1-7 一生ついていけるだろうか
目が覚めると、珍しく話し声がした。リビングに出るとヴィンセントとメリッサがお茶(血)しながら談笑している。
「ミナちゃん血飲んだの? よかったじゃない」
嬉々として話すメリッサに、「まぁな」とヴィンセントは小さく相槌を打っている。
「ヴィンセントはミナちゃんの血飲んだのよね? 美味しかった?」
メリッサのセリフを聞いて思い出した。吸血されたことは割と最近のなのに、随分前のことのように感じる。
「あぁ、まぁ美味かったな」
なんだか今日のヴィンセントは歯切れが悪い。
「いいわねぇ。私もミナちゃんの血飲み」
「ダメだ」
メリッサの声を遮って拒絶するヴィンセント。そんなに嫌なのか、とドアのガラスから覗いてみると、案の定嫌そうな顔だ。そんなヴィンセントに、なおもメリッサは食い下がる。まるで美女がプレゼントをおねだりしているかのような光景だが、おねだりされている方は、実に鬱陶しそうだ。
「ちょっとくらい良いじゃ」
「ダメだ」
「何もしないから! ちょっ」
「ダメだ」
何を言っても途中で遮られてダメの一点張り。なんだかメリッサが哀れだ。
(ていうか何もしないからってなんだろ……。なんか怖い)
ヴィンセントからの前情報が功を奏して、何かする気だったのかと怯えた。今は出て行かない方がよさそうだと思い、引き返そうとしたら、お約束。スリッパを踏んで転んでしまい、ドアを派手に開け放ってリビングに倒れこんだ。
「エヘヘ。おはようございマース」
泣き笑いしているミナに、メリッサは驚き、ヴィンセントは蔑みの視線をぶつけた。さっきの話は何も聞いていないと自分に言い聞かせ、ノソノソと起き上った。
「メリッサさん、今日はどうしたんですか?」
尋ねながらメリッサに近づくと、腕を掴まれ引かれた。その拍子にメリッサの膝の上に倒れこんでしまい、慌てて起き上ったが、メリッサはミナの脚に自分の脚を絡ませ、髪と頬を撫でながら「ミナちゃんに会いたくて……」と瞳を潤ませている。
メリッサの熱っぽい視線と言葉に思わず血の気が引いた。
「メリッサは拷問が趣味でレズビアンだ」というヴィンセントのセリフが頭の中でこだまする。どうしたらいいかわからず、混乱状態のミナを助けてくれたのはヴィンセントだった。
「棺配達についてきただけだろう」
助かったことと、棺政策を頼んでいたことを思いだし、即座に起き上がった。
「もう届いているんですか!?」
目を輝かせてメリッサに尋ねると、メリッサはいささか残念そうにしたものの返事をした。
「ええ。ヴィンセントの部屋に置いてきたわ。それよりミナちゃ」
「わーい! ちょっと見てきます!」
ミナまでメリッサの言を遮り、脱出成功。すぐに立ち上がり駆けだして、ヴィンセントの部屋のドアを開けると、ヴィンセントの黒い棺の隣に、一回り小さい棺が置いてある。
「ミナちゃんの為に特注で可愛いの作ってもらっちゃった」
後からメリッサとヴィンセントが入ってきた。近くに寄って見てみると、全体にモールで豪華な装飾が施され、フューシャピンクとピンクゴールドのツートーンで塗装されている。一見したら棺桶には見えない、インテリアにできそうな代物だ。
「本当に可愛い! メリッサさん、ありがとうございます!」
嬉しくて思わずメリッサに抱き着いた。
「いいのよ。喜んでくれて嬉しいわ。ハァハァ……ミナちゃん……いい香りね。柔らかくて……美味しそう……」
メリッサの様子に、慌てて我に返った。これが飛んで火にいる夏の虫と言う物である。
再び大混乱に陥っていたら、またしてもヴィンセントが「鬱陶しい」と言いながら、ミナとメリッサを引き離して助けてくれた。
(ヴィンセントさん私、一生貴方に着いて行きますッ!)
助かったことで一人心の中で感動していると、来ると思っていなかった返事が返ってきた。
【その言葉忘れるなよ】
【え、あ、はい】
一応肯定の返事をしておいたが、なんだか念を押されると、ちょっと嫌だった。
「ミナちゃん、今度は一人でうちに来てね!」
と投げキッスを連発するメリッサを無理やり外に押し出して、やっと静かになった家で、ヴィンセントは盛大に溜息を吐いた。
「言った通りだろう? やはりちゃんと聞いていなかったな」
呆れ顔で言われた。
「すいません。次回から肝に銘じておきます」
本当に気を付けないと、なんだか貞操の危機を感じた。
「さて、棺も届いたことだし、出かけるぞ。動きやすい服に着替えろ」
言うが早いかヴィンセントは、ミナをクローゼットに押し込んだ。言われたとおりに着替えクローゼットから出てくると、ヴィンセントはTシャツにデニムというラフな格好だった。
(ヴィンセントさんでもこういう格好するんだ)
と呆けていると、さっさと出て行こうとするので慌ててバッグを掴んだ。
「荷物は邪魔になるからおいて行け」
と制されたので、そのまま放り投げて玄関へ走った。
「どこ行くんですか?」
相変わらずヴィンセントはサクサク歩く。
「暇潰しだ」
「暇潰しって?」
尋ねても、一々説明するのが面倒臭いらしく、無視だ。この無視にも徐々に慣れてきた。
しばらく着いて行くと、またしても路地に入っていく。奥へ進んで、角を曲がったところで「うっ」と男性の呻き声が聞こえた。不思議に思って覗いて見ると、男性が複数の男たちに囲まれて、暴行を受けているではないか。
「ちょっと! アンタ達! 何してるのよ!」
思わず出て行ってしまった。男たちは突然現れたミナに怪訝そうな顔をしているが、出てしまったものはしょうがない。
「寄ってたかって何してんのって聞いてるの!」
男達は男性への暴行をやめてこちらににじり寄ってくる。
「あ? んだテメェ? 関係ねぇだろ」
「確かに関係ないけど。大勢で一人を殴るなんて卑怯じゃない! 弱虫のやることよ!」
負けじと言い返す。
「んだとテメェ! コルァ!」
「やんのかチビ女! コルァ!」
男達がキレてしまった。
「やれるもんならやってみろ! コルァ!」
ミナもキレた。
男達がナイフや鉄棒で襲いかかってくる。それはまるでスローモーションのようで、ミナはその動きを捉えることに、何の労も必要ない。軽々と躱し、男達の手から武器を叩き落とす。軽い裏拳一発で吹き飛ばされるヤンキーを見て、ミナの脳裏にある映像が流れた。
(今ならできるかも! あの映画で見たあのポーズが!)
なかばワクワクしつつ、狼狽える男達の前に右手を差し出し、指をチョイチョイと引いてみせる。「かかってこいよ」の合図。
それを見た男達は「なめんなよ! コルァ!」と一斉に襲いかかってきた。襲いかかる男達を躱し、鳩尾に膝蹴りを入れて、次の男には後頭部に手刀を落とし、次々とその場に鎮めていく。最後の一人は「覚えてろ! コルァ!」と逃げてしまった。
その頃のヴィンセントは殴られていた男性を介抱していた。
「大丈夫ですか? あぁ心配しないでください。彼女は空手の有段者ですから。立てますか?」
相変わらず外面はA面だった。ミナもその人の許に駆け寄る。
「大丈夫ですか? 災難でしたね! とりあえず一旦表の通りに出ましょうか」
彼を表通りまで連れて行って、ヴィンセントが近くの公園に連れて行っている間に、コンビニで絆創膏等を買う。公園に着くと、彼はしきりにお礼を言っていた。
「なんとお礼を申し上げて良いか。助かりました。ありがとうございます」
よく見るとスーツを着た初老の男性。なんとなく課長さんといった感じだ。
「差支えなければ、何があったかお話しいただけますか?」
手当てをするミナの隣で、ヴィンセントが男性に問いかける。男性は少し迷ったようだが、口を開いた。
「大したことではないのですが、会社の同僚と飲みに行った帰り道です。私も酔っていて、彼らの一人にぶつかってしまって……それで因縁をつけられてあんなことになってしまって」
そんなクズ野郎なら、もっとぶちのめしておけばよかったと考えていると、男性はミナとヴィンセントに改めて向き直った。
「でも、あなた方に助けていただいて……本当に感謝しています。ありがとうございます。良かったらお礼を受け取ってください」
そう言って彼は財布を取り出そうとしたが、すかさずヴィンセントはその手を制して微笑んだ。
「いいえ、礼には及びません。困った時はお互い様ですから。人として当然のことをしたまでです」
ヴィンセントは何もしてないし、自分達は人ではない……と、心の中で突っ込んでいる間も、男性は中々引こうとしなかった。
「ですが……ほんのお気持ちですから」
「そのお金で、奥様に遅くなったお詫びのお土産でも、買って帰られてはいかがですか?」
ヴィンセントに諭されると、彼は深々と頭を下げた。
手当も終わって、ミナ達は男性を駅まで送って別れを告げた。ヴィンセントは時計を見ると「まだ時間はあるな。もう一度裏路地に行こう」と言って歩き出した。
「あの、ヴィンセントさん暇潰しって……まさか……?」
ヴィンセントは足を止めてニヤリと笑った。
「悪党狩り」
ヴィンセントはそれだけ言うとまた歩き出した。
思っていた以上に素敵な暇潰しに、ミナは目を輝かせた。
「ヴィンセントさん! やっぱり私、一生ヴィンセントさんに着いて行きます!」
そう叫んでヴィンセントの後を追った。
再び路地に戻ると、先程のヤンキーが舞い戻っていた。ヤンキー達はミナを見つけると「テメェコルァ! 覚悟しろよコルァ!」と、ぞろぞろと大勢の仲間を引き連れて近づいてくる。
「ヴィンセントさん! どうしましょう! なんだかわくわくしてきました!」
妙に高鳴る鼓動。どういうわけだか、楽しくて仕方がない。
「私は手を出さないから、お前一人でやれ」
ヴィンセントは壁に寄りかかって傍観スタイルを決め込んだようだ。
彼を見ながら、実は面倒くさいんだろうと思っていたら、ガァンと耳元で金属音が鳴り響く。どうやらヴィンセントに見惚れている間に、鉄パイプで殴られたようだ。が、痛くも痒くもない。
「アンタ達! 女の子の頭を殴るなんてどういう教育受けてんのよ!」
平気で立ち向かおうとするミナに、ヤンキー達は動揺を隠せない。
「アンタらみたいなクズ野郎は、この私が成敗してやるわ!」
(ヤバい私超カッコいい)
自分の決め台詞に満足したところで、「ざけんなコルァ!」を合図に、ヤンキー達が一斉に襲いかかってきた。
(出でよ! 私の中のブルー〇・リ―!)
ミナの中のブルースは男達をバッタバッタとなぎ倒していく。殴り掛かってきた男の腕を引いて、鳩尾に膝蹴りをお見舞いし、鉄パイプを振るってきたのを躱して顎に一発。後方から振り下ろされた鉄パイプを躱すと同時にしゃがんで足を払い、そこにローキックを入れてきた男の足を掴んで放り投げる。
まるで自分の生きる天地が、今まさにここであるかのように思う。気分が高揚して胸が高鳴り、細胞一つ一つが目覚めたように意気軒昂する。
しかし、うっかり悦に入っていたらお腹にチクリとした痒みが走った。一人の男がナイフをミナのお腹に突き立てていた。ジワリと服に血が滲んで、自分の皮膚と肉を割いて突き刺さるそれを見た瞬間に、キレた。
「アンタ……女の子の体を傷物にするなんて……責任取れェェェ!」
男の頭を掴みそのまま壁に叩きつける。ほかの男達も首を掴んでは叩きつけ、蹴り飛ばし、殴り飛ばし。ヴィンセントが「やりすぎると死んでしまうぞ」と止めに入らなければ、本当に危なかった。
我に返ったミナは、血を流してのた打ち回る男達を目にして、自分のしでかした所業に狼狽えてしまったが、「最後のシメを見せてもらおうか」という言葉に正気を取り戻した。
(最後のシメ……か。ヴィンセントさんならどうするんだろう)
手元にはさっきの男性の手当ての為に買ってきた絆創膏と消毒液と鋏。それを見ながらしばらく逡巡して、閃いた。
早速鋏を手に取ったミナは、芸大生が悪ふざけをしたような、前衛的な髪型にセットし、消毒液で頓珍漢に髪色も脱色し、「これに懲りたら二度と無駄な因縁つけるんじゃないわよ!」と捨て台詞を残して、その場を後にした。
帰り道、ヴィンセントはニコニコだ。
「ヴィンセントさん、なんでそんなにご機嫌なんですか?」
尋ねると、相変わらずのご満悦顔で振り向き、ミナの頭を撫でる。
「お前が思った以上に見込みがあるからだ。さすがは我が愛しの下僕だと感心していたのだ」
そう言ってミナの額にキスを落とす。
(ヴィンセントさんに褒められた! 嬉しい!)
そして機嫌がいい時はスキンシップが過剰。ヴィンセントは外国人なので普通なのかもしれないが、慣れないミナには少し恥ずかしい。
が、ミナの心中は複雑な感情がぐるぐる渦巻いていた。
「私、力の制御がまだ全然出来てないですね……」
危うく殺しそうになった。ミナは化け物だ。ヤンキーなんかがミナに敵う筈はない。本気を出せば紙細工のように殺してしまうだろう。そのことがとてもショックだった。
「この暇潰しはその修行でもある」
少し息を吐いたヴィンセントが言った。
「この世にお前の大嫌いなクズなど、掃いて捨てるほどいる。危なくなったら私が止めてやるから、お前のやりたいようにやればいい。その内制御の仕方もわかってくるだろう」
ヴィンセントはそこまで考えて連れ出してくれていた。その事に小さな感動を覚えていると、それに、と話を続けた。
「最初に助けた男がとても喜んでいただろう。クズに蹂躙される善良な市民も掃いて捨てるほどいる。お前は自分も成長しつつ、そういった者どもを救うこともできるのだ。お前にはぴったりの修行だろう」
ヴィンセントは本当にミナのことを考えてくれている。ミナも成長できて困った人の役に立てる。こんなに嬉しいことはない。
「ヴィンセントさん! ありがとうございます!」
嬉しさのあまり抱き着いたら「鬱陶しい」と引きはがされてしまったが、ミナは密かに、このマスターに恒久の忠誠を誓った。
家に帰って夜食のご用意。
「今日はお前も力を使ったからしっかり飲んでおけ」
とパックを手渡された。確かに少し疲れた感じはする。でもやっぱり少し戸惑いはある。
「では私の血を飲んでも構わないぞ」
折角の申し出だが、仮にもマスター。そんなことはできない。
「いえ、いただきます」
しぶしぶストローに口をつける。心がどんなに拒絶しても体が狂喜する。血を頂く感覚に酔いしれる。ミナが血を飲むとヴィンセントが喜ぶ。彼が喜んでくれるのは嬉しい。しかし、まだ心が着いてきてくれない。
お風呂を掃除してヴィンセントに先に入ってもらい、その間にパックを片付けたり掃除をする。ヴィンセントが上がった後お風呂に入った。
今日はいろんなことがあった。これからメリッサの誘惑には気をつけなきゃいけない。悪党征伐は頑張りすぎない程度に頑張らないと――一人反省会。お風呂から上がると、ヴィンセントがまだリビングでお茶(血)を飲んでいた。
「あ、ヴィンセントさんお風呂いただきました。お休みなさい」
そう言って部屋のクローゼットに戻ろうとしたら、ヴィンセントは急に立ち上がってミナの手を掴み無理やり引き寄せて、その反動でソファの背面に激突した。
「ちょっとォォ! 何するんですか!」
どうせならちゃんとソファに着地させてほしいものだ。ミナの目の前で仁王立ちしているヴィンセントは、さっきまでのご機嫌とは打って変わって、ものすごくご機嫌斜め。この短時間の間に何があったのか、ミナは何かしたのか、必死に頭を悩ますが覚えがない。
「あ……あのヴィンセントさん?」
返事がない。ただの屍のようだ、と思っていたら睨まれた。
「燃やすぞ」
「ヒィ! すいません!」
なんなんだ一体。怯えてヴィンセントを見上げると、何故だか溜息を吐かれた。
「あぁ、つい」
つい、で投げ飛ばされてはかなわない。一体何なんだとヴィンセントに向き直ると「腹が減った」と噛みつかれた。
ブツッと皮膚を突き破る音がして、でも、前回のようには痛みは感じなかった。それ以上になんだか、どちらかというと気持ちいい。これは一体どういうことだろうか。
さまざまな疑問と快感に囚われつつも、とりあえずヴィンセントのご機嫌斜めは、栄養失調だったようだ。
少ししてミナの首から顔を離したヴィンセントは「相変わらずお前の血は極上だな」と言い残してさっさと部屋に入ってしまった。
以前は痛みと喪失感しか感じなかったのに、今の感覚はなんなのか? 相手がマスターだったから? ミナがヴィンセントの眷属だから?
いや、これ以上は考えたって無駄だ。どうせわからない。もう、さっさと寝てしまおう。そう考えて、その日、初めて自分の棺で眠りについた。
登場人物紹介
【サラリーマンのおじさん】
普段は製薬会社の課長さん。家ではうだつが上がらないと奥さんに尻に敷かれているが、仕事は割とできる方。
【悪党】
今は珍しいカラーギャング的なノリの人たち。メンバーのほとんどが無職という親不孝集団。