生まれ変わったら、殺しに来て
この10年の間イルファーンはどうしているのかを尋ねた。最後に会った時は既に70歳を超えていたので、もしかしたら、と思った。だが、今の所まだ生きているらしい。
イルファーンは10年前地下室から解放された後、シャンティの人材派遣会社で働きはじめたのだそうだ。イルファーンはシャンティの会社に興味があったらしいし、シャンティも無学だったので、優秀なブレインとなり得る人材が欲しかった。その点イルファーンは学もあったし、元マフィアらしい狡猾さや果断さ、元ボスらしいリーダーシップが経営の役に立つ。
二人の利害が一致して、ヴィンセントも許可してくれたので、イルファーンはシャンティの会社の相談役に就任していたのだった。
「おう、お前ら、そんな働き方で給料もらえると思ってんのか。そんなやっつけ仕事されたんじゃぁ、俺が客なら半殺しにして会社に送り返すぞ。自分が客になったつもりで仕事しろ」
「固定給? んなモンダメだ。怠け者がのさばるだけじゃねーか。能力給にしろ」
「はぁ? 研修がない? 何考えてんだバカ娘。社員教育もなしに現場に送り出してんじゃねぇよ。社員の質は会社の質なんだ。キッチリ教育しなきゃ存続に関わるぞ」
などなど、大変厳しいご指摘を頂き、時々社員やシャンティと大喧嘩しながらも、しっかり役割は全うしていたようだ。
イルファーンのお陰で社員の質は向上して、能力に合わせて昇給することから、社員も頑張りがいがある。
仕事の質が向上したことで評判も上がって、シャンティの会社は10年前の10倍の規模になっていた。
なので、スラムの不可触の民を救済する為に組織された、人材派遣会社社長シャンティ・アヴァリと、相談役であり元マフィアのイルファーン・スレシュは有名になりつつあって、ビジネス雑誌から取材も来たりする。
そのスレシュは現在80代後半と高齢で、流石に経営からは引退してしまった。
「じじいなら今も屋敷にいるよ。ホスピス療養してるからね」
「ホスピス?」
「うん、8年くらい前に急性骨髄性白血病になってね。ずっと抗がん剤治療してたんだけど、副作用が辛いから治療はもういいって言って。今は痛みの緩和だけしてる……もう、長くない」
「そっか……会えるかな?」
「少しくらいなら大丈夫。ちょっと顔見に行く?」
「うん」
シャンティのあとを着いていくと、2階のイルファーンの部屋に向かっていた時、その部屋から看護師が出てきた。
「ウチで看護師を3人も雇ってる。24時間体制でね。やっぱりその方が安心だからさ」
「そっか。イルファーンさんの為に、そこまで……」
「最初はムカつくクソジジイだと思ってたけど、10年以上一緒にいたら、やっぱりね……」
シャンティはイルファーンの今後の事を考えてしまったのか、泣いてしまったようで顔を隠している。
ジジイ、バカ娘なんて呼んで、喧嘩をして憎まれ口を叩く。それは距離感が近いからこそできること。
シャンティにとっては、イルファーンは家族同然なのだ。彼が長くないという事を受け入れはしても、悲しく感じるのは当たり前だ。
ミナは何も言葉に出来ずに、シャンティの背中をさすっていたが、シャンティが何とか涙を引っ込めて、顔を上げた。
「ごめん、アタシこんな顔でジジィに会えないや。ミナ様一人でいってくれる?」
「うん。あんまり長くならないようにするね。気をつけた方がいい事とかある?」
「ドアの前にマスクと消毒液があるから、それだけちゃんとしてくれれば大丈夫」
「うん、わかった」
まだ涙をこらえるようにしているシャンティの肩を一つ叩いて、イルファーンの部屋の前に行く。手を消毒して、マスクを装着して、ノックをしてドアを開けた。
ベッドに横たわるイルファーンが、ミナに気付いた。
「おう……随分……久しぶりだ」
イルファーンはかすれた声で、なんとか言葉を紡ぎ出しているようだった。初めて会った時からイルファーンはおじいちゃんだったが、それでもマフィアだけあって、スーツを着て堂々とした貫禄があって、年齢の割には矍鑠としていた。
だが、現在のイルファーンは、貧血の為に青白い顔をして、寝たきりのせいで筋力が衰えて、手も足も子どものように細くなっている。皮膚がしわしわになって、頬がこけて、目も落ち窪んでしまった。
変わり果てたイルファーンに小さく微笑んで、ベッドの傍の椅子に腰かけた。
「随分小さくなっちゃったね。昔は恰幅もよかったのに」
イルファーンは返事をするのも辛そうだが、顔だけで笑った。
「結局私の事も、ヴィンセントさんの事も、殺せなかったね。生まれ変わったら、また殺しにきなよ。待ってるから」
またイルファーンは愉快そうに笑う。
「でもね、実は私一回死んでるの。私達って死んでも10年くらいで復活しちゃうみたいだから、何度も殺しに来なきゃ。大変だと思うけど、10年に一回のイベントだと思って、頑張って」
「相変わらず……バカ……だな」
今度はミナがおかしくなって笑う。ほんの少しだけ血色の良くなったイルファーンのベッドに手を突っ込んで、彼の手を探し出して握った。
「あの時、私の支えになってくれてありがとう。シャンティの会社を支えてくれてありがとう。あなたは私を恨んでるかもしれないけど、私はあなたに心から感謝してる。ありがとう」
イルファーンはミナの話を聞いて、苦笑する様に顔を僅かに歪めて、ミナの握る手をそっと握り返した。
「俺が……病気で……死ぬの……お前の……せい」
「えぇ?」
「ここで……死ねる……ありがと……よ」
イルファーンの言った意味が解らなかったが、ミナはその意味を察した。そして泣くのをこらえながら、何とか微笑んだ。
「……うん。今日会えてよかった」
ミナはイルファーンの手を離して、布団を整えて立ち上がった。
「ありがとね。じゃぁまた来世」
そう言って部屋を出て、ドアを閉め、すぐそこにうずくまって顔を覆った。
よかった、イルファーンの前で泣かずに済んだ。彼の言った意味を理解した時、涙が溢れそうだった。
もしミナ達と出会わなかったら、彼は病気になっていただろうか。もしかしたら、誰かに殺されていたかもしれない。
もしミナ達と出会った時、取引をしなかったら、彼の命はあの時点で終わっていた。
もしミナが地下室からの解放を願わなかったら、彼は地下室で孤独に死んだ。
彼は、病気で死ぬ事を、シャンティ達家族に看取られて死ぬ事を、幸福だと思ってくれている。
そのきっかけになったミナに、精一杯力を振り絞って、「ありがとよ」と言ってくれた。
イルファーンを思うと、とても悲しくて、申し訳なくて、嬉しくて、涙が止まらなくて。ミナはしばらく廊下にうずくまって泣いていた。