一月二十三日 日曜日 騙していた後日談
霧生咲羅はただの人間じゃなかった。それを隠していたのは大きな失態だと悔やんだ。
世界は時空によっていくつも分かれている。俗に言う平行世界だ。
咲羅はその中でも第七十二系列時空人と呼ばれる。今現在咲羅のいる時空は第三系列一万二十七時空と呼ばれる。第七十二系列時空は平行世界の存在を知っていたが、第三系列時空は平行世界の存在を微塵も知らない。
咲羅のいた第七十二系列時空は第三系列時空とはかけ離れた世界だった。魔力を持ち、俗に魔女や魔法使いといわれる人々が一般的である。すでに時空移動の方法を確立した時空の――時空移動ができる方法を持つ時空の連盟――パラベル連盟に加盟している高度な時空だ。連盟は時空移動のための規範を定めており、違反すると死罪に値する。
咲羅は第七十二系列時空に二、三度しか行った事はなく、ほとんど第三系列時空で定住していた。もちろん家族もだ。
事の始まりは、狂狼人と呼ばれるあの七人も時空移動によって、第三系列一万二十七時空に来た事だった。連盟にも狂狼人の素行の悪さは知られており、中には指名手配すらいた。
それを知った連盟の違法時空間移動を取り締まる騎士団は咲羅に任を与えた。狂狼人が何をしようとしているのか、どうして大勢――狂狼人の七人は多い方だ――集まっているのか、どうして場所が何もない第三系列時空なのかを調べる事だった。
だが、知る事の出来たのは「ブラッディアウト」が行われる事だけだった。それを知ったのは「ブラッディアウト」の前日。騎士団にそれを報告すると「ブラッディアウト」中は人類の防衛および狂狼人の捜索、起こる前には狂狼人の抹殺の命を受けた。
騎士団は援軍を送るつもりだったが、「ブラッディアウト」中に第三系列時空へ移動出来ず、それが起こる前にいた者だけしか任務を遂行出来なかった。リサ・ハンセンもその一人だ。
一週間で解決出来ない場合はすべてを第三系列時空の政府に託し、各々自由な行動をとってもよい事になっていた。
だが、それも一日で終わってしまった。
現在の任務は「ブラッディアウト」の究明。
咲羅がそれらの事を話したのは「ブラッディアウト」の三日後だった。上別府からは強く批判を受け、美穂からは口も利いてくれなくなった。矢坂は咲羅を怒鳴りつけたりはしなかったが、それが咲羅には苦しかった。三輪は咲羅の事を許した。咲羅もつらかったのだと。
だが、咲羅にはまだ誰にも言えない事があった。
「もう、帰ろうぜ」矢坂が言った。
夜にライトを持って学校の敷地内を徘徊するのは不審者以外の何者にも見えない。一度など教員に見つかってしまい警察に突き出される寸前だった。
三輪がライトの電源ボタンを何度も押しながら、伸びをする。
「そうや。また、明日から一週間」
誰も帰りたいとは思っていない。見つかる事なら永遠に探していたっていい。だが、誰もそう言わなかった。
十五、六の子供に何ができるのか、それは限られていた。
つぐみがとどめを刺した瞬間、「ブラッディアウト」発生直後まで時間は巻き戻った。
あの瞬間、何かが解き放たれるのを感じた。風のようになめらかで、波のように押し寄せてくるものを。
それを知るのは「ブラッディアウト」でも生きていた人だけだった。
世の中は、「ブラッディアウト」が事実なのか決めかねている。政治家のほとんどは体験しておらず、事実無根だと決め付けていた。だが、マスメディアは有名人が体験しているなどと取り上げて、どっちつかづの状況を盛り上げていた。「血のイヴ」や「血の金曜日事件」、「獣の反攻」などと呼ばれてる。
面白半分にうその情報を流す輩も増え、どこまでが事実か判別出来なくなってきていた。集団ヒステリーや大規模な悪戯だと思われるのが大多数。インターネットが普及している今だからこそ大勢が集まるのも同じ情報を共有するのも簡単なために真実味は薄れてきている。逆に真実が集まる事もあったが、過半数はでっち上げだとした。
物理的な損傷は一つもなかったが、精神面には大きな傷を負っていた。体験したとされる者たちの中には半狂乱に陥る者もおり、それが「ブラッディアウト」の証拠とする動きもあった。
もう一つの証拠として、「ブラッディアウト」発生の同時刻に多くの者が死んだ。咲羅たちにはそれが人間の手で殺された人間だと後にわかった。死因は「ブラッディアウト」後に殺された時の致命傷が一瞬で身体に現れたためだった。「ブラッディアウト」によるそれらの責任を誰が負うかが問われた問題もあった。咲羅の知るところでは犯人の狂狼人は死んだ。だが、政府も世の中も犯人が誰かすら知らない。ぶつけようのない怒りだけがたまっていた。
つぐみは王水で融けてしまったためか遺体もなく、事実上死亡扱いにされるはずだったが、咲羅の聞くところによると濱本は、つぐみは普通に生活しているのだと言う。咲羅も確認してみたが、確かにつぐみは普通に生活していた。それも「ブラッディアウト」などまったく覚えてなかったかのように。咲羅は一目見て、「ブラッディアウト」を体験し、肩を並べて戦ったつぐみではないのがわかった。第六感だったが、そのつぐみに探りを入れてみると事実だと確認できた。
咲羅は捕まった時に連れられて通った「最後の部屋」に行く通路がある倉庫の扉に立っていた。扉を押そうも引こうも開く気配はない。まるで壁に凹凸を作って作られた偽者の扉みたいだ。何度も殴った跡がある。
「今いるあいつは違うって言い切れるか?」
「坂ちゃんを一目見てパニックになるんだから違うわ。知ってるとも思えない」
確かに咲羅の言うとおり、通学途中に偶然すれ違っただけで目に見えてパニックを起こしていた。顔が溶けそうなほど真っ赤にしたつぐみを見て矢坂は少々驚いた。
「それに、つーが何も言ってこないなんて可笑しいじゃない?」
完全に死んだという証拠がなければ、信じない。
それは時空や連盟や騎士団という事をすべて無視し、一人の友人として。
確かに、身勝手に刺し違え覚悟の行動を起こした事は彼女を正座させて小一時間説教したい。つぐみも自身に追い詰められていた事情は察しているが。
つぐみもそれを恐れて、何も言って来ないという事はないはずだ。少なくとも目を見れば、それを後ろめたいという色がわかる。
だが、今いるつぐみは何も書かれていない白紙のように、「ブラッディアウト」を体験した事を知らない。あれだけニュースや新聞に取り上げられているのだがら、見聞きしているぐらいはあるだろうが、籠の外から見ている状態だ。
「私のとこなんて、普通に年賀状も来たしなぁ……」
三輪が寒そう震えて、コートのボタンをしっかり留める。手を袖の奥にしまい、寒さに耐える。
「霧生。お前の話が本当なら、ここに佐野が二人いるなんて無理だろ……?」
「そうよ」咲羅は言った。「通路かなにかあるはずよ……」
突然、人が消える事はありえない。咲羅のいた時空の技術をもってしても、何の痕跡も残さずに消える事は出来ない。移動する事も同様だ。
しかし、痕跡を残さずに消える方法は一つだけあった。
女が入っていた水槽に満たされていたのは王水。それも咲羅の知る魔力が溶け込んだ王水。
対象を選び取って、融かす事の出来る液体。
何もかも跡形もなく、融かしてしまう。
あの王水がつぐみの身体を融かしたのだとしたら……
「死んでいない」
暗闇の中から声がして、三人は振り向いた。
全身をこわっばらせ、次の行動に意識を集中させた。
外灯の光の奥に潜んでいる。しかし、敵意はまったく感じられない。
咲羅は懐中電灯を顔の横に掲げ、闇の奥に向けた。
強烈な光をもろともせずに見返してくる男の笑みがあった。声音が落ち着いていてずいぶん歳上かと思われたが、自分たちとそれほど歳も変わらないようだ。
「彼女は死んでない。ただ、少し眠ってるだけだ」
まるで用意されていた言葉のようにすらすらとありえない事を言う。
だが、そのありえない事が咲羅にとっての希望と言ってもよいものだった。
「俺が助けてあげるよ」
その言葉に何か罠が隠されていないのか、嘘ではないのかと咲羅は目を細めて、青年の表情をまじまじと見た。
「ただし、彼女のDNAと交換だ」
こういう輩が何をしでかすか咲羅には予想がついた。かなり危ない思想だ。
懐中電灯を握りしめ、警戒する。
「……あなた、誰?」
「Glenn・Stoner」
その名前に咲羅は目玉が転げ落ちそうなほど見開いた。
その言葉を疑うのが普通だろうが、咲羅は真実だとわかった。
一縷の望みにかけるしかない。
To Be Continued...?
後日談終わり。




