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閉じていたはずの押し入れ上の引き戸が開いていた。男は何も気づかず、その引き戸に手をかけた。
出てきたのは──。
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小祝 万菜美が玄関に見慣れない小箱が置いてあることに気付いたのは、朝、出勤のために家を出ようとした時だった。なんとなく目をやった靴箱上のスペースに、花瓶の横に可愛い小箱が置いてある。色とりどりの石で飾られてはいるが、決してゴテゴテしいものではない。中を開くとオルゴールだった。万菜美が子供の頃に流行ったJ-POPがアレンジされた曲が、オルゴールの優しい音色で聞こえてくる。
「お母さん、このオルゴール、何〜?」
リビングにいる母に声をかけると、
「お姉ちゃんが幼稚園のバザーで買ってきたんですって。捨てるようだったから貰ってきたのよー」
とリビングから母の返事。
何となく違和感を覚えたが、万菜美はその違和感には気付かず、「ふぅん」と呟いて、それからオルゴールを閉じて、家を出た。
それが、始まりの朝だった──。
「万菜美、また開けっ放しにして!」
夜、帰宅して夕食を済ませた万菜美が自室のベッドでゴロゴロとしていると、リビングから母の声が聞こえた。
「ん、なに?」
顔を上げると、母親が万菜美の部屋の扉を閉めたところだった。
「あれ? あいてた?」
そうドア越しに問えば、母親が、
「あいてたわよ! 最近、色んなところの戸を中途半端に開けておくの、やめなさい!」
と万菜美に言い返した。
「は?」
思わず首をかしげたが、母親はブツブツと小言を吐きながら自室へと引っ込んでしまったようだった。
夜中に、キィッ……と音がして、その音に何故か目が覚めた日もあった。
ベッドの足元側にドアがあるので、うっすらと目を開けた万菜美は、自室のドアが少しだけ空いていることに気付いた。両親が建てたこの家は、お世辞にも広い家とは言えなくて、階段があって、2畳程の踊り場から、各自の部屋に繋がる仕組みだ。そして両親は夜中トイレに起きる時の為に、室外のフットライトだけは深夜であってもつけている。
だから、ドアの隙間から薄らとほの暗く黄色い明かりが見える。フットライト自体の光量は多くはないので、薄らと明るいという程度だ。
それでも部屋を暗くして寝る万菜美にとっては十分な明るさで、3センチ程開いたドアの隙間から1直線の黄色い光が縦に見えた。
そして、スッ、とその縦の光の真ん中あたりを黒い影が横切るのが見えた。
パタン。
扉が閉じられる。
(ああ、またあいてたのかな……)
立てつけは悪くないのだが、きちんと閉じられているのを確認しない大雑把な質なので、ドアが開けっぱなしだったのかもしれない。それをトイレに起きた父か母が気づいて締めてくれたのだろう。寝ぼけていた万菜美はそう思うと、瞼を閉じてまた夢の世界に直ぐ飛び込んだ。
ギィ……という音がまた耳に聞こえたような気がしたが、身体は眠りを欲していて、それ以上は動けなかった。
入浴後、軽く自分の身体の水気をふき取っていた万菜美は、風呂に繋がる引き戸が少しだけ空いていることに気付いた。流石に風呂に入る時は、父と母しか家族しか、今はこの家にいなくてもしっかり締めていた万菜美は、頭を乾かしてからリビングに戻ると、ドラマを見ていた母親に小言を言う。
「お母さん、人が風呂に入っている時に勝手に風呂場に入ってこないでよ」
「は? お母さん、入ってないわよ? あんたがお風呂入っている間は、ずっとテレビ、見てたわよ」
母親がむっとした顔で言い返してきた。じゃあ、父親かとも思ったが、父は本日飲み会で、家にはいなかった。
「自分で閉め忘れたんでしょ」
投げやりな母親の言葉にどこか釈然としない思いを抱えながらも、万菜美は、今度はきちんとドアを閉めたか確認してから風呂に入ろうと思った。
そうして、その日から万菜美は扉の開け閉めを意識しはじめた。
(また開いている……)
開いていることが気持ち悪いと感じ始めるのに、それ程時間はかからなかった。何故なら、彼女がきちんと閉めたことを、指さしまで確認していた扉が、ふとした拍子に空気の流れを感じて顔を上げると開いていることがあったからだ。
「ねぇ、お母さん。最近、扉があいてること多くない?」
ある日の夕食、母親にそう告げると、母親は「あんたがあけっぱなし……」と言ったのち、
「そんなに多くはしないわよねぇ……」
と語尾を濁らせた。
「何でかしらね? いきなり立てつけが悪くなったわよね」
「ていうかさあ……」
ぎぃ。
二人で話しているというのに、リビングと廊下を繋ぐ戸が僅かに開く音がして、二人は思わずそちらを見た。目をやると、リビングに繋がる扉が数センチ開いている。
ぞっとした。
母親も同じことを感じたのだろう。色味の失せた顔を互いに見合わせると、
「風で動いたのね」
と母親がぎこちなく言った。きちんと閉めてしまえばノブを回さなければ開かない筈のドアが?とは思ったが、それを口にする勇気は万菜美にもなかった。
ただ、気持ちが悪い、と互いに思いつつも、それを口に出すことはできなかった。