十二月二十日 月曜日 午後三時二十六分 予感
「明々後日やなぁ」
中谷がそう言ったのに私はビクリとした。
当番実習の分担を決め、私たち一年生は水禽舎送りとなった。一年生は三人だったが、一人が休んでいた。二年生はポンコの餌やりに三年生は休みだった。
私にとっては狭い水禽舎で二人きりは辛いものだった。相手がおしゃべりでもそれを返す言葉が少なく続かなかったからだ。
金網の壁の水禽舎はまるで金網デスマッチの会場のようだ。ただ違うのはとてつもなく汚く、逃げ惑う乱入者――乱入鳥かもしれない――がいるだけ。
私にはおしゃべりさせられるより、デスマッチのほうがマシかもしれない。
水禽舎はいくつも仕切られており、豚鶏家畜部の養鶏班と総合環境部が使用していた。養鶏班はアヒル、クジャク、バリケン、総環はアヒル、アイガモ、キャンベルを飼育している。総環はアイガモ水稲同時作のためアイガモとキャンベルを肉として頂く。
「……明々後日ですね」
アヒルのいるプールの水は松葉色に淀み、羽や糞や軟卵が浮かんでいる。そこに手を入れ、栓を引き抜いた。仕切られた隣の部屋には二十羽ほどのアイガモとキャンベルがいる。そちらにも行き、プールの栓を引き抜く。
触らない方がいいのではと思ってしまうほど、汚い水。コモドドラゴンの口にいる細菌より危険性は微弱だが、数は勝るだろう。
普通の人が嫌がる事もここではしなければならない。排泄物に触るなど日常茶飯事だ。動科の生徒は抵抗すらなくなっているのだから。
水禽舎の掃除はまだいい方で、酪農班には糞集めの仕事もある。集められた糞は堆肥にするために山積みにされ、発酵させる。その時のにおいは嗅覚を消滅させそうなほどの威力だ。
私はデッキブラシを手に取り、アイガモたちを隅の方に行かせ、プールの床を磨く。
表面のコンクリートが剥がれ、荒い道路のアスファルトのようになっており、細かい隙間がたくさんある。その隙間に入り込むように緑の汚れは集まっている。
私は小学校の頃からトイレ掃除をよくしていたが、それよりも大変だ。汚れは取れる事がなく、こびりついているようだった。
それでもウイルスなど発生、蔓延させないために掃除は重要だった。掃除よりも工事とかしたほうがよさそうだけど。
『ちょうだい……ねえ』
冷たくひんやりとした声だった。
「何か、言いました?」
「え? いや、何か聞こえたん?」
確実に聞こえた気がしたが、説明するのも面倒で適当に答えた。
「いや、カモたちだったのかも……」
『血……、ねえ、ちょうだい』
冷気が背中をなでるような声。
想像力をこじらせた幻聴かもしれない。
「これぐらいでいいかな」
私が糸口を作ったためか中谷が終わりたそうに告げる。
私も辞めたかったために「多分……」とつぶやくように言った。
餌を一つずつ置き、デッキブラシを直すと、ホースでプールに水を溜めておく。一つのプールに二十分ほど掛かり、その間は日誌を書く。
二つのプールで四十分ほどかかり、その間に別の場所を掃除していた先輩たちが水禽舎に集まっていた。
水が溜まる頃にはアヒルは羽をばたつかせ、水を浴びていた。水は飛び散り、つなぎに模様をつけた。水を溜め終わるとホースを片付け、挨拶で終わる。これで当番実習は終わり。
水禽舎の錆びた金網越しに、後は人間に食べられるのを待つだけのアイガモたちを見つめた。心の中には恐怖とほんのちょっとの怒りが混ざっていた。
やっと、終わったけど。
入部した時から当番で世話――ほとんど小屋の掃除――をして、愛情ほどまではいかないが愛着はわいていた彼らを食すのに何があるんだろう。
だったら他のアイガモだったらいいのかとかそんな事で解決できるとは思えない。
食育のために彼らを殺す事に何があるんだろう。何が見える? 何を得られる? 何を感じ取れる?
複雑な気持ちが絡み合い言葉には出来ない。
別の世界の事だと思っていたような事が目の前に迫っている。それがいいのか悪いのかもわからない。まったく得体の知れない何か。胃の中に蟠っていて気持ち悪い。
それらを振り払うように急いで更衣室に向かう。更衣室の扉を開けた瞬間にするもわっとした牧場のような香りが漂う。
自分のロッカーを開け、つなぎを脱ぎ、ブラウスを着ると長靴を脱ぎ、上靴に履き替えた。スカートを穿き、カーディガンを着て、リボンを整えるとブレザーを羽織った。持ってきていた通学用のリュックを背負い、つなぎと長靴をロッカーの中に入れ、鍵をかけると更衣室を出ようとドアノブを握った。
中谷がいる事を思い出し、私はゆっくりと振り返った。
「お、お疲れ様……」
まだ着替えていた中谷に小さく頭を下げると更衣室を出た。
更衣室の空気と比べれば新鮮な空気を大きく息を吸い込み、吐き出す。
牛はいいなぁ、と思いながら牛を見ながら、リュックから手袋と耳当てを取り出す。
農場を出ながらと耳当てと手袋をし、駐輪場に向かう。五時になりそうだが、自転車はたくさんあり、待っている者や付き合っているのか寄り添っている者もいた。
自転車の鍵を外し、スタンドを跳ね上げ、サドルに腰掛けた。ペダルを踏み込んでタイヤを回す。
半分隠れた日が姿を消そうとしていた。