十二月二十四日 金曜日 午後四時二分 知られざる狂人
なんとなく、わかってきた。男は殺人鬼。それも人間ではない血を飲む殺人鬼だ。人間の異物を探してる。對崎部長もその類かもしれない。最初に殺人鬼のあの男と会った時に「僕ら」と言った。その中に入ってるはずだ。
人外と言わず、異物という言葉を意図的に使っているなら、人間が持つはずじゃない感情を持ってる人間の事をそう呼ぶに違いない。あの感情がそうだとしたら異物は私だ。そして、私を異物だと男が認識してるなら、狙いは私だ。
もっとも、すべて予想だ。肯定するには男の言葉一つですむ。だけど、それを言葉で確固たるものにされるのが怖い。それに私の想像力が恐ろしい事を考え出す。何かがあってあいつらの仲間になってるとしたら? 同様の存在となってしまうとしたら?
「怯えてる。だけど、君には怯えられちゃあ困るんだよ。君は異物で怯える必要なんてないんだから」
私は気が狂いそうになった。感情が破裂して叫びだしそうになったが、すんでのところで抑え込んだ。
私を名指ししたわけじゃない。いや、私の事だ。對崎を知るのは今いる中では私だけ。それに、人狼が停止する前に私は――男が言うには覚醒――記憶を戻した。あれが私の異物の部分を開く扉の鍵だった。
男はまた目を閉じた。何かを考え探るように。自分の心が探られてるみたいで耐えられなかった。他人が目を閉じるだけなのに。
「ほらね、怯える必要なんてない。誰も君を怖がっちゃいない」男が目を閉じたまま言う。「だけど、別の考えを持ってる。そうだねぇ……――」
眠気を吹き飛ばすように瞼を押し上げた。それから男の視線が矢坂を捕らえた。
「君が考えてる事を言ってあげようか? 彼女も聞きたそうだし、君は言いたいみたいだし。でも、君はそれが現実になってしまうのが怖くて言えない……いや、彼女が恐怖に陥ってしまうのを恐れてる」
咲羅が男の気を逸らそうと必死で抵抗するが無駄に終わった。
私は耳を疑った。あいつが何を恐れてるって? 私が恐怖に陥るのは私自身が恐れてる事だ。あいつが考えるはずもない事。
「黙れ」矢坂は低く唸る。「俺自身の口から言う」
どっちみち言われてしまうなら自分の口から言うのだろう。だけど、私は矢坂の言葉を聞く準備が出来ていなかった。
「佐野、お前はこの戦いに参加するな」
その言葉は私に向けられてるはずなのに矢坂は一度もこちらを見なかった。何より言葉の意味がわからなかった。
「お前は抜けたほうがいい」
「は?」
言葉の意味がわからなかった。違う国の言葉じゃないのかって。でも、意味がわかった時には全身から力が抜け、数倍に膨れ上がって再び戻ってきた。
「どうして? 抜けるって何?」
私は怒りで自分が地面を蹴りつけていたのに気づかなかった。地面には穴が穿たれている。
「そのまんまの意味だ!」
「逃げろってか! 死ねってか!」
私は無意識のうちに鞘に入ったまま刀を地面に突き刺した。今の戦いから身を引くのは、それぐらいの意味がある。このまま、人狼が動き出したら、一網打尽。逃げ場なんてない。
「死ねなんて言ってねぇだろ!」
遠く離れているのに額を合わせているような距離に感じ、今にも殴り合いを始めそうだった。拳を握った腕が今にも飛び出しそうにプルプル震えていた。その腕を押さえて、私は一歩下がった。
「じゃあ、どうして、何でさ……?」
涙腺が破裂しそうだった。仲間外れにされる以上の事だ。仲間が死んでいくかもしれない戦場を安全地帯から見ていろと言われてるのと同じ。殴られ、蹴られ、傷つき、殺されようと私は手出しが出来ずにただ悠々と眺めているなど絶対に出来ない。それなら私は自ら死ぬ。
「…………お前が敵味方見境なく殺すんじゃないかって」
私は背骨が抜けたように脱力し、その場にへたり込んだ。矢坂の言葉が耳の奥で反響してる。視界には何の光景も入ってこない。地面にあるはずの砂粒や永遠に続く砂地を歩く小さな蜘蛛、人狼の異常な血の海のどれも認識出来ない。
そうだ。私は殺したんだ。あの生き物を。矢坂は……彼はそれを見ていた。
頭の中で会議が開かれていた。自分が三十人ほどに分かれてさまざまな意見を飛ばし合ってる。
私は何もしてない。ただ、気を失った時にたまたまなんだ。
誰かが私を罠にかけて、犯人に仕立て上げようとしてるのかも。
ただの凡人の変人の私に大それた事なんて出来ない。
誰も何もどんな命も殺したくない。
みんな殺してた。私だけが違うはずない。
「過去」を守れればいいんだ。
いくつもの斧が振り上げられたまま、今にも処刑するのを待ってる。複数に分かれた私は処刑されるべきものを待っている。
私は、仲間を……? 敵も見方も…………矢坂を……咲羅だって……。
屠殺がすべて悪いんだ。記憶と共に戻った「思い」は最悪なものだった。
命を殺すという点においては人間を殺しても動物を殺しても変わりはない。動物は殺しても多少かまわないが、人間を積極的に殺せば問題視される。だけど、その差がわからない。わからなくなった。
人間の道徳心の境を超越しようとしている。まだ手前にいるかもしれないが、超えそうになっているのは感じた。人間が持ってはいけない感情も持ち始めている。
簡単に言うなら、理性が飛ぶというもの。そんな簡単にぶっ飛ぶとは思ってもいないが。
それは、殺しを楽しむ心だ。殺しをしたいと求め、殺しの中に悦楽を見出す。料理をするのを楽しむように、楽しむのだ。殺しと言う名の料理を。
あの屠殺での殺しを楽しいと思えた。だけど、それは心の奥の奥の奥でだ。でも、どこで感じただろうと、心がスカッとした。知りたがりの私は次に何をするだろう? 決まってる。人間の肉を切り裂く事。人体への興味だ。人殺しだ。
想像力豊か過ぎる脳を怨んだ。血の中に一つの影が浮かび上がっている。巨大な人狼の牙で私の知る人が切り裂かれていく。踏み潰され、噛み砕かれ、叩き壊される。だけど、最後には全部銀の刃で切り裂かれた。
いつの間にか息が上がっていた。自分でもコントロール出来なくなって、肺が張り裂けそうなほど息を吸い込み、肺自体が口から出てきそうなほどに息を吐き出す。我慢すればするほど、嗚咽がひっくり返る。
「こ……殺して!」私は喉の皮膚がずるむけそうな大声で叫んだ。
何も起きないただの毎日だったら、私はその感情を抑え込み向き合うだろう。だけど、もう今は出来ない。刃物を持ち、肉を簡単に切り裂ける。周囲には試すための肉が散らばってる。
ほんの少し羽目を外せば、私は試してしまうに違いない。それだけは避けたい。だけど、生きてる限りその知りたがりは抑えきれなくなってしまう。それを忘れる事なんて出来ない。消すには死ぬしかない。
気がつけば、私は赤子のように矢坂に抱きしめられあやされていた。
嗚咽を漏らしながら、私は気が狂いそうになってるように見えたんだろうか。背中を撫でてくれてるのに合わせて、私は呼吸をゆっくりと整えた。
男は咲羅の鳩尾を殴って気を失わせた。それに、私は頭の神経に亀裂が入るような怒りを覚えた。
「それを言っちゃいけないな。混乱しちゃったじゃないか」
雪合戦をしようとその楽しみに心躍らせるように、男はニヤッと笑っていた。私は矢坂の腕の中でそれを見ていた。
「正すには一つだ。見とけよ、黒髪」
男の言葉に私の胃はギュッと縮んだ。
咲羅の髪を指に絡ませ、毛の根元を掴むと力任せに引っ張った。咲羅の頭は今にも引きちぎれそうで、首の長さがいつもの二倍に見えた。
それが相手の何かしらの誘導であれ、私は咲羅の頭を胴体から引き離すのを見ていられず、矢坂の腕から離れ、地面に刺さった鞘から刀を引き抜き、斬りかかっていた。自分でも想像できない脚力で前に飛び出し、考えられないスピードで走っていた。
「やめて!」
咲羅を盾にされてるために男の首を切り払う事が出来ずに、胴に向かって刀を突き出した。左脇に反れたが、わき腹をかすめた。男は一瞬人狼と同じ、憤怒の色しかない目をした。
見えないスピードで刀を払われ、私の右肩には強い衝撃が走る。後ろに飛ばされたが、体勢を立て直していた。自分でもどうしたのかわからない。だけど、咲羅を殺そうとした怒りと咲羅を殺されそうになった恐怖だけで私は男に飛び掛った。
男は一度かわし、私はすぐに方向転換して再び飛び掛る。男は腕を上げた。手のひらをまっすぐにし、指の先まで揃えて手刀を作った。
私の心臓は鉄を流し込まれたように動きを止めてしまった。シンディが浮かんだ。怒りがわいてくる。男を殺したい。
光を纏った手刀は振り下ろされ、肩甲骨の少し下に叩き込まれる。全身の骨が軋んだ。痛みにうめくのも忘れて、私は男の足に噛み付いた。たった一瞬の事だったが、鋼を噛み千切るつもりで力を口だけに集中させた。
足で蹴り飛ばされ、私はかなり遠くにいた。実際には自転車置き場近くまで跳ばされていた。口の中に噛み千切った肉があった。ペッと吐き出し、気持ち悪い口の中の血を拭う。
「それでこそシラリュガルーだよ」
男は足の痛みを物ともせず私をにらんでいた。怒りとかではなく、悪戯っ子を叱るような目だ。
シラリュガルー? 聞きなれない言葉に耳を疑った。聞き間違いだろう。ほかに何か近い言葉があるはずだ。だけど、私は考えるのを放棄した。男にまた飛び掛ろうと地面を蹴った。
あと五メートルほどのところで何かに阻まれ、地面に倒れた。何かが足に引っかかった。
「落ち着け」
上別府だった。私は睨んだ。驚愕の目で見返され、そこに映っている自分はただの獣だとハッと理解した。あの男を殺したかった。たとえ自分が殺される結果になってもあの男さえ殺されればいい。だけど、どこかであいつを攻撃すれば、私を攻撃してくる気がした。あいつは私を殺そうとしなかった。少し自分を宥めるために大きく深呼吸した。
数分前のお前にその言葉を聞かせてやりたいと心の中でつぶやき、もう一つ別の事を私は叫ぶように口にした。
「落ち着いてなんかいられない。あいつを殺さないと、咲羅が殺される! そんなの見てられない。それにあいつは命を何とも思っちゃいない。簡単に殺すんだ!」
上別府の服の襟首をつかんだ。ほとんど何も考えずに感情のまま口を動かした。
「それも人間なんかじゃない! 吸血鬼だ! 血に飢えてる!」
「吸血鬼なんて馬鹿馬鹿しい」男が吐き捨てた。
頬に強い衝撃があって、いつの間にか私は場面にへばりついていた。見上げると上別府がこちらを見下ろしていた。
「本田がやられてる」上別府がほざいた。「霧生もだ。あの野郎は俺たちが手を出さない限り、手を出してこない。言葉は無視しろ」
上別府の手を握りつぶしてやろうかと思った。握力なら男子にだって劣らないはずだ。喧嘩からの知恵だろうけど、本人はそういう挑発に乗って相手をボッコボコにしようとしてた事があった。だけど、上別府が珍しく正論を吐いてる。
「ココロを突いてくるダケ。落ち着けばナンともない」
リサさんが落ち着かせるために私の肩を撫でた。少し落ち着いてリサさんの目を見た。
「私より、リサさんが辛いのに……」
私は感情をある程度発散させてしまったが、リサさんは一度も出してない。リサさんのほうがずっと長く一緒にいたはずだ。家族同然でもおかしくない。その咲羅が危機に瀕してるのに、私と近しい感情を持たないわけがない。
「辛い事に差なんてナイよ」
リサさんが私を抱きしめた。私も腕を回して、それに応じた。
その間に男は人狼の額に指を突き刺した。気持ち悪いグチャグチャという音がした。
矢坂が私の前に立った。苦笑するような笑みで私を見ていた。
「お前は自分で自分をつぶしすぎ」
あの言葉の受け取り方を間違っていたのかもしれない。矢坂は別に私を追い込むためにいたわけじゃなかった。
私は頭を下げた。言うべき言葉ではない気がしたが、あえてその言葉を選んだ。
「あんたがどういう気持ちで一連の事を言ったのかはわからない。どんな気持ちでさえ私が取り違えてたなら謝る。ごめん」
自分の言葉ではないみたいにすらすらと出てくる言葉に私自身驚きを隠せなかった。
「私は殺したくないし、あんたは殺されたくない。危険だと思うなら…………万が一に私が仲間を殺す事になったら――――殺してくれて構わない」
気持ち悪いほどに落ち着いていた。自分でもある意味可笑しいと思うほどに。
矢坂の目には奇妙な色が映っていた。私の知るどの感情でもない。
「ありがとう」
吹っ切れたわけじゃない。死ねない自信も死なない自信も私にはあった。仲間を殺さない自信もある。それに、仲間に殺される覚悟は出来た。でも、自分で自分を殺すだろう。手を汚させるわけにはいかない。 私は男を一度も見ずに、払い飛ばされた刀を拾いに行った。あれだけ酷い扱いを受けた刀なのに刃こぼれも傷もない。それに軽くなってる気がした。
取り乱して一点しか見えていなかった。私はいつか人を殺す。その時がきたら、自ら命を絶つ。それまでは、「過去」を守るために、私が「過去」を蝕む者を退けるだけ。たとえそれが殺しだろうと。
咲羅は糸が切れた人形のようにぐったりしている。取引に三人いると言ったが、二人は返すというのはどういう事なのだろうか? 私がいるならそう言えばいい。でも、誰が自分みたいな人間を欲しがる? たとえば殺人鬼。誰でもいいから殺す相手が欲しい。そう、殺されるのがオチだ。私はシラリュガルーにされてしまうのだろうか? もうなっているのだろうか? 私はあの男のように血を舐めるのだろうか?
見境なく殺してしまうのだろうか?
私は上段に刀を構え、走り出した。髪が耳に打ち付ける。目の粘膜に風が痛いほど当たる。筋肉がバネのように伸縮を繰り返す。
咲羅が盾に使われても一ミリの傷もつけない自信があった。過剰な自信じゃない。男の呼吸する音、筋肉の動く音、胸が上下する動作、動向が収縮する動き、すべてが聞こえ、見えた。
岩石が内側から爆発するような音がして、刀を振り払おうとしたまま私はすべての動きを止めてた。液体窒素をかけられたみたいにその場に固まってしまった。
突然の事に私は息が詰まって、そのまま酸素を永遠に吸えないのかと思ってしまう。
對崎慶輔が私の額に指を当てて、背後の男を手で制してる。殺人鬼の男の知り合いだとしても對崎部長までは同じような人ではないはず。でも、對崎部長は、敵か味方かで言うと敵だ。だけど、悪か善かで分けるなら善だ。だけど、私に向けているほうの腕には小さな稲妻が帯電してる。ライムグリーンに光ってる。あの男と同じものだった。對崎慶輔は人間じゃない。
首の後ろがじりじりとする。何だろうか? 毛が逆立つような感覚。――殺気だ。吸血鬼の男と同じようで似ていない殺気を痛いほど感じる。
「對崎さんは何なんですか?」
私は動けなずそのままの格好で訊いた。出来るだけ怯えた声を出さないようにしたが、少し上ずってしまった。
私の額を押さえている部長の指がちょっと力をこめただけで頭蓋骨を砕きそうだった。
「佐野ちゃんは変わる子だって思ってたよ」
噛み締めるように言った對崎部長はいつもの笑い皺を作って目を細めてる。この人は私の演技と本性を見抜いていたのだろうか? そんな事は絶対にない。会話がかみ合ってない事にイラついたが、最初に答えなかったのは私だ。
「停めるなんて前代未聞だ、レジェス」
「お前は口を滑らせすぎだ」
部長の声はいつもの温かい声質じゃなかった。冷たく蔑むような声。男は押し黙った。
私の背後のずっと後ろにいるみんなに一人ひとり誰かがついていた。リサさんについている女性は今にも噛み付きそうに上唇がめくれ上がっていて、上別府は自分よりも小さな子に劣勢にされて屈辱的に顔を歪めてる。美穂はまだ起きないが、傍らにいる男は腕に奇妙な痕があり、美穂をまじまじと見ていた。年長と思しき男は矢坂の肩に手を置いて温厚に事を見守っていた。そして、全員が喉元に静電気を発してる指を突きつけられている。
状況は悪い。それも人狼を相手にするよりもずっと悪くて、良い。言葉が通じるだけまだ良いほうかもしれない。だけど、噴火口にいるよりも危険な感じがする。
「佐野ちゃんにしてはよくやったよ」
あの時と同じ言葉だ。その言葉の意味を理解した私は怒りが爆発しそうだった。この人たちは何が言いたいのだろうか、何をしたいのだろうか。本当の真意はわからない。
「言うな!」突然、吸血鬼の男が叫ぶ。
私は驚いて自ら對崎の指に頭を突き刺しそうになった。自分の体の重心を元に戻して、刀を下ろした。對崎も指を下ろしたが、反対の手の指を一本差して、男を制した。だけど、男は歯軋りをして今にも飛び掛りそうだった。
「佐野ちゃんはシラリュガルーだと認めるか?」
あの吸血鬼の男もシラリュガルーだ。そう確信出来る。それに對崎もそうだ。二人とも血を求め、殺しを楽しんでる。
私はもう人間ではないのかもしれない。シラリュガルーと呼ばれる人外。それでいい。人間の限り私は迷ってしまう。人外なら少しはあれが落ち着くだろう。だけど、逆の場合だってある。
「認めます。だけど、あなたたちとは違う」
逆の場合になんて絶対させない。
「違う、か……」對崎は言った。「何も解ってないな」
對崎の目が開いた。今まで細くなっていたのは作っていたかのように普通に開いていたが、その瞳は人狼と同じ琥珀色だった。時々、虹彩が見えた時には普通のブラウンだったのに琥珀に変わってる。それは冷たく野生的な恐怖を持っている。でも、人間的だ。人殺しの目だ。
「君は理由を求めてる。俺らの理由と重ねるか? 比較するか? 佐野ちゃんはさ、どうしたい?」對崎は問いかける。
あの人狼を殺した事にもう理由はいらなかった。どんな理由も無意味に思えた。だけど、シラリュガルーだという理由はほしかった。對崎たちと同等の存在、人間でないならこの世にいる意味がない気がした。虐げられ、差別され、嫌悪の対象になる気がした。そんな考えもかなぐり捨てるように握りこぶしを作る。
「答えがあるとしたら、それに縋るかい?」
私が求めてる答えはきっと誰にも答えられない。一時の感情でいつも答えが変わる。私の1+1は2じゃない。3の可能性もあるし、6の可能性もある。誰も手本じゃなくて誰でも手本だ。
「いいえ、縋りません」
きっぱりと言う。縋って泣こうと思うのはやめにする。
「對崎さんは「ブラッディアウト」を起こした事を認めますか?」
對崎の後ろにいる男を見る。動揺して對崎をにらんでいた。
「実際にやったのは俺じゃないけど、肯定しよう。じゃあ、なんて理由がいい? 嫉妬? 独占欲? 死肉を食いたかったから? 血を飲みたかったから? 理由がなくちゃ殺しはいけないか?」
ゆっくりと男に近づくと、男に羽交い絞めにされてぐったりと垂れたままの咲羅の髪を撫でた。
「理由を求めるほうが可笑しい」對崎は言い放つ。「すべての事に理由はあるか? あるだろうね。でも、それを正確に理解してるか? してない。だったら、理由はなくてもいいはずだろ? すべての理由は事実じゃないんだから」
對崎は私に友好的な笑みを向けてくる。吐き気がする。
「ま、理由がなくてもシラリュガルーにはなれる。事実、なってるんだから」
私は動向が開く限り開こうとしてるのがわかった。言葉ではっきり肯定されるのがこれほど恐ろしいとは思わなかった。背中から汗が噴出し、胃がギリギリと捩れて、喉を締め付けられたようだった。
耳の奥でおんおんとある言葉が反響している。[……これが生きるって事だろうな]言葉の意味がわかった。殺すのが楽しいんだ。殺しが生きがい。命あるものを絶命に追い込むのが楽しくて仕方がない。それは人間が持つべきでない感情。それを持つ事によってシラリュガルーになる。心から楽しんで、満たされる。殺人犯、殺人鬼、吸血鬼、化物、怪物。どの言葉も当てはまらないほど、恐ろしくて危険な存在。
「黙れ」
地響きみたいな自分の声が喉から出てくる。怒りに満ちた自分の声だ。
「ま、話す時間はいくらでもある。佐野ちゃんの感情の変わりようはバーコウィッツすら混乱しそうになるんだから、ゆっくり話さないか?」
もう目の前の男が部長であり、先輩だと思うと胸糞悪くなった。最初から尊敬などはしていなかったが。
もう一度神経が破裂しそうな気がした。すべてをなかった事のようにしたい。あの男と對崎を殺したい。迷いのぶつけどころはないが、怒りのぶつけどころは二人だ。
何かの気配を感じた。なんだろうか。確認しようと視覚を無視して聴覚に意識を傾けた瞬間、音が響いた。鷹の鳴き声のようによく澄んでいる。咲羅のあの笛だ!
私は刀の柄を握り締め、對崎に斬りかかった。音に気をとられていた所為で對崎は一歩で遅れたが、十分に防御の姿勢をとれていた。脇腹に足をめり込ませ、蹴り飛ばす。それからすぐにバーコウィッツと呼ばれた男に突進する。
咲羅がパッと顔を上げ、バーコウィッツの鳩尾に肘打を食らわせた。バーコウィッツの苦痛にゆがんだ表情の中で唯一瞳が楽しむような輝きを灯していた。その目を強く睨み、刀を振りかざした。コートの裾をかすっただけだった。
上手くいったとばかりに咲羅は微笑み、手を差し出してきた。私がその左手を掴んだ瞬間、彼女はガクリと膝を突いた。胸の少し上から電気が放出され、血がほとばしった。私はすべての力を失って、刀を落とし、倒れる咲羅を抱えるためだけに力を振り絞った。




