7-5 吸血鬼を縛り付ける鎖
話しはインドにいた頃まで遡る。クライドの事故をきっかけにミナが出会った男はヴィンセントの兄であり、ムンバイ大学の教員をしていた。約100年前からインドにいて、40年前にムンバイに引っ越して家族と共に住んでいた。
「それがクリシュナ・エゼキエル。ジュリアスからその話は聞いていたか?」
「いえ、初耳です」
アンジェロの返答に一つ頷くと、ヴィンセントは話を続けた。
ミナとクリシュナが出会って恋人になったのはもう半年以上も前だ。しかし、状況の転換が起きたのは比較的最近だ。契機はイスラムによるミナの誘拐事件。事件の前後どちらか判別は困難だが、この時期からクリシュナはクリシュナでなくなった。
あの事件でイスラムと戦っていた時、ヴィンセントは違和感を感じたのを覚えている。クリシュナにしては弱すぎる、と。数百年前から戦乱の時代を生き抜き、戦争を利用して大量の力を蓄えてきたのはクリシュナも同じ。ヴィンセント程ではないにしても、列強に類される吸血鬼だった。それが雑魚相手に手こずるのはおかしな話だった。
それに、ジュリアスは軍に入ったのは地下の者の抹殺の為だと言ったが、クリシュナが追いかけていた地下の者はヴィンセントが手伝って既に討伐済みであるし、普通に考えてインドで家族を持って生活している男が、イタリアでまで二重生活をすることは不可能だ。その必要もない。そうすると、答えは自ずと出てくる。
「ジュリアスは私を見つけて、そしてミナに目を付けた。ミナを手に入れるために邪魔な兄様を誘拐事件に乗じて殺害し、ジュリアスがクリシュナに成りすまし、何食わぬ顔で私達の前に現れた」
ヴィンセントの話を聞いて、アンジェロは大きく息を吐いた。ようやく合点がいった。確かにヴィンセントの言う通り、ミナはジュリアスの記憶などそもそも存在しない。ミナが思っていたのはいつだって、クリシュナだったからだ。それが、ジュリアスが扮したクリシュナだったとしても、恋をした相手に変わりはなかったから。
だからミナから記憶を消したのだ。恋人は本当は既に殺害されていて、その仇が恋人に成りすまして、ミナを騙している。いつかはミナがその事に気付いて、酷く傷つくかもしれない。愛する相手が殺されて、愛する相手だと思っていた人に裏切られていた。それはミナにとって大きな絶望になるだろう。だから、ヴィンセント達はミナからクリシュナの記憶も、恋をしていた記憶も消し去って、何もなかったことにしてしまったのだ。
そこまで考えて、アンジェロは顔を上げた。
「お答えいただき、ありがとうございました。理解できました。ただ……」
「なんだ?」
「ミナも記憶を消した目的はわかりました。ですが、伯爵たちは課長を恨んでいるのでは?」
新たな質問に、ヴィンセントは鼻で笑った。
「当然だろう。どのような手段を取ったのか知らないが、私の兄を殺したのだぞ。許せるはずがない」
ヴィンセントから強烈な殺意が溢れ出て、思わずアンジェロの背筋を冷や汗が流れた。しかしアンジェロは何とか平静を保って、話を続けた。
「課長も、伯爵を恨んでおいでです」
その言葉にヴィンセントは不遜に笑って「そうだろうな」と答える。
「ご記憶にございますか」
「あぁ、覚えているとも。あの時は申し訳ないことをした」
いささか嘲笑するような口調でヴィンセントがそう言って、アンジェロは溜息を吐いて言った。
「私の個人的な意見を申し上げますと、今回の件でおあいこでは? これで手打ちにして、今後関わらなければよいのでは?」
ヴィンセントの感情を逆なでするようなアンジェロの提案に、ヴィンセントはギロリとアンジェロを睨んだ。
「そう簡単にいくものか。こちらも、あちらもな」
「なぜですか? 伯爵のお兄様の件は最近の事ですし、お怒りはご尤も。理解はできますが……」
質問しながら言い淀んでしまったアンジェロに、ヴィンセントは溜息交じりに応える。
「我々は、長く生きすぎたのだ」
そう言ってヴィンセントは窓の外を見つめる。視界いっぱいに入るオーロラを見つめながら、ヴィンセントは呟くように言った。
「長い生の中で吸血鬼が手に入れ、最後に残るのは、強烈な妄執だけだからだ」
ミナの記憶を消した理由、ジュリアスの強烈な執着、我を忘れるほどの激情。アンジェロにもジュリアスについて思い当たることはあった。
吸血鬼は頭が良いから、寿命が長いから、人間の様に簡単に気持ちが移ろったりしない。いつまでも、いつまでも囚われ続ける。自分を雁字搦めにするその鎖を、吸血鬼たちは自分では振りほどけない。その鎖を振りほどけるのは、死の舞踏だけだった。
「質問はこれだけか?」
「はい、ありがとうございます」
「そうか。では必要な情報は揃っただろう。その情報を引っ提げて、さっさとイタリアに帰れ」
ヴィンセントの帰れコールにアンジェロは苦笑しながら、「近いうちに」と一言言って退室した。




