあるような。

 去って行くジュドウさんの背中を追いながら、あたしはぼんやりと今までのことを思い出そうとする。

 泣いたこと。

 勇者になれるって言ってくれたこと。

 精霊を見たこと。

 そう、この世界を信じることが出来るなら、あたしは勇者になれる。

 

 ――アザリカさんに、勝つことが出来るんだ。


 他に何か忘れてる気がしたけど、それだけ思い出せれば今は十分だった。



『……という理論が成り立つワケだね。我々魔法使いが長い年月をかけて開発してきた呪文には、そのような側面もあるわけだ。

 実際古代の魔法には言語として理解不能な文字が用いられていて、一般的に『古代魔語』と呼んでいるんだけど、これはおおよそ人間が発音できる音じゃないと言われている。

 ドラゴンの息吹のような、ニンフの羽ばたきのような、そういった自然の荒々しさから涼やかな音にならない音までを指しているんだね。つまり古代魔法とはそれだけ魔力マナに近く世界の真理を直接体現する奇跡なんだ――』


 シモーヌ先生の魔法の授業、相変わらずあたしにはさっぱりついていけない内容だけど……葉っぱを通して見る「精霊の世界」だと、言葉が色々な動きと色で周囲に広がっていって、それをただ眺めているだけですごく面白い。

 ジュドウさんは「勇者の資質を持っているのは白く発光している者」と言っていた。なるほど、教室のみんなを見渡しても白くなっている子は誰一人いない。そして全く同じ色の子っていうのもいない。みんな赤に偏っていたり青に偏っていたりして、同じ色でもそこに含まれる精霊の動きや種類が違って……。

 これ、一日眺めていたけど全然飽きないなあ。

 あっ、声も無いのにシモーヌ先生から、何かの精霊が渦を巻いてあたしに向かってきた。

 もしかしたらあたしに声をかける前兆なのかな?


「……おーいエフィリー。さっきから何やってんだー」


 やっぱりだ。精霊を見ることが出来れば、そういうことも分かるんだ。便利だな……。


「エフィリーっ! とおっ!」


 ポコッと頭を叩かれて、あたしは精霊の世界から現実の世界に帰ってきた。

 いつもの世界はシモーヌ先生の魔法講義中。そうだよね、その最中に黒板も見ないで瞼の上に葉っぱ乗っけてボーッとしてるんだから、そりゃ怒られるよね……。


「一ヵ月後には否応なしに初実戦が控えてるんだろーがっ。今まで出来なかったかもしれないけど、ある日突然出来たりするようなこともあるんだぞっ、魔法ってモノは。

 その時が何時来てもいいように、ちゃーんと講義だけは聴いておけっ」


 ……あたしは魔法の基礎も出来ないので、いつも先生の手を煩わせる常連だ。大体こうやって先生に怒られるんだけど、シモーヌ先生は背があたしより低いから何だか大人って感じがしないし、怒ったプンプン顔もかわいいので、そんなに怒られている気もしない。

 だからどっちかっていうと、そう怒られているあたしに厳しい視線を投げてくるガーネラゼルフさんとか他の子の雰囲気を察して、反省しなきゃいけない実感をひしひしと空気に感じるという具合だった。

 当然今だってそれを全身で受け止めている。葉っぱを通して精霊世界で見たら、きっと色々な精霊があたしに向かって突き刺さっているんだろうな……と思った。


「ところで何なんだ、それは」


 シモーヌ先生があたしの葉っぱに目を留めたので、丁度いいと思ってあたしは先生にも聞いてみた。


「先生、目を瞑ってこの葉っぱを瞼の上に乗せてみてください」

「何だい? 何か面白い魔法かな?」


 シモーヌ先生はいつも何か興味のありそうなモノを探している人で、よく生徒同士の噂話や昨日見た夢の話なんて他愛の無い雑談にも「おっ、何か面白いこと?」って首を突っ込む人。魔法使いの性なんだよって本人は言ってる。だからあたしの葉っぱにも授業中なのに乗ってきてくれた。


「その状態で色々な色とか光とか見えませんか?」

「色ぉ? 光ぃ? ……うーん、特別に何か変わって、って感じには見えないなぁ」


 葉っぱを指で押さえつつ、見えない物を見ようとしてキョロキョロしていた先生だけど、諦めたのか瞼から葉っぱを外して目を開いた。


「エフィリーには何か見えるのかい?」

「はい。何だかこの世じゃない、キラキラした色が溢れた不思議な世界が見えるんです」

「うーん……。確かにあたしにも青や緑の光は目を瞑っていても瞼の裏で見えるけどね。それは上位の精霊と契約した証みたいな物なんだけど、そんなに色とりどり、ってワケじゃないしなぁ。何かの魔法がかかってるんじゃないの?」


 先生は葉っぱを手のひらに乗せて、真剣な顔で魔力(?)を探っているようだった。

 確かにその可能性はある。どんな目的か分からないけど、ジュドウさんが幻惑の魔法であたしを騙して、よくないことを考えている……みたいな可能性が。

 でもこんなちんちくりんで学園のお荷物みたいなあたしを騙して勇気付けて、果てにアザリカさんに勝てるなんて大真面目に後押ししてくれて、一体何の得があるんだろう……?


「うーん。やっぱり普通の葉っぱだ」


 シモーヌ先生は何か悔しそうにして、あたしに葉っぱを返した。


「とにかくエフィリー、授業中に堂々と夢物語に浸られても困るからなっ。ちゃんと真面目に話だけでも聞いておけっ」


 先生の言葉に「はい」と返事をして、あたしは葉っぱを大事にしまった。

 ありがとうシモーヌ先生。これで「幻惑の魔法に騙されてる」可能性は無くなりました。

 授業が終わったら、すぐにあの人を探そう。そして――

 あたしは葉っぱを通して見える世界で、勇者になる勉強をするんだ。


 訓練終了の鐘の音が響いた。それを耳に入れると同時に、あたしは教室を飛び出す。

 鐘はいつもジュドウさんが鳴らしている。つまり今、鐘塔の方へ行けば自動的にジュドウさんを捕まえられるってことだから。

 鐘塔は校舎の中央階段をずっと登った先。階段の下で降りてくるのを待っていればいいんだけど、あたしはどうしても待ちきれなくて走ってきた勢いのまま階段を登り始めていた。

 そこそこ高いので、そこそこ長い階段が螺旋状に続く。はぁはぁという自分の切れる息を聞きながら、ずっと上を見て登って行ったんだけど……。

 いつの間にか、あたしは塔を登りきっていた。

 涼しい風がそろそろ赤くなりかける空を渡って、あたしの火照った身体を冷ましてくれる。気持ちいい。

 さすがは学園で一番高い場所、景色も良くてこのままずっと風に当たっていたい……

 じゃなくて!


「あれぇ、おかしいなあ?」


 思わず独り言が出ちゃった。だっておかしいんだもん。

 あたしは鐘が鳴ってから真っ直ぐここまで来た。塔の階段は一本道。なのに……どうしてジュドウさん、いないの?

 広くはない鐘突き場、見晴らしの良いここに人が隠れる場所なんてない。鐘も大きいと言えば大きいんだけど、中に人が入って隠れられるほどじゃない。

 ジュドウさんは鐘を鳴らした後、一体何処に消えちゃったの? 変だなぁ。

 あたしはしばらく答えの出ない問答をしながら、鳴り止んでいる鐘の傍に立ち尽くした。


 ジュドウさんっていつも色々な所にいるからすぐに見つかるイメージだったんだけど、いざこうして探してみると色々な所にいるせいで見つからない。

 あたしは学園中をあちらこちらと走り回り、結局その姿を見つけられたのは夕食の時間だった。見つけた、というよりはその時間は絶対そこにいるんだから、結局あたしは自分の力で探せなかったことになる。うう……こんな所まで無力感……。

 でも落ち込んでる場合じゃない。そんな無力感を払うため、あたしは勇者にしてもらうんだから。


「……エフィリー、お行儀悪いです」


 あたしの隣でスープをかわいく飲んでいたマテリアが、眉毛を「ハ」にしてそう言った。

 元々あたしは育ちが悪くて、ここに来るまでテーブルでスプーンやフォークを使って食事をする、なんてこともほとんど無かったくらいだった。それを何とかみんなの中に混ざってもおかしくない程度までお行儀を教えてくれたのがマテリア。

 見ればあたしのテーブル上にはパンくずが散乱していて、無意識にスープを口にしていたからお皿からこぼれているわ、口の周りについているわ……。確かにマテリアが「ハ」になるのも頷けた。


「ご、ごめん……」

「ああっ、もう、袖で拭いちゃだめ。ナプキンを使って……ほら」


 そう言いながらあたしにナプキンを使わせず、彼女が自分のナプキンであたしの口の周りを拭いてくれる。うう……ちょっとくすぐったい感じ……。あたし、マテリアの赤ちゃんみたいだよ……。


「ありがとうマテリア、ごめんなさい」

「よそ見して食べるから……。ずっとジュドウさんを見てたみたいだけれど」

「えっ? あ、うん……」

「素晴らしいわエフィリー。愛することは人生に彩を与えてくれるものよ。私は応援するわ」


 頬を赤くしてあたしの両手を握り、マテリアは嬉しそうな天使の微笑みを浮かべた。

 何だかよくわからないけど、マテリアが嬉しそうなのはいいことだ。彼女にはずっとその微笑を浮かべていて欲しい。だからあたしも彼女に合わせて「えへへ」と笑った。

 ……さて。お行儀が最悪だったとはいえ、なんとか早く食べることができた。

 ジュドウさんはいつも台所の方で食事係のおばさんたちと楽しそうに笑いながらご飯を食べている。今も何か楽しいお話をしているみたいだ。

 ちょっと邪魔するようで悪いけど、要件だけは伝えておこう。また見失うと困るから。

 あたしがみんなのテーブルの脇を通り抜けつつ奥の台所に足を向けた時、そんなあたしの行動が分かっていたかのようにジュドウさんは顔を上げ、あたしを見た。

 ちょっとドキリとする。

 昨日の夜にジュドウさんとお話して、まだ一日も過ぎてないけど……なんだかこうして顔を合わせるのが待ち遠しかったような、そんな気持ちが胸をくすぐった。


「や、やあ。もしかして昨日の返事……かな」


 なんだかぎこちない表情でジュドウさんがそう言う。あたしが「はい」と答えると、傍らのおばちゃんたちが「ジュドウくん、もしかしてこんな小さな子を誘ったの?」「んまぁ、いつもおばちゃんたちとばかり喋ってるから、てっきり年上好みなのかと思ったよ」なんて言いながら甲高い声で囃し立てていた。


「そ、そんなんじゃないですって! あ、いや、エフィリーさん、そういう意味じゃないからね。その、誤解しないで欲しいんだけれど」


 あたふたするジュドウさんを見て、おばちゃんたちが更にジュドウさんを突っつく。

 ……な、なんだろう。なんだか状況がよく分からないや。

 立ち尽くすあたしを気遣ったのか、ジュドウさんはバツの悪い顔のまま「ちょっと表で待っててくれるかな。今からおばさんたちを門の外まで送るから、一緒に行こう」と告げて、あたしを台所から追い出した。

 ……なんだか言われるままだったな。あたしはこれからのこと、いっぱい話すつもりだったのに……。

 でもいいか、とりあえず二人で話す約束は出来たんだし。

 ジュドウさんに言われた通り、あたしは食堂の外で彼を待つべくもう一度みんなのテーブルの間を通り過ぎて外に出ようとした。

 ……その時。


「ねぇ、エフィリー」


 あたしの背中を掴むかのような声。それに振り向くと、案の定……決して友好的とは言えない視線で、三人の生徒が食後のお茶を片手にあたしを見ていた。


「な、なんですか……」


 聞かなくてもこの雰囲気、大体内容を把握できる。これは……いつもの、だから。


「私たち今日の訓練疲れちゃってー。悪いけどこの後の片付け当番、代わりにやってくれないかなぁ?」


 ぐっ、と、今まで晴れやかだったあたしの胸の内に陰がさす。足が重くなって、お腹の中にずしりとした泥がゆっくり溜まっていくかのように思えた。

 ……そうだ。あたしはまだ……何も変わっていない。

 ジュドウさんに今までと違う世界を見せられて、何かが変わっていた気がしたけど……

 実際はあたし、何も変わっていないんだ。

 何も出来ないあたしのままで。

 役立たずで落ちこぼれなあたしのままで。

 こんな風にみんなのお願いを聞くことでしか、学園にあたしの役割が無い……。


「ね? エフィリー」


 名前を呼ばれる度、昨日の夜から今までの出来事に皹が入ってバラバラと崩れ、それまでの現実があたしを取り巻いていくのが分かる。


「あ……え……そ、その……」


 ――でも。

 あたしは「はい」と出かかった言葉を、熱い物と一緒に無理矢理飲み込んだ。

 ――でも。でも、なんだ。

 ジュドウさんは言った。確かに言ったんだ。

『今までの現実を捨てる覚悟を持つこと』が必要だって。

 それは何も、精霊世界と現実世界の区別のことだけじゃない。

 覚悟って、こういうことなんだ。

 これまで彼女たちのお願いに「はい」としか言えなかったあたし。

 それを、捨てるんだ。あたしの現実を、今から、もう一度……作り直すために。

 新しい世界を信じるために。あたしがそこで生きていくために。

 あたしはぎゅっと目を瞑る。瞼の裏に赤や青の光が見える。その先を見ようとする。光が遠くにあって、近くに寄ってくる。まばゆい精霊の川が、うっすらと暗闇の、閉じているあたしの目の上に広がっていく……。

 間違い無いんだ。新しい現実がここにあるんだ。覚悟を決めよう。覚悟を……!


「ご……ごめんな、さい」


 あたしの声は大きかったか、小さかったか。それでもその「覚悟」はみんなに届いたようだった。なんだか空気が重く、冷たくなっていくのが分かるから。


「あの、ああ、あたし今から約束があって」

「へえ、マテリア以外に友達がいないアンタにどんな約束? もしかしてさっきあっちでジュドウさんと何か話してたよね? まさか約束って彼と?

 さすがは娼館の子ねー、もう男に取り入って――」


 彼女たちの予想は当たってる。ジュドウさんと約束してることに間違いは無い。間違いは無いんだけど、あたしは「違います!」と叫ぼうとして――

 バン、という机を叩く大きな音に、出しかけた言葉を持っていかれた。

 いつの間にかこのテーブルにガーネラゼルフさんがいて、彼女たちの間に割り込むような形で左手を机についている。

 しん、と食堂中の空気が全部彼女のプラチナブロンドに吸われて集まっていたけど、ガーネラゼルフさんはそれを分かっているのかいないのか、ともかく全く物怖じせずにいつも通り良く通る声で言った。


「無礼な物言いはさすがに醜いですわよ。お止めなさい。そもそも彼女が貴女方の頼みを断るのに何の遠慮も理由もいらないのです」

「ガ……ガーネラゼルフさん……」

「エフィリーは用事がある様子。どうしてもと言うのなら、私があなたの代わりに食後の片付け当番をやってさしあげましょうか? 当番を頼む正当な理由があるのなら、ですが」

「ガーネラゼルフさん、エフィリー庇う気? 今になって? 同じ『運命の子』だから?」


 訝しげな数人の視線を受けたガーネラゼルフさんは、その視線をあたしに向けた。

 いつも通り、何か言いた気な厳しい眼差し……。


「いいえ。私と彼女をそのような枠で一括りにしないでくださいますか。私は運命の子である前に一人の女戦士です。ミスリア女学園にいる以上、その存在証明は己の実力だけでしょう。私はその点においてエフィリーを認めてはおりません。それは誤解無きように」


 左右の女の子たちに言った言葉であるはずだけど、それはあたしの胸に深く刺さった。

 何度も何度も言われてきたけど……マテリアとは違って、あたしはまだその「運命の子」としてガーネラゼルフさんに認めてもらえていない。

 あたしを見る目は、「どうして貴女が私と同じ立場なのですか」と問いかけているようで、いつも真っ直ぐ見ることのできない瞳だ。

 だけど……初めてかもしれなかった。彼女があたしを助けてくれる、なんて……。

 あ、助けてくれたってことでいいんだよね? この状況は……。

 ポンと肩に手を置かれて振り返ると、マテリアがにこやかに微笑んで私の後ろについていてくれた。

 運命の子が三人、各々物言いた気な視線を交わす。あたしは……よく分かっていないけど、庇ってもらえたと思ったので「ありがとう」的なそれをおずおずとガーネラゼルフさんに飛ばした。

 それをちゃんと受けてくれたのか、ガーネラゼルフさんは見るからに不本意っていう表情をして、ボソリとあたしに告げる。


「行きなさい。約束があるんでしょう」

「あ、ありがとう……」


 なんとか言葉に出来た。蚊の鳴くような細い声だったけど。


「勘違いしないでねエフィリー。私は貴女を哀れんで物申したのではありません。

 貴女がいつものように返事を濁すか只の言いなりであったのなら、私は平然と見過ごすつもりでした。

 しかし今回貴女は自ら反意を見せた。その行為に少しばかり戦士の気概を感じたのです。

 次は助けません。貴女も戦士を目指すなら自分の力で切り抜けなさい」


 先生もかくや、という忠告をあたしに寄越して、彼女はもう一度「行きなさい」とばかりに食堂の出入り口を黙って指差す。

 あたしはもらった言葉を噛み締めながら、ぺこりと頭を下げてその場を後にしたのだった。


 山の向こうにまだ太陽の赤みは残っているけど、もうすっかり夜だ。

 学園には魔法の石で明かりを灯す魔光灯があるから、建物の中や道の上は充分な明かりがある。こういうの、大きな都市じゃないと整備できないって聞いたけど……。この学園はそもそもの学園長を始め、まだまだ不思議なことでいっぱいだ。


「まだまだ逆境は続くみたいだね」


 そして最近その不思議に新しく加わったジュドウさんが、あたしにそう言った。

 食事係のおばさんたちを門の向こうへ送り、今はあたしたち二人で夜の石畳を歩いている。


「もしかして、見てました……?」

「うん、まあね。助けに入ってあげたいところだけれど、ミスリアからはなるべく生徒同士の問題には関わるなって言われているんだ。俺もそう思う。こういうのは自身で解決できなきゃ戦士として世の中に出た時、やっていけなくなるからね」


 厳しいかもしれないけれど、優しさと甘やかしは違うんだ、とジュドウさんは続けた。

 そっかぁ……。そうだよね……。それに本当にもうダメだって思った時、ジュドウさんは助けてくれたんだから薄情な人でも厳しすぎる人でもない。

 昨日の、真夜中の森の中で。あの光景はあたし、この先一生忘れないと思った。


「……それで、決心はついたのかな」


 いつの間にか噴水広場の前まで来ていた。周囲には誰もおらず、静かな水のせせらぐ音がほの明るい中に響いている。ジュドウさんとあたしはそんな中で向かい合った。


「はいっ」


 ぎゅ、と心の中で両拳を握る。もしかしたら現実で握っていたかもしれないけど。


「お願いしますジュドウさん。あたしを勇者にしてください。

 あたしはこの学園にいる運命、教会の「運命の子」っていう役割から逃げたくない。

 あたしが誰かの役に立てるなら、あたしにしか出来ないことがあるなら受け入れます。

 あたし何でもします! お願いしますっ!」


 一つ一つゆっくり言おうと思っていたのに、いざ口を開いたら想いが止まらなかった。

 一気にまくしたてて勢い良く下げた頭を、一体いつ上げたらいいのかちょっと迷う。実際の時間はどうだったか分からないけど、ジュドウさんが返事をくれるのに長い間があったような気がしたから。


「……いやぁ、ちょっと緊張したよ。もしかしたら断られるんじゃないかって。

 安心したなあ。あはははは……あっ、エフィリーさんもう顔上げてよ」


「よし分かった」でも「修行は厳しいぞ」でもなく、そんなホッとした声でお願いされたのが予想外だった。気勢をそがれた……? って言うのかな?

 だからあたしにあった何かしらの緊張も抜けて、何だか締まらない顔で彼と目を合わせてしまった。

 自分でもちょっと変なことを言ったと思ったのか、ジュドウさんは慌ててゴホンと咳払いをすると、より真面目な表情になる。あたしもそれにつられて口元が引き締まった。


「精霊の世界を見て、どう思った?」

「今は……不思議な世界としか言えません」

「うん、そうだろうね。でもこれからその世界が「当たり前」の現実になるんだ。

 それは分かっているかな」

「はい。分かっているつもりです。あたしはまだ精霊がどんなものか分からないけど……

 ジュドウさんの言うことは信じようって決めました」


 そんなあたしの決意を聞いて、なんだかジュドウさんは目元を綻ばせて本当に嬉しそうな顔を見せた。


「ありがとう。じゃあ最後に大事な約束がある。それは絶対守って欲しい」

「はい、守ります」

「まだ一つも言ってないんだけど……」

「言ったじゃないですか、あたしはジュドウさんを信じます、何でもしますって。

 だからどんな約束でも守ります」

「そうなの? じゃあ……俺と将来ケッコンしてくれって言われても?」

「はい」


 勢いで、というか流れのままに真面目な気持ちで「はい」と言ってしまった。

 ……えっ? あれっ? 今……あれ?

 ようやく自分がとても迂闊な返事をしたのに気付いて、あたしは再度、


「はい?」


 と語尾を疑問たっぷりにしてジュドウさんへ返した。


「あ、あはははは! じょ、冗談だから冗談! エフィリーさんが簡単に「なんでもする」って言うから、ちょっとその、からかってみただけだよっ。

 大丈夫、そんな変な約束はさせない……からっ」

「そ、そうですよねっ! あのあたし、まだ子供ですし何の取り得もないですしかわいくもないですし、その、そういうのは冗談ですよねっ? え、えへへへへ……」


 な、何だかいきなり顔が赤くなってしまった。恥ずかしい……。あれ? 何であたしが恥ずかしいのかな? 変なことを言ったのはジュドウさんなのに。もう……!

 二人で乾いた笑いを発しながら、すごく変になった空気をサッサと散らす。

 やり直すかのように、ジュドウさんはもう一度「ゴホン」と言った。もう咳払いにもなっていないよ……。


「えーと……今度は冗談抜きの話だよ。まず一つ、俺との修行のことは誰にも言わないこと。絶対内緒にして欲しい」

「はい。……でもどうしてですか?」

「うーん……色々理由はあるんだけれど……何より『他の人には理解出来ない』からかな。

 精霊世界というのは、資質を持っている人しか感じられないんだ。それを言葉で説明するにはあまりに世界の法則が違うから、うまくこの現実の世界で説明出来ない。

 他人からすれば、俺たちのやってることは不思議というか不気味なものでもあるからね。

 それから個人的なことになるけれど、俺が誰か生徒個人を表立って特別扱いするわけにはいかないんだ。この修行はエフィリーさんしか理解出来ないこととはいえ、「どうしてエフィリーばかりに教えるのか」って言われることになるからさ」


 なるほど、とあたしは頷いた。


「もう一つ。修行の内容は理論じゃない。全部実践、その身に感じてもらうしかないことばかりなんだ。だから今までの常識からすると、すごく変なことをやらされる気分になる。

 例えば昨日、精霊世界を見せるために樫の葉っぱを瞑った目の上に乗せたね?

 あれって普通の人から見たら「この子一体何してるんだろう?」って見られるだろう?」


 確かにそうだった。あたしは再び頷いた。マテリアやシモーヌ先生、魔法を知っている人に説明しても全く「?」という反応しか返ってこなかったから、多分あたしの姿を見ていた子は全員、あれをバカな子のやることだと思って眉をひそめていたんだろうな……。


「だからきっと……修行中は周りから笑われたり、バカにされたりすると思う。

 それに耐えられるかい?」

「大丈夫です。あたし、どんな変なことでも……あっ、その、ケッコンとかそういうのはちょっと困ります……けど、あのその、イヤとかそういう意味じゃなくてあの、恥ずかしい、っていうか……。

 と、とにかく今まであたしはずっと他の子に蔑まれてきました。それ以上下になることはありません! 守る身分も無いですし、だ、大丈夫です!」


 途中変なことを言っちゃって、また背中と額に汗をかいた。うう、なんだか急にジュドウさんを男の人って意識しちゃってる……。あたしまだそういうの早いのに……。

 ジュドウさんの前じゃなかったら、地面を転がって両頬を狂ったように叩いてたかも。


「そ、そうか。じゃあ……最後に一つ」

「は、はいっ」

「今から俺は君の先生で、君は生徒だ。この関係をジパングの言葉で「シテイ」と言う。

 俺は君の「シショー」、君は「デシ」。学園で「先生」と言うと他の先生たちと混ざるからね、この呼び名で行こうと思うんだ。

 いいかいエフィリーさん。これから君は俺の事を「シショー」と呼ぶように」

「は……はい、シショー!」


 試しに呼んでみたら、すごくしっくり来るというか……気持ちのいい呼び名だった。

 そっか、シショー。ジュドウさんはあたしの……シショーかぁ。関係がすごく近くなった気がする。あまり近すぎるとまた顔が赤くなって恥ずかしくなるけど、それとは別にシショーとデシの関係ってとても心地いい間柄に思えた。あっ、だったら――


「ジュドウさん、あたしからも一ついいですか?」

「シショーと呼ぶように」

「あっ……もう始まってるんですね。すみませんシショー。あの、お願いがあります」

「何だい?」

「あたしのこと、普通に呼び捨てにしてもらって構いません。なんか「さん」って付けられると戸惑うっていうか、みんな呼び捨ててるし……。

 せっかくシショーとデシなんだから、エフィリーって呼んでください」

「わ、わかった。……エフィリー……」


 ジョドウさんも何だか赤くなって恥ずかしそうにしている。そんな姿がちょっとかわいく思えて、あたしは思わずシショーを笑ってしまった。

 そうだよね。ジュドウさんもあまりあたしと年変わらないって聞いたもん。すごく大人っぽくて、こうして話してみたら優しくて頼れる人なのに、こういうところは……あたしと変わらないんだって思って、色々……安心した。


「シショー、ついでにもう一つ聞いていいですか」

「いきなり遠慮が無くなったな……。まあ嬉しいけどね。いいよ、何でも聞きなさい!」

「あたし今日、午後の訓練終了の鐘が聴こえてすぐに鐘塔へ登ったんですけど、シショーに会えなかったんです。結構すぐ駆けつけたのに、どこにいたんですか?」

「えっ? あ……あー、その時間は学園長室でミスリアと話していたなぁ。だから塔には登っていないんだ」

「あれ? じゃあ何で鐘が鳴らせたんですか?」

「ああ、精霊に通じていれば別に直接突かなくても鐘を鳴らすことが出来るんだよ」

「そうなんですか! やっぱり!」

「やっぱりって、なにが?」

「精霊に通じてるってことは、ジュドウさんはやっぱりゆうしゃ――――」


 ……頭がぐわんぐわんする。ぼんやりというか、重い霧がかかっているというか……。

 あれ? あたし……何してたっけ……?

 気がついたらあたしは夜の噴水広場で、ベンチに座っていた。頭を振ったら、すぐ傍にいたジュドウさんが気付いたようだった。


「あれ……あたし、何がありました?」


 重い頭をさすっても、前後の記憶が戻ってこない。意識を……失ったみたいだ。


「エフィリー、もう一つ重要な約束を忘れてた。いいかい」


 あたしの質問には答えず、ジュドウさん……あっそっか、シショーか……。この辺のことは覚えてるなぁ……。とにかくシショーはにこやかながらにどこか迫力のある表情で、あたしに向かって指を一本突き立てて強く告げた。


「余計なことは、考えない! ……いいねっ!」

「は……はいっ」


 あたし、何か余計なことを考えたのかな? どうにも思い出せないけど……。

 でもとにかく。昨夜と同じ晴れた空の月明かりが降る中で。

 あたしとジュドウさんは「シテイ」になって――

 勇者の修行が、始まったんだ。



『――というワケです。人間も魔獣も生き物です。生きている以上呼吸をし、そして気配を持ちます。気配とは生命の波動であり、目には見えない別の信号なのです。これを感じ取れるか否か、戦場での勝敗に関わってくる部分も少なくありません。ですから――』


 キクミ先生ってすごい。

 周囲にあんな風に、安定した緑と青の精霊を廻らせることが出来るんだ……。

 いつも隙が無いというか、涼やかでいて、人の動きを常に敏感に察して行動できるのはあの精霊の働きなのかもしれないな。

 ガーネラゼルフさんとかアザリカさんとか、強い戦士にもキクミ先生ほどじゃないけどああいった自分を守る? 精霊の天幕みたいなものを持っている。

 そっか、ああいうのが強さの意味なのかもしれない……。


『――を理解する上でも、呼吸と日々の精神鍛錬……落ち着きが重要になってくるのです』


 あっ、キクミ先生から矢のように鋭い螺旋の精霊があたしに飛んだ。

 これは、来るってことだよね。


「エフィ――」

「すみません先生。罰ですね。廊下に立ってます」


 つまり、さっき先生が説明してた「機先を制する」気配の察知、っていうのはこういうことなんだ。あたしは精霊を見てるから分かりやすいけど、それが見えないのにその感知をモノにできてる人は、本当にすごいんだなぁって思う。

 呆気にとられている先生、隣のマテリアたちの視線があたしに刺さっている。

 ジュドウさん……シショーも言ってた。

『修行を始めたら変な目で見られることを覚悟しておけ』って。

 これはそういうことだから仕方ないや。うん。それに今のあたしにまだキクミ先生の講義は早すぎる……と理解できた。前はなんとか理解しようと必死になってたけど、こうやって本当に「別の世界」に身を置いてみると色々納得出来るなあ。

 あたしは教室の隅のバケツを抱え、廊下に出る。教室の扉を閉めるまで、誰一人声を出さずみんな最後までポカンとしていた。


『一ヶ月。それが期限だと考えると、ゆっくりやってる暇も丁寧に説明している暇もない。

 有無を言わさずやってもらうけど、いいね?』

『はい、シショー』

『よし、じゃあ最初の一週間は徹底的に精霊世界を「感じる」ことに慣れてもらう。

 昨日渡した葉っぱを使って、一日中精霊の世界を感じておくんだ』

『ずっと、ですか』

『なるべくね。ただし本当に一日中はダメだ。どこかでちゃんと普通の世界も見ること。

 これをやらないと《戻って来れなくなることもある》」

『戻って来れない……?』

『そう。精霊の世界をずっと感じられることは理想だけれど……

 それしか感じられなくなった場合、もう君は人間じゃなくなってる。

 世界に、精霊に溶けてもう現実に戻って来られなくなっているんだ』

『えっ……』

『そんな怖がらなくてもいいよ。普通の人間はそうなりやすいけど、勇者の資質がある君は特別だ。君の精霊配合と魂の強さは世界に溶けにくい。安心していいし、そもそもそう簡単に精霊の世界をずっと感じ続けていられないから』

『そ、そうですか……ちょっとホっとしました』

『まず一週間で精霊世界を『感じる』ことが出来るようになること。

 最初は葉っぱを使い、その後徐々に瞼の裏だけで見るようにして、最後には目を開けた状態でも自分の中のスイッチで現実世界と精霊世界の視覚を切り替えられるように。

 大丈夫、俺も一週間くらいで出来た。エフィリーにも出来るはずさ』

『えっ、ジュドウさんも!? じゃあやっぱりジュドウさんはゆう――』


 ――例によって最後のほうは記憶が薄ぼんやりなんだけど、とにかくあたしの今の修行はこれだ。……水入りのバケツを持って廊下に立っていることじゃないよ?

 目の前に広がる色彩無限の光の粒。風も無いのに揺れて、光が無いのに煌いて、羽も無いのに飛んで、羽より軽そうなのに地面にひかれていく。

 そんな世界を葉っぱ越しに感じながら、これをあたしの現実世界に変えていくんだ。

 ――とは言え、やっぱり講義中にも目に葉っぱ当ててる姿を見たら、どの先生でも注意するのは当然で……。マテリアは「まだやってるの?」って顔で心配そうにしてたし……。

 でもでも挫けるわけにはいかない。あたしは頭を振った。

 葉っぱを通さないで見る校舎の廊下。白い大理石が続き、外の明かりが入っているところはキラキラと光ってとてもきれい。

 目を瞑り、葉っぱを当てる。そうすると瞬く間……瞬いてはいないんだけど、あっと言う間に別の世界に変わる。宝石がちりばめられた様な、そんな川に浮いている感じの景色。今まで何も無いところにたくさんの色が現れて、世界に「何も無い」ところが無いって教えてくれている。空気にはそんな色もあんな色もついているのかなって感じる。そしてよくよく見れば、大理石だってゆっくりと精霊が動き流れているのが分かる。

 昨日の夜から何度も精霊世界と現実世界を行ったり来たりした。自分が眠ったのか忘れるくらいに没頭して、今ではギュッと目を強く瞑らなくてもスムーズに精霊を瞼に感じることが出来ている。

 そう、《出来ている》。

 あたしにとってそれは、この学園に来て初めて進歩を実感出来たことだった。

 今までどんな特訓をしても、講義を覚えようとしても、あたしの才能はそれをうまく身体に活かしてくれなかった。

 みんなが先に進むのを必死に追いかけるんだけど、その足は泥に埋まったかのように重くて置いていかれるばかり。泥は更に深く、あたしの身体を埋めるばかり。

 本当にあたし、強くなれるんだろうか。本当にあたし、運命の子としてみんなの役に立てるんだろうかって……ずっとそんな思いが胸の内に溜まるだけだった。

 でも、今は違う。

 ジュドウさんに言われたこと、出来るようになってる。あたしは前に進んでる。

 それがとても嬉しくて、嬉しくて……。

 葉っぱを通して見るヘンテコな精霊の世界が、未だに意味は全く分からないんだけど、何よりも明るく美しい世界だと思えるようになっていたんだ。


 葉っぱ修行を始めてから三日目。

 慣れっていうのは本当にすごくて、当然あたしが葉っぱで精霊を見ることもそうだけど、周りのみんなも、あたしが毎日目の上に葉っぱを当てて過ごしている風景を受け入れてしまっていた。


「受け入れて……と言いますか、エフィリーがどうしてそんなことをしているのか理解できないので放っておこう、という感じです。

 来月の進級試験に追い詰められて……その、頭がおかしくなってしまった、と噂されたりもしています。

 エフィリー、私も正直あなたのやっていることにどんな意味があるのかちっとも分からないのですが、それはエフィリーにとって大事なことなのですね?」


 朝食の時間、隣のマテリアが簡単な食事を終えてあたしを見つめ聞いてくる。

 いつもと変わらない真っ直ぐでキレイな瞳。この眼差しを精霊世界で感じたら、一体どんな色の視線になっているのかな。

 でもこんなに真剣な態度であたしを心配しているのに、ここでマテリアの視線を遮って瞼に葉っぱを乗せるわけにはいかないよね。バカにしてると思われちゃうもん。そんなつもりは全くないけど、マテリアにそう誤解されるのは嫌だ。

 こうやってどんな時でも、マテリアはあたしを想ってくれている大事な親友だから。


「心配してくれてありがとうマテリア。マテリアの言う通り、これはあたしにとってすごく大事な訓練なんだ。ちゃんと意味があることなんだよ。

 えっと……約束もあって詳しく説明することは出来ないんだけど……

 とにかく頭がおかしくなったとか、ヤケになったとか、そういうのではないよ」

「そう……。よかった。安心いたしました。

 エフィリー、私あなたのことを信じていますからね。今の苦難を乗り越えて、一ヵ月後にミルルと三人でメイジアの式典に出席することを。

 私たちは聖書に定められた、運命の子なのですから」

「うん。あたしそのために頑張ってるよ。絶対退学なんかしないから。あたしは戦士として、運命の子として、みんなに認められて一ヵ月後の式典に出るんだ」


 あたしのその言葉に、マテリアはちょっと目を丸くしてビックリしていた。

 ……実は斯く言うあたしも自分で言ってビックリしている。今まで心に思っていたことではあったけど、それを人前で堂々と言えるなんて思ってなかったから。


「……ええ。がんばってね、エフィリー」


 あたしのそんな曇りの無い言葉をしっかり受け止めてくれたんだろう、マテリアは暖かな笑顔で、あたしの空になったカップにミルクを注いでくれたのだった。


 午前の訓練は武器学の実践。

 武器学っていうのは実際に鎧を着けて、武器を手にして戦う戦闘術の訓練だ。武術は基本体術を、武器学は各々に合った実戦武器の戦い方を学ぶ。あたしも今は皮の鎧を身につけて短剣と皮の盾を持っている。これはあたしの体力が無いだけであって、他の出来てる子たちは実戦さながらの鉄鎧などを着て訓練している。

 武器学担当のベルーチカ先生は鍛冶屋の娘だそうで、あらゆる武器にすごく詳しい。鍛冶屋だから実際に自分で作れて、しかも戦い方まで身につけている。そしてなにより――


「おいコラ、エフィリー!」


 ……とても怖い。

 男の人のような筋肉質で浅黒い身体、背丈、そして言葉遣い。それでもベルーチカ先生が女の人だって誰もが分かるのは、ミスリア学園長のようにとても美しい「女神」のような整った顔立ちをしているのと、ミスリア学園長に次いで豊かなお胸をしているから。

 ……なのに、学園内で一番怖い。生徒も他の先生もみんな心の中では思ってる。『ベルーチカ先生って、黙ってればどこかのお姫様でやっていけるのに……』って。

 そんな仏頂面の先生が、あたしの頭をあたしの背丈くらいある大きな鉄槌で叩いた。

 勿論本気で叩かれたらあたしは死んでる。先生だからできる絶妙な技で、きっちりあたしが「痛い」と思う程度の手加減をしてくれている。……それでもゴチンとくるくらい痛いんだけどね……。


「は、はひっ」


 返事をするあたしも涙目になったので、葉っぱを目の上から取って先生を見上げた。


「そろそろだなあ、そのどっかの部族みたいなマジナイに頼るよりも、真剣に訓練したらどうだ? オマエ、一ヵ月後には実戦に出なきゃならないんだぞ?

 魔法がからっきしなんだから、当然武器で戦う事になる。魔獣を倒すこともそうだが、オマエの命を守るために必要なことなんだ。分かってるな?」


 コツンコツン、とハンマーで頭に言葉を打ち込むように先生は言う。ほんと、いつ手元が狂ってハンマーの重みが直接脳天に叩き込まれるかと思うと怖くて仕方ないよ……。あと適度に痛いし……。


「は、はい。分かってます。あたし今まで訓練を不真面目に受けたことありません」

「ああ、先生も分かってるぞ。オマエは出来ない子だが、取り組みは真剣だった。

 ……でもなあ、やっぱりそれなあ」


 そう言って先生はあたしの葉っぱを手にした。手で押さえなくてもいいように、眼帯のようにヒモをつけてある。もっと早くに考えて作ればよかったんだけど、あたしはバカなので昨日の夜にようやく思いついた工夫だった。


「この葉っぱの眼帯、何のご利益があるんだよ? シモーヌに聞いたけど、ただの葉っぱだそうじゃないか?」

「そう……なんですけど。あたしの訓練には必要なんです」

「何の?」

「うう……何と言うか……」


 何とも言えない。ジュドウさんの言う通り、精霊を感じられない人にはどう説明しても夢物語なのだから……。そもそも「説明してはいけない」って約束してるし……。

 それでもここは先生に理解してもらわないといけないので、色々考えて答えた。


「……進級試験に合格するため、アザリカさんに勝つために必要なことなんです」

「ほお!」


 あたしの答えに先生は面白そうな声を出して、ハンマーを引っ込めてくれた。


「ただの「オマジナイ」じゃないんだな?」

「運で勝てるとは思ってません」

「いい答えだ。そしていい目だ。オマエ、今までとはちょっと違うな!」


 さすがは先生と言うべきか。何も説明してないし、きっと精霊のことを何も知らないはずなのに、先生はあたしが三日間で得てきたものを理解しているようだった。


「よぉし、説明しろとは言わん。先生も細かいことはどうでもいい。ただ、戦士だったら実力で証明あるのみだ! ……おーい、誰か手の空いてる者はいないか!?」


 先生の声に手を挙げた生徒が一人。

 ……ガーネラゼルフさんだった。


「おっ、ガーネラゼルフか。うんうん、同じ運命の子同士丁度いいな。

 よしエフィリー、ちょっとは言葉の片鱗を見せてみろ」

「えっ?」

「ガーネラゼルフ。エフィリーと試合だ」


 多分先生に呼ばれた時点でガーネラゼルフさんはそうなることを知っていたのだろう。特に驚きも質問も無く黙って頷いた。

 反対にあたしはと言えば、


「えっ、えっ、えーっ!? どうしてそうなるんですかーっ!?」


 驚いたし、質問だって次々に溢れ出てくる。


「どうしても何も理由はさっき言ったろ! 実戦で納得させろ! それだけだ!」


 ビシィ! とハンマーを構えられては、打ち込まれた釘のようにもう何も出ない。

 ……さすがは先生と言うべきか。何の説明にもなってないし、あたしの理解など端から求めていなかった……。ここで「でも」とか「無理です」と繋げても無駄だ。それがベルーチカ流だってこと、学園に来てから十分身に染みて分かっているし……。

 仕方ない、ここはいつも通りギタギタにやられて終わろう。

 そう思ってガーネラゼルフさんを見る。彼女は鎖帷子を着込んでいて、細身の剣……レイピアを鞘から抜いた。一見スリムで動きやすそうに見えるけど、あれは全部鉄。あたし二人分くらいに重いはずだ。それをどうしてみんな、易々着こなして動けるんだろう……。

 彼女と目が合った。

 怖いくらい真剣だった。何となく……心中は分かるつもり。

 きっと同じ「運命の子」として、あたしがバカにされているのに耐え難いんだと思う。

 当然あたしを慮ってのことじゃなく、同列にいる自分の名誉が傷つくことに、だ。

 マテリアにもだけど、本当……あたしのせいですごく迷惑をかけてる。二人は本当に優秀なのに、あたしがこんなだから「運命の子ってそんなにスゴイの?」って言われてしまって、本当に本当にごめんなさいって、顔を見る度に背中が丸くなってしまうんだ。

 ベルーチカ先生がガーネラゼルフさんのレイピアと、あたしの短剣を手にとった。

 訓練で使う武器は本物だけど、シモーヌ先生とミスリア学園長が「保護」の魔法をかけていて、切れ味や打撃の威力が人体に致命傷を与えないようになっている。

 ただし「致命傷にならない」ってだけで、武器の一撃を受けたら普通に切れたり腫れたり骨が折れたりして悲鳴が絶えないくらいに痛いからね……。医務室にたくさんポーションが置いてあるのはそのためだし……。

 ちゃんと魔法が効いているかチェックをして、先生は「問題無し」とあたしたちに武器を返した。

 気付いたらあたしたちの周りにみんなが訓練の手を休めて集まってきている。アザリカさんの姿も……ある。うう、あたしが対戦訓練でコテンパンにされるのって「いつも通り」なんだから、面白くもないし何の参考にもならないよぅ……。


「よーし、それじゃ始めるぞ。準備はいいか?」


 先生がドスンとハンマーを地面に下ろす。ガーネラゼルフさんは髪をかきあげ、頷くとレイピアの切っ先をあたしに向けた。既に切っ先を見るだけで痛い。ああ……あれでハチの巣にされるのは嫌だなあ……。

 そう思いながら盾に隠れて剣を構えたあたしに、先生が「おいおい」と待ったを入れて声をかけた。


「なんだエフィリー、葉っぱは無しでいいのか?」


 葉っぱ? ……あっ、そうか。そもそも先生は何であたしがあの葉っぱをつけてるか知りたくてこんなこと始めたんだっけ。

 ……。そういえば……。

 あたし、精霊世界の中で動いたり、ましてや訓練したことなんてなかった。

 じゃあ、どうなるんだろう?

 精霊世界を見るだけじゃなく、人が人に見えなくて、モノがモノだと分からないあの世界で実際に身体を動かしたら……どうなるんだろう?

 その時あたしは、ガーネラゼルフさんを相手にする恐れやみんなの視線から感じる圧力よりも、その単純な好奇心に心を奪われた。

 手にしていた葉っぱの眼帯を取り出し、付ける。その寸前見たガーネラゼルフさんの表情には「バカにしているのか」っていう怒りみたいなものがあったけど……

 目を閉じて。瞼の裏に光を感じて。あたしの心の中のスイッチを切り替えると――

 それはもう分からなくなっていた。

 眼前には全体的に青白く、紫の輝きが美しく花を咲かせるような模様で揺らいでいる、ガーネラゼルフさんを形作った精霊があるだけ。

 そんな彼女からは真っ直ぐ、あたしの目に向かって精霊の螺旋糸が強く伸びていた。

 これが彼女の視線。彼女の想い。残念ながらその精霊の意味はまだあたしには分からないけど、それはこれから覚えていくんだ。ジュドウさんの、シショーの修行を続けて。


『はじめっ!』


 果実が破裂したように、精霊が周囲に飛び散る。今のは先生の掛け声。

 同時に、ガーネラゼルフさんから伸びる精霊の糸がグッと増えた。

 彼女の周囲に紫の渦が巻き、薄い青の天幕に変わる。これはキクミ先生も持っていた、察知の範囲だと思う。この精霊は相手の心から放たれた「意識」の精霊なんだと思った。

 それはあたしに伸びている「糸」も同じ。そう、これは「意図」。鎌首を持ち上げた蛇のようにうねっている意図は、あたしのどこを狙うか探っているのかもしれない。そしてそれとは別にずっとあたしの目から離れない螺旋の意図は、伸びた先のあたしの目から意識……精霊を探って彼女の心に伝える橋なのかもしれない。「かもしれない」ばっかりだ、ちゃんとシショーに後で教わらないと……。

 ふと、彼女から赤い意図が弧を描いて右の腕、あたしが武器を握っているそこと、左の足、あたしが体重を乗せているそこに伸びた。

 授業中何度も先生から伸びてくるのを見た。これの先には必ず「行為」がある。だからきっとこれは「狙い」なんだ。

 若干足に付いた糸の方が早い。あたしはそれを嫌って後ろに跳び退る。右手についた意図はまだ離れない。足元に緑の弧を描いて伸びた流線の赤波が、跳ね上がってあたしの右手に喰らいつく。それをなんとか手にした短剣で払って、あたしは迫ってくるガーネラゼルフさんの青い結界から身を離した。

 今の、もしかして攻防したのかな? と考えている暇無く、ガーネラゼルフさんから休まず意図が四つも五つも放たれる。

 狙いは……執拗に足。足。右手。右手。左肩。ひい、多いよぅ! その中の三本はあたしの顔の辺りでウネウネと獲物を狙う蛇のようにしているけど、実際にあたしの顔には届いていない。これは無視してもよさそうだった。段々……分かってきた気がする。

 そして身体に絡みついた意図を順番に手繰るように、と言ってもそんな丁寧にゆっくりではなく、獲物に喰らいつく真っ赤な大蛇みたいに、彼女のレイピア(だと思う、この精霊は)があたしを襲う。やることは一緒だ、あたしはさっきみたいに緑の意図を盾や剣で順番に払い、必死で身体を動かして守ることに没頭した。

 それでも避けると次が、次が、と、ガーネラゼルフさんから伸びる無数の意識の糸は止まることを知らない。速度が速まり、意図の太さが強くなり、螺旋の渦が早くなり、見えてはいるものの、あたしの身体がついていけないくらいに精霊が忙しくなった。

 どうしよう、どうしよう? そもそもあたし、精霊世界では攻防している気になっているけど、現実世界ではどう見えているんだろう? もしかしてただみっともなく逃げ回っているだけとか、ガーネラゼルフさんは一刀も振るっていないのにあたしだけ見えない何かとわちゃわちゃ必死になって戦っているとか、そんなことになっているんじゃないの?

 多分周囲のみんなの声とか、先生の声とかがあたしにかかってる。精霊で分かる。けど、それを気にしていられる余裕は全然無かった。

 そうしている間に、ガーネラゼルフさんの蛇が全部収まった。

 あれ? もう……終わりかな? と、ホッと息をつこうとして思わず眼を見張る。

 彼女の体内に物凄い勢いで渦が発生し、赤の蛇が天に向かってとぐろを巻くような、竜巻がすべてを飲み込もうとしているような、一目で分かる大きな精霊の動きがあった。

 これは何か違う。今までのと全然違う。きっと……「何か来る」。

 そう思った瞬間、密度の濃い青の矢がガーネラゼルフさんから放たれ、あたしの各部分を貫いていく。思わず身体が硬くなったけど、焦るな。これはまだ……攻撃じゃない!

 右肩から左肩、そこから斜めに身体を渡って右足へ、そこで反転してまた斬りあがる……

 レイピアは刺突の剣、今まで突いてくるばかりの意図が今度は「斬撃」の動きで「Z」の軌跡をあたしの身体に刻んだ。

 来る! あの身体に溜めた赤い大蛇が解き放たれる! これを……防げっ!

 あたしが身体を捻って盾を入れるのと、彼女の必殺があたしの肩口に喰らい付くのはほぼ同時だった。けど、間一髪で盾が間に合った。蛇は肩に届かず、盾に喰らいつき……

 それを食い破った。軌道の逸れた赤の攻撃線があたしの眼前に迫る。思わず目を瞑りそうになったけど、そもそもこの世界を見ているということは目を瞑っているわけで、あたしは迫り来るその蛇のアギトを本当に紙一枚のところまで見て、額を掠らせて避けた。

 あ、危なかった! もう少しで眉間に刺さるところだった……!

 一瞬だけ気を抜いたからか、世界が何だか歪んで見える。今までのようなハッキリした精霊の色はボケボケになって、まるで涙の中に風景を見ているよう。

 あっ、ダメだよ! ちゃんとしっかり見なきゃ! ガーネラゼルフさんの攻撃はまだ終わっていない! 見なきゃ! 精霊を、しっかり見なきゃ!

 頭の中がツーンとして、もう一度あたしは自分の眼に呼びかける。心に呼びかける。

 精霊の世界、あたしの世界、ちゃんと……見えてっ!

 祈りが通じたのか、極彩色の世界はピントを合わせたように戻ってきた。

 でも、それはもう手遅れだった。

 その間にあたしの身体はガーネラゼルフさんの青い天幕内にすっぽり覆われていて、四方八方から伸びた無数の意図で雁字搦めになっていた。

 どれが最初にあたしについた意図なのか分からない。右手に喰らいつこうとする赤の軌跡が見えたので払おうとしたら、それは逸れて右足に突き刺さった。

 あたしの白い足に赤黒い皹が波となって広がり、これが「痛み」だと気付いた時には次の蛇があたしの左太ももを貫いた。

 左肩。右腕。……ああ、ほらね。やっぱりハチの巣だ……。あたし、どのくらいガーネラゼルフさんと戦えていたんだろう?

 もしかして夢の世界で一人その気になっていただけ?

 違うよね? だって……体の中の精霊はこんなにも「痛み」をあたしに伝えてくれる。間違いなくあたしは学園で五本の指入る剣の使い手、ミルル・フォン・ガーネラゼルフと戦ったんだよね?

 トドメとばかりに、彼女の意識があたしの左胸――心臓に伸びる。

 意図の太さが先細りになっているから、きっと本気で貫こうとはしていないんだろう。

 でも、最後くらいはあたしも頑張りたい。これを喰らうわけにはいかない。

 全力で守るんだ。あたしの……命は!

 そして……一刀!

 結局見ること、防ぐことにすべてを使っていたから、あたしから剣を振るうことは一度も無かった。だからせめて最後の一刀。

 あたしはあなたと戦ったんだよ、って言うだけの、意味を込めて……!

 真っ直ぐ伸びてくる蛇の先には、ガーネラゼルフさんの手がある。そこに――

 痛みをこらえて盾を胸の上で構え突きを防ぎつつ、もう一度痛みを忘れて同時に右手を突き出して、彼女の伸びた腕に最後の牙を付きたてた。

 その瞬間、彼女を守る青い天幕が姿を変えて大蛇となり、あたしの頭を飲み込むようにして巻きついてくる。

 これを外す術は、もう無かった。

(あたし、結構……がんばれたかな?)

 側頭部に強い衝撃を感じて、精霊も見えないくらい辺りが真っ暗になる瞬間、あたしはそんなことを考えて……闇の世界に堕ちていった。


 そして次に目をあけると、よく見知った天井が見えていた。

 医務室だ。ぼんやりな視界でもすぐに分かる。天井の色、ベッドシーツの肌触りまで余りにも馴染みがあるほど、あたしはここの常連だった。

 いつも痛みで気を失うか、完全に失神させられた後はひどい大怪我をしているので、こうやって目を開けた脇には必ずマテリアの姿がある――はずなんだけど。

 代わりにそこには麗しのプラチナブロンド、ガーネラゼルフさんの後ろ髪が見えていた。

 あれ……どうしてここに? って声をかけようとして、ちょっと止まる。

 彼女はやけに真剣な顔で、あたしの……葉っぱを、食い入るように見つめていたから。

 あっ、気付いたけどあたしの葉っぱ……半分に切られてる?

 そんな半分になった葉っぱを色々な角度で眺めていたガーネラゼルフさんは、次にはあたしがやるように目に当てて、ぶつぶつと「なによ……本当にただの葉っぱ……いやでも」と呟きだした。

 そんな姿がいつもの堂々としたガーネラゼルフさんと違う、何と言うか可愛らしい雰囲気があって、思わずポカンと見てしまう。そしてあまりにも見すぎたのだろう、あたしから放たれた「意図」の精霊は彼女の視線をこちらに寄越すことが出来るほど強かったみたいだった。

 数秒、お互い見つめ合う。


「おおお、起きてたなら何か声を出しなさいな! ビックリするじゃないの!」

「えっ、あっ、その、ごめんなさい!」


 そしてそののち、変な声を出して各々慌てる。そんなことをやっていたら、いつもと全く変わらない雰囲気のマテリアが「まあまあ」と部屋に入ってきた。


「エフィリー、もう平気なの? ……あら? ミルルは顔が赤いわね。お熱?」

「うるさいっ! 何でもありませんわっ!」


 何度も何度も肩にかかる髪を掬い上げて答えるガーネラゼルフさんの顔は、マテリアの言う通りにやっぱり赤い。照れちゃったのかな。あたしがこんなこと考えちゃ失礼とは思うけど、初めて見るような「女の子らしい」ガーネラゼルフさんだったので、さっきにも増してすごくかわいいと思った。


「そこ! 何をニヤニヤしているの!?

 言っておきますけどエフィリー、貴女は私にボコボコにやられたのですわよ!?」

「ぼこぼこ、というより、ぐさぐさ、でしたわ。エフィリー」


 マテリアがにっこり。あたしもつられて更にえへへ、と顔を緩ませた。


「何故そこでほっこりするっ! もう少し真剣に敗北を受け止めなさいよね!」

「……あ、はい、そうですね。ごめんなさい。でも負けるのはいつものことだし……

 そもそもあたしがガーネラゼルフさんに勝てるなんてそんな」

「そんな負け犬根性でどうするのです!

 全く……少しは見直そうか、というところでしたのに……」


 ガーネラゼルフさんが呟いた最後のそれを、あたしは聞き逃さなかった。思わずベッドから跳ねるようにして上体を起こし、彼女に食いつく。


「えっ!? それは……どういうことですかガーネラゼルフさんっ!」


 近い近い、とあたしの顔を押しやって、ガーネラゼルフさんはもう一度ゆったり肩にかかる白金髪を後ろにやってから、腕を組んで答えた。


「……この葉っぱが一体どういう効果を生んでいるのか全く分かりませんが。少なくとも貴女と手を合わせた感触では、以前より戦士としてだいぶマシになったと思います。

 そうでなくてはマグレであってもこの私に手傷を負わせることなど出来ませんから」


 組んでいた腕を解き、彼女は黙って右腕をあたしの前に見せる。

 医務室のポーションかマテリアの祈りで癒した後だから傷はもう無いけど、彼女は左の人差し指で「ここにあった」とばかりにそこをなぞってくれた。

 ……よかった。精霊世界で見てたことは……やっぱり夢じゃなかったんだ。


「そっか……。あのガーネラゼルフさん、あたしちゃんと戦えてましたか?」

「そんなの私に聞かなくとも自分で分かるでしょう。実際剣を合わせたのですから」

「いえ、あの……。あたし、その、葉っぱをつけてましたよね? その間、その、なんというか……見えてるようで、見えてないんです。あたし。

 あっ、ごめんなさい、変なことを言っているけど、その、本当なんです。

 だから自分が一体どうやって戦ったのか、その、自分では分かっているんだけど分かっていないっていうか……」


 あたふた言葉を紡ぐあたしに、ガーネラゼルフさんは「何を言っているのかさっぱり分かりません」と半目で呆れつつも、最初からあたしたちの攻防を教えてくれた。


「……とまあ、あなたが予想外に上手く剣を捌くものですから、私は少々本気を出して奥義を繰り出したのです。しかしそれさえも貴女の盾に阻まれました。が、奥義の威力はたとえ劣化の魔法をかけられた剣であっても、盾を貫くことは出来ます。剣先は貴女がつけていた葉っぱを切り落しただけに止まりましたが、奥義の威力に押された貴女の隙を見逃さずに私は華麗な四段突きで――」

「ちょ、ちょっと! ちょっと待ってくださいガーネラゼルフさん!」

「な、何ですの? これからが真骨頂ですのに」

「あっ、もうそこから先は分かりますから。あたしが蜂の巣にされるんですよね」

「貴女が細やかに教えろというから教えてあげていますのよっ!」

「ご、ごめんなさい。でもちょっと教えて欲しいんです今の部分!

 ガーネラゼルフさんがあたしのこの葉っぱ、切り落したんですよね? 試合中に?」

「そうですわよ。ホラ」


 そう言って彼女はあたしに葉っぱを差し出した。

 さっき見た通り葉っぱは半分に切れていて、この状態なら眼帯のように付けていたとしても途中で目の上から落ちるのは当たり前に思える。

 だから、だからこそ……。


「その時あたしの目の上には、葉っぱ……無かったんですね?」

「そうですわよ。何だか夢見心地というか、半目になって薄ぼんやりした表情だったように思います。……戦いの最中に寝ていたワケではありませんよね?」

「……じゃあ、じゃあ……やった! 出来た!」

「は?」

「やったぁー!! そっか、あたし、《葉っぱ無しであの世界を見てたんだ!!》」


 あたしが予想外に喜んで大声をあげたものだから、ガーネラゼルフさんもマテリアもビクリを肩を上下させて驚いていた。

 それはともかく、そうか、そうだったんだ。

 戦いの中で覚えてることがある。確かにガーネラゼルフさんのすごい一撃を凌いだ時、一瞬視界がぼやけた。きっとその時なんだ、葉っぱが切られて落ちたのは。

 でもあたし、見なきゃ、見なきゃって必死になって、なんとかあの世界を自力で目の中に戻した。あたしが、自分の意思で、精霊世界を感じたんだ……!


「何がそんなに嬉しいの? 確かにちょっっっとは善戦しましたけれど、結局貴女は歯が立たずに負けたのですわよ?」

「そうかもしれませんけど! でも、あたし、またちょっと前に進んだんです!

 今までは、ずっと、ずっと……みんなについていけなくて、ガーネラゼルフさんにもマテリアにも迷惑ばかりかけてた、落ちこぼれな運命の子だったのに……。

 でも、今は、ちょっとだけど、ちゃんと、成長して……ううっ……」


 嬉しい。とても嬉しい。思わず涙が出ちゃうくらいに嬉しいことだった。


「笑ったり泣いたり忙しい子ですこと」

「エフィリーはいつもこうですよ。はい、お鼻チーンしましょうね」


 マテリアに肩を抱かれ、ガーネラゼルフさんに苦笑され、あたしは……別の意味でも嬉しかった。

 だってこうやって「運命の子」として三人、多分初めて……

 友達のようにお話できたのだから。


 そして――修行を始めてから一週間目。

 午後の訓練が終わって、夕食までのちょっと空いた時間。あたしはまだまだ明るい空の下、キラキラ輝くお花が見守っている中庭で、シショーを前に深呼吸していた。


「では……いきます!」


 ぎゅっ、と目を瞑る。真っ暗な中に、光を見つける。頭の奥がツーンとして、視界の変わるその気配を掴み取る。


「はいっ!」


 カッ、と目を開く。一週間前のあたしだったら、その眼前にはジュドウさんが毎日手入れをしている美しい中庭の花園が見えているはずだった。

 でも今は違う。違うというワケではないけど、目の前に広がるのは花と言っても精霊の花。空に赤が渡って緑がゆらゆら揺れ、時折青の流れ星が弧を描く……精霊の世界。

 それがちゃんと、あたしの開いた目を通して、感じることが出来ていた。


「エフィリー、この花はどう見える?」


 シショーがそっとあたしの前に花(なんだろうな)を差し出す。


「青がぐるぐるーってしていて、ちょっぴり黄色……そう、シショーの持ってる所がちょっと黄色っぽい感じです!」


 あたしの答えに、シショーはどういう顔をしたのかな。まだ精霊の意味が全然分からないから、シショーの中に少し変化ある部分を見ても判別つかないや。

 でもきっと喜んでくれていると思った。


「うん、上出来だね。どうやらちゃんと精霊世界を感じることが出来たようだ。

 おめでとう、それが出来ればもう後はなるようにしかならない。勇者への道を一直線だ」


 もういいよ、とシショーがパンと手を叩くので、あたしは再び目を瞑って瞬きをぱちぱち。いつもの現実世界に戻ってきた。

 シショーはやっぱり嬉しそうにしていた。うん、あたしも嬉しいもん。


「四日くらいで『謎の葉っぱ部族』の噂が消えたから、順調だと思ったよ」

「あたしそんな風に噂されてたんですか……。えへへ。偶然なんですけど、ガーネラゼルフさんと剣の試合中に葉っぱ無しで精霊世界を見れたんです。そこからちょっと感覚を掴んだというか、葉っぱ無しでもいけるって自信がついて頑張れました」


 よしよし、とシショーも頷いてくれる。


「その感覚、これからも少しずつスムーズに出来るよう、生活の中で息をする感じで身に付けておいてね。いざという時、さっきみたいに気合を入れて目を瞑って「はいっ!」なんてやってる内に大ピンチになってました、だと目も当てられないから」

「そ、そうですよね。はいっ、これからも頑張ります!」

「じゃあ、続いてもう一段階先に進もうか。

 ……とは言ったものの、どこから手をつけようかなぁ……?」


 思わずガクッときたあたしに、シショーは恥ずかしそうに頭を掻いた。


「いやぁ……まさか俺が人にこういうことを教える時が来るなんて思ってなかったしさ。

 やってみたらやってみたで、シショーというのも難しいなと」

「シショーはどうして精霊世界のことを知っているんですか?」


 薄々あたしはジュドウさんのことを本当の勇者、つまり「死んじゃった」と言われているあの大勇者ジュドウだと思っている。じゃなきゃ色々おかしいもん。

 でも、何かそのことを聞こうとする度にあたしの記憶が飛んじゃってるというか、あやふやになっているんだよね……。だからちょっと怖くて直接は聞けてない。

 でもやっぱりそういうとこ、つまりジュドウさんが何故精霊を知っているのか気になったので聞いてみた。


「教わったからだよ。ハイ、コレイジョウハ余計ナコトキカナイ」

「は、はいシショー」


 迫力ある笑顔が空気を重くしたので、あたしは言われた通りもう黙った。


「……そうだな。とりあえずアザリカに勝てるようにしなきゃいけないんだったね。

 じゃあ……次の修行は『自分を保つこと』かな」

「自分を保つ……?」

「ああ。エフィリー、ちょっと精霊を感じてみて」

「精霊を感じる……?」

「あっ、ごめん。精霊世界を「見る」ことだよ。ちゃんと説明すると、精霊世界を人間の目で見ることは出来ないんだ。

 君が「見ている」と思っているのは、実は目の働きをする精霊を一時的に解散させ、魂の感覚に直接精霊を取り入れているから頭の中に精霊の姿や動きが描かれるんだ。

 ……えっと、分かる?」

「いえ、よく分かりません」

「……正直でよろしい。君も色々な精霊に通じていけば、そのうち分かるようになるさ。

 これから精霊世界を見ている状態は「精霊を感じている」と言うことにするからね。

 じゃあ、とにかく精霊世界に入ってみて」

「はい、シショー」


 精霊を感じる、精霊を感じる……と。目を閉じ、気合を入れ、スイッチを切り替える。

 このスイッチを切り替えるっていうのが、さっきシショーの言った「目の働きをする精霊をイチジカイサンさせる」っていうことなのかな。あたしバカだから、そろそろそういう理屈を覚えなきゃいけなくなるんだったら必死にならないと……。

 そんな心中の不安はともかく、あたしは再び精霊の風景に馴染んだ。


「精霊、感じました」

「うん。じゃあ腕を出して」


 言われるままに右腕を出す。白く発光しているあたしの腕は、なんだか怖い話に出てくる幽霊のようだった。


「君は今どこも痛くないし、健康状態だよね?」

「はい。元気です」

「うん。覚えていてね。この状態が君の「完全状態」だということだよ。

 ところでよく見て? 君の腕ってただ白く発光しているわけじゃないんだ。

 すごい速さで精霊が流れているからこの状態なんだよ。自分でよーく見てごらん」


 そう言われて、確か前も自分の手を見てそんなことを感じたなって思い出しながら、あたしは自分の腕をまじまじと眺めた。

 ……やっぱりそう。あたしの腕……精霊って、実は白色じゃない。

 なんというか、全部の色がすごい速さで混ざり合って、あたしのカタチに流れている。

 あたしってそういう風に出来ているんだって、改めて不思議な気持ちになった。


「分かったかい?」

「はい、分かりました。何だか不思議です」

「うん。その説明はおいおいするとして、今は次の修行の準備だ。

 いいかい、腕をよく見ててね」


 そう言いつつ、シショーはあたしのその右腕を取った。肌に触れられた瞬間、ちょっとドキッとする。うう……こんな気持ち、シショーに精霊で伝わってなきゃいいけど……

 って思った瞬間。

 ビシリとあたしの腕に赤の皹が入った。この亀裂、前にもこの目で見た。

 これは痛み。痛みの亀裂。ガーネラゼルフさんにレイピアで刺された時の――っ!


「いったあああああああっ!」


 何の準備も覚悟もしなかったし、何よりシショーから意図の精霊が出てなかったから全く油断していて、あたしは思いっきり声をあげてしまった。それにきっと涙目。


「分かった?」

「な、なにがですかあっ? 今何をしたんですかああ?」

「しっぺ、だよ。君の腕に二本指で、ピシャリって。そんなに痛かったかなあ」

「痛いですっ! 全然油断してましたからぁ!」


 おまけに精霊世界じゃ相手のモーションすらよく分からないから、意図を感じていないと精霊の種別が分からないあたしには何の対処も出来ないしっ……。


「ごめんごめん。でも見たろう? 君の腕に、亀裂が入ったよね」

「はひ……。赤の亀裂が入りました」

「今もそれが腕に燻っているよね? じゃあここで思い出すんだ。さっき見た君の腕を。

 真っ白で、精霊が毅然と流れているその様を。思い出せる?」

「……ええ。思い出してみます」


 ついさっきのことだ、それは出来る。


「よーく思い出して。そして自分の身体を流れる精霊に、それを思い出させるんだ。

 自分の身体はこうだって。こうやって精霊が集まり、こう流れているって。

 やってみてごらん。これは……すぐ出来るはずだ」


 不思議なんだ。今まで学園で受けてきた訓練、先生が「出来るはずだ」「やってみて」と言われてやったことは何一つすんなり出来たためしがなく、あたし自身も「そう簡単に出来るわけないよ」って思うことが普通だったのに。

 でも今シショーに言われたこと、あたしすんなり信じてやれてる。

 出来るよ、って言われたから、そうしてみる。そうしたら……出来る。

 とっても不思議なんだ、それが。

 赤の皹が徐々に小さくなり、思い出した通りの腕の輝きに戻っていくこの現象より、も。


「うん、出来たね。おめでとう、それが「精霊に通じる」ってことだよ」

「精霊に通じる……?」

「そう。君は今、体内にある精霊に通じて、元通りになあれって意識を廻らせ、その意識を精霊が受けて反映したんだ。

 自分を構成する精霊だから一番通じ易いとはいえ、こんなにすんなり出来るとはちょっと思わなかったな」

「ええと……つまり、何が出来るようになったんでしょうか?」

「そうだね、常人を遥かに超えた回復力を手に入れたってとこかな。今の段階は」


 え……? 今ので……?


「とにかくイメージね。今のこの健康な状態、これを常にイメージしておいて、いつでも思い出せるようにするんだ。

 実はこの状態っていうのは身体が健康ならばいつもこう、っていうモノでもないんだよ。

 エフィリー、事実君は一週間前の夜、俺に会うまでこの状態にはなっていなかった」

「え? そうなんですか……? あ、確かにあたし、訓練しすぎで倒れてましたね」

「それもあるけど、精霊の流れが淀んでいた。だから白く発光なんてしていなかったし、こんなに精霊が秩序を持って動いたりしていなかったんだ。

 それは君がずっと心の奥に精霊を淀ませる悪い働きをする意識を持っていたからなんだ。

 ……色々心当たり、あるだろう?」


 あたしは思わず「あっ」と声をあげた。

 そうか。あたし、今はこんなに充実しているけど……そもそも一週間前、ジュドウさんに会う前ってどうだった? その時ってこんなに……胸が軽くなかったよね……?

 アザリカさんに進級試験で勝てなければ退学する。それは今も変わらない現状だけど、どうしてこんなに心の中身が変わってしまったんだろう?

 今はあたし、全然重くない。心配……は少しあるんだけど、あの時重荷で重荷でしょうがなくて、どうしてこんなことになっちゃったんだろうって思ってたアザリカさんとの試合のことを……今は目標にすらしている。

 本当に、全然違う。そうか、精霊の正しいあり方、今のこの状態っていうのは身体のことだけじゃない、心の……精神のこともあるんだ。


「気付いたみたいだね。そう、平常心というか心の落ち着きのこともあるんだ。

 だからちょっと自分を見失った時、すぐにこの状態を思い出して精霊に意志を持たせる。

 それが出来るだけでも君はずっと以前より心身共に強くなったはずなんだよ」


 ジュドウさんの言葉を聞きながら両手を見る。真っ白な、あたしの両手。あたしの中のたくさんの精霊が色々混ざり合いながら流れ、光を放つ。


「はい……シショー、ありがとうございます!」

「よし。じゃあそれを踏まえて、次の実戦的な特訓にいこうか――」


 一歩一歩ずつ、新たな歩みを始めるあたし。

 もし『運命の子の預言』が本当なのだとしたら、この先きっと想像だにしない大変なことがあたしたちを待ち受けていると思う。

 そしてまたとっても辛い出来事があったりして、精霊世界を知る前みたいに心が泥に深く沈んで、絶望してしまうことだってあると思う。

 でもシショーは今、とても大切なことを教えてくれた。

 あたしは絶対に忘れない。今のこの時を、いつでも思い出せるよう身体の精霊にしっかり刻み付けておくんだ。

 絶望から解き放たれ、未来に希望だけを見てゆっくり進む、白く輝くあたし。

 この最高のあたしを見失わないよう、これからずっと今のあたしであるよう……


 あたしの運命を生きていくんだ!



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