しょうがないから待っててあげる
アンジェロがボニー&クライドと話をしていた頃、ミナはシャンティと一緒に、かつてヴィンセントの居室だった部屋にいた。いつヴィンセント達が帰ってきても大丈夫なように、この部屋だけは使わずに空けてあったのだそうだ。
マホガニーの重厚なデスクの前には、革張りの大きな黒いソファがある。そのソファに二人で腰かけていた。
「シャンティは大人っぽくなったね」
「アタシも29だからね。最近小じわが出来ちゃってさぁ……アンジェロもミナ様も全然変わってない……羨ましい」
「そうかな? 自分で言うのも悲しいけど、老けないのって結構気持ち悪いよ。シャンティのは笑いジワだから素敵だよ。いつも笑顔の素敵な人って、顔に書いてるんだよ」
「あはは、ありがとう。相変わらずミナ様は嬉しい事を言ってくれるね」
二人で懐かしがって、変わっただの変わってないだの。元々仲良しだったので、雑談でも盛り上がる。
「ねぇ、この10年どうしてたの? てゆーか、なんでヴィンセントさん達いないの? いつからいないの?」
ヴィンセントとメリッサは、たまたま外出していていないわけではなく、ずーっといないのだそうだ。
ミナの質問にシャンティは腕組みをして唸る。
「メリッサ様は一昨年からいらっしゃらない。ヴィンセント様に至っては、10年前からいらっしゃらない」
「えぇ!? そんなに!? どこかに引っ越しちゃったの?」
「うーん、そう言うのじゃないんだけど、お二人とも消滅してしまったんだよ」
「えぇっ!!」
ミナは思わず立ち上がって、どういう事かとシャンティに掴み掛る。シャンティは何とか宥めて、ミナは渋々ソファに腰かけた。
「順を追って話すよ。10年前ミナ様達がいなくなって、1週間位した頃かな、ヴィンセント様に呼ばれたんだ」
シャンティがヴィンセントの部屋に行くと、部屋ではヴィンセントとメリッサが待ち構えていた。
そしてヴィンセントに言われたのが、あと数時間でヴィンセントが消滅するという、衝撃的な話だった。
さすがにシャンティも驚いて、どういうことなのか説明を求めた。
「吸血鬼の習性らしい。休眠期っていうんだって。吸血鬼は休眠期と覚醒期を繰り返すんだって言ってた」
「休眠期……私そんな話聞いてないんだけど……」
「言い忘れてたみたい。もしミナ様たちが来たら、ゴメンネって伝えておいてって、メリッサ様が」
「ゴメンネで済ませるあたり、さすがだよ……」
ガックリと項垂れるミナを横目に、シャンティは話を続けた。
休眠期は吸血鬼に等しく訪れる眠り。その期間や周期には個人差があり、それは力の強さに比例する。
弱い吸血鬼程休眠期が短く、覚醒期が長い。強い吸血鬼程、休眠期が長く、覚醒期が短い。
だからヴィンセントは10年経ってもまだ起きてこない。
この休眠期中に何が起きているかというと、まず、休眠期に肉体は必要ないので、肉体が消滅する。そして本体だけになり、眠りに入る。
本体の中では、精神と魂と能力だけが残されて、この期間に魔力と記憶の調整がされる。
とくにヴィンセントは魔術師に頼んで魔力を封印してもらっているので、その辺の調整にとっても時間がかかるらしい。ただでさえ長い休眠期が、このせいでさらに延びている。
意識の方は「記憶の海」と呼ばれる場所を漂っているそうだ。吸血鬼は記憶力がいいので、覚醒期中に膨大な量の記憶を貯め込む。その記憶で構成されるのが記憶の海で、そこを漂いながら記憶を整理整頓する。
人間でいうなら夢を見ているのと同じ状態だ。人間と違うのは、無意識ではなく意識的だという点だ。
この記憶の整理によってこれまでの出来事や知識を結び付けていくわけだが、その結び付け方、考え方は人によって違う。ヴィンセントやメリッサの様にマトモに考えられる人なら安心だが、ブッ飛んだ人だとジュリアスのようになる。
その吸血鬼の今後の方向性に関わるので、記憶の整理はとても大事な作業なのだ。
そして、休眠期の説明を終えたヴィンセントは、自分が寝ている間の事を命令した。
まずは、ヴィンセントの本体を棺に保管すること。棺には誰も近寄らせないこと。ヴィンセントがいることも、休眠期であることも、誰にも漏らさないこと。もしミナが来たら、ミナにだけは話すこと、などだ。
ヴィンセントは秘密主義なので、自分が休眠期だと外部に知られるのが嫌なのだ。
ヴィンセントがいないと思って、調子に乗って攻撃されたりするのを避けるためでもあるし、休眠期中、無防備になるヴィンセントの本体を、壊されないようにしなければならない。
ただ、ミナは眷愛隷属なので、ヴィンセントの状況や休眠期の事を知っている必要があると考えたようだ。
10年前の事を恨んでいると思っていたが、ヴィンセントはミナの事をちゃんと考えていてくれたし、「もしミナが来たら」と所々で言っているのを見ると、ミナが復活するのを待ってくれていたのが分かる。
アンジェロ達がインドを旅立つときには、非常に冷酷な態度を取られたと言っていたが、ヴィンセントがツンデレであることを考えると、あんな態度に惑わされてはいけない。
ヴィンセントは色んなことを、ちゃーんと理解してくれているのだ。
小さく微笑みながら、シャンティを見た。
「そう言えばヴィンセントさんは、シャンティの事、全幅の信頼を寄せる墓守って言ってたね。こういう事だったのね」
「そういうことみたい。墓守としてちゃんと守ってるよ。ヴィンセント様もメリッサ様も。棺のお掃除も欠かさない」
「えらい。ところで二人はいつ起きて来るの?」
「メリッサ様はあと3年だよ」
「ヴィンセントさんは?」
尋ねると、シャンティはとっても言い難そうにして、渋い顔をしている。
「何その顔」
「多分ミナ様怒るだろうなって」
「えっ……そんなに長いの?」
「メッチャ長い。今10年経ったでしょ。本当の休眠期は15年なんだって。でも魔術師に魔力封印してもらったせいで、それが3倍に延びたって」
思わずミナは立ち上がって叫んだ。
「ちょっと待って! 3倍ってことは45年!? あと35年も寝てるの!? あり得ない! しかもそれを言い忘れるっておかしいでしょ!」
ミナは激怒して、慌ててシャンティが宥める。
「ミナ様静かに! この事秘密なんだから!」
「いやあり得ないって本当に! なに考えてんのあの人! 無茶苦茶な人なのは知ってたけど、寝てる時まで無茶苦茶って、どういうことよ!」
「しー! ミナ様しーっ!」
シャンティの頑張りで、ミナはやっと落ち着きを取り戻した。不貞腐れた様子でソファにどさっと座るミナに、シャンティが苦笑した。
「まぁ、ヴィンセント様の面倒は、アタシがちゃんと見てるからさ。アタシが死んだらウチの子達に継がせるし。アヴァリ家に任せてよ」
「そりゃ、お願いするけど……起きてきたら教えてね?」
「もちろん」
ミナが死んでいる10年の間に、ヴィンセントが消滅して、しかも復活にあと35年もかかる。
待つ方には途方もない時間だが、ヴィンセントの事だ、知ったことではないのだろう。だけど、ちゃんとこの事をミナに言い残してくれていたのは嬉しかった。しかもミナにだけ。ここが大事だ。
ミナはやれやれと溜息を吐く。
「ホントしょーがないな、あの人は。待っててやるかぁ」
しょうがないと言いながら、なんだか嬉しそうにニマニマしているミナを見て、シャンティは小さく笑った。