1-5 この人にも友達なんていたのか
カードキーを差し込んでランプの色が変わり、開いた自動ドアからエントランスを抜け、エレベーターに乗り込む。ドアを開けると薄暗い部屋。ミナにしてみれば無駄に広く、無駄に高級なオートロックマンション。ミナはとりあえずヴィンセントのマンションに腰を据えることにした。
「お邪魔します……」
先日も来たが、やっぱり緊張する。ヴィンセントはソファにドカッと座りネクタイを緩めている。ミナもヴィンセントの反対側に荷物を置いて腰かけようとすると「何をしている。さっさと飯を持ってこい」と、さっそく命令が下った。
(そうだった。私はこの人の下僕だった。悲しい……フリーターの方がまだマシだよ……)
しぶしぶキッチンへ向かう。綺麗に磨き上げられた、水垢ひとつない流し台。絶対にヴィンセントは潔癖症だ。
さて、食材は……と冷蔵庫を開けると、食材らしきものは一切入っていない。代わりにギュウギュウに詰められた赤黒いビニールのパック。パックを一つ取り出して見てみると、なんだかラベルが貼ってあって、赤十字のマークと「BLOODTYPE:A」と書いてある。食材なんか冷凍庫にも一切入っておらず、それどころか水すらもない。成程道理で、キッチンも綺麗なはずだ。
なんだか複雑な気分になりながらトレイにパックを3つと、ストローを乗せてヴィンセントの許へ持っていく。トレイをヴィンセントの前に置くと、パックにストローを指して飲み始めた。
「なんだ、お前は飲まないのか」
そういえば吸血鬼になってからまだ一度も血を飲んでいない。どのくらいの量でどのくらい持つものなのだろうか。
「あの、私、お腹すいてないし……遠慮しときます」
まだ若干受け入れられない部分はある。やはり人の血を飲むのには抵抗がある。ミナの様子を睥睨しながら、ヴィンセントは素っ気なく言った。
「お前がどうしようと私は構わないが、腹が減ってその辺の人間を、手当たり次第に襲うような真似はするなよ。そうなると、私が迷惑する」
そう言われてドキッとした。それはミナ自身避けたいし、間違いなくヴィンセントにも迷惑をかけてしまうだろう(そしてひどく怒られそうだ)。
でも、まだ心の整理ができない。血を飲んだら、本物の化け物になってしまいそうで。心だけは人間のままでいたい。
「輸血用の血液なら、さして抵抗もなかろう」
ヴィンセントの言っていることもわかるが、今はまだ無理だ。
「すいません。お腹空きそうになったら頂きます」
そう断ると、ヴィンセントはフンとだけ息を吐いて何も言わなくなった。
沈黙が流れると、だんまりが息苦しくて気になったことを聞いてみることにした。
「ヴィンセントさんって、日本国籍あるんですか?」
素朴な疑問。戸籍がなかったら部屋なんて借りられないはずだし、大体輸血用血液なんかどこから調達してきているのだろうか。それに高そうなマンションに住むのにお金だって必要だが、働いているようには思えない。無職―ーニート吸血鬼。何よりこの人は外人だ。
ミナの質問にヴィンセントは「お前には関係ない」と、まさかの一蹴。
(関係ないはないでしょう! どうせ説明するのが面倒なだけのくせに!)
と心の中で文句を言うと「わかっているならくだらない質問をするな」と言われてしまった。
怒りをどこにぶつければいいかわからずにイライラしていると「私くらいになると、人の心を操ることもできる」と、ヴィンセントは言った。
人を操れるなら戸籍がなくても、大家を丸め込めれば何とかなりそうだ。血液も金も操る人を選べばどうにでもなる。
(なるほどね。つくづく恐ろしい化け物だ。ヴィンセントさんくらいになるとってことは、私にはまだ無理ってことか。ん?)
ふと、疑問が浮かんだ。
「ヴィンセントさんくらいにってことは、他にも吸血鬼ってたくさんいるんですか!?」
「私くらい」という事は比較対象がいるということ。世界中に吸血鬼伝説があるのは、どうやらただの伝説ではないのかもしれない。
「当然だ。お前のようにうっかり吸血鬼にしてしまった奴もいるし、私とは違う発生源の吸血鬼もいる。たくさんとは言わないが、一国に1~5人くらいの割合で、いるのではないか」
「それって結構たくさんじゃないですか?」
「それでもずいぶん減った方だ」
500年以上前――。日本でなくても、どの国でも戦争に明け暮れていた時代。罪人は手当たり次第に処刑された時代。魔女狩りがあったのだ。吸血鬼やほかの化け物も粛清されたに違いない。なんだか少し悲しいような寂しいような気持ちになる。
「化け物は、本物の人間には打ち勝つことはできない」
遠くを見るような眼をしてヴィンセントは言った。
これほどの力を有していながらも、化け物が人間に勝つことはできない? 確かに、寝ている間に襲撃するとか、物量を投じれば化け物退治も出来るだろうが、俄かには信じがたい言葉だ。
大人しくしておけば人間に狩られるような事はないだろうが。
「あの、“本物の人間”って、どういう意味ですか?」
偽物の人間と言われても意味が分からないが。
「己の意志で私の前に立つ者だ」
「え? どういうことですかぁ?」
「うるさい、自分で考えろ」
詳しく説明するのが面倒臭いらしい。一応大人しく引き下がったが、ミナにはまだまだ聞きたいことは山ほどある。
「あの、もう一つ聞きたいことがあるんですけど……」
おずおずと尋ねると、「なんだ」と、凄く嫌そうに睨まれる。その剣幕に、「やっぱいいです」と逃げようとしたら「私が質問を受け付けようとしているのに、いいとはなんだ」と言われてしまった。
「あの、なんでヴィンセントさんは家に入れたんですか?」
これも気になっていた。ミナは自分の家に最初入ることができなかった。でもヴィンセントは入れたので、不思議に思っていたのだ。ヴィンセントは思い出したように口を開いた。
「そういえば、招かれた家の話をしていなかったな」
「招かれた家?」
ヴィンセントの話によると、吸血鬼は、招かれなければ人の家に入ることはできない。たとえそれが、かつての自宅であったとしてもだ。招待のない家は閉ざされた家として、足を踏み入れることはできない。招待のあった家は開かれた家として、好きなように入り込むことができる。
「お前の家には弟を操って招待させた」
「あーなるほど。だから家に入れなかったのか! そういえば北都に上がってって言われた瞬間に家に入れたなー……って」
言いながら聞き捨てならない台詞を拾ったことに気付いた。
「北都を操ってってなんですか!?」
思わず大声を出してしまって、ヴィンセントはうるさそうに顔をしかめる。
「心配することはない。招待させるために一時的に操っただけだ。人の心を操るといっても、一時的なものだ。すぐに効果は解ける」
それを聞いて、ほっと胸を撫で下ろしたのも束の間、この男はやはり化物だ。
「操って利用するにも、北都は子供過ぎて使いものにならん」
「何だとぉぉ! この化け物! 鬼畜!」
「それがなんだ」
(ぐぐぐ……くっそー!)
やはりミナは、まともに反論もままならなかった。今後も常に白旗を揚げさせられるのだと思うと、早々に白目を剥いた。
「さて、質問はもう終わりだ。出かけるぞ」
突然ヴィンセントは立ち上がって出かける支度を始める。何となくそれを眺めて、見送りの姿勢を取っていると、「何をしている? さっさと片付けて出かける準備をしろ」と、イラついた様子で命令されて、慌てて輸血パックを片付ける。バッグに財布を入れてヴィンセントを追って玄関に行くと、やはり睨み下ろされる。
「チッ愚図め」
酷い言われようだ。質問タイムが余程お気に召さなかったらしい。
(私絶対、その内挫けるよ)
ヴィンセントは何も言わずにさっさとマンションを出ていく。さっさと前を歩くヴィンセントを必死に追いかける。どこへ行くんだろう? なにするの? 聞きたいが、質問したらまた怒られそうなので我慢だ。
しばらく着いて行くと、どんどん裏の路地に入っていく。奥に行くにつれて人影も薄れていく。人気のない建物の前で足を止め、建物に入っていく。建物の入り口には看板がかかっているが、外国語の為にミナには読めず、更にミナは、さっき聞いた通り入れない。が、中から「いらっしゃい」と声が聞こえてやっと入ることができた。
そこには、燭台やシカの頭の剥製や、猫足のテーブルや椅子なんかが並んでいた。ゴシック調のアンティーク屋のようで、ミナも案外アンティークは結構好きだが、なんだか不気味な雰囲気だ。キョロキョロしていると、ヴィンセントに腕をつかまれ引っ張られた。
「メリッサ、今日は頼みがある。こいつに合ったサイズの棺桶を作ってもらいたい」
メリッサと呼ばれた人に目を向けると、すごく綺麗な女の人だった。白くて滑らかな肌、ストロベリーブロンドのウェーブがかった艶のある長い髪、くっきりした顔立ちに映える大きな鳶色の瞳。ボディコンシャスで露出度の高い黒のロングのワンピースを着ているのに、どういうわけか全く下品に見えない。むしろ品格を感じるような女性らしいスタイル。目の前にハリウッドセレブでもいるかのような錯覚に陥るほどの、完璧美女。
さすがにヴィンセントの周りにいる女性は格が違う。こんなに見ごたえのある美女には、そうそうお目にかかれない。
(綺麗な人ぉぉ! 私が男だったら、今の時点で3回はプロポーズしてるわぁ)
メリッサに見惚れていると、彼女はヴィンセントの言葉に目を丸くした。
「あら珍しいわね。あなたが吸血鬼を作るなんて。また、可愛い娘を血族にしたものね」
カウンターから出てきたメリッサは、ミナを頭の先から足の先までジロジロ見回す。
「こいつがヴァンパイアになったのは事故だ。私とて好きで傍に置いているわけではない」
それを聞いたメリッサは笑い始めた。
「うふふ。不死の王と呼ばれるあなたもまだまだねぇ。この娘はどこから見ても、男の肌を知っているようには見えないわよ」
それはモテなさそうということだろうか。確かにモテたことはないが、失敬な。ミナもヴィンセントもブスッとした顔になる。それに気付いたのか、メリッサは可笑しそうに微笑んだ。
「あらあら、二人ともごめんなさいね。メジャー持って来るからちょっと待っていて頂戴」
そう言うとメリッサは奥に行ってしまった。
「あの、ヴィンセントさん、棺桶ってもしかして私の寝床ですか?」
映画で見たことがある。吸血鬼は棺桶で寝起きしていた気がする。ヴィンセントは「珍しく察しがいいな」と、少し驚いたような顔をしていた。失敬だと思う。
「お待たせ」
メリッサが奥から戻ってきた。
「もう、棺桶作りを依頼されるの100年ぶりくらいだから、メジャーをどこに置いたかわからなくって、ドンキホー○で買ってきちゃったわ」
最近の日本って便利よね! と言いながら、メリッサは新品のメジャーのパッケージを開ける。この店からドン○ホーテは結構遠いし、帰ってくるには早すぎる。
「え? ていうか100年ぶり? もしかしてメリッサさんも吸血鬼ですか?」
メリッサは相変わらずニコニコしながら「そうよ。ヴィンセントとは発生源は違うけど後輩みたいなものね」と答えた。やはり結構吸血鬼はいるようだ。
メリッサはさっそくミナの身長や肩幅を図っている。ミナと同年代か少し年上くらいに見える美しい女性。
「メリッサさんって何歳ですか?」
思わず聞いてしまったが、女性に対して年齢を聞くんじゃなかったと、すぐに後悔した。それでもメリッサは笑顔で「今年で338歳になるわ」と答えてくれた。
「さて、寸法も図ったし、ヴィンセントの血族の棺桶なんて初めて作るし、サービスしてあげるわね。大体1週間くらいでできるはずだから、業者さんに直接ヴィンセントの自宅に届けてもらうことにするわ。代金は10万円ポッキリでいいわよ」
どこまでも陽気で美人なメリッサ。彼女も悠久の時を一人で過ごしてきたのだろうか。それとも、彼女がヴィンセントの傍にいたのなら、相互に支え合ってきた友人か――もしかして、と思い立ってヴィンセントを見上げた。
「もしかしてメリッサさんって」
「違う」
恋人なんですか、という質問はバッサリ切り捨てられて、ヴィンセントは華麗に質問をスルーした。
「サービスでも10万はぼったくりではないか」
「そんなことないわよ」
メリッサですらミナの質問はアッサリスルーだ。
「日本は仏教が主流だから、西洋の棺桶作れる業者さん中々いないのよ」
そう言われてみればそうだと、聞いていたミナも納得した。スルーされた質問はもう諦めた。
「そう言えば、あなた」
呼ばれて少し上の目線のメリッサを見上げると、これでもかと美しい微笑で微笑まれる。
「折角だからお店の商品あなたに一つプレゼントするわ。好きなの選んでいいわよ」
「本当ですか!? でも、どれも高そうなアンティークなのに……いいんですか?」
「もちろんよ。ヴィンセントの血族なんてそうそうお目に掛かれないもの。そういえば、まだお名前も聞いてなかったわね。ねぇ、私と友達になってくれない? 友達になってくれたら何でも好きなものを差し上げるわ」
交換条件を出されて逆に安心した。やはり対等な関係の方が望ましい。というか逆にありがたい。
「私、ミナと言います。よろしくお願いします」
自己紹介をしてメリッサに握手を求めると、何故かメリッサは驚いたような顔をしている。
「あの、メリッサさん……?」
不思議に思って覗き込んだが、すぐにメリッサは平静を取り繕った。
「あ、ミナちゃんね、こちらこそよろしく。これから仲良くしましょうね」
すぐに気を取り直したメリッサは微笑んで、差し出した手を握り返してくれた。
少し気にかかったものの、ミナは促されるままにはしばらく店内をうろついて、お言葉に甘えて透き通ったコバルトブルーの髪飾りをもらうことにした。
「ミナちゃんってお目が高いわね。また遊びに来てね」
メリッサに投げキッスを連発されながらお店を後にした。
吸血鬼になって初めての友達。初めて地元を出て、高校で友達ができた時のような気分になった。凄く嬉しくてワクワクしてしまう。隙あらばメリッサのお店『カルンシュタイン』に顔を出してしまいそうだ。
「それは困る」
突然ヴィンセントの声が上から降ってきた。
「お前は私の眷族で私の下僕だ。勝手に出歩かれては困るな」
「あの、でもヴィンセントさんと同伴なら問題ないですよね?」
ヴィンセントの様子を窺いながら尋ねると、一瞬目が合ったもののすぐに逸らされてしまった。
「同伴なら構わないが、私はメリッサにあまりお前を近づけたくない」
少し困ったような顔をしてそう言った。
どうしてメリッサに近づかない方がいいのだろう? やはりメリッサも吸血鬼だし、猟奇的な性格だったりするのだろうか? と、頭を悩ませていると「メリッサは」とヴィンセントが口を開いた。
「拷問が趣味で、レズビアンだ」
「な、えぇぇぇ!?」
「特にお前の様に、若くて美しい女が大好物だ。勿論アイツは美少年も好きだがな」
道理でヴィンセントを対象に入れないはずである。
「お互い吸血鬼だからといって油断するな。気をつけろよ」
そう言うとヴィンセントはミナの頭にぽん、と手のひらを置いた。ヴィンセントなりに一応ミナの事を心配してくれているようだ。
(嬉しいけどなんか照れちゃうな!)
考えるとなんだか面映くなってしまって、照れ隠しで、「ヴィンセントさん、私のこと若くて美しいと思ってたんですね?」と、聞いたら突然、顎を掴まれた。
「お前という奴は……私の話をまともに聞かないとはいい度胸だな」
ヴィンセントは笑っているが、目が怖い。
(あああ怒らせちゃった! ご、ごめんなさい! 出来心だったんです! ちゃんと聞いてます! 気を付けます!)
心の中で祈るように叫んだら、ヴィンセントは盛大に溜息を吐いて、またさっさと歩きだした。あれを言わなければ、いい感じのフワフワした雰囲気で帰れたのに、うっかり調子に乗るのがミナの欠点だ。
登場人物紹介
【メリッサ・カルンシュタイン】
313年前に吸血鬼となる。元はオーストリアの伯爵夫人。ヴィンセントの親友。
拷問が趣味。男も好きだけど美女の方がもっと好き。
表面上は基本的に鷹揚ないい人で、貴族出身な為か美しく上品。いつでもヴィンセントの良き相談相手であり、ヴィンセントが唯一ワガママを聞き入れてしまう相手でもある。
ただし、怒ると怖い。おぞましい。武力行使は勿論のこと、理詰めでの完全論破は他の追随を許さない。
元が貴族育ちな為か、無礼な振る舞いをされるのが嫌い。