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学校断頭  作者: 浪速
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十二月二十四日 金曜日 午後六時二十七分 移りゆく咬傷

 これが人狼だった。人狼は人間から出来ていた。



 私は絶句した。今まで殺したのは何だったの? 


 結局私も人間だった。人狼だから殺していい。人間だと知った今、それはいけない事だとほんのわずかでも思った。


 もう、これ以上人狼を殺す事は出来そうにない。

 頭の中で思考回路がぐるぐる回って暴走してる。生死の迷いを感じた時よりもっと酷い。神経が爆発しそう。


 人狼は人間だった。どこで間違った? 何が起こってる? 人間が人間を殺した? 


「つー! 逃げて!」


 咲羅の声に思考の迷路から緊急脱出した。

 咲羅はバーコウィッツに頬を思い切り殴られた。頬が切れ、出血した。その血をバーコウィッツは舐めとった。気色が悪い。目が血に酔ってる。


 金魚鉢から少し離れた右側には二人立っている。一人は栗色のグシャグチャ髪のバーコウィッツ。もう一人――リサさんと取っ組み合いをした狂狼人――は病的に白い女性。咲羅とリサさんのを羽交い絞めにしてる。

 左側には三人。三人の男のうち、私は二人に見覚えがあった。だらしなく座っている方――寝ていた美穂を人質に取った狂狼人――はブロンドで、その首の角度が普段どおりのように首を傾げている。

 もう一人は鼻から頬にかけて大きな傷を持つ年長の男――矢坂を人質に取った狂狼人。最後は見覚えのない赤毛の男だった。

 ブロンドの男が美穂を捕らえ、年長の男が矢坂と上別府の首に電気を帯びた手刀をギリギリに突きつけていた。


人狼リュガルーをちゃんと紹介するのは初めてかな?」


 人狼となった永岡さんの目を見るには見上げなければならなかった。瞳に憤怒はなかったが、琥珀色アンバーをしている。命令を待っているロボットのように感情のない目。

 体つきは人狼同様、隆々とした筋肉を纏っていて巨大だ。狼の体毛が全身を覆っている。いや、生えている。変化する過程を見ていなければ、永岡さんだとは信じがたい。


 咬む事によって人間は人狼になる。でも、あの出血の量は可笑しい。もうすでに手首の傷はふさがってる。

 だとしたら、バーコウィッツと初めて遇ったあの時、あれは喰っているのではなく咬んでいただけなのかも……。いや、確かに血肉を喰っていた。


 向こうの方に見えるバーコウィッツは笑いをかみ殺そうとしているようだったが、ニヤニヤ笑っているのがわかった。たぶん、私の考えを読んで、それが当たってないということだろう。


「全員を放してください」震えそうになる声を出来るだけ抑えて言った。


 人狼リュガルーの永岡さんに引き付けられる視線を何とか對崎に向け、憎しみを込めてにらんだ。



「あの答えを聞こうか」


 對崎は、一度こちらを見て私の言葉を意図的に無視した。


「火、水、光、さあ、どれだと思う?」


 私は斬りかかろうと一歩足を出した瞬間、横っ面を殴られ体ごと吹っ飛んだ。冷たい地面に叩き付けられたが、すぐに体勢を立て直した。口の中を切ったみたいで、血独特の味がする。

 どうやら人狼の永岡さんに殴られたみたい。私を見下ろす琥珀色の目には憤怒の炎が灯っていた。

 私は口の中にたまってきた血を吐き出した。複数の狂狼人の瞳が一度血をとらえてとらえてからもとに戻った。どんなのであれ、血は好きなんだ。


「この子は俺に従う」余裕の笑みを浮かべた對崎が言う。「さっきのは自分の意思だったようだけどね」


 ボディーガードという事らしい。突破不可能な壁に見えてくる。人狼の永岡さんは自分の意思で私を殴った。もう私の知る永岡さんではない。人狼だ。それでも簡単に割り切れるわけがない。殺そうと思えば殺せる。だけど、心が邪魔してる。あれは私の友人だった。


 刀の柄を掴み、鞘から抜いた。私は少しずつ對崎に歩み寄った。人狼の永岡が攻撃してこないギリギリの範囲を見極めながら。筋肉が指先までついた腕がピクリと動いたのを見て、足を止めた。私はさっきより三歩ほど遠い位置に立った。人狼の足元に鞘を投げ捨てたが、見向きもしなかった。


 對崎は私に背を向け、数歩だけ金魚鉢のほうに歩いた。私は刀を握って、いつでも斬りかかれるようにした。だけど、一歩も踏み出せない。琥珀の目が私を監視している。


「答えは水だ。獣と水と聞いたら何を思い浮かべる?」


 私は表情を変えず、考えてみた。獣と水。水獣、違う。短絡的過ぎる。生命維持に必要なものだろうか? 獣は水を飲み、生きる。違う。飲食には関係してない。

 どうして獣とセットなのか? 狂狼人を獣だとすると、何が違う? 


 水を恐れているんだ、狂狼人は。狂狼人だけに結びつく事じゃない。だけど、狂狼人は水を恐れてる。

 

 狂った狼の人……。



 答えがパッと現れた。ついさっきまで見ていた夢を、目を開けた瞬間に忘れたのに、何時間も経ってからパッとその夢の内容を思い出したかのように。


 その答えを口に出せなかった。



 狂犬病。恐水病とも言われる。狂犬病の症状には水以外にも音や風を嫌う場合もある。それは発症後の死亡率はほぼ百パーセントで、確立した治療法はない、最も致死率が高い病気。そんなのに感染しているはずがない。だけど、発症せずに感染だけなら? ありえない。そんな恐ろしい病気が狂狼人と関わっているなんて最悪とでも表しようがない。


 それが正解だとすれば、私は感染してる。感染源はポテトに違いない。


「そう、当たってる」バーコウィッツが言った。「ご名答」


 だけど、小さな子供がアリの巣をぐちゃぐちゃにするのを面白がるような笑みでバーコウィッツは笑っていた。真っ黒の目が狂喜を宿してる。口角が吊り上る。


「自分の口から言うんだ」


 冷徹な声がした。一瞬誰だかわからなかった。だけど、すぐに理解した。對崎慶輔はバーコウィッツより残酷。


「一人ずつ死ぬ。もう待てないんだ」


 對崎は人差し指を突き出して、手を銃の形にする。パチパチと放電してる。そして、その指先を咲羅に向けた。ダメだ。本当に殺してしまう。ただの手に過ぎないのに鉄の銃よりも残忍な凶器だと直感で理解した。


「言うから人質を解放して!」


「人質?」


 對崎以下数名の狂狼人が吹き出した。


「違う、違う。餌だよ」


 平然とした答えに私はわけのわからない感情を覚えた。驚愕、憤怒、憎悪、絶望でもない。深い闇に落とし込まれた感覚。安心も出来、不安にもなる。さまざまな感情なのにたった一つの感情が体中を支配していた。

 瞬きした瞬間に私は、對崎から腕一本分離れたところで刀を左胸に向けていた。切っ先を對崎が握りしめ、ギリギリのところで届いていない。

 何があったのか自分でもわからなかった。瞬間的に私は我を忘れていた。その瞬間に自分の中の狂狼人が出た。


 對崎の顔が強張っていた。頬からプクッと小さな血の玉が出てくる。

 私の狂狼人が對崎に襲いかかったんだ。それもかなりのスピードで。對崎が追い付けなかったぐらい。顔を刺そうとしてから左胸を刺そうとしたに違いない。だけど、まだ何か違う。狂狼人じゃない。文明の利器を使うなんて。


 背後で何か音がした。土嚢を落とすような音がいくつか聞こえた。私は振り返り、目を疑った。

 人狼がくずおれた。エッグスライサーで四方向から切ったかのように肉片がばらけて床に転がった。蘇芳色の血が広がっていく。


 私は全身から力が抜けた。殺してしまった。人狼を。ううん、永岡さんを。


「それでいいんだよ。さあ、次死ぬのは誰かな?」


 夢うつつ状態で混乱しているのに對崎は容赦なかった。私は何をしていたのか忘れていた。人狼の流れ出た血が地面を掴んでいる指を浸した瞬間思い出した。私は絶望か希望か全くわからない淵に立たされている。


「言うからもう誰にも手を出さないで!」


 對崎は納得したように大きくうなずきにっこりほほ笑んだ。あの笑顔。大抵の女性がクラクラしそうな馬鹿げた笑顔。


「……狂犬病」自分でも聞き取れないぐらいかすかな声だった。


 對崎は聞こえなかったふりをして、もう一度言うように目顔で促してくる。


 怒りと悔しさで拳を固く握り、両腕の筋肉は緊張する。感情が行き場をなくし、押しこめられた空間の中で暴れまわってる。発散しようがなかった。何かを殴る事も罵る事も出来なかった。少しでも感情が漏れ出すと狂狼人が現れそうだった。


「狂犬病!」私は声を荒げた。


 永岡さんが噛まれ、人狼になった。何かがあるとしたら、感染。そして、噛んだのは狂狼人――もちろん感染源だ。

 私は地面にへたり込んだまま、血に塗れていく手を見ていた。傷だらけで、内出血してる。手入れのされていない爪はもっと酷くなっていた。


「たった二つでよくわかってくれたね」


 對崎の表情はとても自然な笑みだった。今まで人を殺したなんて思えない。


「まさか……」


 咲羅の声は私を責めてるように聞こえる。本人はそんなつもりじゃないのに。


「人狼は狂犬病に侵された人間の成れの果て。ただ少し普通の狂犬病とは違う」


 對崎は水槽の方に歩み寄り、その表面を撫でた。愛おしそうに水槽の中の女性を眺めた。狂狼人だと知ってから初めてまともな人間らしく見えた。誰かを愛する一人の人間。

 バーコウィッツは三秒ほど目を閉じ、瞼を開くと一瞬だけ對崎に目配した。バーコウィッツは何かを伝えたのかも。あいつは心が読める。誰かのを読んだはず。


「佐野ちゃんは噛まれた事があるかい? 動物に」


 その質問に私はギョッとした。決別したはずの對崎部長に見えたからっていうのもあるけど、一番はそれじゃなかった。ポテトの事がパッと閃いた。それ以外にも小学校の時の飼育当番や当番実習でのアヒルを思い出したが、ポテトの事より強烈ではなかった。噛まれて血を流したのはポテトの時だけだった。


 私は盗み見るように目だけを動かし矢坂を見てから、對崎を再び見た。こちらを振り向いていて自然な笑みを浮かべたままだ。

 ポテトに噛まれた時、私はかすかな知識で狂犬病を心配した。あれから五年ぐらい経ってる。発症もしてない。咬傷部位に痒みもなかったし、痛みもない。水は気持ちいいと思うし、風だって心地いいと思う。


 狂狼人は狂犬病ウイルスを持っている。私も持っている。感染しているのだ。自分の思考回路の速度が嘆かわしい。答えが出た時点でわかるはずなのに。狂犬病だけで予想出来る範囲なのに。

 狂狼人は狂犬病とかかわってる。だって、体内にウイルスがあるから。狂犬病に感染してるから。私も持っていると言う事。そして、ポテトに噛まれた時にうつった可能性がある。いや、そんな事はない。ポテトは何も凶暴じゃなかった。普通に水を飲んでいた。噛まれたのはたまたまだった。だけど、普通の狂犬病と違う。いや、ウイルスか何かが違う。それは血に宿ってる。今も私の体を駆け巡る血の中にそれがある。無症候性キャリアだとしたら? そんな事ありえない。でも……。


 ポテトは狂犬病だったのだろうか? たとえば、絶対に発症しないとかそういう普通と違う狂犬病だったのだろうか? 


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