十二月二十四日 金曜日 午後二時二十五分 増える真偽
最初にしようと思ってた事をまったく覚えていなかった。どうして今思い出したのかもわからない。
この事態は書き記したほうがいいって事。全人類が死んだとしても歴史として残せるかもしれない。誰かが見つけてくれればだが。
もっとも、データでなのか手書きなのかどちらがいいのかはよくわからない。日本語を読めないかもしれないし、データだと表示出来る機材がないかもしれない。
咲羅が来るまでの間にする事は他になさそうだし、書いておこう。
私は帰ってすぐにほっぽり出した教科書やノートの間からルーズリーフを綴じたバインダーを引っ張り出す。バインダーから新のルーズリーフを一枚とって、筆箱からボールペンを抜き取る。ボールペンをカチカチッと音を出しながらインクの確認をして、書き始めようとしたが何を書けばいいのか思いつかなかった。
矢坂と結のやり取りを見ながらも、情報を得られるものすべての電源をつけてみた。パソコン、テレビ、ラジオ。ラジオからは雑音が流れていたが、テレビではお昼の生放送の番組以外はいつもどおり放送されていた。パソコンは普通すぎてつまらないと言っても過言ではなかったが、掲示板やブログなどでは騒がれていた。
だけど、それらの情報をすべて真に受けるのはダメだとブラウザを閉じる。目の前のものと書かれる情報が違うのはいつもの事だが、大惨事の際には根も葉もない真偽不明な噂ばかりが流れる。
私はいつもそれを信じすぎてた。教科書を丸暗記するように。実際はした事ないけど。教員や親の言う事が正しいと思ってたように疑う事なく信じていた。最近じゃ、猜疑心が一歩前に出てるが。
だから、そういう情報は見ないほうがいい。有益な情報だってあるはずだが、悪意で誰かが書き込んでいたら命取りだ。そんな事する人はいないと信じたいが、実際いるとこにはいる。
自分が感じたように思ったように書いたほうがいい。どう思いどう考えたか。
――――
どうしたらいいのかわからない。だけど、これを書き残します。上手くは書けないけど、書くのが大切だと思うから。
2010年12月24日金曜日、天気は晴れ。だけど、暗く感じる。そういえば、クリスマスイブという感覚はまったくない。日付を書いて思い出した。
私は佐野つぐみ。女。明日で十六歳になる。自分の行動原理はよくわからないけど、嘘偽りなく出来るだけ書ける事を書く。これを書いてるのも自分が死ぬかもしれないと思ってるからか、本当に書き残さなければならないと思っているのかはわからない。
府立農芸高校に在学して、その終業式の前(たぶん9時半ぐらい)にその現象が起きた。文章中ではブラッディアウトと書く。
そのブラッディアウトは人間の血を搾り取って、血の津波を作った。かなりの大きさで北のほうに流れていった。その血は物の上をすべるように服に染み付いたりしなかった。においもなかった。そういや、ブラッディアウトで死んだ人の腕には何かの切り込みがあった。
在学生は600人いるはずだけど、たぶん200人残ったかぐらいだと思う。どうして残ったりしたのかわからないけど、ブラッディアウトが起きたのももっとわからない。
人間以外の生き物も例外じゃなかった。鳥も牛もアヒルも魚も死んでた。生きてるものもいたけど。
個人的な考えだけど、こうなる運命だったのかもしれない。
いとこの結を迎えに行く途中で奇妙な男にあった。奇妙なんて言葉じゃ足りないけど、私のごいじゃ説明は出来ない。
結を迎えに行くのにバイクを運転してくれた矢坂が最初に見つけた。そこを通らなかったら目的地にはいけてないから当然かもしれない。場所は国道309の千早赤阪方面に行く橋の前のホームセンターとマンションの近く。
その人は自ら血肉をむさぼってた。まるで吸血鬼。だけど、人間と外見は変わらない。もしかしたら、ブラッディアウトに乗じた殺人かパラフィリアか、本当に吸血鬼かもしれない。瞬きするぐらいのスピードで30か40メートルを移動したから。
それに手刀でシンディに大怪我を負わせた。シンディはボーダー・コリーのメスの成犬だけど、かなりやせ細ってる。
男は自分を人外だとも言ってたし、吸血鬼かそういう類に近いはず。
結を迎えにいった後にもっと奇妙な生き物がいた。人狼のような獣。狼の顔つきで体はゴリラのようにごつい。爪の鋭さは剃刀にも勝って、力はかなり強い。手で壁と私の腕を抉った。
でも、狼などの肉食獣みたいに食用で私たちを狙ってるわけじゃなさそうだった。怒りのようなもので私たちを殺そうとしてた。
動物が人間を憎む理由はいくつもあるけど、全人類を憎んでそうな人狼は別だと思う。
それに知力は(人間を一番上とするなら)動物と人間の間ぐらい。首を執拗に狙ったりしてないけど、刀を使う事を見てならった。私が獣に対抗するために持った刀を奪い取った時には私をそれで刺そうとした。
私は獣に止めを刺せなかった。動物が好きだからっていうのもあった。一度動物に対して手を上げると絶対に許されないし、何よりこれが自然だったからかもしれない。この気持ちは自分でも理解しきれないし、まとめる事も分析する事も出来ない。
――――
私は覗かれてる気がして、手を止めた。視線を上げると矢坂が盗み見というにはあまりにも大胆に覗いていた。
それまですらすらと動いていた私手が止まったために矢坂が視線を上げて、目が合う。
「書けよ」
上から物を言われて、私はカチンときた。
「坂ちゃんも書けよ」
バインダーからもう一枚ルーズリーフを取って、矢坂に押し付ける。心底嫌そうな顔をされた。あだ名が嫌なのか書くのが嫌のかはわからないけど。
どうやら結の攻撃はまだ収まっていなかったようで矢坂の横っ面を新品のペットボトルがど突いた。だけど、それに本気で怒る事なく応じる。一人っ子の私より長男の矢坂のほうが結の扱いは上手い。そういや、一番下が妹だったはず。
私は書いていた方を内側にしてルーズリーフ用紙を折りたたみ、ズボンのポケットに押し込んだ。あの文章をどこまで見られたかと思うと焦りが出てきてしまう。自分の字が汚いのはわかってるけど、自分が書いた文章を見られるのはもっと苦手だ。それにどうかしてる。
焦りを閉じ込めようと私はコップの中のジュースを飲み干した。
シンディが唸った。突然の事だったから、私はしゃっくりをし始めたみたいにビクついた。刀を持ってリビングを飛び出した。
「静かにして」
シンディを落ち着かせて、玄関扉を恐る恐る押し開けてみる。
外を覗こうとした瞬間、扉が勢いよくさらに開かれ、人影がサッと入ってきた。私は押されて、靴箱に叩きつけられた。
荷物をドスンと降ろして、人影は私のほうを振り返る。
「会うのは久しぶりね。元気にしてた?」
ソマリが鳴くような可愛らしい声。私より少し背が高くて細い。こげ茶っぽい黒髪をポニーテールのように後頭部から三つ編みにして、おしゃれとしてか一房だけ金色に染めてる。
ブラウンの大きな瞳が近づいたかと思うと私は力いっぱい抱きしめられていた。
シンディは不審人物という認識をといたようでマットにゴロリと寝転んだ。
リビングに案内すると重そうなリュックを引きずって咲羅は入ってきた。リュックははちきれそうなほどいっぱいに何を詰てるのだろう? 私は刀を再び壁に立てかけた。
「坂ちゃんも元気そうね」
包帯を巻いている腕に視線をやったが、あまり問題はないとでも言うようにすぐに視線を別のほうへ動かした。
「坂ちゃんって言うな」
矢坂がキッとにらみつけた。
「じゃあ、ロリコン?」
私は笑いを必死にこらえた。その発想はまったくなかった。矢坂と結を見てるとただの兄妹に見えてくる。
咲羅は矢坂の突き刺してくるような視線を気にする事もなく、結に微笑みかけた。
「結ちゃんも」
結の頭を優しく撫でてから抱き上げる。わが子の成長振りを確かめるような面持ち。まるで母親のよう。一瞬普段の事のように思えた。ただたんに遊びに来てるような。
咲羅の首下にネックレスをしている。革の紐に小さな笛がぶら下がっている。一音しか出ない簡単なものだが、私たちにとって思い出の品。小学六年生の時に私と咲羅と何人かを含めお揃いで買ったものだ。確か矢坂も持っているはず……私が咲羅の笛を見ている事に気づいて、空いている方の手で摘み上げてよく見せてくる。
「懐かしいでしょ」
「そうだね」
そう言って思い出に浸ろうとするのをやめる。空しくなるだけだ。
抱っこされたままの結はその笛を掴もうとするが咲羅が服の中にしまった事によって拒まれた。
「じゃあ、さっそく何があったのか話して」
咲羅は結を抱き上げたままソファに自分の家のように遠慮もなく座る。少々礼儀がなってない気もするけど、事は早くしなければならない。私はブラッディアウトが起きた時から今現在の事まで出来るかぎり詳しく話した。結を迎えに行く道のりや人狼との戦い。人外の男とシンディの蘇生も話した。
「……そうねぇ」考え込むように唇に人差し指を当てる。「ブラッディアウトって命名はいいんじゃない? その男とかシンディについては考える必要がありそう。だけど、また博愛主義ぶってるんじゃないかと思ってたの」
「あのね、蚊だって叩くし、蟻だって見えずに踏んでるかもしれないし」
博愛主義ならシンディを殺したあの吸血鬼に殺意を覚えるはずがない。あいつにシンディと同じ苦しみと痛みを味合わせてやりたいと思うなんて博愛主義ならありえない事だろう。
関係ないかもしれないけど、犬の十戒を見るだけでだだ泣きする自分は度を越してるのかも。
だんだん、自分が二つに分かれそうな気がしてきた。博愛主義ぶりそうな普通の自分とこの環境に適応してる自分。
怒りを処理しきれずに周囲の物を叩き壊したくなったのを抑えるために咲羅に聞き返えそうとしたが、咲羅に一歩先を越された。
「パソコン貸してくれる?」
あまりインターネットで流れる情報を信用したくなかったが、咲羅が言うからには違う事だろうと思ってパソコンを手渡した。
起動するまでに咲羅に一つだけ質問を投げかけた。
「どうして日本にいるの? アメリカにいたんじゃなかったっけ?」
咲羅がどうして日本にいるのか知りたかった。他の事は知らなくてもいいからそれだけは納得しておきたかった。
咲羅はコタツの前に座り、結を隣に座らせた。結はつまらなさそうな顔をしてジョセフを抱きしめるとコタツに足を入れて、横たわった。結なりに邪魔をしちゃいけないとわかっているらしい。
「クリスマス休暇でリサが東京に行きたいって言うから帰ってきてたの。今日はつーの学校が終業式だと思ったから会いに行こうと思ったら、あれよ。ブラッディアウト」
結の頭を優しく撫で、慈しむような目を上げると、グリーンに見えるヘーゼルの瞳が強く光っていた。
「ある意味運がよかったかもね」
そういう言い方はどうかと思ったが、咲羅がいてくれるのは心強い。流行をおかっける可愛らしいただの女の子じゃないし、テコンドーを習ってるって聞いたから。
「パソコンで何するつもり?」マウスを握り、画面に目を移した咲羅にたずねた。
「リサの姉のリリーがね、「ノア」っていうウェブサイトを立ち上げたの。何があったか書き込んで、情報交換してる。自動通訳するからどの国でも大丈夫だし、原則本名で登録するからほとんど偽れないわ。フェイスブックみたいにね」
一つだけ引っかかる点があった。ウェブ関係については必要以上の知識がないからよくはわからないけど。
「リサさんとは一緒じゃないの?」
確かフルネームはリサ・理絵・ハンセンだったと思う。咲羅がフロリダに移り住んだ時に初めて出来た友達らしい。私はチャットでしか話した事はないけど、とても人柄はよさそうだった。
「美穂たちのとこで立てこもってるわ。その事を話そうと思ってたの!」
咲羅はキーボードを目にも留まらぬ速さで叩き、マウスを左クリックする。
美穂のメールをすっかり忘れてた。確か中学校にいるはずだ。
「都心部にはかなりの数の獣がいたわ。ここに来るまで大変だったのよ。嗅覚が鋭くて、つけられる危険があったの。同じ場所には出来るだけいないほうがいいわ」
咲羅はキーボードをタカタカと打っては時々エンターキーを叩くように押し、マウスを滑らせる。情報を書き込んだり、見たりしてるに違いない。
「じゃあ、ここにいるのは危険じゃないのか?」
矢坂は落ち着かないのか指をコタツの天板にコツコツと打ち付けていた。
「危険極まりないって言いたいけど、ここはそんなに多くはないの。それに優秀な護衛がいるじゃない」
シンディは一度あれを味わってるから敏感になってるはずだ。その記憶はシンディには残ってるのだろうか?
咲羅はパソコンから手を離し、コタツにおいていたクッキーの箱を取る。封を切り、箱から小袋を出して、それも切ってクッキーを一枚取り出し、口に運んだ。
「つーはあの獣どう見る?」
私が動物が好きだからか詳しいからか咲羅が聞いてくる。いくつかは予想したりしてるけど、どれも正気じゃないって感じがする。
「見た目どおり、人狼っぽい」慎重に言葉を選ぶ。「でも、首にガブリって来ないからハイエナっぽい。それにかなり爪とか鋭利で力も強かった。だけど、捕食目的じゃない気がする。それに道具を使った。私が刀を使ってるのを真似て……」
恐怖がじわじわと這い登ってくる。人狼に刀で殺されるなんて馬鹿げてる。自分が刀を持ったからって勝てるわけがない。それこそ馬鹿げてる。
咲羅にクッキーを差し出され、私はそれを受け取る。あまり食べる気分ではなかったが、思った以上に体は疲れてるはずだと無理やり口の放り込んだ。
「あの男が関わってると思う? その人狼に」
その線は考えてなかった。あの人狼が意図的にばら撒かれてるなら、いくらでも考えようはある。
「あの人狼の幼獣みたいなのがいないかぎり、そういう事もありえなくはないかも」
産んだんじゃなくて、作り出された可能性だってある。幼獣がいなけりゃその筋だろう。
もしかしたら、あの男が人狼に姿を変えるのかも。伝説みたいに狼人間みたいに。でも、それだったら血の色が可笑しい。ほとんどの生き物の血は赤くないといけない。構造が違うのかも。
「たぶん、作られたんだと思う。咲羅が言ったみたいに数が多いなら、野生で今まで隠れてる事は不可能だと思うの。成体のまま作られて、ばら撒かれたって考えてもいいと思う。……やっぱり、あの人狼の被害は多いの?」
世界中がどう対処してるのか知りたかった。たぶん、自分が殺そうとした事を正当化したいと思ってるんだ。
「積極的に人狼を殺してる地域もあれば、逃げてる地域もある。あの人狼がいないのは小さな島ぐらいでしょうね。でも、人によっての被害が多いわ。リリーが人が人を殺してるって警告してる」
咲羅は大きくため息をついてクッキーを頬張る。キーを二、三個打って、マウスでスクロールする。
絶望的な状況でも生存確率が一パーセントでもあれば、それに向かって必死にもがくって聞いた事がある。だとしたら、獣が多い地域は相手を落としいれようとしてるのかもしれない。自分生き残るために。でも、その逆だって考えられるはず。手を組んで獣を殺すっていう事が。
「つーのそういう見解は多いわ。どこかの国の生体兵器だって意見が多い」
パソコンのデスクトップ画面をこちらに向けてくる。画面は全体的に薄い水色で真ん中には地球儀のようなものがあり、さまざまな場所から吹き出しがいくつも出ている。リアルタイムなのか二つ三つ増えていく。よく見るといくつかジャンルが端っこにある。「血の波」や「死者」、「伝言」や「サバイバル」など。今見てるのは「獣」のジャンルだ。
「私はどこかの国だって思わない」むしろ自然界が人間に敵対しだしたって考える。「私たちが遇った男と同じような人の報告ってないの?」
あの男は確か複数形で言ってたような気がする。だとしたら、何人かはいるはず。
「見た限りないわ。でも、この事態を詳しく書いてる人がいる」
「それって誰?」
私は興味本位で聞いた。それほど重要だとも思わなかった。ただの知ったかか面白がって書き込んだのだろうと。
「知るわけないだろうけど、グレン・ストーナーって男」
私の思考回路が破裂した。
グレン・ストーナーを知ってる。掲示板に書き込んだ本人が私の知ってるグレンじゃないかもしれないけど、私は知ってる。
なんたって、私が作り上げたんだから。
すべての設定が当たっているなら、好ましい出来事ではない。でも、それが現実に起こりうる確率は冥王星が脳天に直撃するぐらいありえない。だって、グレンの設定は想像上の事だから。
言葉を借りるなら、現実が厳しすぎるあまり「その先にある希望」を描けなくなった時、ファンタジーを生み出す力が芽生えた。一から作り上げるファンタジーを想像したのは中学校のころだから。世に言う中二病ってのもあるかもしれない。
その頃に作ったファンタジー小説の登場人物の一人だった。ブラウンの髪、緑の瞳、十八歳。どこにでも転がってそうな設定。
だけど、ちゃんとした内面を考えたのはつい最近だったはず……。よくは思い出せないけど、二面性に差がありすぎてまとめるのが大変だったのは覚えてる。
「どうかした? 知ってるの?」
咲羅は私の顔を覗き込んでくる。どうやら視界でものを捉えていなかったようで私は少々驚いた。
「……何にも」
私は出来るだけ動揺を隠した。
想像した事が現実に起こるはずがない。たまたま一致しただけだ。自分に言い聞かせるがストッパーになる回路が焼ききれたのか止める事が出来ずに私は強行手段に出た。
ゴンッと鈍い音がして、頭に鈍痛が響く。自らコタツの角に頭をぶつけた。自分は馬鹿だと再認識する。でも、お陰で止まった。
私の奇行に結を含める三人が黒々とした好奇の目線を向けてきた。言い訳は三つほど浮かんだが、それを言う前に咲羅がニヤリとした。
あからさまに芝居掛かった動作で咲羅は頬杖をついて、目線をこちらに向けたまま瞼を半分ほど閉じる。こういう目をされると何もかも見透かされてる気がする。隠してる事に罪悪感を覚える。
「知ってるでしょ?」
咲羅の言葉を聞いた矢坂は驚きが混じりながらも確認するような表情でこちらを見てくる。
「あー、いや、英語しゃべれないし」
事実、英語の授業が始めてあった中学校の頃からボロボロだ。書けないししゃべれないが、聞き取る事だけは出来た。海外ドラマのお陰だが、今はそんな事どうでもいい。
出来るだけ思いつく理由を羅列する。
「日本から出た事ないし。国際電話のしかたも知らないし」
笑い飛ばしてみようと笑い声を上げるが、尻すぼみになって結局は笑い飛ばせない。というか、心のどこかで咲羅の追求からは逃れられないってわかっていた。
「白状する?」
剣を突きつけられてるみたいな咲羅の言い方に私は両手を上げて降参のポーズをとる。
「だけど、無理」
一瞬だけ視線を矢坂にやって、咲羅のほうに戻す。わかってくれるはずだ。
矢坂と私にジョックとナードほどの差があるわけじゃないが、こういう空想はある分野にのめりこんだ女子特有のものだから馬鹿にされるだけだ。現実を見てなさ過ぎて、その差が消えかかってるんじゃないかって時々自分でも思う事はあった。もともと小さい頃から空想家だった所為もあるかも。
というか、私のちびたプライドに傷がつくから知られたくない。
咲羅は理解してくれたようでウインクを返してきた。
「知ってるには知ってる。でも、それはありえないって事ね」
「何だよ、それ」
すかさず突っ込む矢坂を無視して、咲羅が言う。
「どんな事にせよ、詳しく書きすぎてる。こういうのってあまり信用しないほうがいいわ」
無視された矢坂はぶつくさと文句を言っていたが私には聞き取れない。
咲羅はウインドを消してるのか他のを探してるのか、クリック音が何度も響く。
「どんな事を?」
「時空の話」咲羅は機械的に答える。
「聞かせて!」
条件反射のように言葉が私の口から飛び出してしまった。こういう分野――空想の材料になるものには強く惹かれる。知りたがりとも言うかもしれない。
「この話は止しておくわ。今するべき事は討論じゃなくて、立てこもりよ。もしくは人狼の殲滅」
その言い方だとなんだかこれから犯罪を犯そうとしてるみたいだ。
だけど、咲羅の言うとおり、ここで予想ばかりしても時間が勝手に過ぎて何にもならない。行動を起こさなきゃならない。
咲羅ははちきれそうなリュックのチャックを開いた。中からは黒光りする木炭のようなものが見えた。いや、違う。金属質で危険なもの――――銃だ。それも複数。
咲羅はその銃をお気に入りのアクセサリーを見せるかのように天板に並べた。
「……人を襲ってるのを見かけたから、殺すしかなかった。警察の銃を借りてね」
やっぱり、同じ事をしてた。こうやってほとんどの人が銃を持ち始めて、人間同士で殺し合いが始まってしまうのかも。人が人を殺してるって咲羅が言ったし。
だけど、咲羅はそんな心配もなさそうだ。万事心得てるって感じ。
「だから、リサと合流した後、片っ端から電話をかけたの。出来るだけ一人にならないでって。そこにつーからの電話が来た」
咲羅は「ブラッディアウト」が起きてすぐに人狼の事を知ってたらしい。それなら言ってくれればよかったのに。
「何でその時に人狼の事言ってくれなかったの?」
ちょっとしたパニックだった。あの瞬間に人狼がそばにいたらと思うと呼吸が浅くなって肝が冷える。
「あんたがストックホルム症候群って叫ぶから」
「クラッシュ症候群です」すぐに訂正する。あまりにもかけ離れすぎてるもんだから。
「あたしの人生の汚点よね。あんな大事な事言い忘れるなんて。まぁ、坂ちゃんを行かせたのは正解だったかもね」
咲羅はまさに悪戯っ子というべき笑顔を作った。
「つーが素を出せて、一人にならずにすむなんて保育園組みぐらいだもの。それでね、警察の銃を片っ端から持ってきたの」
いきなり話が銃に飛んで、思考がついていけなかった。
「日本で護る術が少ないが欠点だけど、そういう考えに行き着くのも所持数も少ないのが利点だと思うわ」
銃社会との差ってやつだろうか。一般人の私すらこういうのを持った事はおろか触った事すらない。
恐る恐る銃把に指を持っていく。指の腹がそれに触れた瞬間、張り付くような恐怖に似た何かに私は驚いて手を引いた。
「坂ちゃんは銃の方が好き?」
化粧品でも扱うかのように咲羅は拳銃を持ってる。
「何と比べて?」
私も坂ちゃんの意見に賛同する。比べるものなんてそうそうありゃしない。しかもそれはあまりいい意味じゃない。
咲羅は壁に立てかけていた刀をちらりと見た。
「刀よ」
咲羅は私に何か語りかけるような目を向けてくる。銃に持ち替えろって事だろうか?
「私なりのポリシーですから」
つっけんどんに言った。刃物を擁護するわけでもないが、こうも敵が多くちゃそうするしかない。日本刀は最強の刃物だってテレビか何かで言ってたし。
というか、どんな命でも殺すとしたら――そうすべきではないのはわかってる――それを受け止めなきゃいけないと思う。身をもって。だから、その感触がわかる刀はある意味合ってる。
だけど、最悪の場合、刀を持ってその感触に耐えられなくなるか、銃を使ってその手軽さに感覚を麻痺させられるかのどちらかに行き着くと思う。
咲羅は手馴れた様子で弾倉を引き抜いて、一番上から実包を押し出した。指で雷管のほうを摘み、実包をこちらに差し出してくる。
「Si Vis Pacem, Para Bellum」
なめらかすぎる発音に私は理解出来ずに呆然となった。
「このパラベラム弾は、「汝平和を欲ば、戦への備えをせよ」って言う意味の諺から来てるの。今の状況にあってると思わない?」
まるでスペリング大会で優勝したのを自慢してるみたいに言う咲羅。だけど、何か正反対の感情を持ってる。
どうやら私のある悩みは咲羅に見透かされていたみたいだ。
「どんな言葉を使ってもつーの考えを捻じ曲げられそうにないけど、これをしなきゃ後々厄介になるわ」
まるで未来の出来事を知ってるかのような言い方だ。もしかしたら、グレン・ストーナーの書き込みを少しは信じてるのかも。
咲羅は実包を弾倉に押し込み、弾倉を銃把の下に差し込む。遊底をいっぱいに引いて、装填する。今の咲羅を怒らすのは冗談でも危ない。だけど、どこか現実味が薄かった。
「人狼を石だと思えばいいの……って言ったら、どうかって思うけど。理由のために生きなさい。これから殺す。だから、今後も殺す」
最後の二言、三言がなけりゃ、私を改心させられてたかもしれない。だけど、理解してくれるだけ気分は軽くなる。
「自分たちで動かなきゃならないの。政府は動かない。絶対に。警察も自衛隊も」
政府が私たちを守ってくれるのはあまり信用ならない。マニフェストで掲げられるならなおさらの事。
自衛隊のヘリを見たとは言わないでおこう。たった一機のヘリに何人乗っていたってどうしようもない。
「あんたが何か背負ってるならあたしも背負おうじゃないの」
いつの間にかからのコップを握り締めていた私の手にそっと右手を添えてくる。
私は咲羅の手を見てから、彼女の瞳を見た。何も戸惑ってない。真剣に現実と向き合ってる。
「咲羅、ホントやめて」
咲羅は私の表面の悩みはわかってくれるけど、奥深くまでは見えてない。
もっとも、私がどうしてそこまで考えるかわからない。
もしかしたら、中学校の時に起こった幽霊モデル殺人事件と今年六月に起きた連続殺人事件の所為かもしれない。
一つ目の殺人事件には奇妙で興味がわいただけだったが、二つ目の殺人事件は起きた時期が生死の現実を突きつけられた時でもあるためか、かなり興味がわいて、私は片っ端から殺人事件を調べた。興味ではなく知りたがりかもしれない。
その行き着いた先が、欧米の殺人事件。それももっぱら連続殺人、快楽殺人、猟奇殺人だ。日本の犯罪と一味も二味も違う。ただ一緒なのは被害者の悲しみだろう。
被害者側の痛みは想像を超えるものだと思うが、私が知りたいのはそこじゃなかった。殺しを行う心理――この言葉を使うけど私が考える意味と合致してるかわからない――を知りたかった。屠殺という事を突きつけられ、一番最初に思い浮かんだのは、殺人に繋がって殺しを求めるようになったら? というものだったから。
自分の手で命を殺す。蚊やゴキブリではない。死んでいく目がわかるのだ。そして、死に逝く時の感情が表れる。今まで気づかなかった生活の裏を知るとともに、殺しをするのだ。それが人間だろうと動物だろうと、ほとんどの日本人はした事がないはずだ。まるで平和ボケしてる人間が戦地に立たされるような困惑と恐怖。
殺人を題材にした作品が凶悪犯罪の低年齢化に関係があるとしたら、そういう学校での教育も関係があるとしたほうがよさそうだ。道徳や食育という言葉だけであっさり流したのだから。
今思うとなんて馬鹿な興味だったんだとも思えるし、その恐怖が再び襲ってくるものわかる。
もしかしたら、犯人の考えまで取り込んでしまったのかもしれない。刃物で一度殺してしまえばその快楽に引きずり込まれるとか、頭からほとばしる血に魅了されたとか、肉を裂く感覚に飲み込まれるとか。
そんな事になるのを恐れているから、殺すのが嫌だってのもないとは言えない。
でも、戦わなくちゃいけないっても思ってるから板ばさみ状態でこの感情を処理出来ない。
「何かわかんないけど、もっと気楽に考えてもバチなんてあたるとは思わねえけど。いったい何なんだ?」
矢坂と咲羅にこの事を言えたらどんなに楽になるだろう。
だけど、根っからの天邪鬼だった所為か、必要なものを捨てて不必要なものを拾うか留めるのが得意な私にはそれが無意味だった。
大事な決意を伝えれば、伝えただけで満足して成し遂げずに終わってしまう。不安だったり迷いとかは伝えても、伝えた分だけさらに溜まった気がして、吐き出せない。
だから、言うのは無意味だ。負の感情を伝えてそれに二人を巻き込んでしまうなんて真っ平ごめんだ。
「坂ちゃん、真剣に言うけど」私はまっすぐ矢坂の目を見て言う。「実はな、あんたみたいな兄貴がほしかった」
それは冗談だけど、いろいろ追求されるのも厄介だし早めにこの事は早々に切り上げたい。
「真剣に言ってないだろ、それ」
私は笑ったが矢坂は口元だけに笑みを浮かべたまま怪訝な顔をする。
「ちゃんと言うまで待っててって事よ。ね?」
咲羅が変なように代弁するけど、それって当たってるのかもしれない。自分でも自身の感情だったり、悩みとか心の奥深くを理解できないから。
でも、言い方がどうも気に食わない。いつか言う日が来るとでも思ってるのだろうか? それは絶対ない。
銃身を握って咲羅がこちらに銃把を向けてくる。
「一丁ぐらい持っててもいいじゃない。念のために」
「念のため、ねぇ……」
私は腕を組んで咲羅をじっと見る。
刀と比べると手軽かもしれない。だけど、弾数は決まってるし、何より何かが欠けている気がしてならない。物理的なものではなくて精神的なものが。
「念のため。じゃなかったら、話す?」
ほとんど説明がなかったが、咲羅の視線が矢坂を一瞬だけ捕らえて、私にはその意味がわかった。持たないなら矢坂に――ついでに咲羅にも――真実を話せと言う事。
私はしぶしぶ受け取る事にした。重いのに手に吸い付くような感覚だ。これは傷つける武器だという事に、見ていた時より実感がわかない。おもちゃの銃で射撃ゲームをした事は何度もある。命中精度はそれほど悪くなかったけど、誇れる事でもない。それに全部独学だ。本物を持って間違わないかは別だ。
「あのさ、撃ち方とかは?」
持ち方や立ち方を間違えれば腕が折れ、正しければ小さい子でも安全と聞いた事があった。もしそうなら、何にも知らない矢坂の腕はもげていてもおかしくないだろう。
「腕とか折れないの?」
私が付け加えた言葉に過敏に反応した矢坂が私に非難の目を向けてくる。
「そんなもん、俺に持たせたのかよ」
「勝手に、拾ってきたくせに」
泣いた自分が恥ずかしくて、私は少し口ごもりながらも非難の目を向け返す。
咲羅は答えず、一丁手に取ると自然な動きで構えた。よく洋画とかで見るような構え方だ。右手で銃把を握り、人差し指を引き金にかけている。左手は右手を包むように軽く握ってる。
「あとは両足を肩幅に開く。フロントサイトとリアサイトで目標に合わせるの。で、引き金(*トリガー)を引く。それに無駄な力は入れない事ね。坂ちゃん。銃貸して」
矢坂はぶつくさ何かを言いながらホルスターから銃を抜いて、咲羅に渡した。咲羅は慣れた手つきでそれを受け取る。
「これはH&KP2000」
咲羅はホールドオープンした銃を机に置いた。私は目が点になった。これほどまでに銃社会は違うのかと。今すぐにパソコンを咲羅から取り上げて調べてしまいたかった。
「初心者でも扱いやすいわ。それに腕が簡単に折れる事はない」
思ってたのより小さそうだから、扱いやすいのかもしれない。けど、初心者なんて言い方はどうかしてる。現実の武器っていうより、架空の武器に近い気がするから。
「一人三丁」
矢坂のほうに拳銃を三丁並べた。どれも同じ形をしてるけど、細かなところで違っていた。銃把とか遊底とか、あと大きさ。
「無駄遣いはしないで。人狼の脳天に一発撃ち込めばいいだけだから」
時々咲羅の発言は物騒だ。それを実行する可能性だって高いから、怒りなんか買ったら大変な事になる。
だけど、時々そんな言葉の中に重みを感じる。たぶん、銃社会だから目の前で銃撃戦なんてこともあるのかもしれない。
「……ああ」
矢坂はどこか少し上の空だ。頭をガシガシと掻いて、一丁を腰のホルスターに納める。残りの二丁は手に持つらしい。
咲羅は自分が持つ三丁以外をリュックに戻した。
「接近戦で使えるものってない?」
「せ、きんっ!?」言葉に詰まった。小説などでは聞く言葉だが、現実で聞く事など初めてだからかもしれない。
「出来れば、ナイフとか」
銃だけで何とか出来るなんて無理な話だったに違いない。実際、果物ナイフで矢坂は心臓を抉り取られるのを免れた。
私は反論する事なく、台所へ向かって引き出しからケース入りのナイフと新聞紙で包まれてる刺身用の包丁を取り出した。保護するための入れ物がないのは使用者にも危険が及ぶと思ったから。
一人一本ずつ渡そうとしたが、提案者の咲羅は断った。どうやら咲羅はブーツにナイフを隠し持っていた。サバイバルナイフみたいで一方は普通の刃なのにもう一方は鋸歯だった。だから、咲羅に渡すはずの包丁は私が持つ事にした。
「話がついたところで中学校に行きましょ。そこで合流して後は考えるしかないわ」
これからの行動なんて模範解答すらない。逃げ続けるのか戦い続けるのか、何をするのか今でもわからない。
咲羅は私の肩に手を置いて、静かにだけどはっきりとこう言った。
「あんたが嫌なら。足の骨を断ち切ってくれるだけでいい。あたしが止めを刺す」
それは出来ない。私みたいに考えなくとも殺しの重圧というのはあるはずだ。私は踏ん切りがつかなかった。咲羅にはそれがわかっているかもしれない。
「平和を望むならば戦いに備えよ。ってね。でも、つーの言いたい事はわかる。それでも、ここまで来る途中に何匹か殺したの……」
たぶん、それは何となくわかってた。けど、本人の口から出るのは驚きがある。
「……わかってる。この状況、わかってる。けど、どうしても無理……」
再び顔を埋めた。顔を上げたら、元に戻ってるなんて簡単な事じゃない。
「……」
今は食物連鎖でもない。ある意味そうかもしれないが、今はただの生きるための戦い。
命あるものの生死を決める戦い。




