10-7 吸血鬼もいいことばかりじゃない
(アンジェロのせいだよ)
またアイザックが現れた。いい加減うんざりしながら、アンジェロはミナの膝から顔を上げた。
(なにが)
(僕の体が暴走してる)
(あっそ)
興味ないと言った風にアンジェロがまた膝の上に頭を預けたが、アイザックは続けた。
(僕の体は今、シャンティ達の所に向かってる)
さすがに起き上がった。暴走した吸血鬼が、人間に対して何を行うのか、考えなくてもわかった。
(ミナの匂いを辿っていったんだ。このままじゃシャンティ達が殺されてしまう)
緊張の走ったアンジェロは耳も尻尾もピンと立て、毛を逆立てた。
シャンティはミナ達の友人だ。大切な友達だ。それを魂がない状態とはいえ、アイザックに殺させるわけにはいかなかった。
(わかった。止める)
(でも、僕の体を壊さないで)
(……)
アイザックの体を破壊せずに、アイザックを止める方法は一つしかなかった。本当はそうしたくはなかったけど、ヴィンセント達の事を思うと、アイザックを殺す気にはなれなかった。自分が殺したと、恨まれたくなかった。
(……わかった)
アンジェロはテレポートしてインドに行き、屋敷の近くでアイザックの体を見つけた。全裸で傷だらけで、まだ修復途中で皮膚の再生も間に合っていないような体。黒髪に緑色の目をした男。
(酷い有様だな)
(僕を殺しきれなかったみたいでね。ミンチにされて捨てられたんだ。お陰で回復に時間がかかったよ)
アイザックは強い。並の吸血鬼とは格が違う。ジュリアスでは殺しきれなかったのだ。殺されたと思い込んで、死体の確認をしなかったのは失敗だった。
(ほら、屋敷に着いちゃうよ。さぁ、僕を体に戻して)
(……)
渋々アンジェロは猫の変身を解いた。そして霊体のアイザックに触れて、体の方に向けて指を振った。すると、霊体のアイザックが吸い込まれるように体の方に引き寄せられて、体はばたりとその場に倒れこんだ。
体はゆっくりと起き上って、アンジェロに笑いかけた。
「アンジェロ、ありがとう。君、人間だったんだね」
「いいから、早くシャンティに中に入れてもらえよ。ストリーキングしてたら通報されるぞ」
体に戻してしまった。アイザックを復活させてしまった。アイザックを止めるためにやむを得なかったとはいえ、自分は大変な事をしてしまったのではないか。
そう思うとアイザックと会話する気にはなれなくて、そのままアイザックを置いてオーストラリアに戻った。
そして、ヴィンセントにその話を伝えた。
「シャンティ達には私達の大体の位置を伝えていますから、アイザックがシンプソン砂漠に到着するのも、時間の問題だと思います」
「そうだな」
「逃げますか?」
「お前は逃げるのが好きだな」
「……三十六計逃げるにしかずと聞いたので」
「それは、あらゆる手を尽くしてもダメだった場合は逃げろという意味だ」
「そうでした……では、どうしますか?」
アンジェロの問いかけに、ヴィンセントは顔を覆う様に手を組んで、深い溜息を吐いた。
「兄様を待つ」
「会うのですか?」
「アイザックと名乗ったのだろう?」
「はい」
アイザックは、クリシュナの本名だった。クリシュナと名乗らず、アイザックと名乗った意味。
「ラジェーシュ達を、家族を捨てた。クリシュナという名前は、兄様にとっては親友からの、命を懸けた大切な贈り物だった。それを捨てたという事は、もう兄様は、以前の兄様ではない」
「伯爵……」
ヴィンセントが悲痛な表情でそう言って、アンジェロも同調して俯いた。
「何もする必要はない。ただ、兄様が来るまでに、覚悟を決めなければな……」
ヴィンセントらしくもなく、本当に悲しそうで、辛そうで。胸が痛んだアンジェロは、「私に出来ることは何でもいたします」と言って、ヴィンセントの部屋を後にした。
アンジェロが退室した後、ヴィンセントはソファに深く背を預けて瞑目した。
(兄様)
博識で、現実主義者で、愛情深く優しい。家族をとても大切にしていて、常に笑顔を絶やさなかった。
本当は、ヴィンセントにもどうしたらいいのかが分からなかった。クリシュナは殺されたと思った。だからミナから記憶を消した。ミナは新しく恋をした。そうしたら死んだと思っていた兄が、アイザックと名乗って復活した。
アイザックは家族を捨ててまでミナを探し求めている。ミナと離れ離れになったのは、イスラムによる誘拐事件の時だった。
元々愛情深いクリシュナだったから、ミナの事が心配で仕方がなくて、逢いたくて仕方がなくて、その想いが強すぎて。
魂が体から離れてしまう程に。
そのアイザックが、今の記憶の消えた、新しく恋をしたミナを知ったら。
長く生きた吸血鬼は、自分を縛る妄執という鎖を、自分で振りほどく事は出来ない。その鎖を振りほどけるのは、死の舞踏だけだ。




