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学校断頭  作者: 浪速
18/36

十二月二十四日 金曜日 午後三時二分 拡がる戦場

 車までのルートは簡単だ。現在地は四階の音楽室。ここを出て、左の階段を一番下まで降りれば、来客用玄関だ。玄関はトイレを隔てて技術職員室の隣にある。外を出ればすぐにワゴン車があるはず。

 だけど、問題の一つ目は玄関は正門とちょうど真向かいだ。しかも二つの間は広くて遮るのは大木の生えたロータリーだけ。運と時間との勝負。

 二つ目は音楽室の下が家庭科室でさらに下が理科室。さらに下が技術職員室なのだ。爆発の威力が大きければ、窓ガラスだけじゃなく柱のコンクリまで吹っ飛ばして、下にあるワゴンに被害が及んでしまう。時間差を作らなければ。


 私たち後尾チームは真ん中のチームとほぼ同じに音楽室を出て、三階で別れた。家庭科室に駆け込むと私は窓の外に頭を突き出した。下を見ると少し右にワゴン車に向かっていく。見える範囲には人狼はいなさそうだ。

 家庭科室のありとあらゆる引き出しや戸棚を開いたり引っ張ったりして、何か使えるものはないかと探していた。

 生徒を脅すための教員の狂言じゃない限り、製粉所で粉塵爆発が発生した事があったはずだ。高校のサイロは粉塵爆発防止のために使われなくなったと聞いた事がある。だとしたら、小麦粉とか穀物類が必要だ。


「小麦粉以外に何が必要?」


 一応、確認するために提案者の三輪に訊ねる。


「粉塵言うぐらいやねんから粉状の物やろ」


 食べ物じゃなくても大丈夫なはずだ。粉末なら燃えるはずのないものでも、火がつくかもしれない。運動場に引く白線の粉を思いついたが、運動場の端にある体育倉庫にしかないはず。そこまで取りに行く時間はない。

 家庭科室には調理器具はあるものの、調味料も料理の材料もない。無駄な衛生管理の所為で私たちは計画の大事なキーをなくしてしまう。

 胸ポケットに入れているケータイからは順調に事が運んでる声がする。


「おい、これは?」矢坂が呼びかけてくる。


 三輪っちと急いで教室の後方の棚に腕を突っ込んでる矢坂の元へ駆け寄って行く。

 腕が引き抜かれ、重そうな袋を引き寄せていた。棚の奥にあったのか袋はすすけている。だが、きっちりと小麦粉と書かれていた。


「それ!」


 さっき矢坂を無理やり向こうに行かせなくてよかった、と思ったが言葉にする気はない。

 他にはなさそうだし、かなり長い時間いた気がして理科室に向かう事にした。すぐに理科室まで降りた。理科室の窓ガラスを鞘で叩き割って、窓から入った。逃げ道のために理科室後方のドアは開けておく。


「それでどうする?」


 小麦粉を抱えた矢坂が問いかける。私も訊ねるように三輪っちを見た。


「小麦粉を振りまく。でも、ここに来た理由は?」


 三輪が問い返す。私はいくつかの条件でここがいいと思っていたが、三輪っちは粉塵爆発を提案しただけであまり考えてなかったらしい。


「ガスでも爆発させようかと思うんだけど――」


「爆発!?」


 矢坂が間抜けな声を上げた。私は思わず噴出しそうになったが、そんな暇はない。ガスで爆発なんて威力が強すぎるはずだ。火をつけた瞬間巻き込まれる可能性があるし、車が被害に遭わないように時間差を作らねばならない。


「そう、爆発。尻尾を巻いて逃げ出す?」


「俺が? なわけないだろ」矢坂がニヤリと笑って言う。「ブラッディアウト」が起こってから頼もしい存在だ。


「時間差を作らなきゃならない。でも、方法が思いつかない」


「タイマーでもセットしたら?」


 三輪っちは理科室の棚を探りながら、答える。


「そんなの無理。複雑すぎる。何か簡単に砂時計とか、そんな感じの方法」


「カップラーメン?」

 もし三輪っちが真面目に言ってるなら脛を蹴ってるところだ。


「わかった」三輪っちが改めて言う。「ドミノ倒しなんかどう?」


 私には三輪っちの言いたい事がよくわからない。隣の矢坂を見てみたけど、やはり理解してない。


「蚊取り線香みたいに、導火線を使って」


 そこまで言われてようやくわかった。映画で悪役が主人公を罠にかけてダイナマイトで爆発させるまでの「神に祈る暇をやろう」的な時間を作れる。そう言いたいのだろう。


 私は理科室前方の教卓代わりの机の下からプリント類を漁った。そのわら半紙を抱えて、後方のドアまで行く。膝を突いて、紙を何枚か適当につかんでは床にほとんど雑に並べた。三輪っちにも矢坂にも渡し、みんなで同じ事をする。

 階段が見える場所まで風に流されないように紙を並べ、私は教室に戻った。実験用の机の間まで紙が並べられ、導火線の準備が整った。


 胸ポケットからケータイを取り出して、美穂に呼びかける。


「美穂、そっちはどう?」


 少しの間返事はなかったが応答してくれた。


[ちょうど、乗ったところ]


 エンジン音が聞こえ、時差を作ってケータイから聞こえた。


[咲羅が早く来なさい、だって]


「わかったすぐ行くって伝えて」


 胸ポケットにケータイを突っ込み、ポケットからマッチ箱を取り出す。あとはガス栓をひねって、火をつければいいだけだ。


「矢坂、小麦粉を貸して」


 私は刀を矢坂に差し出した。矢坂は刀を見て私に視線を移した。


「バット代わりにして打て」


 小学六年まで子供会のソフトボールチームにいたのを知ってる。成績はそれほどよかったとは聞いた事がないけど。

 私は小麦粉を受け取り、刀を渡す。


「三輪っちはマッチを。廊下でつけて」


 三輪っちのほうにマッチ箱投げ、教室の前方まで行き、矢坂に後ろに下がるように手で示す。矢坂は後方まで行き、刀の柄を握り締め、一回ブンッと振り回す。三輪っちは面白がって声援を送る。


「来い」


 小麦粉の掴みやすい位置を右手で探す。肩には少々自身がある。子供会のポートボールでガードマンとゴールマンをしてたから。もちろん、試合ではどちらか一ポジションだが。

 私は袋の口が余って折り返してる部分を掴んで、腕を引いて思いっきり投げ飛ばす。小麦粉は回転することなく真っ直ぐ飛んで、矢坂が振った刀の鞘がそれを捕らえる。打たれた小麦粉の袋は衝撃に耐え切れずに、裂けて中身を四散させた。


「ガス栓をひねって!」


 小麦粉が舞う中で私は近くのガス栓をひねった。実験机ごとに二つある両方をひねる。矢坂もいくつかひねって教室を出た。

 どこかで銃声が響いた。少し長くいすぎたのがかもしれない。私は最後に二つひねってから教室を出る。

 三輪っちはすでにマッチに火をつけていた。私は理科室後方のドアを少し隙間を作って閉めた。三輪っちはわら半紙に火をつけた。マッチの火が紙に乗移り、染み渡るように一枚目に広がる。火が二枚目に乗移った。


「行こう」


 矢坂から刀を返してもらい、胸ポケットからケータイを出して、呼びかけた。音が漏れてるみたいなかすかな話し声だけが聞こえる。


「美穂。火をつけた。そっちに今から行くから」


[わかった。こっちに来て大丈夫だから]


 胸ポケットにケータイを滑り込ませ、三輪っちを先頭に階段を駆け下りた。他にも校内に隠れてるのではないかと思った瞬間、すぐそこの踊り場で悲鳴が響き、私の前にいる矢坂が銃を下のほうに向けて、引き金を引いていた。

 私は鞘から刀を引き抜き、踊り場を曲がった。下の階に見えたのは、三輪っちと人狼だった。人狼の腕が三輪の肩を突き刺している。


「三輪っち!」


 三輪はこちらに視線を向けたが、人狼が後ろに投げ捨ててしまった。三輪の体は一階の廊下に叩きつけられた。血が広がる。人狼が階段を上ってくる。

 私は胸ポケットからケータイを取り出し、スピーカフォンにしてしまう。


「美穂、咲羅に代わって」


 人狼が一歩一歩と歩み寄り、私と矢坂は一定の距離を保ちながら後ずさり、二階まで戻ってしまう。人狼は飛び掛ってくる様子を見せない。


[何? どうかした?]


 私は出来るだけ目の前の人狼から眼を離さずに後ろに下がった。普通の動物なら目を合わせるのは攻撃と同等だが、この人狼から眼を逸らした瞬間襲い掛かってくる気がした。矢坂はすぐに撃てるように銃口を人狼の頭に向けてるが、均衡を崩せないために引き金を引かない。理科室が見えるところまで下がってしまっていた。廊下の導火線は燃え尽き、後は爆発を起こすだけだろう。


「いた」私は静かにゆっくりと言った。「人狼がいた」


[そんなの!]


 咲羅も気を使って静かに言ってくれたが、私には今にも隊を編成して咲羅たちがやってくる準備をしようとしてるのがわかった。その間にも私たちは後ろに下がる。トイレ前まで来た。


「こ……うわっ」


 言葉を発そうとした瞬間、理科室が破裂した。劈く炎の音、ガラスが床に散らばる音、風圧が廊下を突き抜ける。そして、理科室の前の廊下を炎が覆いつくして夕日のように染める。


 反射的に私は少し身をかがめてしまったが、人狼はにおいを嗅ぐように鼻をひくつかせただけで視線を逸らそうとはしなかった。自然界で相手に背を向けるのは、ほとんどの場合負けを認め相手から逃げる時だ。肉食動物同士ならそれは簡単に出来る事ではない。作戦は失敗に終わったらしい。



「来ないで。三輪っちが倒れた」


 話す間にも人狼は襲い掛かってくる様子もなく、ゆっくりと品定めするように寄ってくる。ついには職員室の前まで下がってしまった。

 だけど、均衡を崩す銃声がした。三輪っちの血がついた人狼の右腕の肉が弾けとんだ。私は目を逸らしてしまったが、人狼は半身を後ろに振り返った。


「けったいな生き物やなぁ」


 焦げた廊下に三輪っちが肩を抑えながら銃を構えて立っていた。怪我をしてるのに、銃を撃つ衝撃は相当響くに違いない。


「馬鹿! 逃げろ!」


 矢坂が人狼の足に弾を撃ち込む。それと同時に人狼が三輪っちに飛び掛った。銃弾は一歩ずつ遅れて、廊下に撃ち込まれる。

 人狼は風のように三輪を殴り飛ばし、並外れた脚力でこちらに向かって突進してくる。

 私は矢坂の銃に手をかけ、銃撃をやめさせ、人狼に飛び掛った。咲羅にもケータイを通じて状況がわかってるのだろうか? そうだとしたら、援軍として来てしまってここが戦場になりかねない。


「三輪を連れて行って!」


 大きく開かれた顎門を刀で防ぐ。人狼が息をするたびに生臭い息がかかった。人肉を食べたに違いない。


「行って!」


 一人残って戦うなら、私だ。この作戦を指揮した私に責任がある。


「行けよ!」


 少々荒っぽい言葉になってしまう。だけど、このままだったら三輪がもっと怪我をしかねない。

 矢坂は人狼のわき腹に二発撃って、脇を抜けると三輪に近寄った。


「来いよ。絶対にな!」


 人狼の力を押さえるのでいっぱいいっぱいだったが、私は顔をのぞかせると答えるように矢坂の目を見た。矢坂は三輪っちを担いで階段を降りていく。

 矢坂の頭部が見えなくなった瞬間、わき腹に爪が刺さった。口しか塞がれていない人狼が私のわき腹に爪を突き立てていた。その腕と痛みを無視し、右足で人狼の腹を蹴り飛ばそうとしたが、金属と金属がかっちりとはまるような音がして、私は腕を引っ張られるようにして持ち上げられた。人狼の黄色い目が下に見えた。刀の刀身を銜えたまま私を持ち上げていた。そのままぶん投げられ、私は背中から着地し、多少リュックがクッションになったが思いっきり叩きつけられた。その衝撃で胸ポケットからケータイが飛び出した。ケータイから何か聞こえた気がした。


「咲羅、来ないで。私が殺す。三分経ってもそっちに行けなかったら、行って」


 うつ伏せになりながらリュックの肩ベルトを腕から外した。すぐさま立ち上がったが、人狼の鋭い爪が額を掠める。私はリュックを投げつけ、わずかに出来た隙を狙って刀を振りかざす。人狼はリュックを叩き飛ばし、私の刀の軌道を見た。わき腹に入れるつもりだった切っ先が剃刀のような爪に触れ、負けまいと私は手に力をこめて、そのまま振り抜いて狙いが少しズレた。


「ぐっ」


 重い。両手の握力が一瞬消えかけるように重たかったが、黄土色と群青色の血を撒き散らしながら人狼の指三本と腕の肉が飛ぶ。





 矢坂は一度も振り返ることなく、階段を降りて、玄関まで駆ける。手負いの三輪を背負ったまま、人狼に襲われるなど真っ平ごめんだ。何より、三輪を安全な場所まで届けて、佐野のところに戻りたかった。

 ワゴン車の左後方のドアが開いたままで咲羅が不安そうに行ったり来たりを繰り返してきた。三輪を見るなり駆け寄ってきた。


「なんて事なの」


 矢坂が担いでる三輪の腕を自分の肩に回し、咲羅は車内にいるリサに呼びかけて引っ張り込んでもらった。車内ではみんなが大人しく座っているようでもあるが、恐怖で凍り付いているようでもあった。恐怖で固まる結の視線と矢坂はぶつかった気がした。


「つーは?」


 咲羅の問いに矢坂は間髪入れず、最初からそう言おうとしてたように言った。


「まだ佐野が足止めしてる」


 矢坂は言い終わる前に駆け出していた。

 ガゼルのように走る咲羅が隣にいたのを知ったのは階段を上ったところで、人狼が今にも佐野を引き裂こうとしていた時だった。

 銃声が近くで鳴った。人狼がよろけ、額が弾けて、血がほとばしる。その光景に息を飲んだ。





 一瞬、止まった感じがした。人狼はケータイを無意識に踏み潰し、戦う気がなくなったかのように私を見た。不思議な感じがする。この人狼は人間と同じ知能を持っているのではないかと疑ってしまう。


「……言葉、わかる?」


 訊ねるなら今しかないと思った。一度もしてない事だし、相手は半獣に近いんだからしてみる価値はあるだろう。もしかしたら、話せるかもしれない。


「わからない?」


 人狼がゆっくりと顎を開いた。答えが返ってくるのは予想していない。その口から飛び出したのは咆哮だった。「ブラッディアウト」が起きてからあれだけ人間と人狼の最悪の関係を考えていたはずなのに、どう考えても話しかけるは間違ってた。

 目の色が変わってる。攻撃的で怒りを宿してる。私は出来るだけ距離をとるために後ろに動いた。目の前の人狼は一瞬だけ目を変える。けど、すぐに襲ってきた。人狼は剃刀のような歯が並んだ大口を開け、跳びかかってきた。喉しかない。黄ばんだ歯が並ぶ口は確実に私の首を狙ってきた。

 目をギラつかせている相手にあんな事を言うなんて正気じゃないかもしれない。いや、頭が正常に動いてる証拠だ。頭がまだついていくだけまだいい。気を抜けば、気を失うどころか死んでしまう。


「ひっ」


 身を屈めて人狼の脇を滑りぬける。獣の拳は壁にめり込んでいた。小さなクレーターのようにコンクリートの壁はひびが入っている。

 後ずさると背中に当たる冷たいコンクリが逃げ道を知らせる。いつの間にか職員室の前を通り越してたらしい。別の獣の声と銃声。悲鳴が聞こえないだけいい。三分経ってるに違いない。いや、まだかもしれない。人狼を見据え、背中からタオルに包んだ包丁を抜き取った。片足の裏を壁につけると、水泳の要領で蹴った。怒りのこもった瞳が近くに迫り、私は人狼の喉元に刀を突き立てた。私の左肩には人狼の牙が刺さる。少しズレて喉と肩の間に刀が刺さったが、最悪の感触が手に伝わった。



(       )


 それを覚えてる暇もなく、肩の肉が引きちぎられる。強烈な痛みで私はうめき声を上げたが、人狼も同じだった。

 人狼の牙が肩から離れ、私は刀を抜いて、タオルが自然と解けた包丁をわき腹めがけて突き刺し、その場から逃げるように来た道を逆走した。その瞬間、私は死を覚悟しなければならなかった。捕食者に背を向けるなど、野性の本能が消えた人間のする事――馬鹿な事だった。所詮私も人間だ。鋭い鉄のような爪がコンクリをかすりながら、人狼が向かってくるのがわかった。

 リュックを拾い上げ、階段のほうに向かった。ワゴン車のエンジンがうなったのが階段から聞こえる。三分経ったんだ。自分は馬鹿だったに違いない。変な自信がつき始めてた。馬鹿げた作戦で何人もの命を危険にさらすなんて、本当に馬鹿だ。ここで死んでも、死の瞬間を誰かに見られるよりいい。だけど、それ以上に生きたいと思ったのは初めてだ。

 溶けたガラスが流れ出てる階段を上り始めた時、銃声が響いた。獣の悲痛な呻きが聞こえる。私は後ろを振り返った。


「一歩、遅かったわね」


 咲羅が精確に人狼のアキレス腱を撃ち抜き、眉間も撃ち抜いていた。薬莢が転がり、人狼が倒れる。濃淡のある常盤色の血が人狼の額の穴から溢れ、床に広がっていく。


「何が三分だよ」


「よかった。安心した」


 咲羅に強く抱きしめられ、私の体全身が悲鳴を上げた。まともに体育も出来ない体を無理に酷使しすぎてるのかもしれない。それにかなり出血してるのもわかった。


「坂ちゃんのおかげよ」


 どうして咲羅を呼んできたのか、と問いただしたかったが、生きれた嬉しさがこみ上げてくる。「ブラッディアウト」が起きてから初めて会った時の安堵感のようなものに満たされる。気がつけば、私は矢坂を抱きしめていた。


「ごめん」


 私は咄嗟に離れたが、誰がどう見ようと気まずいとしか言えない空気が流れた。ぎこちない動作で鞘に刀を納めたため、指を切ってしまった。


『……血よ。ええ、血だわ』


 忘れていたあの「声」のひんやりとした恐怖が蘇ってきた。どうしてずっと「声」が聞こえなかったんだろう? 血は流れていたはずなのに。もしかしたら、人為的なもので血が流れた時にしか聞こえないのかもしれない。人狼たちが負わせた時には「声」が聞こえなかったはずだ。現に肩の傷は血を流し続けている。

 だとしたら、それが意味するものはなんなのだろう? 人類の脅威になるものが同時に二つ迫っているとか……。


 咲羅が親指の爪を噛んで考えていた。私は無闇に咲羅の考えを途切らせたくなかったが、心配で聞いてみた。


「あ、あの、あれ、三輪っちはどう? じゃなくて、何で行ってないの?」


 舌がもつれそうになったが私は何とか言う事が出来た。

 だけど、咲羅がむっとした顔になって言う。

「だって、坂ちゃんが懇願するのよ。三輪っちは大丈夫。まぁ、あたしだって人間なんだから、見捨てたりしないわ。崖じゃなくたってね」


 矢坂は呆然として、手から銃が落ちそうだった。私に抱きつかれたのがよほどショックだったに違いない。ホント、申し訳ない事をした。咲羅はそんな矢坂を無視して続ける。

「リサたちは車で行ったわ。あたしたちは後から追いかけるように言ってある。すぐに行かなきゃならない。つーの作戦がうまくいったから」


 作戦がうまくいったなんて冗談はよしてほしい。もう少しで三輪っちは死ぬとこだったし、私は殺そうとしたのに殺されるとこで、さらに全体にも被害が出てたはずだ。


「行きましょう」


 咲羅を先頭に階段を下りる。その後をついて降りていく。


 玄関前にはワゴン車ではなく、黒いベンツが停まっていた。牡丹餅みたいな男の校長の愛車だが、いつものように洗い立てのピカピカではなく、いくつか凹みがあって卵を投げつけられたみたいな跡がある。

 周囲が血みどろなのは変わりなかったが、いくつもの遺体が消え去っていた。人狼は遺体に見向きもしないはずなのに、どうやって消えてしまうのか不思議でたまらない。

 咲羅は運転席に乗り込み、私はリュックを投げ入れて後部座席に入り込む。少々頭の回路が停止してるのか矢坂は車のドアの隣に突っ立ったままだ。


「はやく!」


 叫ぶように言って、矢坂の腕を引っ張る。頭を打ちそうになりながら車内に転がり込む。ドアは矢坂自身が閉めた。


「しっかり捕まって!」


 咲羅の声に続いて、タイヤの軋む音が鼓膜を振るわせた。車内が揺らぎ、体が揺れる。だけど、泥沼にでも引っかかったかのようにタイヤがスリップする。

 ロータリーの花壇にぶつかって停車した。

 私は窓の外を見た。人狼が校庭の向こうにある柵を引き裂いていた。作戦が成功した事によって私たちは危険な場所で止まってしまった。

 矢坂のほうから銃声が響き、ガラスが砕ける音がする。


「つー、選択肢は? 多数決にしましょ」


 こんな時だからこそか、咲羅は茶目っ気たっぷりに提案する。だけど、それは私が選択肢を考えてると仮定してだ。すぐに考えなければ。


「徒歩でもいいから逃げる」舌が乾いていてすべりがよくない。「……ここで戦って生き抜く」


 ここで戦う事は無謀に思えた。人間の耳以上にいいのだから、かなり遠くからも人狼はやってくるはずだ。まるでゲームで無限に復活する敵を相手にするような途方もない事。一番いいのはどうやってでもここから逃げる事、留まるより絶対的に逃げ果せる事は出来る。


「戦うに一票」

「俺も戦う」


 私は心底驚いた。だけど、私は賛成した。ここが最期の場所になってもかまわない。私が私らしくいたのはここで最後なのだから。

 リュックの中身をばら撒き、中から予備に入れていた刃物を取り出した。日本刀は刃こぼれを起こしてなさそうだったし、代えは必要ない。だけど、持っておくことに越した事はない。リュックを背負った。

 私たちはアイコンタクトだけで車から飛び出した。咲羅はリュックを背負ったまま。二匹の人狼がタイヤに噛み付き、別の一匹がバンパーを引っ張っていた。


「たった三人。小賢しい真似は出来ないわ。正面から立ち向かいましょ」


 咲羅の言うとおりだ。最後には押されに押されて、行き場のない場所に追い詰められかねない。それなら広い場所で戦ってるほうが断然いい。

 私は背中から銃を引っ張り出した。刀を左手で握り締めたまま、右手の銃を車に集る人狼に向ける。矢坂が三歩下がるたびに一発撃つのを繰り返し、私はそれを横目に見ながら後ろに下がる。

 私たちの背後を守ってる咲羅が戦場となる場所を決める。北校舎に近い運動場の端だ。視界は運動場端の南東にある自転車置き場以外は開けてる。何かあっても校舎に逃げれるが、逃げるつもりは微塵もない。

 戦場として足場が定まった。迎え撃つのみ。


「私、前に行く」


 私が囮になって、少しでも狙いがつけやすいほうが銃弾を無駄に使わずにすむ。



 

 私はまだこの時何も知らなかった。世界は地図やインターネットで知られるよりもっと広い事を。そして、人知を超える事などいくらでも起きる事を。

 





 銃声が鳴り響く校庭を見下ろす一つの影。北棟の屋上。学校一高い場所にある時計の隣に影は腰を下ろし、楽しそうに戦いを見守る。片手には立方体のパズルのような物があり、それは掌から数センチのところに浮いていた。一面は十六個に別れ、一つ一つがどれも違った色の不思議な箱は一列ごとに回転している。


「彼らの中にいるのか?」


 座高と同じぐらいの大きさの時計に寄りかかりながら回転する箱を見ていた。


「いないんじゃないかな?」


 背後から落ち着いた声がしたが、影は動じなかった。


「いないから殺しちゃうんだろうけど、いても混乱しちゃうだろうから間違って殺すと思うよ?」


 箱の一面だけそろった。同じ色ではなく、同じ面というべきかもしれない。それは一色ではなく、一面の画面。何かを映し出している。暗い場所。無数の死体。積み重なった一糸纏わぬ屍。


「俺は戻るから、ここはお前に任せる」


 影は校庭から視線を外し、背後にいる者に鋭く突き刺すような目を向けた。


「お前さぁ、三体殺したって?」


 別の一面がそろうと、そこにはこの世界では見かけない景色が映っていた。どんな山より高い山は青っぽい氷に覆われ、一部には色とりどりな場所がある。だけど、その山のふもとにある集落の建物の壁は真っ赤に染まっていた。


「んー、ちょっと気になる事があったし、子供だろ? お前がそんな事を気にするなんて珍しいな」


 笑顔で言い捨てると、音もなくその場から消えていた。

 影は楽しそうに鼻歌を歌うと、再び校庭を眺め続けた。

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