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第一章 勇者、転職す

 俺の名前はジュドウ・バフス。年は十六歳。ちょっと前まで――「勇者」をやってた。

 勇者ってのは職業というより称号みたいなもの。この世界……七つの海に五つの大陸が浮かび、十四の国で成っている「パンゲアム」では、俺たち人間やドワーフ・エルフといった亜人間の他に、凶暴な魔獣やドラゴンといったモンスターが住んでいる。人知を超えた悪魔という外敵も存在する。とにかく完全平和ってわけじゃない。生物的にひ弱な部類にある人間が穏やかに暮らしたければ、矛盾する話なんだけれど、誰かが剣や魔法を手にして戦わなければならないんだ。

 そういった「戦う者」を総称して「戦士」と呼ぶんだけれど、勇者はその戦士中の戦士、戦士を越えた戦士という尊敬が込められた特別な称号だ。誰でもなれるわけじゃない。単に最強無敵という力の意味を表すんじゃあなく、何だろうね、本当に「特別」なものなんだ。

 まあ……そう考えているのは実際に「勇者」と呼ばれていた俺だけなのかもしれない。十歳の頃自分に宿る「特別な力」に気付いて、それ以来ずっと戦い続けてきたんだけれど、その間に「自分と同じ《世界の感じ方》をする人間」には誰一人として出会えていないからだ。

 ――この世はすべて精霊でできている――。

 なんて話しても、誰もが俺の見ている精霊を同じように感じてはくれなかったから。

 だから俺は「ああ、これができるのは特別なことなんだな」と思うようになった。それが出来る人間だから――千年生きた神の意思を持つ古代竜とも、相対即死と言われる大悪魔とも戦えるんだと。これは俺にしか出来ないから俺がやるしかない。だから「勇者」と呼ばれる人間は、特別な存在なんだ……ってね。

 ま、今となってはそれも「過去」のことだ。

 俺は理由あって勇者を「辞めた」。こういうの辞めたり辞めなかったり出来るモノなの? と思うかもしれないが(実際言われた)、とにかくもう俺は「勇者」として働かない。戦わない。そういう人生と決別することに決めたんだ。

 

 にゃあ、とネコが鳴いた。

 ネコと言っても猫ではなく、うみねこだ。俺が肘を突いている船べりの先に、さっきから併走してついてきている。眺めている方向の海原はどこまでも青く穏やかに広がっているが、これがいるということは船の先に港はもうすぐ見えるということだろう。


「そろそろ港よ」


 計ったように声がして、船室から女が一人出てくる。海風にその真紅の長髪が煽られ、彼女はそれを何気なく美しい仕草で抑えた。

 美しいし、そこそこ責任感があり、まあ性格もサッパリしていて良い部類だと思う。普段は戦士なので主に重厚な鎧で隠されているが、一流の戦士として鍛え上げられた身体は絶妙なバランスで女性としてのプロポーションも保っている。髪色と同じ真っ赤なドレスも似合っている。いい女だ。間違いなくそういう部類に入る……だろうがっ!

 騙されてはいけない。というか俺はもうコイツに騙されたっ!


「……何よ、その顔」


 俺の勇者時代の相棒、この世で最高の女戦士カチューン・エレヴァンは、俺の表情から心の悪態を盗み聞いたのか眉を寄せて口を尖らせた。


「なんでもごぜーません」

「もー……いつまでもフラれたことをウジウジと……。そういうの、女の子にモテないよ」

「オマエが言うなよ! 別に気にしてなかったけど、今言われて思い出しちゃっただろ!」


 そうなのだ。俺が勇者を辞めた理由はコイツ――だけが理由ではないけれど、とにかくトドメを刺したのはコイツ。

 俺はカチューンに想いを告白し、結婚まで申し込んだのだが見事にフラれた。

 その理由が「私、レズだから」というのはダメージ少なくて済んだのか余計にダメージあったのか自分でも判別つかない処だが、とにかくやっと理想の女性が見つかったというのにこのザマでは何時まで経っても彼女が出来ない。結婚も出来ない。それを俺は大悪魔ゼルガスを倒した後、ようやく悟ったのだった。

 先に述べたように、勇者というのは特別な人間である。

 絶対無敵のどんな敵を相手にしても戦える存在。街を脅かす巨大なドラゴン、咆哮だけで人間を絶命させる伝説の大悪魔、とにかくこの世界にはたくさんの脅威が未だどこかで人々を怯えさせている。それは一つ討伐しても即座にまた現れ――とにかく勇者の人生というのは戦いの連続だ。しかも相手するにはタダの人間では不可能という難敵ばかり。お分かりいただけるだろうか、そんな勇者に平穏があるものかと。そして……そんな人間にまともな恋人が見つかるモノだろうか、と。

 実は勇者というのはモテる。想像つくと思うけれど、その名声に憧れる女の子は結構いるものだ。ただ「強い」というだけで、「名声がある」というだけで勝手にモテるものなんだ。

 だけどこれを相思相愛の「恋人」に発展させるのは難しい。いや……もしかしたら俺が何か間違っているだけなのかもしれないが……とにかくそこはガンとハードルが上がる。

 まず、俺の恋人になる女の子はこれまたドカンと生命の危険が増すんだ。

 勇者の名声は良いことばかりではなく、悪いこともある。俺の恋人となったばかりに、俺を思い通りに操ろうと謀略を廻らす者、弱点とばかりに襲う悪魔など、とにかく俺の目の届かない所にいたら何をされるか分からない。実際恋人とはいかないまでも、結構親しくなった女の子の何人かがそれで消えた。これは経験から言っていることだ。

 じゃあ眼の届く処に置いて俺がずっと守っていればいい、ということになると、説明したように勇者の人生は戦いの人生。しかも並の人間では戦うコトすら出来ない伝説級神話級、はたまた国同士の戦争級舞台ばかりが日常として用意されている。女の子はこれについてこなくてはならないというワケだ。確かにカチューンの他にも、俺に好意を持ってくれて戦場についてきてくれた女の子は数人いた。けど……途中でその命を散らせたり、余りの過酷さに離れてしまった者ばかりだった。

 そんな厳しい条件の中、ようやく見つけた理想の女の子がカチューンだ。

 勇者の人生に難なくついてこれて、俺の戦いをよく理解してくれて、あまつさえ最高の戦友といって良いほどの能力の持ち主。しかも美人でお互い気が合って、言うこと無し。大体「人間に打倒は不可能」と言われた最凶最悪の四大悪魔討伐すべてに参加して生き残ってきたなんて、これはもう運命の相手としか思わないだろう? 「この子はレズかもしれない」なんて誰も思わないだろうがっ!

 元々俺は「なりたいから」勇者になって戦ったワケではない。

 他の誰も出来ないから、出来る俺がやるしかない、という理由で今まで戦ってきた。だってそうだろう? 他の誰かが戦ったら大勢死ぬかもしれないというのなら、ほぼ犠牲も無く倒せるだろうという俺が戦った方がいいじゃないか。俺が戦い、勝つことで、大勢の人が救われるなら、それができる力を持つ者の義務として、そうするのが「人間」だろう?

 だけどそんな生活を何年も続けてきたら、その「人間らしい」という意味から俺はどんどん剥離されていった。俺が救った街、俺が救った国を見渡すと、そこには笑顔で平和に暮らす家族の姿がいくつもある。父がいて母がいて、子供を設けて次代に繋ぐ。そんな平凡な姿に俺はだんだん憧れるようになっていった。

 優しくかわいい女の子と出会い、恋をして家族を持ちたい。

 そんな当たり前の世界に戻りたかったんだ。こんな勇者の「力」を持つからこそ、「人間」として生命を全うしたいんだ。そしてその機会は世界を脅かす四大悪魔すべてを打倒したことでやってきた……と思ったんだ。



「……しっかしだねぇ……。世の中が放っておくと思う? アンタを」


 ゼルガス打倒後のアシュウム山中。即告白して即フラれ、これまた即勇者辞任宣言をして座り込んだ俺に、カチューンは腕を組んで「やれやれ」のような声を出して言った。


「自分で辞める辞めないの話じゃないでしょ。このまま国に帰ったら、どうせまた戦わなきゃいけない何かが待ってると思うし。勇者ってのは他人が求める存在だもん。自分でどーにもならないよ」

「分かってる。でも四大悪魔を倒したんだ、もうそれでいいじゃないかっ! 俺もう充分やったよ……」

「泣くなよ……」

「泣きたいよ! 誰のせいだっ!」


 カチューンはそんな俺に今度は本当に「やれやれ」と言ってしばらく宙を仰いだ。

 どのくらいそうしていただろうか、俺はとにかく傷心で一人になりたい時間だったから別に気にはしなかったが、カチューンは結構長く考えていたと思う。


「……ま、さすがにアタシも親友としてのアンタを無くしたくないからね。いいよ、力になってあげる」


 何かの答えを見つけたのか、そんな前置きをしてカチューンが俺に優しい笑みを向けた。


「力にって……なんだよ。レズを治す努力でもしてくれんの?」


 無茶なこと言うな、と返されたが、何だか腑に落ちない答えだった。


「ジュドウ、アンタが勇者を辞めるには……死ぬしかないと思うんだ」


 余りにもサラリと言ったので俺は「そうかもな」と頷いたが、


「ってオマエどこまで俺を突き落とすんだよ!」

「ちがーうちがう。現実の話じゃないってば。いい? どう考えたってジュドウが「もう勇者やめるから。戦わないから」ってダダこねても、世間が許しちゃくれないじゃない。そうやって勝手に引きこもりをキメてもいいけど、アンタは周りに後ろ指さされて「普通」の人生を生きていけるの? 女の子をさらって山にでも篭るつもり?」

「……うっ……」

「ね? だからジュドウは――今ここで、《ゼルガスと相討ちになって死ねばいい》」


 ……。

 あ! そうか!

 俺の表情を見て、カチューンは俺が話の筋を理解したことに頷き、続けた。


「アタシがそう報告してあげる。……まぁ、その場合ゼルガス打倒の手柄は全部アタシのものになっちゃうけど……今更そんなのいらないでしょ? そしてその後アンタがやるべき勇者の仕事も全部アタシが引き受けてあげるわ。いわば「勇者」の称号をアンタから引き継ぐというワケね。これならきっと《勇者を辞められる》と思う」


 今まで散々世話になってフっちゃった負い目もあるしね、とカチューンははにかんだ笑顔で付け加えた。


「でも……いいのか?」


 勇者を引き継ぐことである。名声目当てでやるにしちゃあ割に合わないと断言出来るほど、その運命は過酷で辛い。こうして「普通」に戻るチャンスなど何時廻ってくるか分からない。勇者を名乗るということは平穏を切り離すということだ。カチューンだって俺の姿を見て、それを分かっているはずだ。


「あーいいのいいの。アタシはアンタほどマジメに恋愛とかできないし。一夜限りの逢瀬だけで充分満たされるんだから」

「心配して損した心配して損した心配して損した!」

「だから――そうしておきなさいジュドウ。アンタはよくやった。確かに、大勢を救った分だけ今度はアンタが人並みに幸せになって報われて欲しいしね。アタシじゃムリだったけど、きっと普通に戻ったらそんな女の子が見つかると思う。本当に、応援してるよ」


 カチューンが手を出す。……あーあ。本当に……いい女の子なのにな。

 世界ってのは全く……色々と面白くできてるもんだよな。

 俺は頷いて、戦友であり親友の彼女の手を取った。そして立ち上がる。


「んー、それだけじゃまだ「勇者」の名誉を引き継がせてもらうのに、ちょっと釣り合い足りてないかな。……そうだ、どうせこの後どうするかとか全然考えてないでしょ?」

「ああ。オマエにフラれるなんて、これっぽっちも考えてなかったからな……」

「いつまでもクヨクヨすんなっ。んもう、そんなジュドウくんに更にサービスしちゃうわ! このカチューンお姉さんが……女の子いーっぱいの楽園に案内してあ・げ・る!」


 ……。ちょっと耳を疑ってしまった。

 なんだって? この地獄とも言える状況に叩き落した張本人が、何だかとても天国な言葉をいけしゃあしゃあと述べたような気がするんだが?


「特別に女の子がよりどりみどりの環境を紹介してあげるっての。ちょっとアテがあってね。どう? 今のアタシが言うと胡散臭くなるけど、騙されたと思って乗ってみない?」


 俺は握り締めたカチューンの手に、より一層力を込めた。


「乗ります」



 ――というわけで、俺はそんなカチューンの言葉にホイホイされてここにいる。 

 この世界パンゲアムの、丁度サイコロの五の目のような並びで浮かぶ五大陸一番左上、ラックリバー大陸のゼノン大王国領内でゼルガスを討伐した俺たちは、そこから航路で第四の海・ボロネス海を南に下り、五大陸中最も大きな左下の大陸イゼンダに栄える大国・アムウルゼン・南ウルファンの港までやってきた。まあ平たく言ったら別大陸で仕事して、自分の国に戻ってきたということ。

 海路は久しぶりだった。しかも通常定期便ではなく豪華な貴族御用達の特別客船。一週間かけゆっくりと南ウルファンへ向かう船の中では毎夜パーティーが開かれており、なんというか……俺たちの勝ち取った平和の一端を覗いた気分だった。

 そんな貴族たちの社交会場でも『勇者ジュドウ・大悪魔ゼルガスを道連れに死す』という話題は常に口の端々に上がった。稀代の英傑と賞賛し、涙し、大きく乾杯する姿を本人の目の前でやられるとかなり気恥ずかしさはあったけれど……。

 この通り「勇者ジュドウ」の名声は広く知られていても、その本人の顔と成りを知っている人間などほとんどいない。どこかの偉い人が俺を民衆の前に立たせ、「このお方が勇者である!」と告知しなければそんなもの。前にも述べた通り俺は自分の名声が悪い方向に働いて、知人(主に恋人になってくれそうな女の子)に害意が向かないように、そういった「お披露目」を避けてきたということもある。まあ俺と顔合わせする人は皆「え!? あなたが勇者!?」となるから、ジュドウ=俺と分かる人、元々少ないけどね……。とにかくカチューンの目論見は成功したワケだ。

 快晴の陽光に照らされた、年中真夏の南ウルファンは今日も賑やかだ。青い空に緑の海、陸には白い壁と赤い屋根の建物が、緩やかに上っていく傾斜に沿って規則正しく軒を連ねる。石畳の道にはここに足りない色を足す鮮やかな色彩のフルーツ売りが出店を並べており、すべての精霊に祝福されているかのような雰囲気は「大陸一の港町」という謳い文句が二年ぶりの今でも健在だと感じる。

 船を降り、そんな風景を精霊と共に感じていたら足元にドサリと荷物を置かれた。


「ちょっと、使用人!」


 腰に手を当て、一見完全に貴族令嬢といったヒラヒラでワサワサの極彩紅ドレスを着たカチューンが俺を睨んでいる。


「アタシに荷物を持たせるなんてどういうつもり!?」

「自分の荷物だろうが……。つかその「勇者と使用人」の設定、船を降りたら終わりだろ?」

「だーれが終わりって言ったっ! さあ使用人、ワタクシの荷物をお持ちっ」


 何だかこの設定が気に入ったらしい。ふふんとした表情でカチューンは腕を組む。

 設定と言っているが、半分は本当だ。アシュウム山中で一旦俺と別れたカチューンは外に待機していた援軍と合流し、ゼルガス打倒が成ったこと、俺が戦死したことなどを伝えた。そしてそのまま王都に赴き、大悪魔討伐をすべて完了した偉業と大勇者ジュドウの偉大な死を広く世界に伝聞させ、ゼノン国王や他の国の代表者の承認を取り付けて、新しく「勇者」の称号をその功績により得たのである。ちなみにその間実に半年以上もかかったのだが、これは「女」が世界で唯一の称号を得ることにひと悶着もふた悶着もあったのが原因だとか。ま、この辺の面倒くさい事情は後々語ることになるだろう。

 それで俺はその半年何をしていたかというと、旅人のフリをしてゼノン王国内をカチューンの都合がつくまでウロウロしていた。「何と暇なことを」と思うかもしれないが、この暇こそ俺が求めて止まなかったモノなので、結構充実していた半年だった。

 こうして「勇者カチューン」が誕生すると、俺と彼女は「勇者とその使用人」という設定でもって特権階級の船に乗り込み、カチューンの言う「楽園」があるここまで来たわけだ。


「大体勇者時代の俺、そんな使用人なんて使ってなかったろ」

「他に設定思いつかなかったし。勇者の彼氏、ってのもお互いイヤでしょ?」

「……本来はそうありたかったんですけどねぇ」

「もー、まーだ言ってる! いいからホラ、馬車に荷物運び込んで。そんな悲しくみじめな出来事を忘れさせてくれる、女の子の花園に出発よっ」

「だから張本人がいちいち傷口広げるなっつーの!」


 まあここで拗ねても始まらない。俺が半年前に約束した話はカチューンの性癖を更生させ何が何でも彼女になってもらうことではなく、たくさんの新しい出会いが待つ天国を紹介してもらうことだ。


「ここからまだちょっとかかるからね」

「どこに向かうんだ?」

「王都北のザラボーって地方」

「馬車だと野営を入れて五日ってところか」


 勝手知ったる自国である。いくら広いとはいえ、こっちは東に西に六年間駆け回った勇者様だ。大体の地図は頭に広げられる。


「野営なんかしないわよ。私たち行軍してんじゃないんだから。ちゃんと宿に泊まって陸でものんびり行くわ。大悪魔打倒で懐も抜群に暖かいしね」

「俺の金……」

「だから一緒に行くんじゃない。あっ、部屋は一緒だけど安心して。アタシが変な気になるとかまっっったく無いから。逆にアンタが襲ってきたら、アタシとのフラレ話から始まった「勇者辞めたい」エピソードを猛暴露して社会的に虐殺、その後で肉体的に惨殺するね♪」


 カチューンがお約束のひとからかいをした後、勇者ご一行様を乗せた上等馬車は目的地まで走り始める。

 ……。俺、もしかしてとんでもない奴にとんでもない弱み握られてるのかな……。

「惚れた弱み」ってここまでなのか、学習したよ……。次の新天地では絶対、もうこんなことにならないよう慎重に恋愛をしよう。

 色彩鮮やかな街の景色が車窓に揺れる中、俺はそんな誓いを固くキメたのであった。


 五大陸で一番大きいイゼンダ大陸をほぼ統一しているアムウルゼン。元々六つの国であったものが共和制としてまとまった国だ。王はおらず、元々の六国を「州」と呼び、その各州代表の「侯」という貴族が治める。国としての政策は諸侯が会議で決めるが、最終決定権は諸侯の中の代表「大候」が持つ。大候は任期があって諸侯の持ち回りになるそうだ。そして政治には全く関わらないが、諸侯が法律を捻じ曲げて悪い政治をしないよう「裁判省(ジャッジメント)」という独立機関が諸侯を監視している。

 アムウルゼンはそんな体制で建国され大体二百年経つらしいけど、目的地ザラボーに着くまでの国内は特に不穏な様子も無く、パンゲアム一の大国として今日もよくまとまっているようだった。平和がなによりだ。うん。

 ちなみに途中何回か魔獣に遭遇したが、これは人間の治世と直接関係ない。街や街道をどんなに厳重に警備しようが、運が悪ければ出るときは出る。世界とはそういう風に出来ているモノ。最もこの場合、俺たちを襲った魔獣の方が「運が悪い」ということになるのだけれど。

 そこそこ厄介とされていた魔獣を討伐し、勇者成り立てのカチューンは軽い手柄を土産にして――

 ようやく、彼女曰く「女の子いっぱいの楽園」らしき場所まで辿り着いた。

 ザラボー地方はアムウルゼンの中央リバラ州にある山村地帯で、まあ……田舎街と言っていい。俺のように隠遁を決めて自然の中で暮らしたい人間にはオススメの、とてものどかな場所だ。

 そして地方で一番大きな街から少し外れた、一年を通して季節の花々が美しく一面を彩り続ける「花の丘」と呼ばれるそこに、広い敷地を囲む高い壁の向こう側、宮殿のような白い建物が見えていた。

 馬車はその壁の、大きな石造りの門の前で止まっている。門柱には四体の魔獣を模した彫刻が並んでいるが、これは魔法生命の門番ガーゴイルだろう。像の大きさからこれを動かす優秀な魔法使いの存在が見て取れる。だいぶ強力な警備体制だ。

【ミスリア女学園】。

 そんな名前が入っている門柱のガーゴイルに、カチューンは呼びかけた。


「ミスリア学園長。お久しぶりです。カチューン・エレヴァン、戻りました」


 そう言って恭しく頭を下げるカチューン。別にカチューンが彫刻に挨拶するアホの子というわけではない。ガーゴイルに埋め込まれた水晶玉を通して、宮殿の主が彼女を見ている……はずだからだ。

 だが、返事が無い。時間と共にお辞儀しているカチューンが本当にアホの子のように見えてくる。


「がーくえんちょう!」


 痺れを切らしてキレ気味に叫んだカチューンに、


『五月蝿い。貴様は出禁、二度と学園の門を潜るなと言い渡していたのをもう忘れたか』


 と、ガーゴイルから女性の、落ち着いているが鬱陶しそうな声が聞こえた。


「忘れてませんけど……でもその仇を恩で返しにこうしてやって来たんですからっ! もうお耳に入ってると思いますけど、アタシ勇者になったんですよ『ゆーしゃ』!」


 ……。無言。ガーゴイルは完全に沈黙している。


「がくえんちょおぉぉぉ!」

『勇者になったからといって貴様の害悪度に変わりはあるまい。学園の安全を守る為にも入れるわけにはいかぬ。用があるならそこで言え。聞くだけは聞いてやろう』

「そんな殺生なっ。かわいい教え子が最大の名誉を持ち帰ったんですよ。学園長が目指す世界に一歩近づけたのは、少なからずアタシの功績じゃないですかぁ。お願いです、入れてください♪」

『だから用件はそこで言えと言っているだろう』


 なかなかに手強い人物のようだ。押し問答になってしまう雰囲気の中、カチューンは苦虫を噛み潰したような顔でこちらを振り向いた。


「……だって……用件言ったら絶対入れてくれないと思うし……」

『聞こえぬな。ハッキリ言え』

「いやその、ですね。ちょっと……学園長に紹介したい知人を連れてまして。今日はそのために出禁を承知で参りました。あの……会うだけでも……会っていただけませんかね?」

『知人……? そこで見せよ』


 なんというか、どうにかして門を開けさせたいという意図が見え見えだったカチューンなのだが、結局学園長とやらの率直な問答にすごすご言いなりになったようだ。手招きされ、俺は彼女の隣に立つ。ガーゴイルが胸で抱える心臓のような水晶玉に向かって、ぺこりとお辞儀をした。

 すると。

 返事とばかりに堅牢だった石門がズズズと地響きを立てて動き、その口を……開けた。

 門の向こうには両側を花で埋め尽くされた石畳の道が長く続き、宮殿の入り口がその遠くに見えている。

 ……門は開いたのだが、俺とカチューンはしばらくそこに呆然と立っていた。

 いや……だって……。会話の流れから門前払いされる気満々だったというか……。


「カチューン、開いたぞ」

「あ……うん。あれ? あれぇ? いいのかな本当に……?」

「今更何言ってんだよっ。早く案内してくれよ」

「う、うん。じゃ、おいで」


 カチューンの後ろに続いて、俺は一歩――その敷地に足を踏み入れる。

 とたん、あれほど勿体振ったように開いていた重々しい石門が、風を巻いてドカンとありえない速度で閉まった。

 もしこれが敵の陣地内なら、完全に罠のある扉の閉まり方だった。俺もカチューンも思わずそんな腰構えで振り向いてしまっている。

 ……しかし。これは俺の「勇者の感覚」で分かることなのだが、この場所に危険は無い。皆無だ。罠などあろうはずも、悪意を持った敵などの存在も無い。目の前に広がる風景は花が風にそよそよと平和の象徴のように揺れている、その示す通りの現状があるだけだ。それは充分に分かっているのだが……。

 何故だか獲物を捕らえたドラゴンの両顎を連想させるような、そんな感覚をこの時ふと精霊に覚えていた。


「とりあえず罠は無いぞ」

「当たり前でしょ……。思わず身構えちゃったけど、ここはそんな場所じゃないから」


 不思議そうに門を一瞥したカチューンは、勝手知ったるという足取りで建物に向かって歩き出す。俺もその後に続いた。


「ミスリア女学園っていうのか、ここ?」

「そ。ここは世界で唯一の『女子専門の戦士訓練所』なのよね。アタシの母校」

「女子の戦士訓練って……」


 俺はそうやって絶句してしまったのだが、これにはちゃんとワケがある。

 凶悪な魔獣やその上を行く悪魔など、人間には外敵がいっぱいだ。それに加え人間同士での争いまであるのだから、とにかく世界のありとあらゆる場所はいつでも「戦場」と成り得る。 

 だからこの世には「戦士」が必要なんだ。自ら血を流して平和を切り開くその仕事は、古来より――男の世界、とされていた。

 敵を倒すのは男の仕事。血を流して傷を作るのは男の勲章。多くの人々のために戦い、戦場に死すは男の名誉……等々。人間が武器を手にして以来、この「戦場」という仕事場は「男だけの物」という暗黙の掟が出来ていた。

 故に女は戦場に不要。寧ろ女を戦場に出すのは男の恥である、とも言われ、この世界では女に武器や魔法を手に取らせない。せいぜい教会のシスターとなって戦士の為に祈るくらいが、これまで女が「戦いに参加できる」唯一の手段だった。

 それを踏まえると、カチューンって存在が相当異端なのが分かるだろう?

 そして彼女が世界で唯一の「勇者」の称号を持つに至ったのは、どれだけの大事件か改めて思い知らされる。半年以上も揉めるワケだ。しかし彼女の戦士としての実力は、打倒不可能とされていた四大悪魔を下してきたことで認めざるを得ないほど証明充分だった。

 とにかく女は戦場に参加できない、女は戦士なんかになれない、ってのが今も強くあるこの世の風潮なんだ。それなのに「ひょん」と一級品の女戦士が現れたことをどこか不思議に感じていたんだけれど……。「こういう場所」があったってことね……。


「まあね。普通女子を戦場に出そうなんて誰も思わないけど……ウチの学園長はそう思っちゃって、何の遠慮も無くこんな学園建てちゃったわけ。なかなか人間離れしてアグレッシブでしょ?」


 カチューンが俺の胸中にある感想をそのまま言ってくれたので、俺はただ頷くだけだった。


「カチューンみたいな戦士を育てられるんだ、ただ『世の中に逆らってみました』というだけじゃないな。相当の人物だね、その学園長さん」

「怒ると怖いし、厳しいよ。……だからなーんか腑に落ちないんだよね」

「? 何が?」


 俺の疑問にカチューンは半目でこっちを向いて顎をしゃくってみせる。


「アンタを簡単に入れたこと。分かるでしょ? ここ「女学園」なんだよ?」


 あ……そうか。


「男子禁制は常識。ただでさえ「男なんかに負けるな! 意味の無い風潮に屈するな!」って男を目の敵にするようなこと教えてんだよ? 学園長直々に訓示たれてさ。それくらい厳しいはずなのに、ほぼノーチェックでジュドウを通すって……どういうコトよ?」

「俺に聞くなよ……つかオマエ、俺が門前払いされるの当然みたいな物言いしてんだけど、そんなんでよく「女子の楽園に招待してあげるわ♪」なんて誘ったな!? しかもオマエ自身が出禁くらってんじゃねーか! 何やったんだ!?」

「何って……アタシの性癖知ってるでしょ? こんな女だらけの楽園でアタシが黙っていられると思うワケ? ま、ほんのちょっと卒業前にハメ外しちゃっただけよ。てゆうか逆に褒めなさいっての!

 そんなアタシが学園に戻ってきて、しかもあの恐ろしい学園長に顔合わせて頭下げる決意までしたんだし! この勇気を褒めてよ!」

「完全自業自得じゃねーかそれ! ホントにオマエの紹介通るんだろうなぁ!?」

「それは保障なんて出来ないし。ダメ元で紹介してあげる、って言ったじゃない」

「『ダメ元』とか初耳なんだけど!?」


 そうやってカチューンと話している間にも俺たちはどんどん進む。いつの間にか大理石で出来た宮殿のような白亜の校舎内をつき進み、花の丘の名に恥じない花々咲き乱れる豪奢な中庭を横切り、校舎とはまた別に離れとして建っている洋館の前までやってきた。女学園ということでこの敷地内には女の子がいっぱいいるはずなのに、ここまで誰の一人にも遭遇してないことを「今は座学の授業中だから」とカチューンは言うが、それが別の原因であることを俺はもう知っている。この場所を構成する精霊が意思を持って俺たちをそう隔離しているのだ。

《こういう場所》なのか。ここは……。

 これから会う人物に対し心構えを正しておく。どの程度精霊に通じているかは謎だが、下手をするとこの準備はゼルガス戦に臨んだ時と同じような物になるだろうし。

 カチューンの話によると、ちょっとした地方領主が住んでいそうな煉瓦作りのこの洋館は丸ごと学園長室だという。室じゃなくて家だろう、これ。真っ白な大理石の校舎と相反した黒く厳かな佇まいは、館の主の人柄そのものを表しているようにも見えた。

 真鍮で出来たドラゴンのドアノッカーを三回響かせ、返事のないままカチューンが玄関扉を開ける。建物の外観から想像した通り、玄関を開けるとそこは広い吹き抜けのホール。左右の棟に続く階段がホールを囲んでカーブを描き二階に続いている。カチューンは迷い無くそのままホール奥の大きな両扉前まで進み、二回目のノックをした。


「うむ。入れ」


 ガーゴイル像から聞こえてきたあの声が、鈍く扉の向こうから響いた。取っ手を手前に引いて重い木製扉を大きく開ける。

 中は部屋いっぱいの窓から差し込んだ陽光が、いかにも「学園長室」という本棚で埋め尽くされた重苦しい空間を明るく照らし、窓の外に広がっている花壇の色彩が本来あるべき堅い雰囲気を見事に中和していた。そんな広い部屋だった。

 窓を背にした執務机から腰を上げ、その女性は俺を見て言った。


「久しぶりだな、ジュドウ・バフス」


 ……と。

 ――一言で表すなら彼女は妙齢の貴婦人、だ。

 ただし今まで見てきた女性……いや人間の中でも飛びぬけて背が高い。俺はそこそこ大きいほうだと思っているが、それでも彼女と並んだら見上げて話さなければならないだろう。一見した感想はただただそれに尽き、見慣れてくると今度はその美貌に魅入ってしまう。

 妙齢というのは「特に何歳かよく分からないけど多分若い年頃」という曖昧なモノだが、彼女は本当にその「曖昧」という言葉がよく似合う。銀縁の眼鏡をかけた切れ長の眼は睫毛が長く、その奥底を覗こうと目を合わせると逆に吸い込まれそうになる闇と光を備えた瞳。スラっと高い鼻筋。薄い唇。「婦人」と思わせるのは全体的に顔が長く見えるからなのだが、彼女から発せられている精霊の瑞々しさには若さがある。

 艶のある黒髪はただでさえ高い身長の足元まで伸びて乱れは無く、陽光を照り返して逆に光を放っているかのように見える。不思議な浮力で毛先が地面に触れず弾んでいるのは、精霊を身体に通すことが出来る者の特徴だ。

 全体サイズが規格外なのでそれを常人のものに縮めて評価しても、きっと彼女の胸は服が張り裂けるレベルでふくよかな方。それでいて胴は花の茎を思わせるほど細く、腰は球根のように大きい。そんな凹凸を隠すヒラヒラもフリフリもない地味な法衣に似た黒服を着ているのだが、逆にそのスタイルを際立たせて直接的な色香を放っていた。

 ……と、ここまで長々と彼女を観察したが、やはりこれだけの特徴ある女性を覚えていないわけがない。彼女を構成する精霊を見てもそう。どう考えても俺は……彼女と初対面だ。


「あれ? ジュドウ、学園長と知り合いだったの?」


 だからカチューンのそんな疑問に、自信を持って「いや」と答えた。


「ははは。つれないなジュドウ。まあ当然か……。では、これなら思い出すかな?」


 そう微笑みつつ、学園長はゆっくりとかけていた眼鏡を外した。

 ――。

 とたん、俺は認識した。

 言っておくが「眼鏡を外したら見覚えのある美少女でした」のような、容姿の変化で認識したのではない。

 俺だけが感知できる、『精霊の世界』で認識できた。

 なるほど、その眼鏡は本来の用途ではないわけか。己から溢れる精霊の気配をセーブする特殊な道具か……!

 とにかく分かった。認識した。確かに俺は《コレ》と出会っている。

 かなり最悪な思い出と共にその記憶がまざまざと蘇った。

 なので即断即決。ここは脱出の一手……なんだけど、逃げられる状況か? これ……。

 ここに飛び込んだ時点で「精霊の綱引き」をしようにも圧倒的不利。己の迂闊さを反省するしかない……!


「いや、もう帰さんぞジュドウ。ここで会ったが百年目というやつだ。大人しくしていろ」

「百年じゃねーよ。六年だろ……」


 俺と学園長の間にある空気が分からずポカンとしているカチューンを横目に、とりあえず俺はヤツの言う通りに大人しく様子を伺うことにする。


「とにかくご苦労だ、カチューン・エレヴァン。オマエが勇者の称号を手に入れ学園の地位向上を獲得したことよりも、このジュドウを私の前に連れて来たことが何よりの手柄だぞ。特別にオマエの頼みとやら、聞いてやろう」

「くっそ、知ってたら絶対来なかったのに……」


 学園長の賞賛と俺の怨嗟に挟まれても、やっぱり状況が分からないカチューンは不思議そうな表情のまま「はぁ」と適当に返事をした。

 気を取り直すように肩にかかった真紅の長髪を手で梳き、コホンと息を整えて学園長に眼差しを向ける。


「どうやらジュドウと旧知のようですので話は早く済みそうです。頼みというのは学園長、どうかこのジュドウを学園に置いてやってくれませんか――?」


 そこからカチューンは、今までの経緯を呆れるくらい何も隠さずそのまま告げた。そのおかげで止める間もなく「弱みを握られて困る奴」の最大手に改めて弱みを握られちゃった気がするんですけど……。


「――なるほど。承知しよう」


 話を聞き終えた彼女も、これまた呆れるくらい簡単にカチューンの頼みを飲んだ。どうやらこの二人、精霊レベルでの信頼と意思疎通が出来上がってる仲なのかもしれない。


「幸いにして学園は外界と隔離されているに等しい。人の目を気にして引きこもるには都合がよかろう。世の安寧……人間らしく平穏に暮らしたいとのことだが、それも叶えてやる。ジュドウにはこの学園の雑用係という仕事をやろう。その代わりに部屋も食事も学園内での自由も与える。これでどうだ?」

「雑用……係、ですか。先も話した通り、アタシにフラれてなかったら彼は未だ世界で唯一の勇者です。学園のレベルを上げるためにも、講師として後輩の指導に当てては? 私以上の戦士が生まれるかもしれませんよ」

「講師か。……無理だな。コレの教えることを理解できる者はおるまい」


 学園長は知ったようにそう言って、俺を見る。まあ実際その通りだと思うけれど。つられてカチューンも同じく俺を見た。

 話は済んだようだ。二人共に俺の返事を待っている。

 ――さて。

 なんとなく張本人を蚊帳の外で話が進められた気がするが、そんなことは無い。無言ながら俺だってその内容を充分吟味していた。

 正直なところ、かなりありがたい話だった。

 なるほど、世間から隔離された施設で人の出入りも厳しく管理されているここなら、勇者ジュドウが実は生きているなんてことがバレる可能性はまず無いだろう。

 少し心配していたカチューンの今後も、彼女の母校であるここなら把握できそうだ。もし再び大悪魔が出現した場合、さすがに彼女一人にまかせるわけにはいかない。そうなったら俺もまた剣を取らずにはいられないだろうから。

 女学園ということもあり、カチューンの触れ込み通り年頃の女の子ばかりの環境。

 すべてが理想の環境と言える。

 言えるだろう。

 言えなくも無い。

 いや言えるはずだ。

 ……そう言い淀ませるほど、秤に掛けて考えねばならないことがある。

 この『学園長』の存在だ。コイツが傍にいる生活を、果たして「平穏」と言えるのか……? 俺には分かることだが、カチューンがそんな依頼をしなくても学園長は俺をこの学園に……自分の手元に置いておくつもりだったはずだ。《とある目的の為に》。

 すべての理想環境を捨ててでも、その《目的》のために飼いならされるのは真っ平御免というヤツだ。だから俺は――六年前もコイツの前から逃げ出しているワケで……。


「心配するなジュドウ。今の私は『ミスリア女学園・学園長ミスリア』としての立場がある。学び舎に集う女戦士の未来を作ってやる目的が第一なのだ。……昔のことは忘れろ」


 お互い相手の精霊を読み取ってある程度の察知ができる間柄だ。彼女は俺の心中を理解できるだろうし、俺は彼女の言葉に悪意が無いことを理解できる。

 ……。

『昔のことは忘れろ』か……。

 そうだよな。俺はそんな勇者だった「昔」を忘れ、新しく人生を始めようとしているんだよな。コイツだって再会したら文字通り見違えるほど昔と違う生き方をしているじゃないか。もう六年前の過去に拘っては……いないだろう。

 秤は傾き、俺は腹を決めた。


「……分かった。世話になることにするよ」

「うむ。世話をしよう」

「飼い犬みたいに言うなよ……」


 学園長は何も言わず微笑んだが、その目が「似たようなものだ」と語っていた。

 ……あれ? 俺……もしかして間違えた?


「あらら……本当に決まっちゃった。まさか学園長とジュドウが知り合いだったなんてね。一体どういう関係なの?」

「言いたくない……」

「一言で言うなら『勇者とドラゴン』のような関係と言えるだろう」


 俺が言いたくないって言ったのに、学園長は無視してサラリと答えるし……。

「えっ、どういう意味?」と食いついたカチューンだが、アルカイックスマイルを浮かべた学園長の口はそれ以上何も答えなかった。


 こうして、俺は晴れて……なのか? 第二の人生を始めることになる。

 正確に言えば勇者になるまでの人生を第一と数えるから第三なんだけどね。でも自分で決意して生き方を変えたということなら第二で間違っていない。

 勇者から転じたその就職先は――


 女子専門戦士養成所、ミスリア女学園の……雑用係になったのだった。




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