5-2 あなたのそう言うところ本当怖いんですけど
「起きろ」
目の前にはヴィンセントの顔があった。目をこすりながら起きると、チカッと何かが目を刺した。
「んにゃー! 眩しい! 今何時ですか?」
手で目を覆いながら起き上る。
「10時だ」
「え、朝の? 早くないですか? 夕方から出かければよくないですか?」
「夕方になったら不動産屋が閉まる」
「あ、そっか」
それにしても早いが。目をこすりながら棺から出て、床に座って荷物を漁って、着替えて町に出る。
「いらっしゃいませ。どんな家をお探しですか?」
「城」
「お城はないですって!」
「ありますよー」
「あるんかい!」
店員は書類と写真を広げる。
(うわぁ、本当にあるんだ。すごい。古城だ。綺麗)
見惚れていると店員が微笑んで説明を始めた。
「数年前に競売に出されてた物件なんですけど。買い手がつかなくて。300年前のものですし、荒廃が酷いうえに、山の中にあるので生活にはちょっと支障がありますからね。競売物件なので修繕はお客様の自己負担になりますけど、きちんと修繕すれば、古いですけどまだ住めますよ。ご予算はいかほどですか?」
全財産は450万。全額使うのはナシだから250万ちょっと。
「あの、このお城っていくらですか? 土地付きで」
「350万です」
やっぱり高い。これは無理だ、無い。
(やっぱお城は諦めません?)
と、ヴィンセントに視線を送ると、ヴィンセントは一瞬目を合わせてプイと店員に向いた。
「この城の中を拝見させて頂く事はできますか?」
「いいですよ」
諦めきれないらしいヴィンセントの提案で、お城に行くことになった。フィレンツェ郊外の森の中にそのお城はあった。確かに町から外れて不便は不便。しかし、吸血鬼にはちょうどいい距離感とも言える。
門のアーチをくぐると、整備されていない荒れた庭園が見える。庭園の端には池もあったりして中々。整備したらかなり素敵なお庭になりそうだ。
広い庭園を抜けてお城の前に到着して見上げる。
「でっか……」
古い石灰質の石造りの城は近くまで行くととても大きかった。ほんっとうにでかい。デカすぎる。一体どんな人が住んでいたんだろうか。
中に入ると、まさに廃城と言った有様だった。森の中にあるせいか、日光が差し込まず、外に比べて薄暗い。
各部屋は20畳はありそうなほど広い。しかも「こういう部屋が全部で56室あります」多すぎる。
「更に上階には賓客用と主人用、家族用、全部で28室あります」
そんなにいらない。
「気に入った」
(マジかよ……でも高いよ! 貯金100万しか残らないじゃないの!)
ミナの心の抗議虚しく、ヴィンセントは店員に笑った。
「では、この城に決めさせていただきたいと思います。(ダメ! やめてー!)お店に戻って手続きを済ませましょう(早まらないで! あぁぁぁ!)」
「ありがとうございます」
ミナの心の声を無視して、買い取りは決定してしまった。
「では、建物土地含めて350万ユーロですが、即決して戴けたのでまけて340万にしときますねー」
「ありがとうございます」
親切な店員は10万ユーロも値引きしてくれた。ありえない。それでも高いのだが、店員の心遣いに折れてしまった。
「では、こちらに記入をお願いしますね」
渡された紙にヴィンセントはさらさらと記入していく。それを眺めていたら、ヴィンセントが書きながらミナに話しかけてきた。
「ミナ、何をぼうっとしているんだ。さっさと行け」
「へ? なにがですか?」
キョトンとアホヅラを晒す。
「なにがじゃないだろう。金だ、金」
「あ、そっか。え、私一人で取りに帰るんですか!?」
「そうだ。取ってこい」
「わかりましたよぅ……」
取ってこいを言いつけられたので、ホテルに戻ってお金の入ったケースから350万取り出して、再び不動産屋さんに戻るった。
「ただ今戻りましたーあれ?」
お店には店員しか姿が見えない。
「すいません、うちの困った伯爵はどちらに?」
「あはは。伯爵なら、秘書のお嬢さんに後は任せた、と言い残してお店を出て行かれましたよ」
「えぇー!? ヒドイ……」
人をパシリにしておきながら、先に帰るとはどういうことだ。ブツブツ文句を言いながら店員に代金の入ったケースを渡すと、苦笑いしながら受け取ってくれた。
「すいません、イタリアに来たばかりで口座持ってなくて。現金でごめんなさい」
「いえいえ、大丈夫ですよ」
代金と仲介手数料を支払って、契約書の控えと領収書をもらって手続きを完了した。
「即日入居してもらっていいですよ。ただ、修繕費はそちらのご負担になりますけど」
「はい。ありがとうございます。どうもお世話になりました」
鍵を受け取って、お店を後にした。
(もぉー、ヴィンセントさんどこ行っちゃったんだろう。ていうか、残金100万ユーロ。私とボニーさんとクライドさんだけなら、これだけで30年は暮らせると思う。でも、あの散財貴族コンビがいるとなると1年でパァになる恐れも……。あ、でも城の修繕費を考えると100万なんてすぐなくなっちゃうだろうなぁ。銀行襲うか・・・イヤイヤ落ち着け)
ヴィンセントの行きそうなところなんて全く見当がつかないので、ホテルにそのまま戻ることにした。タクシーを拾い乗り込もうとすると、いきなり後ろからドンと突き飛ばされた。
「えぇ!? なに!?」
「もっと詰めろ」
なんとヴィンセントだった。
「ヴィンセントさん! どこ行ってたんですか!」
「さっさと詰めろ。ヴィラ・サン・ミケーレまで。持ってろ」
「ぅわぶっ!」
無理やり奥に詰め込まれた上に、大量の紙袋を持たされた。
「もー! どこ行ってたんですか! 置いてきぼりなんてヒドイですよ!」
「うるさい。それより、契約書」
寄越せ、と差し出された手の上に何とか探し出した契約書を渡すとヴィンセントはすぐに目を通し始める。
「わかった。ご苦労」
「にゃっ!」
顔に契約書を叩きつけられた。なんなんだ。
ホテルに着いて、部屋を開けると、中から「おかえりー」とボニーの声が聞こえた。もう夜だし、みんな起きたみたいで、ボニーとクライドが駆け寄ってきた。
家が見つかったのかと尋ねてくる面々に、契約して来た事を告げて説明に入った。
「古城だ」
「マジ!? すごいじゃん! いくらするの?」
「350万」
「たっか! どうするの?」
「どうするも何も、もう買った」
「えぇぇぇ!?」
ボニーとクライドは驚いているが、当然のようにヴィンセントは無視して話を勧める。
「そういうわけで、明日には引っ越す。昼のうちに私とミナで掃除をしておくから、夕方からお前らは買い出しに行くように。わかったな」
「はーい」
というわけで掃除をして電気やガスなども通して、それなりに生活できる基盤が整った数日後、ヴィンセントの提案で、お庭の整備をしてもらおうと、エクステリアの業者と打ち合わせをすることになった。今までは大体ミナか、使用人でやっていたが、お庭の規模が大きすぎて、ミナ一人では無理だろうという心遣い、というより諦観で。
「池には睡蓮がいいです! 池の周りにはイリスとナルチーゾ。それと、アーチにはブラン・ピエール・ドゥ・ロンサールとコンパッションとブルームーンを! あの、桜の木ってあります?」
「チリエージョ!? 取り寄せになるけど、いいかい?」
「はい! お願いします! あと、アプローズを一面に植えたいんです」
「アプローズは遺伝子組み換えの品種改良種だから世話大変だよ? 種も取れないし」
「なんとか頑張ります! それと城の裏にはチプレッソとグリーチネ」
「あいよ。こんだけ広いとやりがいがあるねぇ」
「大変だと思いますけど、よろしくお願いしますね!」
「任しときな!」
重機が入ってきて、壊れた外構を撤去して、新しく煉瓦やタイルが積まれていく。
(あぁ、想像するだけで興奮しちゃう! 白と青い花に囲まれた庭! 最高だなぁ! あ、そうだ。業者さんにお茶やお茶請けをお出ししよう。さっそく買いにいかなきゃ!)
そう考えてミナは「買い物に行ってきます」と置手紙をして町に出る。
お茶の葉と、やかんと、デキャンタ、グラスも。最後にお菓子屋さんによってクッキーを買って帰った。
城に続く参道を歩いていると、突然城の方からドォンと大きな音が聞こえて、何事かと驚いて慌てて城へ走った。
アーチを抜けて庭に入ると、石像の一つが倒れて、その周りに人だかりができていた。
「どうしたんですか!?」
「いきなり石像が崩れて、アントニオが下敷きに……」
「うそ!?」
巨大な石像の下からわずかに作業着の端っこが見える。皆で持ち上げようとしてもなかなか動かない。
「みんな、ちょっとどいて!」
作業員達を押しのけて、石像を持ち上げ横にどかすと、下から血まみれの男性が出てきた。
「アントニオさん! しっかりして! 誰か、救急車を!」
「う、うぅ……」
何とか意識はあるようで、辛そうに顔を顰めてはいるが、脈拍も少し早いくらいで、ちゃんと呼吸も出来ていた事には安心した。そばにいた作業員に救急車を呼ぶように頼んだ。
「もう大丈夫ですよ! 救急車が来ますから!」
アントニオを励ましながら、その後来た救急車に搬送されて、ミナと監督と作業員数人も一緒に病院に行き、すぐに緊急手術を施してもらうことになった。少しするとアントニオの妻も駆けつけ、ミナたちは手術室の前で彼の無事を祈りながら待つ。
数時間後、手術室のランプが消えた。
「先生! アントニオは!?」
監督が先生に縋り付くと、先生はにっこりと微笑んだ。
「大丈夫。命に別状はありませんよ。出血は軽い裂傷や、頭を打った際に怪我を負ったせいですが、脳波に異常はみられませんでしたし、肩と肋骨を骨折してましたからリハビリに時間がかかりますが、回復すれば生活に支障はないですし、職場に復帰することもできますよ」
「本当ですか!? よかったぁ……」
先生の話を聞いて、みんな一斉に気が抜けたように座り込んだ。手術室から、いまだ傾眠状態のアントニオが搬出されてくる。その後を着いて、ミナ達もぞろぞろと病室に入っていった。
「まだ麻酔が効いていますが、しばらくしたら安定するでしょう。そばに着いていてあげてください」
点滴や機器の調整をすると、先生と看護師は病室から出て行った。
「本当によかったぁ……」
「血まみれのアントニオを見た時、俺ぁもうだめかと……良かった……」
「皆様すみません、夫がご迷惑を……」
アントニオの妻が申し訳なさそうにしたが、監督が笑ってミナの頭を撫でた。
「いやいや大丈夫! お嬢ちゃんのおかげで助かったんだ! アントニオが無事でよかったよ。嫁さんも心配だったろ」
監督にそう言われて、嫁は瞳を潤ませながらミナや監督に礼を言った。それにミナは思い切り恐縮して顔の前で手を振った。
「いえいえ! とんでもないです! アントニオさんの天運ですよ!」
「今度の事は俺の監督不行き届きだ。なんて謝ればいいか……」
監督の言葉に嫁は微笑んだ。
「監督さんのせいじゃありませんよ。いつもよくしてもらっているのですから」
ミナもそれに便乗した。
「アントニオさんに十分に保障して、これから気を付ければいいじゃないですか! ね!」
二人の言葉を聞いて、監督は眉を下げて笑った。
「本当すまねぇな。仕事は、迷惑かけた分、きっちりやるよ」
監督の指示で、嫁と監督と2.3人を残して、ミナ達と数人の作業員は城に戻った。城では現場で待っていた作業員達が、ミナ達が帰ってくると一斉に集まってきた。アントニオの無事を伝えると、みんな一様に胸を撫で下ろして、ホッとした顔を見せてくれた。
「全く、心臓が止まるかと思ったぜ」
「俺も! それより、お嬢ちゃんのバカ力にはたまげたよ」
「そうだよな! お嬢ちゃん何モンだよ?」
そう言えば、男数人がかりで動かなかった石像を軽々動かしてしまった。ヤバいマズイと焦りながら、何とかミナは答えを絞り出した。
「え、えっとぉ、あ! 私、学生時代にウェイトリフティングの国体選手だったんです!」
その言葉を聞いた作業員たちは沈黙してしまって、嘘くさかっただろうかとヒヤヒヤしていると、作業員たちは同時に笑った。
「そーだったのか! なるほどね!」
「そりゃすげぇな。おみそれしました!」
信じてくれたようだ。
「落ち着いたところですし、お茶にしましょうか!」
皆でお庭でお茶を飲んでいるとヴィンセントがやってきた。
「何かトラブルがあったようだが。どうした?」
「あ、事故が起きてけが人が出ちゃって……でも命に別状はないって」
「そうか。明日にでも見舞いに行くとしよう」
「はい!」
ヴィンセントと話していると作業員達は不思議そうに見つめている。
「あ、ごめんなさい。ご紹介しますね。この城の主人、ヴィンセント・ドラクレスティ伯爵です」
「作業中に事故が起きたようで……お見舞い申し上げます。ご迷惑をおかけして申し訳ありません」
ミナが紹介するとヴィンセントはA面で謝罪した。それを聞いた作業員一同は即座にパッと立ち上がった。
「いえいえ! とんでもねーですよ!」
「迷惑かけたのはこっちでさぁ」
「仕事はきっちりやりますんで!」
と、笑顔を向けてくれた。
それを見たヴィンセントは、「ありがとうございます。それではよろしくお願いしますね」と微笑み返して、城の中へ戻っていった。その背中を見送っていた作業員たちは、口々に言った。
「こんな城に住むなんてどんな奴かと思ったら、伯爵とはなぁ……」
「恐ろしくいい男だなぁ。やっぱ貴族ってのは見た目から違うもんだな」
みんなはヴィンセントの背中を感心したように見つめて呟いていた。
作業員のみんなをお見送りして、アントニオの事を考えた。お見舞いの品は、何がいいだろう。
「現金だろう」
ヴィンセントに相談すると、即答でそう返事が来た。
「でも、現金だけって味気ない気もしますけど……」
「人間の趣味嗜好はわからん。現金を渡して必要な物を買ってもらった方がいいだろう」
「それは、そうですね」
「適当に10万ほど包んでおけ」
「10万!? ……わかりました」
お見舞いに10万とはとんでもない額だが、ミナは言われたとおりにお見舞いの支度をした。
翌日、お見舞いに行くと、アントニオは起きていて、監督もお見舞いに来ていた。あちこち包帯を巻いているし、点滴も打っていて体を動かすたびに痛そうにしているが、顔色もいいし少しだけ安心した。
「アントニオさん! よかった! 具合はどうですか!?」
「痛いけど、大丈夫。迷惑かけてすまねぇな」
「とんでもないです! 早く元気になってくださいね!」
「ありがとよ」
痛そうにお礼を言ったアントニオはふと、ヴィンセントに目を向けた。
「あ、こちらは城の主人のヴィンセント・ドラクレスティ伯爵です」
「この度はお見舞い申し上げます。少しですが、お見舞いです。お納めください」
ヴィンセントは一礼して、紙袋をアントニオの横の床頭台に置いた。
「わざわざすんません。迷惑かけて申し訳ねぇです」
「いいえ。早く回復して仕事に復帰してくださいね」
「ありがとうございます」
それだけ言葉を交わすと、失礼します、とヴィンセントは足早に病室を後にしてしまった。
「あ、ちょ、じゃぁ、私もこれで! お大事に!」
「あぁ、ありがとな」
ミナもヴィンセントを追いかけるように、慌てて病室を後にした。後で、なんでそんなに早く病室を出たのかと聞いてみたら、「けが人に気を使わせるものではない。この程度のマナーも知らんのか」と怒られたが勉強になった。
数日後、再びお見舞いに訪れると、アントニオは興奮した様子でお見舞いを返そうとしてきた。
「こんな大金もらえねぇよ! お返しだってできやしねぇ!」
「伯爵の気持ちですから。受け取ってください。お返しも必要ありません」
「でもよ、迷惑かけたのはこっちだしよ……」
「アントニオさん、そう思うなら早く元気になってください。その為にこのお金が役に立つのならそれがお返しになります。早く元気になって、お庭を綺麗にしてくれたら嬉しいです」
「すまねぇな……ありがとよ」
アントニオは本当に恐縮した様子だったが、何とかお見舞いを受け取ってくれた。
しばらくして、監督から連絡がきた。アントニオの件で、彼も監督も、とても感謝してくれた。それで、未来永劫、専属的にうちの庭の管理をしたいと申し出てくれた。ヴィンセントは二つ返事でそれを聞き入れて、専属契約をした。
「これで、私達が手を煩わすことなく、いつでも綺麗な庭が楽しめるな」
「もしかして、アントニオさんのお見舞いも計算ですか?」
「当然だ」
「さすが……」
と感心していたら、嫌な予想が浮かんでくる。ヴィンセントの事だから、と考え始めたら止まらない。
「まさか……事故は、事故ですよね? 仕組んだりしてませんよね?」
ミナの質問にヴィンセントはにやりと笑って、「さぁな」とはぐらかしたが、これは間違いなさそうだ。
(恐ろしい人!!)
登場人物紹介
【ミハイル・ツヴェット】
47歳。造園会社「クロマ・ジャルディニエーレ」の現場主任。
ロシア系の移民で、苦労性だがおおらかな人柄。バツイチ。
【アントニオ・シュトラディバリ】
32歳。ミハイルの部下。不運な事故に遭ってしまったものの奇跡の生還を果たす。
昔から意外と大怪我しては復活ということが多かったので、本人は慣れている。
友人の紹介で知り合った女性と結婚したばかりの新婚さん。




