【introduction ――エフィリー・ミスリア――】
――今でも、目を瞑ると脳裏に思い出せる。
何も出来ずに炎に焼かれるお父さん。
何も出来ずに爪に貫かれるお母さん。
何も出来ずに……何をされたか分からないまま動かなくなる兄妹。
何も出来ずに……立ちすくむあたし。
最後のは自分で見ることができないはずなのに、何故かその姿がハッキリ分かる。
とても無力で。とても小さくて。とても弱くて。
それでも何か出来たはずなのに、あたしは何もしないまま……その運命から流れていった。
「あんた……娼館の子だったの!?」
何も分からないまま流れ着いた運命で、あたしはまた何もすることができなかった。
何も学ぼうとせず、ただご主人様の言うことを聞いて。
何も疑問に思わず、嫌な匂いのする部屋を掃除して。
何も考えたりせず、ただ生き延びるだけだった。
マリベルの館が娼館で、娼館というもの、娼婦という人が何かを知ったのは、次の運命を歩もうとしている最中だった。
それをちゃんと知っていれば、あたしは自らその捨てた運命を語らなかっただろう。
無知だったツケが、あたしの運命をより過酷にした。戦士の社会が女の人を受け入れないように、娼婦という存在は女の社会では軽蔑の対象だったのだ。
「運命の子とか言われてるのに……何の才能も無いなんて。ただの卑しい子じゃん」
「あんた何でここにいるの?」
「戦えない奴は大人しくしていればいいんだ。迷惑なんだよ」
「エフィリー。あなた分かっていて? この際運命の子という肩書きは置いておきます。
女が戦士として世に出ることは、この世界にとって冒険なのです。
ミスリア学園長はとても大きく意義のあることを為さろうとしているのです。
私たちの先輩、カチューン様が大勇者ジュドウ様の御意思を継ぎ、世界で唯一の「勇者」という称号を手に入れた功績に傷つけることなく、私たちは続かねばならないのです。
出来ないことはやらなくてよろしい。誰もあなたを責めません。
しかし……出来ないことを無理にやろうとするならば、私はあなたを……」
「何が運命の子よ。贔屓にされてんじゃないわよ」
「娼館の子のくせに!」
「このくらい出来ないで何が戦士なんだよッ!」
「もう諦めたら?」
「無理なのよ、あなたには!」
「おまえには戦う才能なんてないんだ。学園を辞めて娼館に帰っちまいな!」
何も出来ずに……諦める。
何も出来ずに……逃げ帰る。
何も出来ずに……運命に流される。
何も出来ない毎日がただただ続き、あたしはその泥に飲まれていった。
やっぱりそうなのかな。何も出来ないのかな。あたしには何も無いのかな。
自分で選んだ運命なんて言ったけど、もしかして運命は自分から選ぶことなんて出来ないのかな。運命を切り開く、なんて誰かが言ってたけど、それって本当なのかな。
本当の運命じゃないから、あたしには何も無いのかな……。
何も無いからこの運命も削られて、『運命の子』っていう与えられた役割も削られて、本当に選ぶものが無いくらいに削られて……
先細った果ての運命は、また何処かの陽の当たらない寂しい世界で一人ぼっちなのかな。
それがあたしの本当の運命なのかな……。
……いやだよ、そんなの。
……いやだ……。
誰か……教えてよ……。お願いします……。
あたしに何があるのか、教えてください……。
誰の役にも立たず、何の役にも立たず、世界に取り残されて一人になるのはいやだ……。
もう……限界だよ……。
あたしであたしを騙すのは……もう無理だよ……。
だれか……たす……けて……よぅ……。
夜中まで訓練をして、身体も心も動かなくなったあたしが次に目を覚ました時――
目の前に、一人の男の人がいた。
そしてその人はあたしの《何か》をしっかり見つめて、月明かりの中で手を差し伸べながらこう言ってくれたのだった。
あたしには、ある、と。
『君は――『勇者』になれる人間なんだよ』と。
その時あたしは確かに感じた。世界が――躍動する瞬間を。
求めていた助けの手は、これなんだって。
絶望をすべて涙で流して、胸の奥に残った最後の希望がこの手なんだって。
それを掴んだ時、あたしはついに――選んだ自分の運命が、本当の姿を取り戻し始めたと思うことが出来たんだ。