1-4 可愛い弟には勝てない
次の日の夜、出ていく準備が整った。携帯は解約してきた。通帳も昼間に母が解約しに行ってくれた。荷物も持ったし、ヴィンセントに言われたとおりに家の庭の土も準備した。なんでも、吸血鬼は産まれた土地の土がないと、力を持続できないらしい。あとはもう一つ、両親に頼みごとをするだけ。
コンコンと部屋をノックする音が響いた。
「お姉ちゃん、入っていい?」
北都がドアを開けて覗き込んでくる。どうぞ、とドアを開けると、北都は妙にキョロキョロした。
「お姉ちゃん、真っ暗で何も見えないよ」
「あ、そうだった。ゴメンゴメン」
慌てて間接照明をつけた。自分が暗くても見えるので、照明をつけることなどすっかり忘れていた。北都は天井の照明が点かなかったことを不思議そうにしていたが、「明るいのダメだったんだねぇ」と、すぐに納得したようだった。
「北都、どうかしたの?」
ベッドに腰かけて、少し遅れて腰かけた北都に尋ねると、北都は少し俯いて「お姉ちゃんいつ出ていくの?」と、口を尖らせて聞いてくる。おそらく、もう別れは間近だと察しているのだろう。
「今夜でていくよ」
また泣いてしがみ付いてくるかと思ったが、相変わらず俯いたままだ。
「北都、今までお姉ちゃんの弟でいてくれてありがとうね。お姉ちゃん北都のことずっと忘れないよ。たまにはお手紙も書くからね。ヴィンセントさんが許してくれるなら、たまに会いに来られる様にもするよ」
と言った途端、北都が顔を上げた。
「ぼく、アイツ大嫌い! なんでアイツに着いて行くんだよ! アイツがお姉ちゃんを吸血鬼にしたんじゃないか! お姉ちゃんを連れて行っちゃう奴なんか大嫌いだ!」
北都の言うことは確かなのだろう。ヴィンセントに出会わなければこんなことにはならなかった。諸悪の根源はヴィンセントと言っても過言じゃない。
しかし、こうなってしまったからには、ミナはきっとヴィンセントが居てくれないと、生きていける気がしないのだ。例え人間に紛れても、人間じゃない自分と確実に溝が生まれる。吸血鬼としての生き方も知らない、どうやって食料を調達すればいいのかもわからない。これから何十年何百年、大事な人が先立っていくのを、ただ見つめることしかできない人生を、たった一人で生きていく事は、ミナには到底不可能に思えた。共に長くを生き、先導してくれるヴィンセントが必要だった。
「北都、ごめんね。私はもう吸血鬼になってしまったでしょ。昨日も言ったけど、人間の友達もできないし、ずっとこれから孤独に生きないといけないの。だけど、今はもう吸血鬼だけど、私だって人間として育ってきたから、孤独になんて耐えられないの。だけどもう人間じゃないから、人間と一緒にいることはできない。化け物は化け物の傍にいて、支えあって生きるしかないのよ」
この家を出れば、ミナは孤独だ。吸血鬼は人間にとって敵でしかない。ヴィンセントしか頼れない。でも、ヴィンセントは500年以上吸血鬼をして来たと言っていた。彼は500年も孤独に生きてきた。生まれつき吸血鬼だとしても、元は人間だったとしても、きっと孤独は辛いものだ。500年も前なら、迫害されたり追い立てられたりしたこともあっただろう。孤独は、ヴィンセントを変えたのだろうか。
北都は悔しそうに眉根を寄せて、決意したように口を開いた。
「もし、アイツがお姉ちゃんを泣かせたら、ぼくが許さないから。出て行くんなら、お姉ちゃんが笑ってなきゃ嫌だからね。認めないよ!」
北都はそう言って部屋から出て行った。
(優しい北都、可愛い北都。ありがとう、ごめんね)
荷物を纏めて階段を下りると、リビングに父とヴィンセントが座っていた。
今日は一体なんの御用ですか、と思ったが、両親の手前ヴィンセントは既にA面だし、一応会釈しておく。
「こんばんは、ミナさん。準備はできたようですね。お迎えに上がりました」
(わざわざ来なくたって逃げたりしません!)
(さっさと別れの挨拶を済ませて家を出ろ)
(わかってますー!)
心の中で悪態をつき、その心情が顔に現れていたのを慌てて取り繕い、家族に向き直った。
「お父さん、お母さん、北都、今までお世話になりました。たまにお手紙書くからね。元気でね」
そう言って深く頭を下げる。父も母も涙を流しながら「気を付けてね。元気でね」と送り出そうとしてくれる。が。
「おい! お前!」
北都がヴィンセントを睨みつけて仁王立ちしていた。
「お前、お姉ちゃんを泣かせたらぼくが許さないからな! 寝てる間に日当たりのいいところに放り投げてやるからな!」
顔から血の気が失せていくのが分かる。ヴィンセントにケンカを売るなんて、北都は大した狂犬だ。ミナと一緒に母や父も慌てた。
「ほ、北都! なんてこと……」
「もちろんです」
言い終わらないうちにヴィンセントの声が降ってくる。
「私にはミナさんを吸血鬼にした以上、彼女を守る義務があります。彼女を泣かせたりはしません。北都くん、君に誓います。彼女の笑顔は私が守ります」
そう言ってヴィンセントは北都の前に跪く。その様子に北都も一瞬狼狽えたが、すぐにキッと視線を向けた。
「言ったからな! 破ったら承知しないぞ!」
と言うと、フン! とそっぽを向いてしまった。そんな北都が可笑しくて、思わず笑みがこぼれた。
そろそろお別れの時間だ―ーと、忘れていたことがあった。
「お父さん、お願いがあるの。私が家を出たら、役所に私の失踪宣告を出してほしいの。そうすれば私は7年後には法的に死んだことになるし、その方が、色々、都合がいいから……」
戸籍が残ったままだと、将来的に動きづらい。人に譲って悪用されるくらいなら、抹消してもらった方がいい。父は少し考えたようにして
「わかった。とりあえず捜索願を出してから、捜索証明をもらって失踪届を出すよ。だから、警察には見つからないように気をつけろよ」
と言ってくれた。余計な手間をかけてごめんなさい、と頭を下げると、「ミナ、これを」と、母が銀行のマークの入った封筒を差し出してきた。
「今日通帳解約したでしょう? 口座の残金とお小遣い、少し入れておいたから。使いなさい」
その封筒は、明らかに2センチくらい厚みがある。もちろんミナはそんなにたくさん貯金していない。
「お、お母さん、こんなにたくさん貰えないよ!」
返そうとしても受け取ってもらえない。
「餞別だ。大人しく受け取りなさい。無駄遣いするなよ」
結局、父に押し切られた。
もらった封筒をギュッと握りしめる。
「お父さんお母さん、迷惑ばっかりかけてごめんなさい。お手紙いっぱい書くから。ずっと忘れないから。今まで本当にお世話になりました。ありがとうございました」
心から、心の底からの感謝の言葉。今まで言えなかった両親への思い。それから北都との約束。
「北都も元気でね。お勉強もクラブも頑張るんだよ。お姉ちゃんのことは心配しなくても大丈夫だよ。北都、ありがとうね。元気でね。北都は私の自慢の弟だよ」
そう別れを告げて、笑顔で玄関のドアを開けた。ミナはヴィンセントに掴まって一緒に空を飛んで家を後にする。
北都との約束。笑顔でお別れ。涙に気付かれないように。みんなはミナ達が見えなくなるまで手を振っていた。
登場人物紹介
【永倉北都】
9歳。ミナの弟。学校ではサッカーのクラブに所属している。フォワード。
姉思い、むしろ姉しか思わない極度のシスコン。
ヴィンセントが嫌い。
【永倉セイジ】
45歳。ミナの父。娘ラヴ、家族ラヴのマイホームパパ。
一級建築士として設計事務所に勤めている。ミナが工業高校へ進学したのは父の影響。
【永倉あずま】
40歳。ミナの母。ミナのぽやんとした性格と小柄な体躯の遺伝子の根源。
剣道8段で師範代の腕前。ミナが剣道をやっていたのは母の影響。
父も母も、結婚が早かったくせに(しかも授かり婚)ミナに男ができるのが嫌で仕方がない。
これまで家族で追い払ってきた男たちは、ある種のトラウマを抱えているとかいないとか。