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第二章 勇者(元)、勇者(卵)に出会う

 デキる雑用係の朝は早い。

 夜明けに集う精霊が俺を優しく撫でてくれるので、いつもピッタリ同じ時間に目を覚ます。 

 天蓋付きのドでかいダブルベットの上でのそりと身体を起こし、一伸び。今日も懲りずに全裸でスヤスヤ寝ている隣の学園長の姿を見ないようにして確認し、なるべく起こさないように(面倒くさいから)静かにベッドを降りる。ちなみに間違いなくここは俺のベッドである。何でもかんでも自分の身体サイズに合わせて作るなよな……大は小を兼ねると言うけれど。

 それから俺は間違っても間違いなど起こしていない。変なこと言ってるようだけど変なことはしてないって意味だ。

 服を着ながら(ちなみに俺も寝床で寝る時は全裸派だ)学園敷地内の精霊に意識を通して全体の様子をチェックする。

 ミスリア学園長は俺と同じ能力を持っている。というか俺が彼女と同じ能力を持っていると言うべきか。とにかく彼女は精霊に通じることが出来て、俺なんかとは比べ物にならない範囲の精霊に干渉できる。

 その干渉力でここミスリア女学園の敷地内は、非常に精霊が安定している特殊世界だ。何と言ったらいいか……「ミスリアが神となった世界」とでも言おうか。うーん難しい。

 とにかくそうやってこの世界に異変は無かったか、精霊はいつも通り安定しているか、等のチェックを俺が行う。そういう権限を彼女から得ている。うん、今日も学園を構成する精霊はいたって平穏無事、気持ちいいくらいの安定だ。

 同時に着替えも終わったので、最後にミスリアと同じメガネをかける。

 これは精霊に強く干渉するのを遮断する効果がある魔具だ。ここに来て初日、ミスリア学園長から渡された。


『分かると思うが、この敷地内の精霊はすべて私が整備してある。生徒全員の体力や精神の把握・敷地内で起きていること・外敵が入り込まぬよう・悪意の精霊が膨らまぬよう……などなど、細やかな配合で私と繋がっている。だからジュドウ、精霊に強く干渉できるオマエが下手に行動すると、その整備に乱れが生じてしまうのだ。だから……ここでは「普通の人間」でいろ。分かったな。どうせそのつもりで来たのだろう?』


 そんなわけだ。このメガネをかけている間、俺はあるべき「普通の人間」に近くなる。全く精霊を感じないワケではないけれど、戦う時のような強い干渉力は双方向で遮断されるみたいだ。こういうのを用意できるあたり、ミスリアは色々考えてるんだな……と思う。

 まだ薄暗い階段を下りる。ちなみにここは「学園長室」という名の家だ。そこの東棟半分を住居に使わせてもらっていて、西と中央はミスリアの生活&執務スペースだ。

 そのミスリアは今さっき俺のベッドの中で寝ていた気がするが、あまり気にしないでくれ。俺も最近ようやく気にしないようになった。

 館から出る。外は朝日が眩しいな……。丘の上なので景色は抜群、周囲に咲く花々を含めてね。勿論この花もミスリアが精霊を安定させているからこそ、こうやって一年中咲き誇っていられる。

 中庭を通り過ぎ、校舎の回廊をコツコツ音を立てて歩く。学園の乙女たちはまだお休みの時間だ。この回廊で囲まれている中央広場では、たまに早朝から訓練中の子がいたりする。

 校舎を挟んで学園長室とは反対側に、建築様式は違うが学園長室と同じ黒い煉瓦の洋館がズラリと長く並んでいる。これがミスリア女学園の生徒が住む寮だ。初日はここに近づくのさえ少し抵抗あったけれど、今はもうそこそこ慣れた。

 その遠く離れにある薪小屋。ここから俺の仕事はスタートする。

 朝食に使うための、お湯を沸かすための、とにかく用途のある薪を割り、各所に運ぶ。特に朝食の準備が必要な厨房は最優先だ。いくつか割った薪を背負って歩き、女子寮と隣接している食堂の勝手口を開けて入り、薪を暖炉に投げ火を入れる。今はまだ温暖だからいいが、四季のあるこの地方は寒くなると寮の暖炉にも火を入れなくてはならなくなるみたいだ。ちなみに今はイェールビーという黄色い花が甘い香りを存分に放っているので夏口。初夏だ。これから暑くなるんだろうが、比較的高地にあるザラボー地方は夏でも涼しく快適だという。精霊に護られているここは尚更だろう。

 その時、その精霊を通じて外門のガーゴイルが門に近づく人々を俺に告げた。いつも時間通りだな。荷車を押して今日の新鮮な食材を運んできてくれる村の農家の人や、学園の食事を一手に引き受けてくれている厨房のおばさんたちだ。彼女たちは村から通って来ている。俺はそれを確認すると、精霊を通じてガーゴイルに門を開けさせた。

 おばさんたちが来たということは、そろそろ起床の鐘を鳴らさなくてはならない。

 これは眼鏡があっても精霊を通じてこの場にいながら出来る簡単作業だが、俺は自らの脚で校舎に赴き、中央階段を最後まで登りきってこの敷地内最頂点、鐘塔へ。

 山岳の間から覗く朝の太陽が、眼下に広がる村々を照らしていく絶景を眺めながら、金色の鐘を一つ打つ。

 一打だけで精霊が規則的に働き、風と光が主役となった朝の音色を学園中に響かせる。 

 時には曇ったり雨だったりで景色が崩れていることもあるが、それでも俺はこんな爽やかな一日の始まりが大好きだった。今日も平凡な日常を頑張ろう、なんて自然と言葉が出てしまうくらいにね。

 鐘を鳴らしてしばらく景色を眺めた後、塔を降りる。その頃にはざわざわした人の動く気配が、精霊を通して寮からこの校舎に伝わってくるのを感じる。

 ここから今一番忙しいであろう厨房へ向かう。忙しいということは何かと雑用があるということだ。薪を入れた時はしんとしていた区画が、今や様々な活気に満ちている。


「おはようございます」


 挨拶をしながら厨房に入ると、鍋を振るいながらおばさんたちが「おはようジュドウくん」と笑顔を添えて返してくれる。そしてそれと一緒に、


「おはようございまーす」


 と何人かの若さ溢れる女の子の声。彼女たちは今日の朝食当番を務める学園の生徒たちだ。

 いくら戦士を目指しているとあっても、女には「女」として譲れない戦場がある……というワケではないけれど、彼女たちは持ち回りで厨房に入り皆の食事を用意する義務がある。これは食事だけではなく、洗濯や敷地内の掃除といった家事全般にも適用されている学園の規則なのだ。

 ベテランのおばさんに混じってきゃあきゃあと黄色い声をあげ、料理を(おばさんの手伝い程度だけど)作っている彼女たちを見ていると、実に幸せな気持ちになってくる。


「ジュドウくん、そろそろテーブルと食器の用意お願いね」

「はい」


 おばさんの指示に返事をして、作業に取り掛かる。今此処にいる学園生徒数は六十四人、これに講師や学園長……俺を入れると総勢七十人。てきぱきとこなさなければならない。


「あっ、ジュドウさん私もそっちやりますー」

「ありがとう」


 えーと……この子は誰だったかな。ミ……エンヌさん、だったろうか。そろそろ全員の名前を覚えられそうだ。こんな感じで最近は女の子とのコミュニケーションもちょっとずつ増えてきた。

 ――あれからニヶ月。雑用係として馴染むのにこれが早いのか遅いのか、普通の生活をしてこなかった俺にはよく分からない。

 だけど、毎日が平和で……俺の望んだ充実が、確かにここにはあった。



 その二ヶ月前――。つまり俺がカチューン連れられて初めてここに来た日。


「じゃあね、ジュドウ。新しい人生、上手くやんなよ♪」

「ああ、ありがとうカチューン。またな……とはあまり言いたくないんだけれど」

「そうだね。アンタとまた会う時ってのは、きっとアタシじゃ歯がたたない悪魔や魔獣が世界を脅かしてるってことだからね」


 そう言って去るカチューンを見送った後(彼女は一泊させてと土下座の勢いで頼んだが、学園長が学園乙女の純潔を守る為に断固拒否して追い出したとも言う)、ミスリア学園長と俺は改めて執務室でこの再会をやり直した。


「なあジュドウ」

「……なんだよ」

「先ほど私は『過去を忘れろ』と言ったな。あれは嘘だ」

「やっぱりかよっ!」


 邪魔が居なくなったとたんこれだ。いくらミスリア有利の精霊結界内であっても、俺とカチューンの両撃を受けることはリスクが高いと踏んだのだろう。だから今までコイツは本性を現さずにいたようだ。


「こらこら勘違いするなよ。別に力ずくでどうこうしようなどは無い。寧ろ、どうだ? これならオマエも満足するんじゃないのか?」


 そう言ってミスリアはきゅっと豊満な胸を寄せ、しなを作って俺に流し目を送る。全力の色香が俺を襲い、雌の空気が、匂いが、精霊をすべてピンク色に変えるかのようだった。


「これでもかなり研究したのだぞ。どうやら統計的に見て男は胸が大きく腰が細い女を好むようだとな。どうだ? うん?」

「人によりけりですけどね。胸の小さい子が好みの男性もいらっしゃいますしね」

「他の男の話をしているわけではない。オマエの好みを聞いているのだ。ふふふ、ここまで整えるのには多少の苦労をしたぞ。しかしそれもすべてオマエの為、《オマエの子供を産む為》なら毛ほどにも感じぬわ。どうだ、こういうのも『いじらしい』だろう!」


 ……。

 はぁ……と、ため息が出る。

 そう。このミスリアは俺と六年前に出会った時から、「オマエの子供を産ませろ!」と迫ってくる余りにも直接的で恐ろしいヤツなのだ。

 何せ俺と同じ能力、つまり世の精霊を感知でき、それに通ずることが出来る稀有な存在。だからその能力で「俺が彼女と同じような精霊配合も持つ者」だと感知出来る。それでこの能力を次代に残すため、「子供を作らせろ」ということなんだそうで。

 ……今は分からないでもない。なんせ俺自身「そういう気持ち」で勇者を辞めたのだから。

 俺と同じ世界を生きるには、その世界についてこれる能力を持った者でないとお互い幸せになれない。

 自分らしく生きる世界を選択するならば、そういう伴侶を見つけなければならない。

 だから分かる。同じ能力を持ち、誰とも共有できない世界に生きるミスリアの気持ちが。

 ……分かる。分かるんだが……。


「でもやっぱりダメなんだよ! そういうんじゃないんだ、そういうんじゃ!」

「むっ、何故だ! 六年前とは違い、ちゃんとオマエの好みに合わせているだろう!」


 ホレホレ、見ろ見ろ、触れ触れ、と木々に巻きつく蔦の蔓のように俺に絡んでくるミスリアだが、生憎俺はもう世界を精霊で認識しているので現界容姿による影響力は皆無だ。


「そういうこっちゃないよ! だからオマエには愛が無いんだって、愛が!」

「く……またそれか! 精霊的に言えば結び合いに何の変わりもないだろう?」

「つか愛があったって抵抗あるよ! オマエと俺じゃあ!」

「くそ……初対面が最悪の印象だったからか……。まだ引きずっておるのか!」

「印象とかそういう問題じゃないだろっ!」

「仕方ない、ここはやはり力に物を言わせるか……」

「最初に言ったこと、もう忘れてんのかよっ!」


 一触即発・先手必勝という勢いでお互い急激に精霊干渉した影響により、この時学園の敷地内に正体不明の突風が吹いたり青天の霹靂があったらしい。

 だがそれも一瞬のことだ。

 ふっとミスリアが力を抜いて、「戦闘の意思無し」と眼鏡をかけた。


「……と、まあ冗談はこの辺にしておこう」

「……本当に冗談だったのか?」


 ミスリアは答えない。……おい。


「ともかくオマエは私の下で生活するのだ。今は真面目に今後のことを語っておく。こういう話ができる者を、私はオマエくらいしか知らぬからな。長くなる。……まあ座れ」


 ミスリアは先ほどの色ボケは何処へという威厳を漂わせ、学園長と呼ばれる者らしい振る舞いで自らの執務机に腰を置いた。俺も部屋の中央にある応接椅子に腰を落とす。

 そこから彼女は六年前俺と会ってから今までのこと、そしてミスリア女学園がやろうとしていることを……

 夜が更けるまで、長く真剣に語った。


 ――次の日の朝。

 晴天の中、中央広場に集められた全学園生徒六十四人と今いる講師四名を、俺はミスリアと共に壇上で初めて目にした。

 こういうのは勇者の仕事上、国王謁見とか軍令とかでよくある。だから慣れている……はずなんだけど、さすがに全員女の子ってのは初めての経験で、何だか……やたらと緊張した。


『おはよう諸君。先ほどから私などより隣の者に注意を向けているのはよく分かる。前置きは無しで早速紹介しよう』


 ミスリアの声が広場中に響き渡る。別に声が大きいわけではない。これもそう整備された精霊の働きだ。


『今日から学園で雑用を務めてもらう、ジュドウだ。見ての通り……男である』


「ざわり」とも「どより」とも言うべき声の高波が、整列している女の子たちの海に立つ。

 まあ……そうだろうなぁ。精霊による精神調整が出来なかったら、俺はこの大波に立ち向かえていたかどうか……。

 ちなみに「ジュドウ」という名前だけれど、実はこの世界では結構ありふれた名前だったりする。だからそれだけで俺が「あの勇者」とは分からないってことだ。この先も勇者にあやかって更にこの名前の男の子が増えるんだろうな……。

 ミスリアはざわめく生徒の様子もお構いなしに続けた。


『彼は――――』


 この「――」の微妙な間の部分には昨晩、


『――私の夫となる男だ』

『何言ってんだオマエ! ちゃんとカチューンの話聞いてたのか!? 俺は彼女を見つけて平穏な恋愛をしたいって言っただろ! それじゃいきなり不倫の様相じゃねーか!』

『では『彼はいずれ私を孕ます者だ』でどうだろうか』

『もっと酷いわ! 生徒全員ドン引きだわ!』

『全くキサマいちいち細かいぞ! ただでさえ男を学園に入れるのに全員を納得させる鉄壁の免罪符がいるというのに! 理由として「私の男」が一番適当だろうが!』

『だからっ! それだと俺が女の子と恋愛できる機会無くなるの!』

『私だけで充分だろうが! いっそ正体バラしてやろうか腹の立つ……』 

『それ俺も切り札だからな。そんなことしたら俺もオマエの正体バラすもんにー』

『何という人でなしだ!』

『オマエが言うか!』


 ……というような激論を経て、


『――私の信用おける従兄弟である』


 という方向性で着地した。まあこれが最適解であるかどうかはともかく、学園ではこれで押し通すしかない。納得いかない顔でじろりと俺を睨みつつミスリアが促すので、俺は彼女の代わりに生徒全員の正面に立った。


『初めまして……。ジュドウです。これから学園でお世話になります。ミスリア学園長の縁者だからといって、あまり怖がらなくても結構です。俺は仲良くやっていけたらいいなと思っています。よろしくお願いします』


 本当に切に願う。ぺこりと下げた頭に拍手は降らなかったが、そよそよとした不快の無い精霊が頭を撫でてくれたのでまあ良しとしよう。最初はこんなもんだ。カチューンと打ち解けたのだって大悪魔を実際打倒してみせてから。気長に、そして今度こそ慎重にやるさ……。

 短い挨拶だけして、再びミスリアに場所を譲る。


『この男に限って万が一は無いと断言しておく。オマエたちが真っ先に感じた不安について心配はしなくていい。私が保証しよう。だがしかし、本当にその万が一があったら遠慮せずに私に言え。決して手を抜かぬ処罰をこやつに下す』


 ちなみにそれ、「自分が孕むまで云々」というやつを約束させられた。ミスリアが外見通りの美人学園長なら処罰でも何でもないことだが、コイツの皮の下を知ってる俺には死んでもお断りな拷問だ。


『学園に男を入れた理由は一つ。オマエたちが将来戦士となって世に出た時、そこには当然のように男がいる。女学園ゆえ男子禁制の場とし、女だけの気の置けない空間を作ってはきたがやはりこの先を考えるに男の目は必要だ。今までだらしない行いをしてきた者、これからは常に男の目がオマエたちを見ているということを意識せよ。この雑用係は何時でも何処でも隙を狙っては、オマエたちをじっくり見ているからな!』



 ――とまあ、そんなイヤな紹介をされてから二ヶ月だ。

 最初はホント変態を見るような目がちくちくと突き刺さってきたっけ……。


「ジュドウさん、こっちお皿終わりました」

「ありがとう。じゃあパンを並べようか」

「はいっ」


 それが今は女の子たちとこんな会話まで出来るようになっている。俺という人間が学園に馴染んだ証拠だ。精霊世界はともかく、人間社会への通じ方は俺も人並み……下手をすると普通の人間より不器用かもしれないからな……。

 そうやってパンを並べる頃には女の子たちが続々と食堂に集まってくる。眠そうな表情の子が多い。できればそんな眠気の精霊を払ってあげたいが、学園長が「生徒のためにならん」と俺に釘を刺している。分かるけどね……。でも精霊を通さなくても目に見えて朝は顔色悪い子とかいるんだよな……。


「おはよぉ~、ジュドウくん……」


 言ってる傍からその代表格が全然朝の挨拶ではない声色を発してやってきた。


「おはようございますシモーヌ先生。今朝も死にそうですね」

「前置きはいいからアレやって、アレやってぇ」


 そう言って全く櫛を入れていないボサボサの頭を、ゾンビ色の顔色と共に俺の胸板にスリ寄せてくる。傍から見るとご主人様にエサをねだるペットですよアレは、なんて何度も女生徒や同僚に注意されているハズなんだけれど、全く聞かないなぁこの人は……。

 シモーヌさんは魔法の先生だ。つまり魔法使い。ミスリアが見定めたのだからその腕は間違いなく一級品のはずだ。

 前も述べたけどこの世界では戦う人間を戦士と呼び、魔法使いもそれに入る。だから魔法が使えても基本的に戦士の世界では「女」を受け入れていない。

 だけど肉体的な能力で明らかに差がつく剣士に比べ、魔法使いは男女の能力差なんてほとんど無い。寧ろ女が男を上回ることだって普通にある。あるんだけれど……やっぱり戦場はそんな女魔法使いを受け入れない。彼女たちは「魔法使い」と扱われずに「魔女」と呼ばれ、単なる風潮で世間からあまり良い眼で見られていない存在だ。

 だから大体の女魔法使いは世俗を捨てて隠遁し、世間と関わらない生き方をする人が多い。それが余計人々に誤解を与える形となり、魔女は不気味で恐ろしい者というレッテルを貼られてしまっているのが現状なんだ。

 ……が、こうやって昇華できない睡眠精霊に苦しんでフラフラしている寝起きの彼女を見れば、誰だってそんなイメージは間違いだって気付きそうなモノなんだけれどね。

 俺は彼女の栗毛をさっと撫でて、一緒に眠気の精霊を散らしてやる。学園長は「生徒には甘くするな」と言ったけれど、シモーヌさんは先生だし……まあいいかという感じで。


「ん~……! ジュドウくんのなでなでは本当に効くなぁ~。頭が一気にスカっとするよ」


 さっきの顔色は何処へやらというパァッとした笑顔で、シモーヌさんは俺に歯を見せた。童顔に未だ残るえくぼがかわいい。

 女の人には怖くて年齢を聞いたこと無いが、彼女は精霊の落ち着き具合から俺なんかより遥かに年上であることは分かる。でもこの人の見た目は下手したら学園の生徒以下だ。

 背は低いし、失礼ながら女性としての身体の起伏も無い。栗色の髪の毛は手入れが面倒とばかりにいつもボサボサしていて、ホント適当に左右でまとめているだけ。残念なほどに女らしさのカケラも無い。ただし相当魔法を使うだけあって身体に精霊が通るから、ボサボサしていても髪の毛はピンと張り詰めて潤いがある。

 小さい顔の中にある大きなどんぐり眼も、彼女がよく使うだろう精霊の影響で左右の色が違う。一見してかわいらしい容姿の中で、その眼だけは魔女としてのミステリアスな雰囲気を持っているのだった。


「君のそんな力は一体何なのか……。そろそろ研究させてよ♪」

「だからお断りですってば」

「ケーチケチけちっ。そんなんじゃジュドウくん、女の子にモテないからねっ」


 俺に一番効く呪文を捨て台詞に、シモーヌさんは自分の席に向かっていった。

 ……ほんとその文句刺さるんで、やめてください……。

 そうやっている間にも続々と生徒たちがやってくる。広い食堂のテーブルが彼女たちで埋まる頃、いつも一番最後にミスリア学園長が姿を現す。「おはようございます」という挨拶を各テーブルで受け、奥定位置の先生たちが座るテーブルまで進む。


「皆、おはよう。それではいただこう」


 たまに長話が入るが、今日は挨拶だけだ。学園長の一言で統制の取れた「いただきます」があがり、食器とスプーンの伴奏で女の子たちの朝食が始まるのだった。


 朝食が終わると生徒たちはそれぞれの訓練に入る。俺は出て行く生徒を見送り、先生方から訓練中の雑務を授からない場合はそのままおばちゃんたちの後片付けを手伝う。今日はそれだった。

 片付けが終わり、早くも昼食の仕込みにかかるおばちゃんたちに手を振って、俺は次の仕事に出る。まあ……仕事というか散歩というか。

 校舎の校門側を表とすれば、反対側は裏。だからその裏側の庭は裏庭ってことになるんだけれど、実際にはこっちが校庭。表側は門から入って道を少し歩いたら校舎入り口、というくらいしか広さは無いが(それでも広い方だけど)、こちら側はまぁその何倍も広い敷地が丘の上を丸々使って広がっている。

 どのくらい広いかっていうと、観覧席付きの闘技場が普通にデンとあるくらい広い。生徒が思う存分戦闘訓練を行うのに充分な面積だ。

 それと並ぶようにして、隣には敷地内で一・二を争う景観の美しい噴水広場がある。精霊を調整したおかげで滾々と湧き出す井戸水はとても澄んでいて冷たく、訓練終わりの生徒が汗まみれの身体を軽く冷ましたり、喉を潤わせたりしている。敷地内の大事な水場でもある。

 闘技場のさらに奥、校舎から最も離れた所はちょっとした森になっており、訓練の場になったり生徒たちの気晴らし散策の場になったりしている。そして更に少し進むとようやくここが高い壁に囲まれているのを知る、といった感じだ。

 俺は水場の方に用があるのでそちらへ。各施設に向かう道はきちんと石畳で舗装され、脇には必ず花々が咲いていて、道行く人間を歓迎している。

 女の園で花の園。さぞかし完璧なこの世の楽園だと思うことだろう。


『きゃあああああああっ! あぁぁぁあァァッ!』

『バカ者がッ! 気を抜くなと毎度毎度何回言わせれば気が済むんだ!』


 ……闘技場から響く悲鳴&怒声が無ければね。

 それを耳にする度「ああ、ここは戦闘訓練所なんだな」と、周囲のほのぼのとしたメルヘン世界から現実に強制送還されることになる。この声の迫力はベルーチカ先生だな……。

 俺は三十ほどの水桶に水を汲み、それを全部荷車に乗せた。そして荷車を引いて、今から施設内のあちこちに水を届けるためブラブラするのだ。大きな街なんかでは水道が整備されているんだけれど、こういう田舎では水場に集まって水を汲むのが一般的だ。

 本当は精霊に通じてしまえば、大体の場所で空の桶に水を満たすことは出来る。荷車なんか自分で引かなくてもいい。だけど俺の求めてる「人間らしい生き方」ってそうじゃない。

 何と言うか、井戸から直接水を汲むこと、桶の重さを感じて運ぶこと、そういうモノが大切なんじゃないかなって思うし、何だかそういうことに幸せを感じてしまうんだ。水いっぱいの荷車を引いている姿に、「きゃぁ、すごーい! 力あるー!」って女の子に感心されるのも重要ですけどね!

 さて、まずは隣の闘技場に寄ろう。訓練中は大体にして水が必要だし、いつもこの時間になると桶がいくつか空になっている。

 そうやって闘技場の入り口に近づくと、丁度中から空の水桶を持って出てくる生徒がいた。


「あっ、丁度良かったね。水桶交換するよ」


 そう言って呼び止めたものの、土で真っ黒に汚れた訓練着を着た小さな女の子は、両手に持った四つの空桶をしばらく眺め、


「いえ、いいです。これも……訓練なので。ありがとうございますっ」


 と一言、ぺこりとしたお辞儀と共に残すと、タッタカ走って行ってしまった。

 ……。

 実は彼女とのこのやり取り、初めてではない。この二ヶ月で何度かやっていることだ。あの子は水汲み当番だったりするのだろうか。

 俺はそんな彼女の後姿を一瞥して、次の目的地まで荷車を引くのだった。


 厨房に水を届け、途中の花々に水をやりながら校舎へ。各所に設置された水瓶に水を足し終えると用意した桶は大体空になっていて、お昼の鐘を鳴らす頃合にもなっている。うむ、今日も時間配分はバッチリだな。

 鐘塔に登って晴天の中、鐘を一突き。朝とは違ったメロディーが広く敷地に響き渡り、午前中が終わったことを知らせる。この鐘が無いと訓練は容赦無く続くことから、ちょっとでも鳴らすがの遅れると生徒に睨まれてしまう。こんなことでも好感度に関わってくるのでたかが鐘突きと侮るなかれだ。経験者談!

 鐘塔を降りてくると、丁度教室で授業を受けていた生徒の集団と遭遇した。お互い挨拶を軽く交わし、彼女たちは寮の方へ、俺は中庭の方へと別れる。

 中庭の方、つまり学園長室という名の家がある所にも、特権というか何というかで専用の水場がある。お昼はこの中庭の花たちに水をやるのが俺のスケジュールだ。

 お昼の休憩時間はかなり自由なので、食堂で昼食を取るにしても朝のような厳かな雰囲気は無い。訓練から開放された生徒たちが小鳥の巣のようにきゃあきゃあしている空間は、正直男の俺としてはちょっと居心地悪いモノを感じる。女の子だらけの空間って一口に言っても、決して男にとって楽園では無い部分だってあるのだ。男女の境って難しい。そう考えるとカチューンはよく男だらけの戦場で俺たちと和気藹々やってこれたな……。

 とにかく午後の鐘を鳴らすまで、俺は自分にエサを与えずこうして中庭の花園にエサを与えて過ごす。天気がいい時はとても気持ちいいんだよな。大体にしてこうやって「キレイだな」と感じながら花を見ることも、この学園に来てからの感情だと言っていい。それほど勇者の毎日は現実とかけ離れていたってことを、つくづく思い知らされる。

 そんな小さな幸せを噛み締めていると、先ほど別れたと思っていた女子の喧騒が再び中庭に聞こえてきた。


「あら、お疲れ様です」


 彼女の声を号令としたように、「お疲れ様でーす」と周囲の数人もそれに合わせる。


「どうも、ガーネラゼルフさん。もしかして中庭でお食事ですか?」

「ええ。今日は外が清々しいもので」


 こんな軽い応対をしている中でも、彼女は声も背筋もピシっと伸びており、どことない「他とは違う感」を雰囲気にかもし出している。俺も自然と敬語になるし。

 その彼女は俺が学園に来て一番最初に名前を覚えた生徒――

 ミルル・フォン・ガーネラゼルフ。

 アムウルゼン・オーレアン州候を務める、大貴族ガーネラゼルフ候の一人娘だ。ちなみに本人は「ミルル」という名前がどうにも気に入らないらしく、名前呼びすると怒られる。当然怒られた経験者の談というやつだ。

 分からないでもない。ミルルというかわいらしい響きとは裏腹に、彼女は背が高く十四歳という少女にして既に成人しているような大人びた空気を持つ子だ。

 見るからに位が高そうな豪奢で長い白金髪を貴族独特の縦巻きにして、「育ちの良い何処かの御令嬢」という身分を隠せない顔立ちは、常に厳しさと美しさが同居している。

 剣を使っては学園五本の指に入り、魔法に至っては最優秀。文武両道にて眉目秀麗、家柄も気高き品格も折り紙つき。こんな子だ、俺が言う「他とは違う感」というのが否応なしに彼女の周りに出るのは当たり前だと思う。だから彼女は誰が言うとも無しに学園生徒が一目置く存在、全生徒のリーダーになっていた。それが「ミルルちゃん」だと……ね。

 ちなみに言うと。

 初日に「ミルルちゃん」と呼んで機嫌を損ねてしまったおかげで、俺は彼女が苦手だ。

 ついでに言うと彼女の父親ガーネラゼルフ候とは面識がある。というか一時期戦場で一緒に戦った仲だ。ガーネラゼルフ家には訪れたことが無かったのでミルルとは初対面だが、あまり彼女に深入りすると父親経由で俺の素性がバレてしまう可能性がある。そういう点でも何となく近寄りたくない子になっていた。

 というかガーネラゼルフ候、轡を並べていた当時は『ミルルというとっても優しく天使のようにかわいい娘がいてな』なんてものすごく自慢していましたけれど……なんか聞いた印象と全然違いませんかこれ……?


「何です? 私の顔に何か?」


 キツイ眼でいきなり睨まれてしまった。ほらぁ、何処が優しい天使なんですかぁ!


「あっ……いえ。そうだ、学園長室がすぐそこなんでお茶でも用意しましょうか?」

「え? まぁ、意外と気が利くのね。お願いするわ。全員分ね」


 お嬢様の雷を避けるため咄嗟に媚を売ってしまったが、なかなか高く買ってくれた。学園生徒全員に影響力のあるミルルだし、近寄りたくないけど好感度は上げておいて損は無い。

 俺だって人並みな平和にただ溺れているわけではない。人間関係、とりわけ男女間について日々色々と勉強しているのだ。

 学園長室のキッチンでお茶の準備をする。女の子はティータイムが大好き。だから予習実習はバッチリだ。

 ちゃっちゃか用意して丁度彼女たちの食後に合わせて出す。ミスリアはハッキリ言って味音痴もいいところなので参考にはならないが、この二ヶ月間学園の先生相手に少しずつ練習して「お茶入れるの上手くなったな」と言われるまでになった俺の実力を味わうがいい!

 ――。

 ――「ありがとう」と最初に言われただけで、特に感想も無かった……。

 まあ機嫌を損ねなかっただけでもいいか、と思いつつ、花に水をやる作業へと向いた俺の背に、今まで学友に向けられていたミルルの御声がかかった。


「せっかくですわ。ジュドウ、貴方に聞きたいことがあるの」


 いきなりの呼び捨てだが貴族ってのはそんなもの。俺のやってることがやってること故、主人と召使いの間柄的な距離感なんだろう。だがこれでも貴族にしてはずっと庶民に親しい方。俺が見てきた大貴族のほとんどは、こういう下々の者に声すらかけないからね。


「なんでしょう?」

「学園長に尋ねるのも何だか回りくどい気がしたので、直接貴方に聞こうと思って。どうして貴方、このミスリア女学園に来たのかしら?」

「はぁ……。悪魔との戦いに巻き込まれて家族を亡くし、唯一の縁者であるミスリアを頼るしかなかったからです」

「ふぅん。よく学園長が許したものね。まあ血縁の頼みは断れないか……」


 スラスラっと嘘まみれの答えが出てきたのは、いずれ聞かれるだろう質問だと分かっていたから。前々から舌先に用意していたモノだ。


「そうだわ、折角だから貴方に聞いてしまおうかしら。ミスリア学園長って、普段はどんな方なの? 私たち生徒からすると、余りにも謎すぎてよく分からないの。立派な方だというのは分かるのですけど」

「ミスリア? えっと……」


 学園長室で繰り広げられる俺とのやりとりを暴露したい気持ちになったが、耐えよう。相手も痛いが俺も相当痛いだろうし。


「見たままですよ。厳格ですけど基本的には優しい人です」


 それに何処かで精霊を通じて聴いているに違いないから、滅多なことは言えないし。だったらこうして持ち上げてやろう。


「それから常識に囚われない人ですね。人間社会の価値観ではなく、もっと広い眼で物を考える人です。だから色々誤解されたり理解されなかったりすることはありますが、ミスリアの考えは最終的に正しいことが多いです」

「それは確かにそう思うわ。そうでなくてはこのような施設を作って女性を戦士に育てようとは思わない。率直に言ってジュドウ、貴方は女が戦場に出ることをどう思って?」

「女戦士ですか? いや……俺は男であれ女であれ、それができる能力を持っているならば持っている者がやるべきだ、と思ってますよ。才能が無い男を無理矢理戦場に駆り出すより、才能のある女が戦った方が、救われる命も多いと思いますし」


 これは別に嘘でもなんでもなく、常から俺が思っていることだ。カチューンと共に戦ってから余計そう感じる。

 俺がそう言ったら、明らかにミルルの瞳が違う輝きを見せた。


「……その通りよジュドウ! さすがに貴方も学園長の従兄弟ね。なかなかの見識をお持ちだわ。

 我がガーネラゼルフ家の家訓、【持つ者の義務ノブレス・オブリージュ】とは何も我が家、貴族だけに与えられたものではない。人間一人一人に課された言葉だと思うの。

 男であれ女であれ、貴族であれ平民であれ、人間であれエルフであれ、そういう差は社会にとって築かれるべき壁ではないように思える。

 各々が持ちうる力を存分に、持たない者の為に使う。そういう社会こそ理想であると思わないかしら? 

 今こうしてミスリア女学園が戦士世界に投じた一石は、その理想の社会が本当に成るかの試金石だと私は思っているの!」


 突然の演説が始まって、まるで己に後光が差しているかのようなポーズでキメたミルルに、周囲の生徒がわぁっと沸く。

 ……うん、そういえば君のお父さんもそんな感じのノリだったよ……。


「――おっ、盛り上がってるじゃない。なになに? 何の話?」


 そしてこの中庭に新たなお客さんがやって来た。

 ミスリア学園長は規格外なので置いといて、この学園で一番大きい子だからそれだけでこの子も目立つ。

 長い足にちょっと筋肉質な体つき。健康的に焼けた肌。逆立つような短い赤毛は常に燃えているかのよう。どこかで「これは私のトレードマークだ」と聞いたことがあったような。

 どことなく髪の短いカチューンを思わせるその子はやっぱり剣士で、騎士の家柄の子だった気がする。名をアザリカ・ベルチと言って、学園剣士一の腕前と評判が高い。……この辺の情報は全部また聞きなんだけどね。


「あらアザリカ。お一人でどうしたの」


 ミルルがそう言ったのでやっぱりアザリカで間違いなかった。よしよし、顔と名前が一致し始めている……というか、さすがに学園トップクラスの戦士は覚えておかなきゃダメだよな。


「お壌を探してたんだよ。それより何か力説してたけど、何? 『運命の子』絡みの何か?」


 アザリカが口にした「運命の子」という単語を聞いて、少しミルルが眉を寄せたのが分かった。


「……いいえ。直接それに絡んだ話ではありませんが、ノブレス・オブリージュの精神についてそこのジュドウと意見が合いましたので語っていたところです」


 何だかそういうことになったらしい。アザリカがちらりと俺に視線を寄越したが、すぐにミルルに戻した。


「それでアザリカ。私に何の御用?」

「ああ、あたしはその『運命の子』絡みの話さ。……なぁお壌。ホントに《アイツ》何とかならないのか? 同じ運命の子だろ?」


 この場の精霊によくない悪意が溜まるのを感じる。どうやら彼女の言う『運命の子』というのは周囲の人間に悪影響を与える言葉のようだ。

 実際ミルルも更に顔を険しくして、半ば睨むようにアザリカの声を聞いていた。


「確かに私は運命の子です。ですがそれは彼女と関係ありません。メイジア聖教の信徒でもありませんし「運命の子」の定義が何であるか分からない以上、どうにもなりませんわ」

「どうにもならないなら、せめてどうにもならないで欲しいんだよね。あたしらさぁ、タダでさえ世間に叛逆して生きてんだ。認めさせなきゃならないんだよ。成功して当たり前、失敗したら「やっぱ女が戦士なんてやるもんじゃないんだよ」って風当たりが強くなるばかりだろ? だから学園にいるみんなは、戦士として戦える実力を学園長に認められ、集められた奴らばっかりなんじゃないか。なのに――何なんだ、アイツはホント?」

「それは私だってそう思っています。しかし学園長が――」

「本音を聞きたいんだよ本音を。お壌、アイツに戦士なんてムリだ。才能なんかこれっぽっちも無い。アイツが足を引っ張って、運命の子って名前はおろか女戦士全員の名誉を汚すことがあっていいのか?」

「……」


 ミルルは黙って返事を飲み込んだ。

 うーん……こうやってアザリカみたいに悪意を外に出してくれれば精霊浄化できるけど、内に溜め込まれるとこちらとしてはどうにも出来ないんだよな……。

 学園文武のトップが話している内容は、どうも色々根が深いらしい。女戦士として学園の生徒は全員同じ目標に向かって団結していると思いきや、だ。  

 やっぱり遠目から見ているだけじゃダメだな。こうして生徒の輪の中に入っていかなきゃ、分からないこともある。人の心の中に精霊で通じることは出来ないからね……。


「仲間外れにしたいワケじゃないんだ。どうやっても戦士になれないなら、戦わない生き方を選べばいいだけなのに。

 それをアイツは分かってない。なんでこんなに戦士にこだわるんだ? それが他のアタシらに迷惑だってこと、アイツは分かってないんだよ。

 なぁお壌、あんたも同じ立場の人間として分からせてくれよ」

「私とあの子を一緒にしないでくれます!?

 私は……「名」を背負うだけの能力と覚悟を証明してここにおります。何も持たず、何も証明しないあの子とは違いますから!」


 ……悪意の精霊をそことなく散らす作業で忘れてた。そろそろ午後の訓練の鐘を鳴らす時間じゃないか。


「えーと……そんなところにしておかないか? そろそろ午後の鐘を鳴らすよ」


 俺の言葉に全員が振り向く。場の精霊は静かに元の空気を構成し始めた。


「……ごめんなさいね、ジュドウ。少し不快な話を聞かせてしまったわ。忘れてくれると助かります」


 意外と気遣いの出来る貴族令嬢が、そう言って複雑そうに笑みを浮かべた。

 多分俺の耳に入るってコトは、ミスリアの耳に入るってコトだと思ったのだろう。だがきっとミスリアはこの話を既に知っているはずだ。

【運命の子】……か。

 俺も勇者時代どこかでこの単語を聞いた気がするんだけれど……。忘れちゃったな。


「紅茶、美味しかったですわ。また機会がありましたら」


 思い出そうとしたけれど唐突に欲しかったお茶の感想を貰えたので、その嬉しさで俺の頭から今の話はしばらく抜け落ちたのだった。 


 午後の鐘を鳴らして食堂へ。

 俺が入ると、入れ違いにパンを口に咥えて大急ぎで出て行く女の子がいた。訓練に遅れるなよー……って、あの子は例の水汲み当番の子じゃないか。

 なんか至る所でちょこちょこ見かけるんだよな、あの子。忙しい子なのかな?

 ミルルのような一見して分かる雰囲気も無ければ、アザリカやミスリアのような目立つ体格でもない。シモーヌ先生のような逆でもない。

 いたーって普通の子、なんだよな。街娘ーとか村娘ーとか。

 学園にいて分かることだけれど、やっぱりここの女の子は戦士を目指しているだけあって皆どこかしら戦士特有の雰囲気を持っているから、逆に無いことが目立つのかな。無意識に精霊で嗅ぎ分けてしまうから、ほぼ「無臭」の子はそこで記憶に残ってしまうのだろうか。

 あの子、名前なんて言ったっけかな……?

 そんなコトを考えつつ遅い昼食を取ろうとした時、


「いらっしゃいましたね。ジュドウくん」


 と、食堂の入り口から声をかけられてしまった。

 朝はお声がかからなかったが、先生方が訓練で何か人手が欲しい時、こうして俺にお呼びがかかる。

 今俺に声をかけたのは武術の先生で、キクミさんという。

 当然年齢は聞いていないが、ミスリアやシモーヌ先生とは違って見た目通りの若い大人の女性だと思われる。

 彼女はアムウルゼンではなく、パンゲアム東の島国・ジパングの人だ。長い黒髪、細く切れ長の黒い瞳、低めの鼻、全体的に細身の体系。これらはジパング人の典型的な特徴で、無論キクミ先生にも当てはまっていた。

 物静かで歩くときですら音を立てない。風の精霊に愛されている証拠だ。そんな特性を活かしてなのか、彼女の武術は炎よりも風を重視する……って言っても、伝わり辛いかな。

 とりあえず変人の多い学園講師陣の中で一番社会的常識がある、と生徒専らの評。他国の人間でその評価を得られるのはキクミ先生が優秀なのか、他の先生が奔放すぎるのか……。


「午後の訓練、少し頼まれてくれます?」

「はい、分かりました」


 内容は知らないけれど、基本的に雑務というものは「何でもやる」ということだ。なのでそれを仕事にしている俺は、頼まれたら「はい」か「イエス」で答えるしかない。


「助かります。では一緒に訓練場まで行きましょう」


 キクミさんの優しく花のような微笑みは俺の癒し。食堂のおばちゃんにパンを取っておいてもらって、俺は彼女の後ろについて闘技場まで向かった。


 学園の訓練……授業と言った方がいいかな。授業は主に実践と座学に別れていて、四人の先生が午前と午後を日替わりでそれぞれ受け持つ。

 体術・武術担当のキクミ先生。

 武器学担当のベルーチカ先生。

 魔法担当のシモーヌ先生。

 生存学担当のカチュア先生。

 生徒たちはこの四人の先生の授業を各々の時間割で受けている。そして四人から「大体一人前になったな」と評価を受けたら、ワンランク上の実践訓練として学園を離れ、世界を廻って実際の戦士として仕事を受けて訓練するそうだ。

 その実践担当の先生がアニュー先生とマリアンヌ先生で、現在マスタークラスになった生徒を連れて旅に出ているとのこと。

 つまり学園で訓練している生徒は、まだまだ戦いの場には出られない雛鳥ってワケだ。


「はい、みなさん集まってください」


 キクミ先生の声に、各々準備運動していた生徒たちが集まってくる。人数は二十人程度。大体全生徒はこの人数単位で一クラスを構成し、授業を受けている感じだ。

 全員の視線が俺に注がれる。……やっぱりまだ女の子の目は緊張するなぁ。

 っていうか生徒の訓練着って、汗を吸いやすい薄い生地で動きやすさ重視の軽装だから、肌が、特に足なんかは太ももから先がドバーっと出てて、汗を吸おうものならうっすらその下の胸とか透けたりして身体にぴっちりして、なんかもう、こっちが恥ずかしくなって緊張するんだよなぁえへへへ。

 ってあまり観察すると即座に「変態!」と呼ばれ、ちまちま上げたみんなの好感度がガタ落ちするので視線は慎重に選ばないといけない。ただでさえメガネをかけているから精霊を感知し辛くなっているし、嫌悪の精霊には充分気を配らねば……。

 生徒の中に、さっきまで会っていたミルルやアザリカたちの姿もあった。


「さて、本日はより実践的な対人術を訓練します。みなさんは実際に戦場に出ることとなるのですが、その戦場で最も気をつけねばならない脅威とは――実は、男なのです」


 ざわっ、と全員がささめき、そして俺を見る。

 ……いやその……俺は何も悪くないんですけど……?


「知っての通り、戦士の世界はこれまで女子不可侵とされてきました。みなさんはそんな意味の無い風潮を切り払う尖兵となるのです。つまり戦士としてまず最初に戦うべき相手は、そんな男社会という形の無いモノになるはずです」

「みなさんが一人前の戦士として戦う時、必ず男の戦士たちと共に戦うこととなるでしょう。その時この形の無い敵は、容赦無く襲い掛かってきます。中傷や誹謗は勿論ですが、中には私たちの貞操を狙って乱暴を働く愚かな者もおります」


 ……ますます生徒の視線に嫌悪の精霊が宿って俺を射抜くんですけど……。

 俺は違うよ! 違うからね! 


「その時、みなさんは彼らを納得させる実力を証明せねばなりません。嘲りを覆す、乱暴に屈しないための力が必要なのです。それゆえの対人戦闘訓練です。この訓練は相手を殺傷する目的の物ではありません。男を屈服させる技術だと覚えてくださいね」


 にこり、と〆たキクミ先生に、全員が「はい」と気合の乗った声をあげる。

 女戦士はこんな準備もしなきゃいけないのか。大変だなぁ……。もしかしたらカチューンも俺の知らないところでそんな戦いをしていた……んだろうな。

 よくよく考えると彼女は世界で唯一の勇者となったのだから、戦士世界からの嫉妬の風当たりは物凄く強いだろう。本当にカチューンにとって最大の敵は「男」なのかもしれない。俺の前では微塵もそんな気配を出さなかったが、内心では強烈な覚悟が必要だったんじゃないか? ……。

 考えすぎかなぁ? アイツ、精霊配合的に思慮スッカスカで適当だからなぁ。


「ではジュドウくん」


 カチューンのことを考えていてボーッとしてしまった。いけないいけない、今は雑用係の仕事に専念しなければ。


「あっ、はい!」

「私に襲い掛かってきてください。こう、押し倒して乱暴するような形でお願いします」


 しれっととんでもない要求をするキクミ先生。思わず「いいんですね!?」と念を押すところだった。分かってます分かってます、訓練の手伝いって技の実験台か……。


「分かりました。ゆっくりやればいいですか?」

「いえ、本気で構いませんよ。うふふ、本当に乱暴されても事故ということにしますから、ご安心を」


 ……こっちが赤面するようなことを……。言っておくけど本気で襲い掛かったら本当に乱暴されちゃうんですが。キクミ先生がいくら一級の戦士とはいえ、それはあくまで戦士レベルでの話。その上にいた勇者ですから……俺。


「わかりました。……では」


 こういうの、加減が難しいなぁ……。このレベルの力加減って、どのくらい精霊を制御すればいいんだろう? ……ええい、ままよっ。

 俺とキクミ先生が対峙し、生徒は完全に俺を敵と見なして行く末を見守る。

 キクミ先生は自然体だ。普通に立っている。と見せかけて、彼女の意識の精霊は見事なバランスで周囲に廻らされている。間合いに入ったら普通の人間では反応できない速度で彼女の先手を受けるだろう。こういうの精霊に通じてない人が教えたり会得したりするのって、どうやってるんだろうね……?

 まあいいや、これだったらそんなにこちらの能力を落とさなくても大丈夫だろう。

 俺はそう判断して、普通に彼女のを肩を掴み、足を払って転倒させた。

 あれ、なんかビックリしてるな。キクミ先生も生徒たちも。そういう……段取りじゃなかったっけ? 押し倒すんだよね?

 ええと……動きを封じればいいのか? どうしよう? 馬乗りになるのが一般的か?

 そう思っていたら、彼女の意識が俺の股間に突き刺さった。

 ああ、金的を狙おうっていうのか。まあそうだよな、男ならそれが一番効くしな……っていうかひでえ攻撃ですってば!

 彼女の膝を右手で受け止め、その間色々と先に展開する彼女の動きの先を封じつつ、馬乗りに。

 えーと、ここからどうすれば……あっ。

 メガネで分かり辛かったけど、ここまで接近してようやくキクミ先生が混乱していることが精霊を通じて分かった。

 すげえ焦ってる。……あっ、そっか! 馬乗りになっちゃマズイんだ、その前に撃退する流れだったんだ! しまったどうしよう!

 仕方ない、多少露骨だけど隙を作ろう。ホラ、ここ空いてますよ。空いてますよー。

 必死のキクミ先生はすぐに気付いてくれた。右脇に肩を入れて身体を返し、俺のバランスを上手く崩して(というか俺がバランスを上手く崩して)馬乗りから逃れる。

 両者立ち上がってもう一度対峙。

 すると、わぁぁぁっ! という歓声が生徒たちからあがった。

 うむ、キクミ先生頑張れ。もうちょい、力を落とそうかな……?

 そう思って正面を見ると、明らかに彼女の顔つきが変わっていた。

 彼女から発される意識の精霊は完全に敵意。打倒の意思。暖かい甘みの精霊が消えて全然違うものとなっている。周囲に展開する反応空間も倍の密度に広がっている。

 う。俺の見通し甘かったのかな。どの程度が先生のレベルなんだろう。

 仕方ない、彼女の一撃を素直に受けよう。

 もう一度、俺はキクミ先生が展開する戦闘結界に足を踏み入れる。

 右から肘が飛んでくる。でもこれはフェイント。足を払うのが狙いっぽい。

 どうするか。肘をもらっちゃえばいいのか? でもそれは彼女の本当の狙いじゃない感じだし……。

 肘を避けた。その回転力で彼女の足は俺と地面を繋ぐ接点を刈る。よし、刈られよう。

 背中から地面に落ちる。そして……どう来る?

 精霊が淀みなく流れる彼女のフィニッシュは俺の体の真ん中三点、喉・鳩尾・金的を捉えているようだ。えげつない三連撃すぎる。んー、どうしよう。

 仕方ない、全部食らおう。衝撃は体内の精霊で中和する。でもしれっとしてはいけない、これは彼女の必殺なのだから。相手に手応えを与えつつ、こっちも防御しなくては……。

 ドンドンドンと、いいリズムで彼女の拳が俺を打った。

 これ、普通の人間だったらしばらく立てないな。どのくらい死んだフリをしてればいいんだろう。難しいな……。

 そんなことを考えて目を瞑っていたら、急に周囲の精霊結界が弾け、何だかあわあわした雰囲気が満ち始めた。


「い……いけない! ちょっと! ジュドウくん? ジュドウくん!」


 生徒たちにも不安が広がり、俺はキクミ先生に抱きかかえられてユサユサと揺さぶられる。 うー、どうするんだこれ。

 心配かけてしまった。でもあの攻撃を食らったら、「もう大丈夫です」って今すぐ眼を覚ますのも何だか変な気がする。中和した攻撃の精霊具合から見て、どう楽に見積もっても夕方くらいまで意識は戻らない寸法だ。キクミ先生のためを思えば、ここは死んだフリに徹した方がいいだろう。


「シモーヌ……は授業中ね、マテリア! マテリアはいます!?」

「はい先生、ここに」

「よかった、頼みます。少々致命傷を与えてしまいました」


 少々致命傷って……だいぶ混乱してるなキクミ先生。

 ざわざわしている生徒の中から、一人毛色の違う気配が出てきて俺の傍らに座った。

 額に置かれた手の平からは、癒しの精霊が既にその準備を始めている。暖かい。

 彼女、ヒーラー……シスターかな。


『祈ります光よ。祈ります安寧よ。天使・平和・精霊の癒しをかの者に与えたまえ。願うは父の僕、精霊の子供、マテリアの祈りに、応えたまえ……』


 お、すごい。

 祈りの言葉はそれほど精霊の配列に影響していないけれど、彼女自身の内部でちゃんと変換された精霊が的確なヒーリング作用になっている。精霊に通じているレベルと遜色ないかも。 

 彼女、かなり優秀なヒーラーだぞ。こんな子もいたんだ……。

 そう思いつつ、これだったら眼くらい開けても構わないだろうと思って眼を開ける。

 ついでに死んだフリ用に閉じていた精霊気配も少し戻しておこう。


「よかった、大丈夫ですかジュドウくん?」


 ホッとした表情でキクミ先生が胸を撫で下ろす。もう先ほど対峙した時の雰囲気は微塵も無いし、死んだフリがバレた様子も無かった。俺がホッとした。


「……えーと……なんとか……」


 どう言っていいか分からないのでお茶を濁しておくと、傍らの少女が「大丈夫そうですね」と俺の顔を覗きこんで微笑んだ。

 キラキラの金髪が揺れて、頬に差した赤みが気持ちを暖かくしてくれる。なんだか……身体が全部羽毛などのふわふわ素材で出来ていそうな、とても戦士として戦うのが想像できないようなかわいい女の子だった。

 あ、そうか、想像できなくて当然だ。この子シスターだっけ……。


「大丈夫。ヒーリング、効いたよ。もう大丈夫だよ」


 近い距離で彼女に上から覗かれているのが恥ずかしくなってしまって、俺は思わず立ち上がってしまった。


「ん……。ジュドウくん、意外に回復力もありますのね。やはりちょっと……あなた何か武術の心得があったりします? さっきの動き、とても素人とは思えないのですが」


 げ、やばい。キクミ先生が訝しげに見てる。


「いや、そんなことは……うっ、まだ眩暈が」


 自分でもちょっとわざとらしいと思ったが、よろけてみせる。

 するとさっきの女の子が「あっ、危ないです」と言って身体を寄せ、俺を後ろから抱きとめるように支えてくれた。

 おう……背中に……すごい柔らかいふよふよが……っ!


「ふむ……。マテリア、彼を医務室まで連れて行ってしばらく様子を見てあげてください」

「分かりました、先生」


 俺の背中でそんなやり取りがあり、背中にくっついていたマテリアは俺の横に回って肩を担ぐ姿勢を取る。


「歩けますか? 医務室まで参りましょう」


 本当はピンピンしている。しかしキクミ先生の見ている前だし、そんな姿を晒すワケにはいかない。決して甘い匂いのする彼女とこうやってずっと密着していたいからじゃない。そうじゃない、そうじゃないんだからねっ!

 ちょっとまだ足元をよたつかせて、俺は背中に様々な視線が刺さるのを感じながらマテリアの肩を借り、闘技場を後にした。


 戦士たるもの、怪我は避けて通れない障害。男は傷を作ったら勲章などと喜ぶ輩もいるけれど、さすがに女の子がそうはいかないだろう。

 あのカチューンでさえ「乙女の柔肌が! ジュドウ治してぇ!」と戦闘毎に気にしていたのだから。

 なので、当然ミスリア女学園の医務室は高いレベルで設備が整っている。薬は一級の魔法使いが二人(ミスリアを入れる)もいるのだから、戦場で喉から手が出るほど需要のある即効性ヒーリングポーションが毎日量産されている。

 ミスリアが整備した学園の精霊空間では傷の治りも早いし悪化することも無い。病気にもならない。

 おまけに即戦力級のヒーラーが生徒にもいるのだから、ミスリア女学園内で病気や外傷で命を落とすことなど絶対無いと言いきれよう。まぁ、こんな温室で育てられたら外に出た時どうするんだ? とは思うけれど……あっ、だからマスタークラスは外で行うのか。なるほど。

 とにかく、俺は風がそよぐ室内の清潔なベッドに寝かされ、マテリアのヒーリングを必要ないんだけれど受けた。これ、そこそこ術者の身体に負担がかかるので余計に申し訳ない。

 それにしても……。

 眼を瞑り、右手を俺の胸に置いて祈る彼女の姿は、なんか見ているだけで癒される。

 ふわふわの金髪巻き毛。白い肌にはうっすらと桃色の温かみがあり、全体的に透き通った感じの印象なのに太陽のような眩しさと陽光のぽかぽかした優しさがある。

 シスターは大体が皆、人に優しい温和な女性たちなのだが(ちなみに神父はどちらかというと厳格さの方が立つ)彼女は少し……別格な気がする。

 俺は精霊を通じて世界の何たるかを知っている身だから「宗教」というモノをあまり感じない人間だ。それでも宗教的にしっくりくる言葉を彼女から感じる。

『天使』。

 目の前の女の子こそ、天使と言われて「ああ」と納得できるような精霊を、身体に宿している存在だと思えた。

 それから……ついつい目が行ってしまう胸。なんというかミスリアの暴力的に大きいそれではなく、ぽよんとした優しい丸みというか……。大きいんだけれど、なんかこう、そんなにエッチな感じではないというか……そう癒し癒し。押し付けられた時の感触を思い出すだけでぽかぽかしてくるような……。


「……どうしましたか?」

「ぉわぁ! いえ! 別になにもやましいコトなどっ!? 癒しですから!」


 神聖な想いに耽っていたら、いつの間にか彼女の祈りは終わっていたようだ。

 マテリア・サロン。

 訓練着の胸に名前が書いてある。そう、俺は彼女の名前を改めて確認していたのだ!


「ありがとう、マテリアさん」

「いいえ。私は当然のことをしているだけです」


 にっこりと微笑む。

 ……うん。

 かわいい!

 ああ……こんな子と恋人同士になれたら……なぁ。

 彼女の微笑みには人を惹きつける精霊が宿っている。それに飲まれていたい。

 でもシスターって大体は誰にでも優しいんだよね。彼女たちの発する愛は恋愛の愛じゃなく親愛の愛なんだから。

 そして神に仕えているから、神が成立しない精霊の世界には同調しかねるんだよね……。勇者時代に会ってきたシスターは皆そうだった。あんまり幸せになれる気がしないんだ、俺とシスターの組み合わせって……。

 う、いかん。ちょっと気持ちが落ち込んできた。

 いやいやいや。今の俺はもう勇者じゃない。そんなトコまで気を回さなくてもいいハズなんだ。凹むな俺の恋愛脳……!


「あら、お加減がまだ回復されてないお顔ですけど……他に気分の悪いところはありませんか? 遠慮なく申してくださいね」

「あ……いえ、これは違います。平気ですハハハ」

「そうですか? ジュドウさん、聖書にはこんなお言葉があります。『左の頬を抓られたら、右の頬も抓られなさい』と」

「はぁ」

「助けを必要とする者は遠慮なさらないで、ということです。さぁ、どうぞ」


 唐突にずいっと俺の前に顔を、というか横顔の頬を差し出すマテリア。

 ……なんだこれ?


「さぁ」


 とんとん、と自らの左頬を指で叩いている。これは……抓れってことなの?

 状況の不思議さを理解したワケじゃないけれど、彼女の柔らかいに違いない頬に触りたい欲求が強かったので、俺は(多分)言われた通り彼女の頬を「ぷにっ」とつまんだ。

 うむ。柔らか気持ちいい。


「さぁ」


 当然と言わんばかりに、彼女は顔を返して反対側の頬も俺に向ける。

 ぷにっ。

 うむうむ。左右で柔らかさが違うなんてことは無かった。

 俺が満足していると、彼女も満足げに頷いて顔を正面に戻した。


「どうです。お分かりいただけましたか」


 ……。

 えっ……? 何が……?

 お分かりいただけてないんだが、「良いことを言いました」とばかりの表情で微笑むマテリアを見ていると、とてもそう正直に答えることは出来ない。

 とりあえず感を隠さないまま「はい」と返事をしてしまったけれど、彼女はそれでも我が意を得たりと天使のスマイルを輝かせるのだった。

 ……何だか……実は変な子なのかな。

 さっきまで天使だと感じていた雰囲気が、今ので天然の変な子オーラに感じてくる。それでも天使には違いないんだけれど……。

 仮病人が癒しの天使とそんなやり取りをしていると、医務室に一人の生徒が明らかに本物の怪我をして、とぼとぼと入ってきた。


「あっ……」


 俺たちが部屋にいたことに気付かないほど消耗していたのか、扉を開けてポーション棚の前でため息をついてから、彼女はようやくこちらに顔を向けた。

 あ……この子は水汲み当番の……。


「エフィリー」


 マテリアが彼女をそう呼んだ。そうか、エフィリーって名前なのか。


「どうしたの……? 今は魔法学の授業ですよね」

「うん……えへへ、ちょっと魔法で……怪我しちゃって」

「失敗したのですか? それともまた……」

「ち、違うよっ、ちゃんと失敗したの。失敗しちゃったんだよ。あたし、魔法はまだまだ勉強不足だから……え、えへへ……」


『ちゃんと失敗した』ってどういう意味だそれ。

 しかしながら訓練の事故率が一番高いのは魔法だ。そもそも呪文(スペリング)という人間が編み出した精霊の制御法は、本当の正解を知っている俺から見るとかなり無駄で危うい。正しい呪文を唱えたとしても、発動するかどうかは術者の精霊制御にかかっているし周囲の環境でも全く違う。人間はそれを理解できないまま手探りで精霊の奇跡を発動させるのだから、こういう事故は当たり前に起こるものなのだ。

 エフィリーの右腕は焼けていた。普通だったら痕も残る重傷レベルである。相当痛みもあるだろう。現に彼女のまだ幼い影を残す顔には脂汗が浮いており、心配かけさせまいと作る歪な笑顔が余計に痛々しいほどだ。

 当然魔法のポーションでしっかり治るが、そこはマテリアが腰を浮かせて彼女をこちらに引っ張ってきた。

 仮病で俺がベッドを占領するのはさすがに悪い。ベッドを降りようとする俺にマテリアが心配そうな顔で「ジュドウさんはまだ寝てないと」と言ってくれたが、大丈夫だと返事をしてエフィリーを座らせた。

 マテリアはそれほど大きくない(胸は大きい)女の子だけれど、エフィリーは彼女の頭半分さらに小さい。こんな子が戦士の訓練を受けているなんて……と心配するくらいに、彼女はどこからどう見てもやはり「普通の女の子」だった。

 マテリアがエフィリーの傷に手を当て、祈りを紡ぐ。淡い暖かさを持った精霊が彼女の傷を優しく撫で、元のあるべき姿に戻そうと働いているのが分かった。

 俺も手伝ってやりたいが……ここはマテリアにまかせよう。

 治療されているエフィリーがさらに小さく見える。何か心の内によくない精霊を溜めているのかもしれないな……。


「ジュドウさん」

「あ、はい?」

「エフィリーの焼けた服を取り替えるので……その……」

「あっ、はい! すみません!」


 そう言われてしまっては退散するしかない。何だかすごく犯罪的な気分を感じてしまったので、俺は文字通り逃げるように医務室を飛び出した。

 その背中に「あっ……後ろ向いててくださいって……ジュドウさーん、もう大丈夫なのですかー?」と声が追いかけてきたが、大体いいように丸く収めたしもう付き合う必要はないだろう。

 俺は残してきたパンを思い出し、夕食の仕込みを手伝う仕事もあるということで、そのまま食堂に足を向けたのだった。


 夕食も朝食と同じように生徒教師全員揃っていただく。

 一日の訓練が終わり、昼とは違った開放感でいつも食事は和やか且つ華やかだ。先生たちも生徒に混ざって談笑したりと、朝にあった慎ましやかな空気は無い。

 俺はそんなみんなの姿を眺めながら、厨房のおばちゃんたちの世間話に混ざって食事をするのがスタイルになっていた。

 世間話と言っても俺はおばちゃんたちの話を一方的に聞くだけなんだけれど、学園の外の情報を仕入れるのにはもってこい。それから「おばちゃんの若いときはねぇ」で始まる昔話は、これからの人付き合いや恋愛問題に大きく役立つ大事な経験談でもあるから、食いついて聞いている。

 食事が終わって三々五々と生徒たちが食堂を出て行くと、片付け当番の女の子たちが夕食の後片付けに入る。おばちゃんたちはその前に帰るので、俺が門まで送っていく。

 帰ってきてまだ後片付けが済んでいないなら俺も手伝い、それで大体俺の一日の仕事は終わりだ。

 この頃すっかり日は落ちて夜の帳が降りているんだけれど、ミスリアとシモーヌ先生が整備した魔光石のおかげで施設内の要所要所には灯がある。だから夜でもそれなりに明るくて大体の活動はできるが、俺が消灯の鐘を鳴らすと同時にそれはすべて消える仕組みになっている。その後にどうしても灯が必要なら各々のランプでどうぞ、という感じだ。

 ちなみに学園長室内は普通に魔光石が燈っている。まあ本人が作った設備だしね。

 俺は何かしらの仕事をしているミスリアに付き合って、いつも執務室で本を読んでいた。

 国の歴史書とか文化をまとめた資料本なんだけれど、これまでこういうの全然勉強してこなかったから結構面白い。本来は役人が読む物だそうだ。何故ここの書棚に並んでいるかは知らない。……詳しく聞こうとも思わないけど。


「ところでジュドウ」


 仕事が一段落ついたのか終わったのか、ミスリアは書類を閉じて言った。


「オマエ今日、キクミを押し倒して乱暴したらしいな」


 飲み物を口に含んでいたら盛大に吹いたところだ。幸いにも頬杖を突いていた腕がガクッとずり落ちるだけで済んだが。


「よりによって生徒ではなく講師に手を出しよったか。それほど溜まっていて何故毎夜床に忍び込む私に吐き出さぬのか! 嫌がらせか! さすがの私でも心が傷つくぞ!」

「違うっつーの! ……つか分かって言ってますよね」

「半分冗談、半分詰問だ。キクミは『本当に襲ってもいい』と許可したゆえ、アホなオマエが本気にした可能性は充分ある」

「ねーよゼロ%だよ! ちょっと精霊の抑え具合が分からなかっただけだよ。アンタも分かるだろうけど、こういうの普通の人間に合わせるのは難しいんだ。だから俺は『教えられない』んだって、最初にカチューンの前でオマエ自身が言ったろ」


 そうだったな、とミスリアは口元を綻ばせた。


「……とにかくキクミ等にも改めて通達しておいた。オマエを雑用で使うのはいいが、実践では使うなとな。正体を勘ぐられたが適当に誤魔化しておいた。全く……従兄弟設定のせいで私の素性まで軽く追及されたぞ。迷惑甚だしい!」


 そいつは悪かったね……と、喉まで言葉が来ていたのだが、この時突然思い出したことの方がそれより早く言葉の精霊に乗った。


「そういやミスリア。『運命の子』って何のことだ?」


 昼間にすぐそこの中庭で聞いた言葉だ。

 ミルルやアザリカの内で悪意の精霊に火を燈す元となる物。一見ここまで平和そうに見えていた学園の、抱えている闇のような気配が気になっていた。……何かの拍子で今まで忘れていたけれど。


「――ジュドウ、確かオマエ学園に来て二ヶ月と少々だな」

「ああ、そうだね」

「……今更するか。『それ』の話を」


 基本いつもミスリアは俺を見下したような態度だが、今のミスリアはハッキリと愚者を見る眼で俺を見下していた。はぁ、とあからさまなため息までついて椅子に座り直す。


「こんなもの生徒の中に入れば一日二日で気付くことだぞ。何故二ヶ月も時間が必要だったのか理解に苦しむ」

「うっさいわ! 男一人が女の子だけの輪に入るのには……色々と超えなければならない障害があるんだよっ!」

「ただ臆病なだけであろうに。カチューンに与えられた傷は深いようだな」


 的確に俺の古傷をザックザック穿り返し、本気で凹んでいる俺に気付いているくせにそれを億尾にも出さず、ミスリアは本題の答えを返した。


「私と同様、宗教を解さないオマエでも「メイジア聖教」は聞いたことあるだろう」


 うん、ある。

 この世界に人々は様々な神を生み出してきた。その中のそこそこ広く民衆に浸透している宗教で、そこそこながらに影響力がある。「聞いたことある」程度の知識ではこんなものだ。

 それを察しているのか、ミスリアは簡単に説明を入れた。


「メイジア聖教の主な教義はありきたりな平和の提唱だが、他と違うのが宗教なのに「神」が存在しないことだ。彼らの信仰対象は「預言」にある」

「預言?」

「そうだ。その昔、一人の預言者がいた。それが各地に様々な預言をバラまき、その悉くを的中させ、人々を災厄から守った……らしい。預言を信じる者たちがいつしか集まり、各地に残された言葉をすべて記して聖書とし、宗教の母体が生まれたという経緯だ。

 信者たちはその預言者こそ神であると言いたいはずだが、預言の中に「我を神と崇めた時、世界は崩壊するだろう」という物があったので解釈を捻りに捻った結果、預言自体を崇めるに至ったというワケだな。これがメイジア聖教だ」

「ふうん……。中々面白いな。その預言者ってのは俺たちのような存在だったのかな?」

「そうだな。言いたくないのだが、敢えて言葉にすると彼女こそ「神」だと言えよう」


 私は信者ではないから別に構わないだろう、とミスリアはしれっと言うのだが、いや待て待て待て待て……。


「ちょっと待て、オマエ会ったことあるのか? その本人に」


 ミスリアは普通に頷いた。


「彼女……女なワケだが、実力も確かめてある。間違い無い。

 彼女は私たちよりも更に上の次元で精霊に通じている。確実に言えるのは、彼女は《この世界だけではなく別の世界の精霊とも通じている》だろうということだ。

 それが為せる存在というのは、私の見識ではもはや神としか言いようが無い。

 オマエだって同様のハズだ」

「……すごいな、それ……。つまりアレか? その彼女は『世界に溶けることが出来、また溶けた世界から自らを生むことも出来る』ワケか?」

「出来るだろう。だがそんな次元ではない。彼女はこの世界だけではなく、別の世界でも同じことが出来る。というか、そうやって世界を渡り歩くことが出来ている。

 次元が違うという意味そのままだ。彼女と出会ったのがいつだったかもう忘れたが、彼女は死すら超越しているはずなので、ただ別の世界に移っただけなのだろう。

 その彼女が残した言葉は預言というレベルではない。「奇跡」だ。

 疑う余地は無い。必ず起こる。そうこの世の精霊に刻まれているのだからな」


 ……。

 おお……。何かちょっと興奮してきたぞ。

 こう言うのも何だが、「精霊に通じる」ということは世界の仕組みを把握できるということだ。常人がそれを指すとすれば「神になった」と表現するだろう。

 それを為す存在は、本当にこの世に少ない。俺と、目の前にいるミスリア、そして稀に出没する大悪魔くらいのものだ。だから俺たちは本当に「特別」で、そこが「最頂」だと今まで思っていた。

 しかし「その上」が存在する。精霊世界を理解していれば、ここではない「別の世界」が存在し得る可能性も受け入れられる。俺の知らない精霊がまだあり、俺の通じていない精霊が世界にはまだまだあるということだ。

 それを知っただけで、こう、何と言うか……まだまだ「世界」というのは深くて広く、生き甲斐があることをとても嬉しく感じた。


「……何だか話が逸れたな。戻そう。

 彼女の預言は必ず起こる。しかしながら……そのどれもが古く、また伝聞だ。第三者の手によって伝わった時、正しくそれが表現しきれているか確証は無くてな……。

 しかもメイジア聖教はそんな預言を何度か外している。おそらく今言ったことが原因で、内容が正確に記されていなかったのだろう。預言によって信仰を得ている彼らにとって、それを疑うことは信仰の根本を疑うに等しい。「預言は外れてはならない」のだ。

 だから彼らは預言の内容を曖昧な詩にしてしまい、外れても「それを正しく解釈できなかった人間の責任」という言い逃れが出来るようにした。

 それにより預言は余計曖昧になってしまったのだがな。本末転倒だ。

 彼女がいたら失笑してため息をついたであろう」


「彼女」の代わりという感じで、ミスリアは薄く笑った。


「――で。こんな予言がメイジア聖教の聖書にある。


『鷹の月翳る夜に産声あげし選ばれた四人の子 

 獅子の太陽に光翳る年現る大災厄より世界を守り

 和を成す運命背負う』


 簡単に解釈すれば「この日時に生まれた者が世界を救う」ということだ。

 そして教会の調べでは、その日時というものは既に特定されている。

 十四年前だ。

 教会が総力を挙げて預言の日時に生まれた者を全世界で捜索した結果、四人発見された。そこまでは預言通りということだな。

 ……ここまで語れば分かるか?」


 充分だ。つまり――


「この学園に……生徒に、その預言の子がいるのか。

 その一人がミルル。

 そしてもう一人……」

「ミルルしか知らないのか。やれやれすぎるな……。

 預言の子は『運命の子』と教会で呼ばれている。

 ミルル・フォン・ガーネラゼルフ。

 マテリア・サロン。

 そして……エフィリー。

 運命の子のうち三人が女だった。それを私が全員預かっている。

 オマエが聞いた『運命の子』は、そういうモノだ」


 ……。

 なるほど。大体分かってきた。

 その俺の思考を辿るように、ミスリアが言葉にした。


「学園生徒の間で囁かれている話は私も知っている。

 預言が正しければ、その三名は何か特別な力を持っているのだろう。

 実際ミルルは戦うのに相応しい突出した才能を持っているし、マテリアも既に一流のヒーラーとして教会のお墨付きを貰っている。運命の子と名乗るのに充分足りているだろう。

 ……噂の的になっているのはエフィリーだ」


 彼女の名前を聞いたと同時に、俺の頭の中にあの頼りない小さな姿が浮かぶ。

 今まで俺がそう評した通り。

 何も無い。

 彼女はごく普通の女の子に……思えた。


「彼女が運命の子なのか。それ以前にその預言は信頼に足るものなのか。

 先も説明したように、預言は教会の手でひどく曖昧に記されているからな……。それを確かめる術は無い。結果を以って判断するのみなのだ。

 だから「運命の子の預言」について、我々が真偽を問うことに意味は無い。それはすなわちエフィリーが本当に運命の子なのかどうかを問うことと同列だ。

 真偽不明の運命をどう受け止めるかは、あくまで本人自身なのだからな」


 どう受け止めるかは、本人次第……か。まあ、その通りなんだけどね。

 ミスリアから話を聞いて以来、俺は何となく日々の中にエフィリーの姿を探して観察するようになっていた。

 小柄な体躯。シモーヌ先生ほどでは無いけれど、十四歳という年齢の少女にしては貧相な部類に入るだろう。多分生まれとそれまでの生活が関係していると思うが、戦える力強さは伝わってこない。

 実際、戦えない。

 たまに訓練を覗くと、明らかに彼女だけ「出来ていない」ことが分かるほどだった。

 だが決して訓練が足りないとか、そういう理由ではない。寧ろ彼女は人一倍訓練に励んでいるように見えた。午前の訓練が始まる前、午後の訓練が終わった後、一人闘技場や中庭で走っている彼女を見かける。マテリアに付き添われて何度も何度も医務室へ足を運ぶ姿もよく目にする。しかし……彼女を構成する精霊は、その成果に何も答えないのだった。

 それから分かったことがある。

 彼女は水運びをしている俺とよく出会う。あれは水汲み当番だからではなく、才能を見下されている彼女が、他の子に雑用としてやらされていることだった。

 学園の女の子が持ち回りで行う家事当番にも、彼女はよく顔を出していた。これも半ば強制的に代役をやらされていると判明した。

 注意して精霊に耳を傾けると、よく彼女の中傷が生徒の口にあがっている。

 彼女は逆境の中にいた。

 当然勇者だった俺としては、そんな孤独な彼女を助けたいと思っている。

 しかし、これほどの逆境にありながら彼女は――助けを必要としていなかった。

 彼女の内から発する精霊が、それを俺に伝えている。

 ――自分でどうにかする。私は前に進む。頑張れる――。

 だから今は彼女を見守るだけに留まった。

 この学園で孤独に戦う少女、エフィリー。

 誰とも世界を共有できないその境遇が、何となく俺に似ているなと思いながら。



「よし、皆聞け。今朝はいくつか知らせがある」


 今日は朝食の前にミスリアの話があるようだ。テーブルの前に並べられた卵料理メインの朝食から、生徒全員ミスリアに視線を移す。


「一ヵ月後、マスタークラスの三人が帰ってくる。それに伴い、次のマスタークラスに進級できる生徒を選びたいと思う。例によってその日取りで、各先生方の選抜試験を行う。生徒は全員日頃の訓練成果を発揮せよ。

 以上――いや待て」


 ゴホンと咳払いを一ついれ、ミスリアはミルル、マテリア、エフィリーの名を呼んだ。その名前が意味するところは全員知っている。


「お前たちは試験の後、グフタスの街まで出てもらう。メイジア聖教から式典出席の要請があった。それに伴い、特例なんだが……仕事の依頼もある。

 運命の子として、また戦士として、正式に依頼された魔獣討伐の仕事である」


 おおお、と食堂中がその発表に沸いた。


「三人はそれをも視野に入れ、一ヵ月後に臨んでもらいたい。運命の子という教会の期待もそうだが、ミスリア女学園の名も背負うということを忘れずにな。

 では長くなった。いただこう」


 いただきます、と唱和して朝食が始まったが、さすがに今の話でどのテーブルもざわめいている。

 カチューンが言っていた。「ミスリア学園長は厳しい」と。

 ……全くだな。最後の話はこの場で、皆の前で言わなくてもいいことだ。後で三人だけ呼び出して伝えるだけで足りる。

 だがミスリアは敢えてこの場でやった。全員に知らしめ、たった六十四人ではあるけれど、確かにある「重圧」というものを与えたのだ。

 当然その厳しさを受けるのはただ一人。

 その彼女を見ると……

 手を膝の上に置いたままスプーンも握らず、じっと目の前のパンを睨んでいるのだった。


 次の日の昼。初夏といっても常に太陽が照っているわけではない。今日は空の青さを隠す厚い曇天だった。

 そんな中でも微かに陽の光は届く。それに向かって咲く中庭の花々に水をやっていると、後ろから声をかけられた。


「お茶、いただけるかしら」


 空の天気を写したような表情のミルルは、一人だった。


「……別に今日は外で食事したくなるような清々しい天気じゃないと思いますけど」

「うるさいわね! 余計なことは言わずにさっさと出してちょうだい!」


 一喝されてしまった……。

 確かに俺も余計な突っ込みを入れた。彼女の雰囲気が重かったので軽くしてやろうと思ったんだが、逆効果だったみたいだ。うう、女の子の気持ちを測るのは難しいなぁ……。

 てきぱきと準備して、彼女の元に出す。いくらてきぱきとは言ってもそこまで多少の時間はかかっている。だがその間、ミルルは食事をしている様子が無かった。ベンチの傍らに置いてあるパンの包み紙が湿った風に揺れている。

 今日は少し肌寒いので熱めに入れてある。そんな紅茶を一口啜ったミルルは、それがスイッチを入れる儀式だったかのように、傍らで盆を抱えている俺に目を向けて呟いた。


「――持たない者は、どうすればいいのでしょう」


 突然の言葉。会話の流れもへったくれもなく、もしかしたら独り言だったのかもしれない。 しかし俺が彼女とここで会話したのはこれが二度目だ。

『またの機会がありましたら』

 と、紅茶の感想を貰えたことを覚えている。その「またの機会」が今なのだろう。

 そう考えると、ミルルは以前の会話の続きをしに来たということだろうか。

 あれからいくらか日数が経っているのに、覚えているんだな、そういうこと……。

 俺は少し間を計り、答えた。


「そうですね……。持たない者は、持つ者の力を素直に借りたらいいと思います。ガーネラゼルフさんの理想が世界にとって正しいのだとしたら、それは恥ずべきことでは無いですし」


 ノブレス・オブリージュ。持つ者の義務、という話の続きだ。

 彼女はきっとそれを納得しに来たのだろう。その理由を俺は多分知っている。

 俺の返答が彼女の求めていた物かどうかは知らない。けれどミルルは黙ってカップの中の紅茶に映っている何かを、じっと眺めていた。


「そう……ですわね。彼女には……それを理解していただきたいものです」


 その一言には……厳しさと、そして悲しさの精霊が宿っていた。

 ミルルはそれだけを残すと、律儀にカップの紅茶を優雅に飲み干して、曇り空の中庭を去って行ったのだった。


 今日一日で噂を何度も耳にした。

 ――エフィリーが、ミスリア女学園を辞める――。

 ミルルが納得したかったのは、その受け止め方だったのだろう。



 夜。消灯の鐘を鳴らして大分経つ。

 ミスリア女学園の敷地内では整備された精霊の働きにより、夜時間は風の精霊群が外の大きな音を運ばない。よって毎夜静かで穏やかな闇と月が、皆の安眠を約束してくれる。

 ミスリアがいつものように俺のベッドに潜り込み、寝息を立てようかという頃――

 その精霊が、そっと俺に異変を囁いた。

 同じ物をミスリアも感知している。お互い分かりやすいため息をついた。


「……私はもう寝る。オマエが行け」


 せっかく精霊が教えてくれたというのに、ミスリアは俺に丸投げして逃げるように寝返りを打つ。

 まったく……。寝るならいい加減自分のベッドで寝ろっつーの……。

 そう思いながらも、俺が天蓋を眺めて口から出したのは別の言葉だった。


「なあミスリア。……『運命』を説明するとしたら、どう答える?」

「過去に対する言い訳表現の一つだ」

「……そうだよな」


 何だか俺、昼間のミルルと同じようなことをしているな。

 簡単に即答されたそれに納得し、俺はベッドを降りた。着替えて靴を履き、眼鏡をかける。


「なあジュドウ」


 シーツに包まったまま、今度はミスリアが俺に話しかけてきた。


「何だよ」

「この場合、もっとマシな問いを投げろ。私は拍子抜けだ。精霊に通じるだけでは魂の内側まで洞察出来ぬぞ」

「すみませんねぇ。何が言いたいんだ」


 一瞬月明かりが雲間に隠れて真っ暗な室内になる。ミスリアはその一瞬だけ間を溜めた。


「以前メイジア聖教の話をしたろう。オマエ、おかしいとは思わなかったのか」

「……何を?」

「私が預言の子を預かっていることだ」


 ……。


「オマエなら分かるだろう。私が宗教の預言など本気で信じると思うか?

 先ほど運命を評してみせた通りだ。『世界を救う運命の子』だと? 妄想言も甚だしい」

「だったら何であの三人をここに置いているんだよ。少なくとも戦士として、使い物になるのはミルルだけなんだろう?

 魂の精霊配合を見極められるアンタだったら、才能を正しく検分出来るじゃないか。教会に媚を売らないのなら、マテリアはともかくエフィリーを学園に置いておく意味が無い。

 ……っていうかオマエじゃねーか、メイジア聖教の預言は本物だって言い切ったの!」


 そうだ、と暗闇の中に声が響いた。


「預言者の彼女は本物だ。何度も言うが間違い無い。しかし人の手が入った聖書の預言は信じるに不確かだ。彼女が発言しなかった言葉を都合よく書き加えた物があってもおかしくないからな。だから教会の預言は信じぬ」


 何が言いたい? 随分妙な言い回しをする。あくまで正解をスンナリ言わず、俺に答えさせたいようだ。

 ……精霊世界を知った上での真面目な問答は、俺とでしか出来ないからかな……。ミスリアは俺が来てから会話が楽しくなったのかな。何となくそんな意識を言葉の端に感じる。

 そう考えながらも、俺はミスリアの求めている答えらしきものが見えてきた。


「預言者は本物なんだよな」

「そうだ」

「そうか……。じゃあオマエがあの三人を預かっている理由ってのは……

《預言者から直接預言されたことだから》なんだな。

 会ったことあるんだろう? その時に、か?」


 沈黙だが精霊で分かる。ミスリアは楽しそうに微笑んでいるに違いない。


「学園を建てた理由は別にあるが、きっとそれすらも彼女の手のひらの上だろう。

 ミスリア女学園。

 運命の子の預言。

 学園で育てたカチューン・エレヴァンがオマエと共に戦ったこと。

 そして《オマエがフラれてここに導かれたこと》。

 恐らくそのすべてが今日の奇跡に繋がっている。

 ――行け、ジュドウ。彼女の預言の一端を、その目で確かめてくるがいい」

 

 夕食時に彼女の姿を食堂に見かけなかった。

 敷地の精霊に通じて探したところ、校庭で一人訓練をしていることが分かった。

 そしてそのまま今に至っている。

 先ほど俺とミスリアが感じ取った異変とは、その彼女が倒れたということだった。

 つまり食を忘れて限界まで身体を動かし続け、ついに動けなくなったのだろう。

 ……気持ちは分かる……つもりだけどね。

 外に出ると、夏の虫の大合唱がクリアに聴こえる。昼間は曇っていたが、見上げると夜に浮かぶ星々が無限に連なって大きな川を作っているのがハッキリ見えるほど晴れていた。

 精霊に導かれ、夜の中を迷い無く進む。校庭の闘技場を通り過ぎ、奥の森へ。

 そして夜の虫の演奏会を、まるで特等席で鑑賞しているかの如く――

 少し開けた草原の、緑のベッドの上で大の字になり、エフィリーは天を見上げていた。

 ……そう見えるだけで、実際は開いていない彼女の目に空は入っていないけれど。

 寝ているというより、呼吸の細さから気を失ったという体そのものだった。

 ゆっくり草を踏み分けて彼女の傍まで進む。一歩ごとに光虫が夜空に舞い上がり、星の一部となって溶けていく。

 隣に腰掛け、もう一度彼女を観察した。

 血の気の失せた顔は、肉体的な疲れと言うよりも魂の中に疲れを溜め込んでいるような表情を見せていた。十四歳にしてはもっと幼く見える。シモーヌ先生と同様、どこかで精霊が身体を成長させるのを忘れてしまったかのようだ。

 だからなのだろう、訓練しても訓練してもその経験を身体に溜め込むことが出来ない。手足は本来得るはずの筋力を放棄し、白く、細く、柔らかいまま。

 それが至る所に傷を作って、血と泥で汚れていた。訓練着もそう。裾は破れ、見た目は街に住み着いた孤児が、裏路地で行き倒れているようなモノだった。

 ……とりあえず回復させてやろう。色々聞くのはそれからだ。

 彼女の額に手を当て、周囲の精霊から力を借りる。

 彼女がここで失った精霊を、もう一度身体に呼び戻す。

 おいで。

 おいで。

 もう一度、ここにおいで――。


「エー……シル……ユー……フィーニ……デル……フ」


 俺が精霊を呼ぶ声は子守唄の逆となり、エフィリーは取り戻した力をほんの少し使ってゆっくりと目を開けた。


「あ……」


 周囲の虫の声に飲み込まれるくらいのか細い声が、小さな口から漏れる。俺を見ても驚かないし、そもそも自分が寝ている場所が何処かも分かっていない様子だ。前後の記憶があやふやなのだろう。


「自主訓練をやりすぎて倒れたんだ。そういうのは逆効果なんじゃないか」


 だから俺が説明してやる。エフィリーは不思議そうに俺の声を聞き、そして思い出したかのようにぎこちなく上体を起こした。


「そう……かぁ……」


 そう呟いた声には、今の状態を把握した気配が宿っていた。


「あたし、倒れたんですね」

「そうだよ」

「でも、なんだか身体が軽いです。傷もいっぱいあったはずなのに……」

「俺が……あーっと……俺がポーションで治療したんだ」


 一瞬「俺が治したんだ」って言いそうになった。秘密にしてたの忘れかけた……。


「ありがとうございます。おかげでもう少し訓練できそうです」

「無茶言うな。ちょっと座ってろって」


 立ち上がりかけたエフィリーだが、俺が肩を掴んで座り直させる。


「で、でも……あたし、訓練しないと」


 ふぎー、ふぎー、と俺の手を逃れようとするエフィリーだが、悲しいかな大して力を入れてないそれを外すことさえ出来ない非力っぷりだった。十四歳の女の子であれば年相応なのかもしれないが、戦士を目指す人間としては「どうか」と思ってしまう有様なんだろうな。やっぱり……。

 それから直に触れて確信したことがある。

 この言動にもあるように、彼女はやはり心の中……魂に害ある精霊を溜め込んでいる。身体の疲れは取れても、それが残っている限りエフィリーの訓練は何も彼女に残さないだろう。


「いいから座ってろって。

 ……なあエフィリーさん、俺が学園の雑用係だっての知ってるよね?」

「はい……知ってます。ジュドウさんです」

「名前も覚えてくれてて嬉しいよ。せっかくだから、ちょっとお話してみないか?」

「えっ?」

「え? あ、その……決して変な誘いとかじゃなくて……その、なんだ。

 君が何か悩みを抱えてるようだから……だ、だってそうじゃないとこんな遅くまで訓練なんかしないだろう? な? そう思うじゃん?

 そう、そういうのをさ、ちょっと話してみてくれないか? 誰かに話せばきっとスッキリするはずだからさ。いや俺、雑用係だから! 先生じゃないし生徒でもないから、話したところで全然平気だから!」


 話している途中で何だか自分でも何を言ってるのか分からなくなってきた。

 なんというか女の子と二人っきりのシチュエーションというのを意識してしまい、しかも今までロクに面識無い子に向かって「二人でお話しよう」なんて、これって結構恋愛問題的には誘っていますよって意味があるんじゃないかと気付いてしまって、いやそうじゃないんだ、俺はあくまで君の気持ちの中にある悪意の精霊を吐き出させたいんだ――!

 ということをなんとか伝えようとした有様がこれである。

 ……分かってるよ! 俺こういうの下手なんだよ! 

 そんな俺の心の声を聞いたのか、エフィリーはくすっと笑った。

 恥ずかしくなったと同時に、その笑顔がかわいい、と思った。

 それもそのはずだ。何故なら多分、俺は彼女の笑顔を今……初めて見たのだから。

 きっと彼女も気付いたはずだ。自分が「笑った」のが、一体どれだけ時を経てのことだったかを。


「なんか……不思議です。ジュドウさんと話してると、こう……元気になってきます」


 そうだね。こうしている間にも肩にかけた手からヒーリングしているからね……。

 だけど本当に全快させるには、奥に秘めたものを見せてもらわないとダメなんだ。


「そうだろう? そうやって少しずつ話せばきっともっと楽になる。

 ……話して、ごらんよ」


 俺たちの声が止むと、とたんに周囲が虫の声で埋め尽くされる。しかしそれは決して耳障りな雑音ではない。この敷地内で調整された精霊は、心にも身体にも安らぎを与える作用になるものだからだ。

 たっぷり、と言っても途切れた会話の間を意識する時間での話であって、実際はそう経っていない。その間を以って、エフィリーはおもむろに自分の膝を抱え、その上に顎を乗せた。


「あたし……自分で話すのとか得意じゃなくて……。よかったらジュドウさんがあたしに聞きたいこと、聞いてください。そうやって聞かれたこと、答えますから」


 ああ、それでもいい。むしろその方がいい。

 君の抱えている悪意の正体を、多分俺は知っている。だからその原因となる物を散らしていけば、君の魂はあるべき姿に戻るはずだ。


「それじゃあ遠慮なく聞くよ。

 エフィリー、どうして君は戦士になりたいんだ?」

「……」


 案の定、彼女は答えを詰まらせた。これを正直に語るには色々な精霊が邪魔をする。そんな気配が肩にかけた手から伝わってくる。

 だから俺は……ミスリアの、ミルルの言葉を借りて続けた。


「戦士だけが君の生き方なのか? どうしてそう思うんだ?

 戦えなくて何が困るんだい?

 戦う力が無くたって誰も責めはしないよ。俺が学園で雑用をするように、村のおばちゃんが食堂でみんなのために料理を作るように、他に生き方はたくさんある。

 みんなそれぞれ「なるようにしてなってる」。自分のできることを選んで生きてるんだ。

 出来ないことを無理にすることはない。出来ないことは出来る人に力を借りればいい。その代わり自分の出来ることで役立てばいいんだから。

 ――運命の子っていうのは、戦う必要があるんだって誰が決めたんだ?」


 抱えた膝の中から、彼女は俺を見た。

 その目にチラリと精霊が顔を覗かせている。重く、暗く、精神を腐らせてしまう混沌の力を為す精霊の顔が……。

 思いの外、深い。よくこれで彼女は壊れていない、と思わせるほどの濁りだった。


「運命ってモノはさ。それが起こった時、初めて使われる言葉なんだ。分かるかな。

 運命の出会いってのは出会わなきゃ分からない。

 運命の時っていうのはその時が来なきゃ分からない。

 全部過去を指して言うものなんだよ。そこに未来は含まれない。

 これが運命だったんだ、なんて考えは、それが起こった時、結果に対する原因と理由が分からないから当てはめるものなんだと思うよ。

 つまり未知に対する人間の言い訳表現の一つ、でしかないんじゃないか、ってね」

「……難しい理屈は分からないです。ジュドウさん、ガーネラゼルフさんみたいです」

「そ、そうかな? 自分では分からないけれど、これって貴族っぽい考え方なのかな」

「ジュドウさんも……私には運命の子なんて重荷すぎる、って思ってるんですか」

「いや、そうは言ってないよ。

 俺は宗教を何も信じていないから、運命っていうモノ自体を信じていないんだ。

 どうして運命の子は戦わなきゃいけないんだ、どうして戦士にならなきゃいけないんだっていうコトを疑問に思っているのさ」

「それは」


 エフィリーは頭を浮かせて俺の問いを反射的に返そうとしたが、言葉が出ずに再びまた膝に顔を埋めた。


「……分かりませんけど。でもあたし……どうしても戦わなきゃならないんです」

「何と?」

「あたしの……運命と、です。

 正しくは戦うんじゃなくて……逃げちゃダメだっていうことです」


 その言葉に強さを感じた。悪い精霊ではない。これがきっと、彼女が腐らずに悪意の精霊と戦えている力の源なのだと思った。


「あたしは……悪魔のせいで家族を亡くしました。こういうの、あたしだけじゃありません。学園にいる大部分の子はあたしみたいな子です。女の人が戦士をするなんて、変なことだって分かってます。でも家族や住んでいた村を奪われた結果、生きていくためには戦うしかなくなったってこともあるんです。

 いっぱいあった人生の分かれ道が、削られて、削られて、もう目の前には一本の道しか無くなってたってことがあるんです。

 その残った道が運命だってことなんです。運命なんだから、その残った道で生きていくために必要な物が、きっとその人の中にはあるんです。

 だからそうやってここに来た子たちは、みんな戦士として必要な物を持ってるんです」


 彼女の中から強い言葉と一緒に、それを汚染する悪い精霊も吐き出されてくる。

 それがもう一度彼女の中に戻らないよう、俺は黙って魂の内にある悪意を引き出し、浄化する作業に徹した。


「小さい頃に家族も村も無くしたあたしは、為すがままに人買いに連れて行かれてお店に売られました。それは今だから「ああ、あたしは売られたんだ」って分かることです。その時は何も分かりませんでした。ただただ流されて、あたしはマリベル館っていう娼館の下働きをするようになっていました。分かりますか? 娼館って」

「え? ああ、分かるよ。……あっでも知ってるってだけで、実際に行ったことなんかないからな! 本当だよ!?」

「多分、あのまま働かされていたら……お店のオネエたちみたいに、あたしもお客さんを取らなきゃならなかったと思います。

 そんな時なんです。メイジア聖教のシスターと会ったのは」


 ぎゅっと、エフィリーが自分の膝に爪を立てた。


「シスターは、あたしの村にいた猟師の娘さんでした。村が滅ぼされてから命からがら逃げ出して、街に出てシスターになったんだそうです。だから彼女はあたしのことを知っていた。

 あたしの誕生日のこと、知ってた。

 それが預言にある『世界を救う運命の子』の証なんだって、街で出会ったシスターは泣きながらあたしを抱きしめて言いました。

 自分がメイジア聖教のシスターになったのは、この時のためだったんだって。

 それが預言の『運命』だったんだって。

 あたしはそんな運命を背負ってるんだって……」

「あたし、正直言うとそんなこと言われてもピンときませんでした。今だってそうです。

 でも、そこで気付いたことがありました。

 今、あたしは『運命を選ぶところにいる』って。

 それまであたし、ずっと……「どうして自分はこんなところにいるんだろう」って思ってきました。あたしが今いる場所は、あたしが選んで立っている場所じゃないって。

 本当は村で家族と暮らしているはずでした。

 ……いつも怒られてばっかりで、貧しくて、あんまり幸せな家じゃなかったけど……

 それでも本当は、あたしの『運命』ってそこにあったと思うんです。

 でもそれは何も出来ずに壊されました。悪魔の前に、何も、出来ずに……。

 そして助けてもらったと思ったおじさんは人買いで、あたしはまた何も出来ずにマリベルの館に売られてしまいました。

 分かりますか。あたし、二回も運命が変わる時があったのに……

 何もしなかったんです。

 自分で「今までの生活が無くなった、これから変わってしまうんだ」って分かってたのに、何も……出来なかったんです。選びもせず、流されていたんです。そうだったことに気付いてしまったんです。

 だからあたし、今度こそ自分で「選ぼう」って思ったんですっ!」


 どんどんと彼女の言葉から様々な精霊が吹き出してくる。

 まだまだ。まだまだ抱えているはずだ。

 遠慮はいらない、全部吐き出してみろ――。


「運命の子の『運命』を、あたしは背負うと決めました。

 初めて自分で決めたんです。『運命』があたしを選んだんじゃなくて、あたしが『運命』を選んだんです。だからあたしは……この運命を最後まで生ききらなきゃダメなんです。

 自分で選んだんだから。

 もう流されたくない。逃げたくない!

 だからあたし……戦うんです!

 学園でも、魔獣でも、悪魔でもなく……あたし自身の運命と、です!

 あたし……ぜったい……負けたく……ない……!

 いやだ……いやだよぅ……

 学園、辞めたく……ないよぅ……!

 最後まで『運命の子』から……逃げたくない……よぅ……っ!」


 ……この辺りが一番深い部分だろうな……。吐露される気持ちに厚みのある悪意が圧し掛かっている。


「学園を辞めるって……どうして?」

「あたしが……みんなの足を……引っ張っているから……迷惑をかけてるから……。

 女戦士としてちゃんと出来ないと、「やっぱり女は戦士なんか成れない」って言われて、学園のみんながやってきたこと、無駄になっちゃうから……。

 あたし一人のせいで……そんなことにしたくない……。

 今度の『運命の子』の式典で、戦士としての……お仕事をしなきゃいけない……。

 そこで失敗したら……学園のみんなと、そして同じ運命の子のガーネラゼルフさんとマテリアにも……すごいすごい迷惑をかけちゃう……。だから……」

「……学園を辞めるのか?」

「ちがいますっ! 辞めたくないです!

 でも……それってあたしの我侭だって……。だからちゃんと……証明していけって。

 あたしが『持つ者』なんだって。運命の子として、その証を背負ってること見せろって。

 それが……一ヵ月後……マスター試験で……

 アザリカさんに、武闘試合で勝つことなんです。

 それが出来なかったらあたしは……学園を辞めるって……みんなの前で……

 約束、してしまいました」


 ――なるほど。それが「学園辞める」の理由だったワケか。

 確かにその条件はほぼ決定的に「辞める」と同意義だよな……。


「だから……こんな遅くまで特訓していたんだね」


 こくり、とエフィリーは頷いた。

 か細く、頼りない肩。今の話を聞くと余計に小さく見える。彼女はこの双肩に、重い圧力をかけられていたのか……。

 優秀なミルルとマテリアの間に挟まれた、同等の「運命の子」として。

 エフィリーがその肩書きも無く、ただの戦士候補生なら普通の落ちこぼれで済んでいただろう。だがその立場がそれを許さず、より重く大きい周囲の視線を呼んでしまった。それが悪いほうに、悪いほうにと精霊を育ててしまったワケだ。

 本当……『運命』という言葉はロクな物にならないな。悪い結果を見ての気晴らしで使えばいいのに、未来に定めてしまうからこうなる……。

 さてと。

 抱えている物を見定めたし、精霊を一気に外へ引き出す道も調整した。

 後は……まあ強引にでも吐き出させるだけかな。

 俺は小さい彼女の背に手を回し、準備をする。

 あれ……何かこれ……抱きかかえる形になっちゃったけど、ま、まあいいかな?


「ジュドウさん……?」


 うっ。不審に思われる前に行動すべし!


「思いっきり泣いてみないか?」

「えっ……?」

「溜めてるもの、一気に吐き出してスッキリするにはそれが一番いい。誰にも言わない」

「……」

「そういうの、辛いだろう?

 友達や先生に言ったら心配される。それが余計気がかりになって、辛いことを「辛い」とも言えなかったんだよな。

 でも俺は今全部聞いちゃったぞ。君は直接言葉にしなかったと思っていても、俺には全部が「今とても辛い、助けて」って聞こえた」

「……」

「いいんだ」

「……っ」

「強くなりたいんだろ。学園を辞めたくないから。

 でもな、強さってのは……自分の弱さを認めて初めてついてくるものなんだ。

 我慢するな。弱いことは恥じゃない。強がることが恥だと思うんだ。

 大丈夫だよエフィリー」

「……えうっ……」

「俺に心配かけても、訓練には支障は無い。俺は単なる雑用係。

 そして俺は、君の、味方だよ」

「う……うわあああああああ……」


 言葉と共に精神精霊を送り、彼女の感情の決壊を促した。

 内から溢れる様々な色の精霊は、もはやしばらく理性では抑えられないだろう。俺はそれをすべて浄化する。

 積み重なってきた外からの悪意の泥を。

 自ら背負った他人の期待ではない嫉妬を。

 高みを目指す憧憬ではない焦燥を。

 すべてすべて、裏を表に変える。涙や嗚咽と共に出てくるそれを、俺の支配下にある精霊に通じてあるべき姿に戻す。

 ――この何の変哲も無い普通の少女、エフィリーの心を軽くしてやること。

 ミスリアが言った「奇跡」とは、きっとこれを為すことで起こるものなんだろう。

 だけど一体それで何が変わるのか?

 いくら彼女の気持ちをリフレッシュさせたところで、結局は戦士としての能力が開花するわけではない。それとこれは別問題だ。

 じゃあ……何だ?

 一体彼女に……何があるっていうんだ……?

 合唱とは言い難いけれど……俺の胸にすがって泣くエフィリーの声は、夜の虫の声と共にしばらく森中に響き渡っていた。


 そんな合奏が終わったのは、本物の音楽隊が一曲奏でるくらいの時間だったと思う。

 虫の声はそのまま続いていたが、目元を指で拭うエフィリーの声は「ひっく」という声も止んでいた。

 ――うん、これでいい。

 だいぶ吐き出させ、ほとんどを害の無い精霊に戻した。俺は彼女に触れていた手を離し、立ち上がる。

 それを追って見上げてくるエフィリーの顔からは、「もう平気か」と聞かずとも分かる晴れやかさがあった。


「あの」

「うん?」

「……あ、ありがとう……ございます。すごくみっともなかったけど……すごくスッキリしました。また明日から、あたしがんばれそうです!」


 ぺたんこ座りをしながら、笑顔でガッツポーズを決めてくる。……戦士としての迫力は皆無だったけれど、十四歳の女の子としては余りある可愛らしさだった。

 思わず……目を合わせて顔を背けてしまうほどに。


「あ、あんまり無理はするなよ。また倒れてちゃ意味無いんだからな」

「それは……そうなんですけど。

 でも無理しないと、アザリカさんに試合で勝てそうもありません……。

 やっぱり学園辞めたくないから、あたし、武術も武器学も魔法も、寝る間を惜しんで一ヶ月がんばらないと……!」


 ……。

 なんだか元の木阿弥になりそうな予感。いくら溜まっていた泥を掻き出したとはいえ、彼女の性格が変わったりするわけではないからなあ。

 仕方ない。もう一お節介くらい焼いてもいいだろう。


「戦士になるのに全部を鍛える必要ないんじゃないか? さっきも言ったと思うけれど、力を持たない者は力のある者を頼っていいんだ。戦士だってそうだよ。

 剣士は魔法使いを頼り、魔法使いは剣士を頼り、ヒーラーは前衛を頼り、前衛もヒーラーを頼る。そういう関係でいいんだから一芸秀でるだけで充分だと思うんだ」

「そ……それは先生にも言われてますけど、あたしは一体どの才能が秀でているのか全然わからないんです……。というかどの才能も秀でてないから、どれかがちょっとでも芽を出してくれるまでこうやって……ですね……」


 しゅん、と笑顔が曇って視線が地面に落ちる。照っていた月明かりも雲に隠れる。

 うーん、ミスリアのことだから入学時に個人個人の精霊配合を確かめていると思うんだがな……。そうやって戦士の才能がある者だけを学園に預かって、それを伸ばしていくやり方だって聞いたんだけれど……。

 世界はすべて精霊で出来ている。人間も同様だ。

 魂に囲われている生命体の精霊群は、ほぼその構成を変えることが無い。この精霊の配合がいわゆる性格や才能などを決めているワケだ。

 魂の奥底まで俺は精霊を通じさせることは出来ないけれど、大体の配合は見てとれる。

 エフィリーのそれを見て、ほんの少しでも伸びしろがあるなら教えてやろう。

 その時俺は、そんな軽い気持ちでメガネを外し、彼女を見たんだ。


 月明かりが再度さした。

 辺りがぼんやりと薄く輝く。

 ……その世界を見ていない俺の目には、そんな光は見えていない。

 普通の人間には、生命体には見えない精霊の世界。そんな中で見る俺の前には――

 夜空の星がすぐそこにあるような輝きが、精霊たちの躍動が、見えていた。


『彼女の預言の一端を、《その目で確かめてくるがいい》』


 なるほど。言葉通りだ。ミスリアの確信している預言が本物だという意味がよく分かる。

 ――そもそも俺が本当に求めていたのは何だった?

 普通の人間としての生活?

 新しい恋?

 違う。それは本来の望みが叶わないからこそ、次に求めたモノじゃないか。

 俺が本当に必要としていたのは……俺の世界を共有出来る、同じ能力を持つ人間。

 勇者の世界を生ききれる、生涯の伴侶――!


「エフィリー、君は……戦士にはなれない」


 俺は今日起こる奇跡とは、てっきりエフィリーの身にある出来事だと思っていた。

 違った。その奇跡とは――《俺と彼女が出会うことだったんだ》。

 

 月明かりの中、星の雨が降り注ぐ中、俺は彼女に手を差し出す。

 この手を取ってくれる人間を、ずっと……探してきた。



「君は――『勇者』になれる人間なんだよ」




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