11-2 悪人と魔法使いの弟子
航空機墜落事故より10時間前のインド。
ミナが連れてこられたのはシャンティの屋敷の地下室だった。ここは元々人身売買組織のボスの家で、地下には攫ってきた人間を閉じ込める為の部屋があった。
その部屋には窓はなく、電球が一つぶら下がって、便器とベッドがあるだけ。まるで囚人の独房の様な部屋だ。綺麗なもの好きの元ボスの趣味の為か、部屋は清潔感のある白で全体を塗装されて、その白さが余計に異質さを際立たせていた。
「あぁ、シャンティはちゃんと頼んだものを用意してくれてたんだね。後でお礼言わなきゃ」
そう言うとベッドの上に置いてあった手錠を取って、ミナをベッドに放り投げた。そして手錠をかけてベッドに拘束した。
ミナはベッドごと壊してやろうと暴れまわるが、なぜか力が入らずベッドも手錠も壊れてくれない。そのミナの上にアイザックがのしかかってきて、ミナの体を押さえつけた。
「離してください! これ外して!」
「外せないでしょ? これね、教会で祝福してもらった銀の手錠なんだ。だから君には外せない」
信じられないと絶句してアイザックを睨んだが、聞き捨てならない言葉を思い出した。
「待って、シャンティに用意してもらったってどういうことですか? シャンティがこんな事に協力したとでも?」
「もちろん、快くね」
「そんなわけないでしょ! シャンティは私を悲しませたりしない!」
「そうかもね。でも、家族の命がかかっているなら、僕に協力するしかないよね」
「なんですって……」
アイザックはシャンティを脅迫したのだ。協力しなければレヴィやスニル、家族を皆殺しにすると。いかにシャンティがミナ達への義理が篤くても、家族の命を盾に取られては、とり得る手段はアイザックに協力するしかなかっただろう。
「ひどい……なんで……」
怒りと悔しさとで、泣きたくもないのに涙が出た。瞳を潤ませて睨みつけてくるミナに、アンジェロの顔をしたアイザックは、とろけるような微笑を浮かべた。
「君を愛しているからだよ。これから、もっと愛してあげるよ」
北都が殺された時も辛かった。ヴィンセントに殺人を強要された時も辛かった。
だけどその時とはまた違う絶望が、ミナの胸の中に広がっていった。
航空機墜落事故1時間前。
アイザックが部屋から出て行った。それを視線だけで追って、ミナはベッドに横たわっていた。喉がからからに乾いて、修復しない手首の傷がひりひりと痛んだ。動く気にもなれなくて、ただぐったりと死体の様に横たわっていた。
「ミナ?」
ふと、声が聞こえた。男性の、しわがれた老人の声だった。その声を聴いて思い出した。この地下室には先客がいたことを。
「イルファーン、さん?」
「あぁ」
この家の元の持ち主である、マフィアのボス、イルファーン・スレシュを、殺さない代わりに地下室に監禁していたことを思い出した。
「まだ、生きてたの」
「お蔭さんでな」
正面の部屋から聞こえてくる、囁く様なイルファーンの声に、一つ溜息を吐いた。
「なんで話しかけるの」
「淋しくてね」
「ホントは私を笑いたいんでしょ」
「そうかもしれん」
ミナたちはイルファーンの全財産と自由を奪った。そのミナが自由と体を奪われている。イルファーンにしてみれば滑稽に違いないだろう。
「しかし、お前の悲鳴は聞くに耐えねぇな。聞いてるこっちがどうにかなりそうだ」
「私だって好きで叫んでるわけじゃない」
「じゃぁ耐えろ。うるさいんだよお前」
「勝手な事言わないで」
全く悪人はこれだから困る。ミナは酷い目に遭っているというのに、うるさいときた。しかし、いつものように怒る元気もない。正直、怒りよりも虚無感の方が大きかった。
「あの男は何なんだ?」
「私の恋人の魂が、友達に憑りついてるの」
「なんじゃそりゃ。お前誰にやられてるんだ」
「わかんない」
「なんでこんなことになってる?」
「……」
「黙ってるって事はお前が悪いのか」
「……多少は」
「じゃぁ自業自得だな」
本当に悪人は嫌になる。もう話すのも嫌になって、ミナは黙り込んだ。だが、それに気付いてか気付かずか、イルファーンは続けた。
「俺はよう、後悔してるんだ」
「……」
「聞いてるか?」
「……」
「まぁいい。この部屋に入ってもう何年経ったかわからねぇが、やることもなくて暇だから色々考えていた。俺は金が欲しかった。たくさんな。で、人間ってのは高く売れるもんだから、人間を売った。いい商売だった」
「サイテー」
「おう、聞いてたか。そうそう、サイテーだと気付いた。お前らに潰されてな」
「自分がやられる番になって、ようやく気付いたって事?」
「そういうことだな」
「じゃぁ反省してるんだ?」
「反省はしてねぇ」
「はぁ?」
ミナはイライラして思わず顔を上げた。衣擦れの音が耳元でして、少し離れた正面からは乾いた笑い声が聞こえた。
「今更反省なんかするか。確かに人身売買も殺人も犯罪だ。犯罪なのは悲しむ奴がいるからだ。じゃぁ、悲しませなきゃいい」
「どうやって?」
「バレなきゃいい。もしくは家族全員誘拐して売り飛ばしゃいい」
「バッカじゃないの」
ミナは呆れて上げていた顔をシーツにばふっと下した。正面からはやはり笑う声が聞こえる。不快だ。
「お前言ってただろ」
「……」
「また無視か。ったく。言ってただろ、自分は最強の吸血鬼の弟子だって」
「……」
「お前の師匠は、俺みてぇな悪人から、財産根こそぎ奪い取る様な極悪人だぞ。そんな極悪人の弟子のくせに、いつまでカワイ子ぶってんだ。ちゃんと師匠を見習えよ」
「……どういう意味?」
「要は考えようだ。お前が何時間もやられまくってんのは自業自得か?」
「……そうかも」
「じゃぁ今の状況を受け入れるか?」
「受け入れたくない」
「なら、受け入れずに済む理由を作れ」
「理由?」
「お前アッタマ悪いな」
「うるさい」
「悪いのはお前だけか?」
「違う」
「恋人か?」
「うん」
「友達は?」
「絶対に悪くない」
「じゃぁその恋人を敵に仕立て上げろ。重箱の隅つつきまくって、腹立つところ引っ張り出せ」
「……いっぱいある」
「なら簡単だ。これで恋人は敵になって、お前が受け入れる理由もなくなったな」
「うん」
「じゃぁ次は目標を立てろ」
「目標……」
「おう」
言われて考えてみた。状況的には当然の事だが、ミナは状況を嘆くか、なぜこんなことになったのかという事ばかり考えてきた。
だが、イルファーンの言う通りに考えてみる。すると、自然と目に力が戻った。
「友達を助ける。その為に、私はあの人を倒す」
壁を隔てた正面から、笑い声が聞こえた。
「ついでに自分は悪くねぇって、無理やりにでも正当化しろ。何もかも全部恋人のせいにしちまえ。そうすりゃ立派に極悪人への第一歩だ」
「よく考えたら、私別に悪くなかった」
「その意気だ。魔法使いの弟子って曲、知ってるか?」
「弟子が魔法失敗して、めちゃくちゃになっちゃうって曲?」
「それだ。お前も弟子だろ。せいぜい引っ掻き回してやれ」
シーツをぎゅっと握って、呟くように言った。
「イルファーンさん、ありがと」
「あ? なんか言ったか?」
「何も言ってない」
ふぅっと息を吐いて、ぐっと手を握った。相変わらず手錠は外れそうにないし、恐らくヴィンセント達が来てくれるまでは状況は変わらない。
だが、この状況を利用できる。
足音が聞こえて、地下室のドアが開いた。イルファーンも静まり返って、ミナも緊張の面持ちでアイザックを見つめた。
アイザックは笑って言った。
「今ね、ヴィンセント達が乗っていた飛行機、撃墜してきたよ」
ただでさえ胸に渦巻いていた絶望が、更に大きな憎悪に支配されるのを、ミナは静かに感じた。
そして、目標を変更した。
「私は必ずアンジェロを助ける。そして、あなたを殺します」