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学校断頭  作者: 浪速
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十二月二十四日 金曜日 午前十時四十一分 黒い獣が火を噴く理由

 国道309号線。


 後ろでシンディの荒い呼吸が聞こえていた。

 道路があまりにも悲惨な上に、横たわる人間を避けながら走るため時速六十キロも出せなかった。

 それでも、牧羊犬の血を持つシンディは余裕のように見えた。まだまだ走れるのかウズウズしている。


 車が道端に突っ込んでおり、道路の中央はほとんど開いていた。車が炎上し、黒い煙を舞い上げている。爆発した跡も見られる。鳥たちは数は少ないが飛んでいた。

 高架道路から見える歪な塔はより存在感を増し、私は目をそらした。


 徐々に事態が飲み込めてきた。まるで地球全体の生命活動が止まってしまったみたいに静かで異質な感じ。じわじわとした恐怖のようなものが地を這ってる。

 これは現実。夢なんかじゃない。そして、一瞬にして人や動物が死んだ。血が大量に流された。

 家族、友達、親しい人、顔見知りの人、自分と会った人が死んだ。何かが胸の中でうごめいてる。虚しさとか悲しみとか。


 なのに、私は少しこの状況が嬉しかった。かなり不謹慎だ。いまだかつて人類が体験した事のない出来事によって感覚が麻痺してるのかもしれない。

 今までしてきた小さな選択が間違ってたとしたら? 人間としての良心が欠けているとしたら?


 この現状はいったい何なのか? 



 五分後、生活用品からアウトドア製品や工事用品まで売っている大型のホームセンターを越え、大きな河川にかかる橋の手前だった。


 突然、バイクが急停止した。

 目の前の背中にめり込みそうになった私はは後ろから矢坂の背中をグーで叩いた。

 だけど、文句も返事も返ってこず、まるで氷漬けにされたかのように硬直してる。


「まだ、先な――」


 シンディが前方を睨んだまま唸っているのを不審に思い、矢坂の背後から顔を出して見えなかった前方に目を向けると、異様な光景が飛び込んできた。


 誰かがいた。屈んで何かに触っていた。そして、何かに触れた手を口に運んだ。

 その何か、誰か、何をしていたのか瞬時にわかった。猟奇的だと。倒れた人、こちらに背を向けた男、口に運んでいる血肉。


『血ね……血よ。まだ、あるわ』


 霧の向こうから発せられてるような声が私の意識を一瞬だけ現実に引き戻す。



 声……。血を……人……、声が……! 血、血、血……。あの人……?

 人を……血、血を……吸血…………、


 吸血鬼。



 頭の神経がブチブチ切れ、顔面蒼白になりかけていたのを戻すかのようにシンディが哮る。


「お前、……何してんだ」


 その声はかすれていたが純粋な恐怖があった。

 横たわっている人間から血が離れた。まだ胸がかすかに上下している。目は見開いていたが何も見てない。

 血が私たちに向かってきたかと思うと、足もとを抜け、そのまま滑るように流れていった。恐怖の眼差しで血を見送るとすぐに前に顔を向けた。


 前方の人影は、こちらを見ると立ち上がった。日本人の平均身長以上の長身で白い三本ラインの黒いコートを纏った男――体格から男だとわかった――はこちらに体を向けた。袖口を捲り上げた腕以外は肌が出ていない。顔も例外ではなく、フードかすっぽりと覆ってる。


 手についた血を見た私の体中で警報が鳴ってる。こころから逃げろ、と。


「君ら、生きてるんだ……」


 ヒョロッと気の抜けたような声。しかし、今まで聞いた事がないくらい力強く聞こえた。

 フードの所為で表情は読めない。


「どうして?」


 言い終わるが早いか、道路を蹴っていた。瞬きをするよりも速く、私たちのすぐ近くにいた。

 心臓が凍りついた。死ぬ――何か本能的な部分が叫んでた。

 私はリュックの左の肩ベルトを腕から抜き、右肩にかかっている千切れた肩ベルトを軸にして相手にリュックを叩きつけた。が、当たる事はなく、目標があった場所を過ぎて運転手に当たった。いつもなら言い争いが始まるところだが、矢坂も同じ事を感じていたのか黙っていた。


「へぇ。人間がみんな死んでいるってのに、楽しくデート?」


 その「人間」という言い方は私たちが日常で使う意味と違った意味をはらんでいる気がした。

 男は倒れている人間の隣に退屈そうに立っていた。


 少なくともこの男は私たちのような立場じゃない。何か、この男は状況をすべて知ってるような感じ……。吸血鬼と言っても過言じゃない。


 血塗れで倒れていた人間の頭を男は自分の足でぐっと踏みつける。見ていて不愉快だ。


「あんた、何?」


 私は極力震えを抑えて、出来るだけ威厳を保って言った。

 男が足で横たわる人間の頭をもてあそぶのをやめ、血に染まった手でフードを外すと、少し日本人離れした顔が現れた。目は闇のように真っ暗。赤に近い栗色の髪はグシャグシャ。口元には不気味な笑みを浮かべてる。


「吸血鬼」


 心を見透かされたような気がした。

 血のついた唇はまさしくそれだ。人間の血を貪る伝説または想像上の生き物――吸血鬼。吸血鬼は空気中のにおいを動物のように鼻を高くして嗅ぐと、うっとりと目を閉じた。


「新鮮な血のにおい。ホッント美味しそう」


 冬なのに背中に汗が滲み出た。恐怖が全身を満たしてる。

 自然の摂理、または食物連鎖に従うとしたら殺される。私たちは餌。被食者だ。


 一瞬の間に後ろにいた。今は少なくとも何かがあると感じるが、先ほどまでまったく何もない空間のようにしか感じなかった背後。

 シンディが唸りを上げ、飛びかかった。


「シンディ!」


 男は紙一重で白黒の弾丸を避け、シンディの体に手刀を叩きつけた。手が一瞬だけ光ったように見えたが、血が吹き出てそれをわからなくした。

 地面にシンディが叩きつけられると共に、血が道路に広がった。私は動けなかった。心臓に鉄が流し込まれた気分だ。


(       )


「犬は君らの言い成りじゃない」


 大きく息をしているシンディを見た瞬間、心の中に何かが生まれた。


 憎悪。まさにそれだ。

 相手ほど速く動けていれば、私はすぐさま殴りかかっていただろう。だけど、身体能力の低さは身に染みてる。

 ヘルメットを乱暴に外して道路に投げつけるとバイクを降りた。爪が掌に食い込み、指の節が白くなるほどに拳を握った。


「……言い成りじゃない事ぐらい、あんたよりわかってる!」


 叩かれ、殴られ、蹴られ、檻に閉じ込められ、放置された動物たちに何度心を痛めただろう。人間が動物を下のものとして扱うのは間違ってると思っただろう。

 激怒した事のない私でさえ処理しきれない怒りが湧いてくる。

 ベルトのホルスターとコートのポケットに手が勝手に向かった。


「彼女の意志でついてきてくれた!」


 弾倉と拳銃を同時に取り出すと、弾倉を銃把の下から入れた。それと同時に照門と照星を合わせ銃口を相手に向ける。引き金に指をかける。

 銃を握り締めた両手の一部に血がついているように見えた。


(       )


 金属の冷たさと本格的な冬になろうとしている風の冷たさが手に突き刺さり、手が固まる。


「おまっ……!」


 背後から驚きの声と視線が刺さる。だけど、構っていられない。


「撃つ……? でもね、それ……、まだ撃てないよ?」


 吸血鬼は偉そうに首を傾げた。


 安全装置が解除されていないし、弾薬を薬室チェンバーに送り込むために遊底スライドを引いていない。さらに撃鉄が起こされていないため、発砲は出来ない。私の知識が正しければだが。

 少なくとも拝借してきたままの状態であるし、拝借する前から発砲の準備などされてるはずがない。

 ドラマや海外の映画を思い出し、記憶と同じようにする。遊底をつかみ、いっぱいに引くと手を放す。撃鉄が起こされる。もう一度銃口を相手に向ける。


 それを見ていた相手はニィッと口を曲げた。


「撃たないの?」


 痛いぐらいの殺気が滲み始めていた。

 近くにすぐ現れた事を思い出すと撃っても無駄だと理解出来る。少し銃口を下に向けた。足もとに撃つぐらいに。しかし、心のどこかで目の前の男を撃てと叫んでいる。


 吸血鬼が横たわった人の首を踏みつけた。血を口の端から垂らし、踏まれた人は呻き声を上げた。咄嗟に私は銃口を男の左胸に向けた。引き金にかけられた指に力をこめる。


「これでも撃たない?」


 吸血鬼がシンディを蹴飛ばす。その瞬間、指が引き金を強く触れた。

 シンディの周りに溜まる血が危険だと知らせる。怒りがこみ上げた。目の前の吸血鬼男など死ねばいいと思った。


「でも、君って、そう簡単に命を奪える子じゃないよね?」


 今なら奪える。そう、心のどこかに確信を持ち始めていた。


「僕もさぁ、ある意味人間。君らと同じで生きてるんだよ?」


 生きてる。改めて言われてわかった。目の前の「命」を本気で殺したいわけではないが、どこかにその気が生まれていた。言われるまで怒りに任せて撃とうとしていた。

 目の前の吸血鬼はまさに私を混乱に貶めるもっとも簡単な質問を投げかけてくる。

 


 人間だろうと動物だろうと家畜だろうと何だろうと生きたいと思うのに変わりはない。

 それを人間が奪っていいなんてない。いくら感謝しつくしても……。


 人間だって、死ぬ事を自ら望まない。どんなに死にたいと思っても、死の恐怖から逃げるのは本能が生きたいって思ってるから。家畜たちはもっと生きたいと思ってるのに。

 人間は命を奪っている事に気付いていないの? 知っていても見てない? 


 命は変わりない。人間だから上なんてない。すべて平等。

 


 人間がその他の生物を等下と見るなら、この男は人間を等下と見てる。そして、この男は動物をそれ以下と見ている。いや、すべて平等と見てる。

 気持ちが矛盾していた。いや、矛盾だともわからないほど混乱していた。

 それでも、私は先程まで誰かを殺そうとしていた。命を奪う事に気付いていない人間のように。


(       )


 心が悲鳴を上げていた。


「そうだよね。よっぽどじゃないと人間を撃てない」


「人間じゃない命だっ!」


 撃ちそうな勢いに矢坂が制止を叫んだが、私の耳には遠い山彦のように聞こえた。


「君って本当にわからない」男は肩を竦めた。「本当に人間? それとも……僕らみたいに人外?」


 自嘲気味な薄笑いを顔に貼り付け、私の心を抉り、男は霧のように消え去った。

 途端に手から銃が離れ、全身の力が抜け倒れるように座り込むと、脱力感と共に怒りに似た罪悪感がこみ上げた。

 世界が間違ってるのか、自分が可笑しいのかという問題に耐え切れなくなったような……。しかし、それは今この状態が原因ではない。


 自分がわからない。怒りに似た感情が全身を支配していた。怒りに身を任せるとはこの事なのだろうか。


 拳銃という非日常的なもの。これを撃つ事がどれだけ重大かわかっていたはずだった。今までの日常でも重大な事だが、変わり果てた無法地帯では何もない。己の掟だけ。心に染み付いていた銃への憧れと、つい先程の引き金を引く感情。二つが混じり反発していた。そして、三つ巴のように別の感情が覆いかぶさっていた。


「バカ」


 声と共に髪が跳ねた。優しく叱るような声。突然の衝撃に、私は一瞬何がなんだかわからなかった。


「お前さ、何でそんなもん持ってんだよ」


 答えられなかった。ただ首を横に振った。憧れと好奇心から銃を持ったのかもしれない。正当防衛じゃない。


 あの、人は……殺したんだ。私はそれを殺そうとしてた……。


 手から銃が落ちた。

 左目から流れる大粒の涙を撒き散らしながら、私は首を横に振った。袖で涙を拭くが全部拭いきれない。底なしの湖の水量がそのまま流れてきたようにあふれてくる。グイッと強く拭くと後は涙があふれるままに放った。


「シンディ……シンディ!」


 大きく体を上下させるシンディに向かって無我夢中で走った。

 白い毛が赤く染まり、血の池が大きく広がってる。少なくとも止血法は知っているし、母が看護師であるし、止血法という名前を知る前から自分で負った小さな傷は止めていた。だけど、これは処置をしても、出血性ショック死か出血多量――どちらか詳しくわからない――で死んでしまうかもしれない。


 死なせない。〇.〇一パーセントでも助けられる可能性があるなら、絶対にこのまま死なせたりしない。

 リュックを拾いに行き、すぐにシンディのもとに戻る。リュックをひっくり返して、中身を全部ぶちまける。タオルを拾い上げ、傷口に当てる。救急箱の蓋を無造作に開けるが、何の方法も思い浮かばず手が止まる。


 シンディの目が生きたいと訴えてくる。


 動け。手を動かせ。何でもいいから考えろ。いつもの馬鹿げた考えでもいい、何か思いつけ。

 自分を叱咤した途端、一番嫌な案が浮かんだ。


(       )


 苦しんでるシンディを殺す事。銃を使い、安楽死とは違うがこれ以上苦しませずに殺す事。


 自分が信じられなかった。こんな馬鹿な案があるか。私が嫌いな人間の案と一緒じゃないか。私は、生きたいのに利用されて最後には殺される運命を辿らせる人間ではない。


「あ゛あ゛あ゛あぁ゛あ゛あああああぁぁぁぁぁぁ!」


 拳をアスファルトの道路に叩きつけ、考えを振り払うかのように叫んだ。自分でも発狂してしまったんではないかと思ったが、叫んだ事で頭がすっきりしいつもみたいに馬鹿な考えが浮かんでくる。


 一番確実で可能性が高い方法。だけど、それは今日知ったばかり。しかし、その安全性は今現在まで証明されている。私によって。

 ズボンの右裾を剥ぎ取るように捲り上げると、半液体状の鮮やかなそれは傷口を塞いだままだ。それを削り取るように指に絡めとり、シンディの体毛を掻き分けて傷口に塗りこむ。今はこれに賭けるしかない。

 シンディは痛みに四肢をバタつかせ、キャンッと鳴く。


「大丈夫。シンディ、大丈夫だから」


 血は止まっていたが、呼吸は荒いままだ。

 目に生きたいという光が強く点るが、一方で別の光が見える。それを見るととても苦しい。でも、それが何なのか理解出来ない。胸がつっかえてるように。


 シンディは一度首を持ち上げて、私を見た。その目には得体の知れない何か美しいものが宿っていた。そして、目が閉じ頭が垂れ下がる。


「シンディ、死なないで……」



 私は理解したくなかったんだ。


 シンディの身体から力が抜ける。

 目の前が真っ暗になった。何も見えてない、見たくない。


 世界がすべて間違ってる気がした。こんなのってない。間違ってる。


 肉を食す私たちによって飼われた肉たちが無残にゴミ捨て場に放り投げられるように、シンディは歯向かっただけで殺された。


 私が死ぬべきだった。勇敢にも立ち向かったシンディが死ぬのはあまりに理不尽だ。だけど、それが立ち向かった代償だった。いや、殺しを楽しむ人の犠牲になった。

 何が正しくて何が間違ってるのかわからない。だけど、ただ一つ、シンディが死ぬのは間違ってる。


(       )


 何も理解出来ない、理解したくない。

 シンディを抱きしめた。

 声を上げて、尻尾を振って、愛らしい目を開いて、軽やかに動いて。


 もう一度私を見て。


「あぁあああああぁぁぁぁ」


 私は死に涙を流した。


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