1-3 私の周りは心配性ばかり
目が覚めて時計を見ると、夕方の6時だった。この時間だと、アルバイトに遅刻してしまう。慌ててクローゼットを開けると、目張りした窓からうっすらと西日が差している。
(あぁあぁどうしよう。まだだめだ! んもー!)
慌てて開けた扉を慌てて閉める。仕方がないので遅刻すると電話した。
黒いコートを羽織って、注意しつつ部屋から出てみると、リビングには真っすぐ西日が差しこんでいる。それを見てやはりうんざりした気分になりながら、仕方なく階段に座り込むと、下から北都が階段を上ってきた。
「あれ? どうしたの? お姉ちゃんバイトは?」
クラブ終わりらしく、チームカラーの青いサッカーのユニフォームを着たままで、ユニフォームも靴下も泥だらけ。こんな姿を見るのも日常茶飯事だったが、今後見れなくなるのだろうと思うと、途端に郷愁が胸を突く。込みあげてくる物を抑え込んで、何とか笑顔を取り繕った。
「おかえり。まだ日が昇っているから外に出られないの」
すると北都は、不思議そうに首をかしげた。
「なんで日が昇っていると外に出られないの?」
「吸血鬼はね太陽の光を浴びると死んじゃうの。だから日が暮れないと動けないんだ」
それを聞いた北都はなるほど! という顔をして「吸血鬼って大変なんだねぇ」と呟くように言った。北都はすでに姉が吸血鬼だという事を受け入れているようだ。さすがに子供は柔軟性がある。問題は父と母をどう説得するかだ。それを考えているうちに、いつの間にか日は沈んでいた。
「日が落ちたからバイト行くね」
バイバイと北都に手を振ると「いってらっしゃい!」と送り出してくれた。
外は真っ暗ではないが、日が落ちて薄暗い。ここから暗くなるまではあっという間。ミナたち夜族の領分がもうすぐやってくる。ただでさえ遅刻しているので、少しでも早くつかなければと走ると、車より速く走ってしまうことに気付いて、諦めて歩いていく。
バイト先の居酒屋に到着すると同僚や店長が「どうしたの? なにかあったの?」と心配して聞いてきた。普通なら怒られてもいいくらいなのに、つくづくミナの周りには心配性ばかりだ。今日はオーナーも来ていて、心配して駆けてきた。折よく人が集まって来たので、一息ついてみんなを見渡した。
「今日のことも含めて、店長とみんなにお話があるんです」
店長とみんなが「なに? どうしたの?」と身を乗り出してくる。
「今日遅れたのは、病院に行っていたんです。私、ちょっと重い病気に罹ったみたいで、あっ、人に感染するような病気じゃないから、その辺は大丈夫なんですけど。でも、遺伝性光線過敏症とかいう珍しい病気で、専門のお医者様はなかなかいないらしくって、九州の病院に入院しないといけなくなって……。だから、お店を辞めさせて頂きたいと思いまして、急にごめんなさい。すみません」
通勤しながら一生懸命考えたウソ。それなのに同僚たちは、心配顔でミナを見つめ、一番仲の良かった早苗が、泣きそうな顔をして寄ってきた。
「ミナ、ごめんね。あたしのせいで悪くなったのかな」
数日前、一緒に花見をしたから。ミナがウソの引き合いに出した病気が、紫外線を浴びると死んでしまう病気だと、聞いたことがある様だった。
「ううん、違うよ、早苗ちゃんのせいじゃないよ」
昨日エステに行ったら、レーザーで肌が異常な炎症を起こした。それで病院に行ったら、そう診断されてしまった――なんて、更にウソを重ねる。
「大丈夫?」
「うん、今の所。ありがとう」
「病気なのに今まで無理させちゃってごめんね!」
「こっちの心配はしなくていいよ! 早く良くなってね!」
「治ったら遊びに来てよ!」
みんなの優しい言葉に熱いものがこみ上げてくる。
(ウソついてごめんなさい。みんな、ありがとう)
「無理しないで帰りなさい。今日まででつけておくから」
「そうヨ! 病気悪くなっちゃうワヨ! パパに迎えに来てもらいなさいヨ」
店長とオーナーはそう言ってくれたけど、もう少しみんなの傍にいたかった。
「平気です! 店長お願いします。今日までは働かせてください!」
無理を言って働かせてもらった。仕事上がりにいつの間に調達したのか、大きな花束と「はやく元気になぁれ」とメッセージカードをもらって、ミナは涙ながらにお店に別れを告げた。
家に帰ると、リビングでまた家族会議をしているようだった。ソファには父、母、北都、ヴィンセント。
「ヴィンセントさんンン!?」
何してるのこの男! といった表情でヴィンセントを睨むと
「ミナさん、お疲れ様です。ご不在とは知らず勝手にお邪魔して申し訳ありません」
と、初対面時の様な、爽やか紳士を装った返答が返ってきた。
(あ、なるほど。外面はA面というわけですね)
と納得していると
(貴様、何がA面だ)
頭の中でヴィンセントの声が響いたことに驚いた。慌ててヴィンセントを見ると、口角をクイッと上げて厭らしく笑っている。
(吸血鬼ってテレパシーもできるんだ。スゲーや! っておぉぉぉい! もう……やっぱり私にはB面だし、どんどん人間離れしていくし、なんか私可哀想)
ミナの気持ちを知ってか知らずか―ー知っているはずだが、ヴィンセントには知ったことではないようで。
(お前も私にはきちんとしろ)
(チッ、ハイハイわかりましたよ)
と思いつつ、反抗もままならない。
「あ、いえ、ヴィンセントさん。わざわざお越しいただきましてご足労おかけします。ヴィンセントさんからもお話をして戴いていたんですか?」
A面ヴィンセントなら家族を泣かせるようなことは言わないだろう。が、何を話していたのかは気になる。
「ええ。とりあえずミナさんが吸血鬼になった経緯と、吸血鬼についてのお話をさせて頂きました」
「えぇっ、あの経緯を……」
あの痴態を家族に知られたのかと思うと、割と最悪だ。
「ミナもこっちに座りなさい」
母に促されて北都の隣に腰かけると、父に呼ばれて顔を上げた。
「彼に、吸血鬼になった経緯と吸血鬼のことを聞いて、やっと……理解した」
悲しそうな顔をしながらも、父は続けた。
「昨日からな、ずっと考えていたんだ。お前が吸血鬼でも人間じゃなくても、お前は俺たちの娘だ。ずっと家族として一緒に暮したいと。でも彼の話を聞いてようやく理解した。俺たちと暮らしても辛い思いをするのはお前だと。だから……」
そこまで言うと父は言葉に詰まってしまった。そんな父を見ていると、ミナの目にも涙が溢れてくる。
「彼のいう事をよく聞くんだぞ。元気でな」
父の言葉にとめどなく涙が流れ落ちた。
「おと、さん、ごめ、なさい……」
やっと絞り出した謝罪の言葉。本当は伝えたいことがたくさんある。今まで育ててくれてありがとう。親孝行できなくてごめんなさい。たくさん、たくさんあるけれど、言葉にならなかった。
その時、
「やだよ! 僕は納得できない! 理解もできない! お姉ちゃんと離れるなんて絶対に嫌だ!」
北都が泣きながらしがみついた。
「北都、仕方ないのよ。こんなことじゃなくても、女の子はいつか家からいなくなってしまうんだから」
母が北都を諭すも、北都は首をブンブン横に振った。
「お嫁さんになるならたまにでも会えるじゃないか! でも、今別れたらお姉ちゃんと二度と会えないかもしれないんだろ!? ぼくそんなの絶対に嫌だ!」
北都はミナの首に腕を回して、ギュッと抱き着いて離れようとしない。10歳年下の可愛い弟。愛しいたった一人の兄弟。
(それでも、私は決めたの。私は――)
「じゃぁぼくも吸血鬼にしてよ!」
北都の言葉に、その場の全員が凍りついた。
北都は涙を湛えた目で、ミナを見上げた。
「ぼくお姉ちゃんと同じ吸血鬼になる! 僕も吸血鬼になればお姉ちゃんとずっと一緒にいられるでしょ!?」
子供の純真さは時として恐ろしい。何を言い出すのかと、北都を諭そうとした時だった。パァンと乾いた音がして、北都がミナの膝の上に倒れこんだ。母が肩で息をしながら、振り降ろした掌を握って立っていた。
「ミナがいなくなるだけでも辛いのに、北都までいなくなったら、私……私は……」
そう言って母は床に座り込んでしまい、北都は頬を抑えて起き上がった。
「だって、だって! お姉ちゃんと離れたくないもん……」
母の様子がとても気にかかったが、それと同時に北都の言葉に堪らず抱きしめた。
「北都、ごめんね。いなくなっちゃう事許してね。手紙書くからね」
「ぼくも吸血鬼にしてよ……」
それでも北都は聞く耳を持たない。北都の肩をつかんで目を見つめた。
「北都、吸血鬼になるっていうことがどういう事か、ヴィンセントさんに聞いたでしょう? 人を襲わないと生きられない鬼なのよ。一生友達もできない。お父さんやお母さんにも二度と会えないかもしれない。学校だってもう行けない。子供のまま大きくなれない。太陽の光を浴びることもできないから、外で遊ぶこともできない。北都はそれでいいの? お姉ちゃんは北都にそんな思いしてほしくないよ?」
北都が何と言おうと、吸血鬼になんて絶対にしない。北都は優しい子だ。きっと吸血鬼であることに耐えられなくなって、自ら死を選んでしまうだろう。そんなことは、それこそミナが耐えられない。それに、遺された父や母は、一体これから何を生きがいにすればいいのか。
「北都、お願い。吸血鬼になりたいなんて言わないで。北都は人間として生きて幸せになって。北都までいなくなっちゃったら、お父さんとお母さんがとっても悲しむから。ね?」
北都はまだ納得していないという顔をしていたが、しぶしぶ小さく頷いた。それを見て、母も父も安堵したようだった。
「夜分遅くに申し訳ありませんでした」
玄関先で頭を下げるヴィンセントを見送る。
「いえ、あなたとお話しできてよかったです。ミナをよろしくお願いします」
深々と頭を下げる父とお母。なぜかヴィンセントに向かって舌を出している北都。
少し話したいことがあるからと、ヴィンセントを途中まで送ることにした。
「お前が着いてこなければ、楽に飛んで帰れるんだが」
さっそく嫌味を言われる。もうB面が出現したようだ。
「お前に丁寧にしてやる義理はない」
「女性への嗜みって言ってませんでしたっけ?」
「お前は下僕だろう」
「そうでした……」
どうやら下僕は性別を無視されるようだ。微かに落ち込まされたが、ふと思い立ってヴィンセントを見上げた。
「そういえばヴィンセントさん、この前は家が分からないから自宅に連れて来たって言ってたのに、よく家がわかりましたね?」
ヴィンセントが来てる時から気になっていた。
「何度も言うが、お前は私の下僕で、私は下僕のことはなんでもわかる。お前がどこで何をして何を考えているのか、全て」
改めて、ミナにはプライバシーの欠片もないようである。
「お前にプライバシーなど必要ないと言った筈だ」
そういえば、そんな衝撃的なことを言われた気がする。
すっかりしょげて俯いていると
「いい家族を持ったな」
ヴィンセントの言葉に思わず顔を上げた。
「みんな一生懸命お前のことを考えていて。大事にされていたのだな」
ヴィンセントにそう言ってもらえると、とても嬉しかった。
「はい。私も家族が大好きです」
嬉しくて涙が滲んだ。
「お前は泣いてばかりだな」
少し呆れ顔で微笑んだヴィンセントの顔は、今日もやっぱり綺麗だった。
登場人物紹介
【オーナー】
スナックやコンビニ、居酒屋など複数の店を所有する敏腕オーナーで、オカマ。優しい。イケメンに目がない。
ミナの父親の後輩で、このオーナーの元なら夜のバイトでもオッケイと許可が下りて、働かせてもらっていた。
【店長】
ミナのバイト先の居酒屋「おこぼれ」店長。雇われ店長。
脱サラしてオーナーに任された居酒屋が楽しくて仕方がない。休みの日ですら新メニュー開発に勤しんでいる。
バイトの子たちをとても大切にしていて、誕生日とかも祝ってくれるいい人。
【近藤早苗】
ミナのアルバイト仲間。面接にきた瞬間に、「アナタ可愛いじゃナイ! 採用!」と、即オーナーに気に入られた美人。オーナーが経営しているスナックと掛け持ちしている頑張り屋さん。




