十二月二十日 月曜日 午後十二時五十八分 日常
二〇一〇年
暗いティールグリーンの背中が並ぶ中、前方には、明るい深緑の板が白い粉を纏い堂々と構えている。
睡魔に釣られながらも必死に抵抗していたが、眠気を誘う独特の声により、深緑の背中は負けて、机に垂れていく。
時々小さなしゃべり声が続くが、黒板の前で語る大人は聞こえてないのか注意する気もない。
どうでもいい話し声が渦巻き、黒板にチョークの足音が走る。くぐもった睡魔の声は眠りを促し、エアコンの作動音が教室中を蠢く。どれも小さく些細な音だが無音とも言えない教室で一人、心の中で愚痴をこぼす生徒がいた。
過労死寸前なのは私らだ。新聞の見出しには「高校生、部活で過労死」ってネーミングセンス悪っ。
何で私を間に話すかなぁ。私が邪魔なのか。そんな話聞きたくないねんけど。あ、これって盗み聞き? いや、聞かされてるようなもんかやら違うやんな?
はぁ……、ここの居心地が悪いのはいつも、か……。今週学校終わりだし。早く冬休みになれ……あ、二十三日だけは本真勘弁。
生徒は愚痴または文句のつもりでいるが、内容が身に起こる事態によって飛びに飛んでいるため愚痴を吐いているのかは謎である。
府立農芸高等学校。政令指定都市にある共学で全日制、約十万平方メートルの敷地を有する公立高校である。
府全土から通えるため遠くて電車で三時間ほど、すぐ隣の住宅地からは五分もなく通学出来る。
名の通り「農」について学び、四つの学科に分かれ、それぞれを専門的に学ぶ。ハイテク園芸科では植物栽培やバイオテクノロジーについて、食品生産科では加工食品の製造や品質管理、さらに流通などについて、動物科学科では家畜を飼育し、畜産物や衛生について、水産経済科では栽培漁業や水産食品製造について。
水産経済科だけはかなり特殊で、学校は同じなのだが、全く別の場所に校舎が置かれている。
それ以外の学科は同じ敷地内だが、科によって校舎も少し違うため、別の学科と関わる事は少ないが、学科内――特に動物科学科――では学年やクラスが違っても関わり合う事が多く、顔見知り以上の関係が多い。学科によって違う授業があり、教室もよく使うのと全く使わず卒業してしまう教室もある。教師や在学生も名前も知らずに卒業する事もある。それでも学校全体の雰囲気が和やかで、いつの間にか科を越えて仲良くなっている事があったりもする。
水産経済科だけは、入学式や始業式など学校全体の行事でしか本校に来ないために、お互いを知らない事は多いが。
校舎は低く、三階建てが基本。周囲に高い建物がないどころか敷地の中央に陣取っているため運動場か中庭または農地が見える。遠くには住宅地、その奥には山が見える。
校舎は敷地全体の四分の一もなく、畑や田んぼ、果樹園や花を栽培するビニールハウス、家畜小屋や牛たちの歩く運動場などなど農芸に関する敷地の方が圧倒的に広い。正門から見ればそれほど広くはないが奥に広がっており、さらに住宅地を挿んだ所にも土地をも所有している。
もちろん国語や数学などの普通の授業もあるが、普通科の高校よりも学ぶ事は少なくなる。それのためかもしれないが偏差値は低い。受験は偏差値が平均よりも少し低いという事や「農業」を専門的に学ぶ事もあり、倍率は大抵二倍ほどだが、入学する時にそれなりに、いや本格的に学校の事を知っておかないと痛い目を見る。
一風変わった思考を持つ、一般的な女子高生のイメージから外れた女子高生――本人はただの農芸生だと言う――佐野つぐみ。
季節は肌寒い頃。もうすぐ二学期の終わりだが、独りでいる事が多い。それもそのはず、仲良しグループを決める五月六月、一学期の大半――入学式とその後三、四日ほど行っただけ――を休んだからだ。
第一に中学校の慣れた友と離れる事が嫌で高校と言う選択肢は中三の中頃までなかった。
第二に就職難という現状で将来のために行かざるを得なかった。しかし入学後、強制されて学ぶという学校が嫌いだった事や、就職難の現代に高校に行っても就職出来るかと悩んだのに合わせ、青年期、思春期、反抗期のどれかの心理的状況が訪れた結果、一学期の不登校だった。
もともと、人見知りで、大勢でいるのを好まなかった事もあるのかもしれない。都会の人込みでは吐き気をもよおすほどだった。
高校でも人見知りは発動された。慣れれば打ち解けあう事はあるが、何か本能的なものがあるのか、全く馬が合わない相手とは何時間何日経っても打ち解けれない。逆に馬が合う相手とは数時間で打ち解けあう。
乗り遅れた高校生活では、大人しい子を演じた。半分は本性だから乗り遅れていなくても同じだろうが。時にはしゃいだり騒いだりもするが、打ち解けた相手がいる時だけだった。
口下手で全く自信がない。自分から話しかけても相手にされるか不安だったため、誰にも自分から話しかけなかったが、唯一、いつの間にか席替えされていた席の後ろだった永岡日香里とは仲良くなり、後に永岡を通じて濱本と仲良くなった。最近は大抵その二人といた。
つぐみが入っているのは動科(動物科学科の略)であり、動物が大好きな自分にはピッタリと思っていたが大間違いだった。学校のやり方と食糧になってしまう動物たちへの接し方などに怒りを覚え、農芸生全員が入る農業クラブの総合環境部での夏休みの宿題にその怒りを――全く違うテーマでありながら――書き綴った事がある。出してしまった後は恥ずかしさと共に後悔し、世間から虐げられたらどうしようと過剰に悩んだが、その時の考えは今も多少根付いていた。
豚、鶏、牛、その他生き物の命を食すならば絶対に死なない。と――
頬杖を突き、黒板の前に立つ教員を睨むように見ているように見えるのは外見的にだけだ。私の視界には何も入っていない。その代わり、頭の中はどうでもいい思考でいっぱいだった。次から次へとシャボン玉のように存在する思考たちの会議が行われている。それと同時並行に、卓上のノートの下には真っ白なコピー用紙があり、絵を描き始めていた。
絵のアイデアが波に乗り出し始めた頃、チャイムが授業の終わりを知らせ、私は残念に思いながらも同時並行の作業は幕を閉じた。
次は生物。
大きなため息をつく。ついたからと言って、授業がなくなるとかないけど。妖精が死んでしまうぐらいかもしれない。生物も妖精とか伝説の生物やったらいいと思う。それなら喜んで受ける。あと、想像力の必要性とか?
どこか飛んだ考えをしながら、教科書とノートを机の中に入れると、机の奥から一冊の文庫本を取り出した。しおりを挿んでいないため、うろ覚えでページを捲る。何となく読み終わっていた場所を見つけると、そこから読み始めた。
どちらかというとハイファンタジーが好きだが、今読んでいるのは現実の世界を舞台としたローファンタジー。ファンタジーかといわれれば微妙なところだが、魔術と狼男が出てくるため、その分類だろう。現実世界の物語は好きではないが、魔術と狼男に惹かれた。ただそれだけと言ったら物足りない。あまり好きじゃないジャンルだが、細かいところで私の性に合っていた。
何冊にも及ぶ長大な物語が好きでよく読んでいるが、母の影響で医療関係の本も読み、祖父の影響で歴史小説をも読んでいる。全部読んでいる訳ではなく、興味があれば読むが興味が沸くまでが長い。どのジャンルでも好きというわけでもなく恋愛物は大の苦手で、書籍でいえば検証本が大の苦手だ。
いつも通りなら、学校の休み時間を使い大体一週間で読み終わる。そして週末に本屋に行って興味がある物か続編を買う。お金がいっぱいあるのかと言われれば、ある方なのかもしれないが、ほとんどは本やCDに費やされ月末にはピンチになる事が多い。ファッションには興味がないから、最低限でいい。
ほとんど一人でいるのだからそうでもないと暇でやっていられない。どうしようもない休み時間を過ごす一番の方法である。誰かとしゃべる事もあるが、そう話が続くものでもなかった。口下手すぎて笑える。
そろそろ鳴ると予想した頃、教員が入ってきて授業の開始を知らせるチャイムが鳴る。
日直の号令で授業が始まった。
教員の声が馬鹿デカいためか開始早々机に突っ伏す生徒はいなかった。
前の授業で私を板ばさみでしゃべっていた二人組みは大人しくなり、手紙でやり取りするようになった。しかし、いい加減やめてほしい。
前の時間の現代社会よりも多く板書し、説明する教員。
授業の内容に耳を傾けながら、続きの絵を描いていると「いきち」という興味を引かれる単語が耳に入ってきた。が、「閾値」だと知った途端、内心うなだれた。生物なのだから、スッポンかバンパイアならまだセーフだろう。チイスイコウモリとかヒトスジシマカとかなら普通すぎる。
授業内容よりも余談が好きで、ノートの隅に書いているのはそういう物ばかりだった。アルビノだとか耳垢の性質、蚊の飛び方などなど。
この日の昼休みは一年の動科にとっては忙しく、昼食を食べ終えると急いで農場にある更衣室に向かっていた。
この曜日の一番辛い五、六時限目は総合実習。
私が更衣室に着いた頃には、人が溢れていた。
ロッカーがちょうど真ん中辺りにあるため、押し分けて何とか入れたが、次は着替える場所がない。
狭い……。そう思うのも仕方なく、私の予想では一年生が着替える場所は畳四畳ほどもない。そこに五十人弱が一斉に入って着替えるのだ。腕を上げただけで誰かの頭をど突きかねない。
さらに風通しの悪さで夏など一溜まりもない。冬の今も空気がこもって暑いけど。
薄着の夏でも着替えるのが一苦労なのだが、冬だと厚着のため時間がかかる。作業服は上下がつながったつなぎであるため、それも大変だった。
それでも遅刻は許されない。
十五分になる予鈴までに牛舎の前に整列しておかなければならない。ギリギリで来る者が多く、毎回大急ぎだ。
「あ、長靴!」
「シャーペン忘れた!」
「靴下! 靴下! 先生ちょ待って!」
などの絶叫も恒例の事。
挨拶が終われば、各農業クラブに分かれて授業は行われる。
四つの部があり、それぞれ違う事をする。乳生産加工部、豚鶏家畜部、ふれあい動物部、総合環境部。乳生産加工部はさらに酪農班と乳加工班に分かれ、豚鶏家畜部も養豚班と養鶏班に分かれる。一年に一度部を変われ、自分の意思で所属したいところに所属する。
私の所属する総環(総合環境部の略)の今回の活動内容は飛び地の除草。
学校から離れ、高速道路に近い所に飛び地がある。授業でも使うが、部活動で使う方が多い。田や畑だけでなく、果樹園のような場所、牧草の生えた地がある。
私としては不服だった。総環はあまり動物とふれあう事がなく、年間を通してする事は主に除草。とにかく除草をしなければ、そこら中ジャングルになってしまう。雑草の生命力は半端ではない。他にも野菜や果実を育てたり、剪定をしたり、稲作もしていて動物科学科にしては幅広くやっている。稲作はアイガモ水稲同時作で、アイガモやキャンベルを稲と同時に育てている。休みの日には近くの小学校から小学生を招き、農業を体験してもらう事もしている。
それでも、乳生産加工部や豚鶏家畜部やふれあい動物部のように動物のイメージより除草のイメージが強い。
手持ち万能鍬とただの万能鍬で除草をする。一年生十三人で行う単調な作業でありながら、面積が広いためどれだけやっても先が見えない。時計のない飛び地での作業のため、時間がわからず感覚が狂う。ただ時間を教えてくれるのは――これも曖昧だが――太陽だった。
この日の実習は何も心に残らないまま終わった。総合実習がある日は終礼もせずに終わり、各部でそのまま活動のある部は続け、ない部は挨拶をして終わる。
私にとっては最悪なのはここからで、当番があったのを忘れていた。稲刈りもし終わり、天日干しも終わり、農芸祭で売りつくして米は消え、田の水も抜いていたため、アイガモたちは水禽舎に引き上げた。そのアイガモたちの家の掃除とポンコと呼ばれる狸の餌やりが当番の内容だった。