4-10 イスラム誘拐事件
知らせを聞いたクリシュナが駆けつけると、ミナの部屋には吸血鬼たちとシャンティ、フリティックがいて、ミナを心配そうに見つめていた。すぐさま駆け寄ると、ミナは既に意識を取り戻していて、辛そうにしながらもクリシュナを見てホッとした表情を浮かべた。
ミナは自分の身に起きたことがよくわかっていなかった。映画館でトイレの方に小走りで向かっていると、突然首元にチクリとした痛みが走った。すぐに視界がぐらりと傾き、ミナは意識を失った。恐らくこの時何者かがミナにドロペリドールを注射したのだ。
ミナが意識を取り戻した時は既に車でどこかに運ばれているところだった。体中あちこちが痛くて、全身に切り傷や火傷の傷が出来ていて、吸血鬼の自分が何故こんな傷を負っているのかもわからなかった。乱暴な運転をしていた車が急に止まり、いきなり外に放り出された。この時フリティックが発見してくれたのだった。
今は何とか切り傷などが徐々に治ってきているが、火傷の傷は中々治らずに、ヒリヒリとした痛みがミナを苦しめた。
心配したクリシュナがミナの手を握って、本当に心配そうに見つめて来るので、なんだか申し訳ない気持ちになる。
「いきなりいなくなってごめんなさい。心配かけちゃいましたね」
そう謝罪すると、クリシュナは首を振って「いいんですよ」と微笑んだ。
クリシュナが落ち着いたのを見て、ヴィンセントがもう一度フリティックに説明を求めた。フリティックはミナを見つけた状況をかいつまんで説明した。
「どんな車だったのだ?」
ヴィンセントの質問に「アルジュンモータースの黒いバンでした。ナンバーは覚えていません」と答えて申し訳なさそうにした。続いてクリシュナがミナに尋ねた。
「車の中で目が醒めたんでしたね。何人でしたか?」
「多分、4人……全員、男の人だったと思います」
「インド人?」
「顔はインド人だったけど……」
ミナは言葉を濁したが、クリシュナが続きを促すように頷いた。
「多分……イスラム教徒かなって」
ミナは車の後部座席に転がされていて、詳しい様子を見れたわけではなかった。ただ、男達が交わした少ない会話の中に、ムジャヒディーン―イスラムにおける指導者の意味ーという単語が出てきたので、ミナはイスラム教徒なのではないかと思ったのだった。
心当たりがないわけではない。件のテロ組織もイスラム原理主義だったし、スレシュもイスラム教徒だったのだ。そして何より、ミナの体に残る傷が、聖なるものによる攻撃だと言う事を表していた。
「なるほど、教会が仕掛けてきたか」
納得したように頷いたヴィンセントの隣で、ボニーがぐっと拳を握ってヴィンセントを見上げた。
「ミナにこんな事して、アタシ許せない。教会潰したい」
ボニーの瞳には強い意志が見えたし、それを聞いたクライドも強く頷いた。しかしヴィンセントは「ダメだ」と一蹴した。
「どうして!」
「屋敷を監視されていることを忘れたのか? 私達が襲撃に行っている間に、残った者達に何かあったらどうする? 使用人たちを人質に取られては、こちらもたまったものではない」
それを聞いてボニーも俯いてしまった。しかし、否定はしても、ヴィンセントはボニーと同じ思いなのは間違いなかった。
「今回の件は、恐らく宣戦布告だ。奴らはまた攻めてくるだろう」
「じゃぁ、その時は……」
クリシュナの呟きに同調するように、ヴィンセントが頷く。
「その時は、完膚なきまでに叩き潰してやる」
そこまで聞き届けたところで、ミナと北都が交代した。
「ヴィンセント」
「あぁ、北都か」
ヴィンセントはすぐに気付いて、「何か気付いたか」と続きを促した。
「お姉ちゃんが捕まってる時、お姉ちゃんの意識はなかったし、体も全く動かなかったから、僕も何も見えないし、何されてるかもよくわからなかったんだ。だけど、音だけは聞こえてたんだよ。それで、聞いたんだけど」
「何か言っていたか」
「この女を失えば、不死王は弱体化されると聞いた。だが今は殺すなよ……そう言ってた」
話を聞いたヴィンセントは思い切り眉根を寄せた。それは明らかにヴィンセントを狙っていると言う意味だ。「私怨かしら」とメリッサは簡単に言うが、ヴィンセントの事を不死王と呼ぶ者に迷惑をかけた覚えはない。少なくとも日本を出てからは一度もその名で呼ばれなかったはずだ。それにはクリシュナも気付いたようで、「なぜお前が不死王と呼ばれていると知っているんだろうね?」と頭を捻っている。
ヴィンセントを不死王などとあだ名したのはヨーロッパ人だ。イスラムの教会の中に、ヨーロッパでヴァンパイアハントをやっていた人間が味方しているのだろうか。そこまで考えて、ヴィンセントは首を振った。
「まぁいい、その件はゆっくり考えよう。なんなら本人に聞けばわかる事だからな。他には?」
ヴィンセントが再び北都に視線を移すと、北都は少し考えて答えた。
「お姉ちゃんの火傷だけど、びしゃびしゃって水の音がしたんだ」
「なるほど、聖水でも被せたか」
「そうだと思う。あと、金属の音がしてた。クライドの持ってるナイフよりも音が響いてたから、剣みたいなものだと思う」
ミナの傷を見て、未だに癒えていない有様に目を顰める。
「それも聖剣かもしれんな。なるほど、こちらも武器を調達した方が良さそうだ」
そう言ってヴィンセントがクライドを見ると、クライドも頷いた。
「OK、すぐ連絡してみるよ。何とか用意できるはずだぜ。武器を入手する伝手は作って来たからな」
情報収集だけでなく、いざという時の武器調達の事も考えて、その筋の方々と仲良くなってもらっていたようだった。クライドの返事を聞いて満足したようにヴィンセントが頷いた。そして北都の方に振り向いた。
「北都、お前も気が張って疲れただろう。よく頑張ったな」
労われて何故かソッポを向く北都。
「別に……お姉ちゃんの為だし。僕だって怒ってるんだ。ちゃんとお姉ちゃんの仕返ししろよ」
「任せておけ。お前ももう休め」
そう言われると何故か不貞腐れるようにして、北都の意識は消えた。ミナの意識が浮上してくると、クリシュナが優しくミナの髪を撫でた。
「ミナ、今日はゆっくりお休み。僕がずっとそばにいるから、安心してください」
傷はまだ痛かったが、その言葉に胸が温かくなる。「ありがとうございます」と微笑んで、ミナは眠りに落ちた。




