11-14 自覚がなければ無病息災
アンジェロがミナに触れようとした時、恐ろしいと思ってしまった。アンジェロは何も悪くないのに、アンジェロを傷付けてしまった。そう思って焦燥したが、ヴィンセント達が現れた事で、ミナは驚いて硬直した。
「うそ、ヴィンセントさん……?」
飛行機を撃墜したと、死んだと聞かされていた。だからまた会えるなんて思っていなかった。
再会できた喜びが胸の中にじわりと広がって、涙が溢れた。立ち上がってヴィンセントの胸に飛び込むと、ヴィンセントは優しく抱きしめてくれた。
「ヴィンセントさん! よかった!」
「遅くなってすまない。ミナ、よく耐えたな。よく頑張った」
「ヴィンセントさん……うっ、うえぇぇ……」
ヴィンセントに再会できたことと、彼の言葉で、もう地獄のような時間は終わったのだと、心の底から安心できた。安心感と共に堰を切ったように涙が出てきた。ミナは大泣きしてしまったが、ヴィンセントは優しく頭を撫でて、ミナをあやすように抱きしめてくれていた。
ミナが落ち着きを取り戻す頃には、ボニーとメリッサがシャンティの服を持ってきてくれていた。シャンティはミナより背が高いので、サイズが合わなかったため、オレンジ色のサリーを身に纏った。
身支度が済むと、再びヴィンセントが傍に寄ってきて、ミナに言った。
「今回の事は私の責任だ。本当にすまない。兄様の事も、今回の事も、覚えておく必要などない。記憶を消す」
その提案にミナは素直に頷いた。でも、とヴィンセントを見上げた。
「クリシュナさんの記憶は消さないでください。アイザックは酷いと思うけど、クリシュナさんはいい人でした。今回の出来事だけ、消してください」
「……そうか」
「あと、少し待っててください。お礼を言いたい人がいるんです」
ヴィンセントが頷いたのを見て、部屋を出て廊下に出た。そして対面の部屋の、鍵のかかったドアを力づくで開けた。その部屋には髭の伸びた老人がベッドに座っていて、ミナを見てにやりと笑った。
「おう、ミナ。出られたか」
「うん。ヴィンセントさん達も生きてた」
「そいつぁ残念だ」
皮肉屋のイルファーンに苦笑したものの、ミナは話を続けた。
「イルファーンさん、ありがと」
「あぁ?」
「イルファーンさんがいてくれたおかげで、私は正気を保ててたんだと思う。話し相手になってくれて、ありがとう」
「俺にはただの安眠妨害だったけどな」
「人がお礼言ってるのに」
ミナは肩をすくめて、やっぱり苦笑させられた。そして振り返ってヴィンセントを見上げた。
「私、イルファーンさんのお陰で頑張れたんです。だから、彼も地下室から解放してください」
ミナのお願いに、ヴィンセントは快く頷いた。再びイルファーンに振り向いて、少し驚いた様子の彼に笑った。
「これでイルファーンさんも自由だよ。いつでも私達を殺しに来て」
今度はイルファーンが苦笑させられる番だった。
「おう。首洗って待ってろ」
「うん」
それで、全員で地下室から出た。予め話を聞いていたらしく、この間にクライドがシャンティ達も呼びもどしていて、彼女たちもすぐに戻ってきた。
ミナを見てシャンティ達は、ミナの足元に跪いて、床に額をこすり付けて号泣した。
「ミナ様、裏切るような真似をしてごめんなさい。どんな罰でも受ける。一生かけて償うから……」
号泣しながら謝罪するシャンティに、ミナは慌ててシャンティを起こした。
「罰なんて、そんなことするわけないじゃない。シャンティ達だって脅されてたんだから、仕方ないよ」
「でも、拒否することだって出来た」
「拒否したらシャンティ達は殺されてた。私はそっちのほうがよっぽど嫌!」
「ミナ様、ごめんね、ごめん……」
「シャンティ、私は大丈夫だから、そんなに自分を責めないで」
「ゴメンね……」
シャンティを落ち着かせてから、未だ気を失っているレオナルドとクリスティアーノ以外の全員が集められた。そしてヴィンセントが、アイザックとそれにまつわる事件の全てを、全員の記憶から消すことを提案した。
クリシュナはイスラム誘拐事件の時に死亡したことにして、アイザックになってからのその後の彼の記憶は消しておく。航空機墜落事故と、イーライとエマの記憶を留める事にした。この提案には誰からも異論があがらず、それぞれ個人的な希望などもあったが、全員の記憶からアイザックが消えることになった。
ただ、ミナと北都、SMART達は、アイザックの記憶を消すことに同意しなかった。ミナに起きた出来事だけ記憶を消して、アイザックの記憶と、彼に対する殺意は残された。
「ヴィンセントさんには悪いと思います。だけど私は、私から何もかも奪おうとした、アイザックを許すことはできません」
アンジェロの体を奪い、ミナの意志を無視して自由と体を奪い、ヴィンセント達の命を奪おうとした。ミナはその事が絶対に許せなかったし、このまま記憶を消して許してしまえるほど、寛容にはなれない。それはアンジェロも同じだったし、アンジェロを奪われたSMART達も同様だった。
ヴィンセントもそれはわかっていた。とっくに覚悟はできている。自分ではアイザックを殺すことはできない。どんなに酷い男でも、彼を兄として愛している。だからせめて、アイザックを見殺しにする罪悪くらいは、背負うべきだと。ヴィンセントはもう覚悟を決めていた。
「わかっている」
「でも、ヴィンセントさんだけ記憶が残るのが、可哀想」
記憶を消せるのはヴィンセントだけだ。だからヴィンセントから記憶を消してくれる人はいない。
「良いのだ。私にも責任があるからな。お前の苦労に比べれば、なんということもない」
「記憶を消したのがきっかけになったって言うだけで、別にヴィンセントさんも悪くないのに」
「構わん。では、始めるぞ」
そうしてミナから辛い地獄の記憶は消え、ミナはただ監禁されていたことに記憶をすり替えられた。アンジェロや北都も同様に記憶をすり替えられ、解放された時に再会を十分に喜べなかった分、ミナはアンジェロに思いきり抱き着いた。
「ぐぇ、ちょ、お前……苦しい」
「だって会いたかったんだもん!」
ぎゅーぎゅー抱き着いていると、北都の事を思い出して、アンジェロに笑顔を向けて言った。
「今夜北都返してね」
「え! 今夜!? いや、あの、全部終わってからにしようぜ?」
「なんでウンっていってくれないの? なんでそうヘタレなの?」
「い、いやぁ……」
ミナが拗ねて口をとがらせていると、アンジェロはそろーりとヴィンセントの様子を窺っている。ヴィンセントはアンジェロと目が合うと、小さく溜息をもらしてプイと視線を外した。
それを見てアンジェロはビックリしていたが、ミナは笑ってアンジェロの顔をぐいっとこちらに戻した。
「ヴィンセントさん許してくれたよ」
「そうみたい……だな?」
「だからもうヘタレは卒業ね?」
「でもよ、なんかの試練かもしんねぇだろ? 俺が安心したところをガブリ、みてーなさ」
アンジェロがヘタレすぎて、そろそろ呆れてきた。
「アンジェロってどんだけヘタレなの? この意気地なし!」
「あぁ!? 誰が意気地なしだよ! そこまで言うならやってやるよ!」
「その流れはおかしくない!? ムードもへったくれもないじゃん!」
「お前だっていつも唐突に迫ってくるじゃねーか! お前には言われたくねーよ!」
何故かケンカになってしまって、ヴィンセントは我慢していたのだが、結局は耐えかねて「うるさい!」と叱りつけて強制終了させた。
やっぱりアンジェロはまだヘタレた様子だったが、嫌な記憶が綺麗さっぱりなくなったミナは、何だかんだいってやっぱり嬉しかったので、幸せな気持ちでアンジェロに抱き着いて、絶好調でサバ折りしていた。