10-12 責められるべきは誰
「ミナ、どういうことかな? なぜ君の傍に、アンジェロみたいな男がいるの?」
ついにミナにお鉢が回ってきた。ミナは立ち上がって、不機嫌そうなアイザックに向いた。
「アンジェロは、元々ジュリアスさんの部下で……」
「僕が聞いているのはそう言う事じゃない」
怒気のこもった声でアイザックにぴしゃりと断じられ、ミナは驚いて言葉を失ってしまった。確かに状況的にアイザックが怒るのは当然だ。アイザックにしてみれば、ミナが浮気したも同然なのだから。
だが、アイザックが怒っているところなど初めて見た。驚いたのはミナだけではなかった。ミナにだけはアイザックが負の感情を表出するなどと思わなかった。
ミナは怪訝に思って、アイザックに尋ね返した。
「私が、アンジェロの傍にいることが、不快ですか?」
その質問に、アイザックは吐き捨てるように言った。
「不快だよ。当たり前じゃないか」
確かに、当たり前だ。普通の人だったら、当たり前の反応だ。だが、彼は普通の人とは全く違った。
いつも余裕があって、器が大きくて寛大で、感情的に怒る様な事などなかった。
その人を怒らせるような事をしてしまったのは自分が悪い。それはわかっていても、ミナは不穏な気配を感じてならなかった。
「それよりも、僕の質問に答える気はないの?」
「いえ……」
ショックで返答をし忘れていた。返答をするために、伺いを立てるようにヴィンセントを見ると、ヴィンセントが後押しするように頷いたので、ミナも頷いた。そして、どうなるかわからない不安を感じながら、意を決して口を開いた。
「アンジェロが私の傍にいるのは、私がクリシュナさんの記憶を失っていたからです」
一瞬アイザックは眉をひそめて、思案する様に宙を仰いだ後、再びミナを見た。
「あぁ、僕が死んだと思ったんだね。なるほど、ヴィンセントらしい。で、僕を忘れている間にアンジェロが現れたわけだね」
「はい」
ミナの肯定を聞いて、アイザックは一つ溜息を吐いた後、おもむろに伸びていた前髪を掻き上げた。そしてよく見えるようになった、透き通るような緑眼でミナを見据えた。
「じゃぁもうアンジェロは必要ないね」
殴られたような衝撃だった。アイザックは、間違っても、冗談でもそんな事を言う人ではなかった。それなのに。
それなのに、彼をそうしてしまったのは、自分なのだ。
「私には、アンジェロが、必要です」
アイザックの怒りを煽るのはわかっていた。だが、覚悟を決めたのだ。自分には責任がある。今までのうのうと過ごしてきて、アイザックを裏切った。彼の為にも、終わらせる責任が。
「記憶さえ消されていなければ、こんな事にはなっていなかったのかな」
そうかもしれないし、そうでないかもしれない。タラレバ話なんてミナにもわからないことで、返答しかねた。
だけど、アイザックを好きな気持ちは本当だったから、それだけは疑わないでほしかった。
「私、クリシュナさんの事が本当に好きで、一緒にいられて幸せだったし、クリシュナさんに愛されてることが、この上なく幸せでした」
「でもその記憶は消えた」
反論できない。事実だから。今はその感情も思い出したが、今となっては色々な思いがせめぎ合っていて、以前の様に真っ直ぐにクリシュナに対して愛情を向けられる自信がなかった。
断罪するような口ぶりに委縮してしまったミナをフォローするように、ヴィンセントが割って入った。
「兄様は記憶が消されたことが許せないのだな?」
「当たり前じゃないか。理由はわかるよ。ミナを守る為だよね。だけど僕はどうなる? 僕は生きている! 記憶を消された? そんな事は言い訳でしかないんだよ! 何の為に僕は復活したんだ! 何の為に生き延びたと思っているんだ! ミナが!」
興奮した様子だったアイザックが、悲痛な表情を浮かべてミナを見た。
「ミナが無事かもわからなくて、どこにいるかもわからなくて、不安の渦の中で、ただ再生を待つことしかできなかった僕は、どうなるんだ……?」
その言葉と悲痛な表情で思い知る、アイザックの痛苦。それを思うと胸が痛くて、ミナはこれ以上言葉を重ねることが難しくなった。
これ以上ミナが何を言っても、アイザックにとっては言い訳に過ぎない。彼の苦痛と苦悩は計り知れない。それが全てミナの為のモノだというのなら、尚更それを無下にする事など出来ない。
ミナは何も言えずに黙り込んでしまったが、代わりにヴィンセントが口を開いた。
「ミナを責めるな。ミナに責任はない。ミナに断りもなく記憶を消したのは、私の一存だ」
その言葉を聞いた瞬間、アイザックから溢れ出たものにミナ達は目を疑った。
信じられなかった、信じたくなかった。あれほど仲の良い兄弟で、あれほど人道的だったアイザックが、弟に対して殺気を放つなんて。
「わかっているよ。お前がなぜ記憶を消したのか。わかっているよ。お前が何を思ったか。だけどわからない」
呟くように言って、ヴィンセントを睨んでいたアイザックは、アンジェロに視線を向け、強く睨んだ。
「お前もわかっていたはずなのに、なぜアンジェロの存在をお前が許しているのか、僕には理解できない」
ボニーとクライドが慌ててフォローに入ろうとしたようだったが、アンジェロがそれを遮った。
「俺にとっては残念だけど、伯爵は許しちゃいねぇよ。アイザックが伯爵を責めるのも、お門違いだ」
割って入ったアンジェロを、アイザックは鋭く睨みつけた。
「じゃぁ僕は誰を責めればいい?」
「俺を責めればいい」
「意外と殊勝だね」
そう言葉を発した瞬間、クリシュナが消えた。そして気付いた時には、アンジェロが倒れ伏していた。
「君を責めてもいいって、君が言ったんだよ」
左わき腹を抉られて蹲るアンジェロに、なおもアイザックは腹部に蹴りを打ち込んだ。
慌ててミナがアイザックを突き飛ばして、アンジェロの前に立ちはだかった。
「クリシュナさん、やめて!」
「ミナ、どいてくれないかな」
「いやです! どうして! あなたはこんなことが出来る人じゃなかったでしょ!?」
訴えるようなミナの言葉に、アイザックは冷たくミナを見下ろして言った。
「何を言っているの? そうさせたのは君だ」
言葉に詰まるミナに、なおもアイザックは詰め寄った。
「君はアンジェロを選ぶの?」
「それは……」
言い淀むミナを見てアイザックは不機嫌そうにしたが、アンジェロを見ながら少し考え込むと、ミナに笑いかけた。
「僕、いいこと思いついちゃった」
その笑顔は、とてもいい事とは思えない、アイザックとは思えない、邪悪な微笑だった。
不穏な空気を感じて、再生途中でありながらもアンジェロが起き上がった時には、既に遅かった。
笑っていたアイザックが唐突に倒れ伏した。そしてアンジェロが笑った。アイザックのように。
「人間とは思えないね。アンジェロの体は素晴らしい」
再び霊体となってアンジェロに憑依したアイザックが、アンジェロの顔でアイザックの様に微笑を浮かべるのを、ミナは血色を失った顔で呆然と見つめていた。