電気マターリはペ天使の夢を見るか?
ポテトは軍の速度を抑え悠々と隊を組進んだ。
ポテトがその半生をもって掌で転がすように錬磨したブリテン備えは傍目には銹色の鱗の巨竜がうねり進むように見える。
(これは勝てぬ)
遠目にこれを見た某は後方の日和見に使いした
「ポテト軍は精強、平地にてこの厚い軍容を崩すは難し。ここは陣を引きデロデロ湿地にて迎撃せん」
日和見は歓ばない。
自らの主権と指揮能力に異を唱えられたと感じ
「某は平素剛勇を語りながら臆したか
腰抜けめ、緑民にとって恐るべきは我が下知のみぞ」
と追い払った。
「あのトサカ野郎がかように抜かしたか!」
某は激昂した。
月華武人は誇り高い。
士には自身の死を美しくする『権利』がありそれが為に君主に矛を逆向けた件も過去枚挙に暇がない。
これが赤井やNORTHであれば巧く某をあしらえたであろう。
だがそもそも文吏である日和見はその手の士道礼賛には昏く批判的でさえあった。
また某もこの上役の微妙な背景を忖托するような気質も余裕も持たなかった。
このすれ違いは悲劇を産んだ。ハクスイ@デコピンがこのゴツゴツ砦の守備を奉じて三年になる。
この要衝の地を知り尽くすハクスイは自身の責の重さを日頃思い夢寐にも怠る試しは無かった。
常に細作を放ち四辺の情勢を蚕の口嚼が如くに蒐攬する彼でさえ、某の出撃の報に接した際は
(嘘だろう)
と容易に信じなかった。
重厚なポテトの魚鱗陣に対し日和見軍は鶴翼の陣を構えていたが、某の出撃により片翼が失われた形となる。
ハクスイは某がその若さに似ず多年戦塵にまみれて長じた叩き上げである事を識っていたし、それが故に充分に信をおき用いてきた。
ハクスイはおっとり刀で某の後を追ったが既に某はポテト軍の分厚いブリテンの海に呑まれつつあった。
「退け、疾く退け」
ハクスイは馬を寄せ呼びわったが某は血走った眼で振り返り、
「見よ」
と叫ぶばかりである。
「見よ、この某の勇を
これが臆病者の為し様かとくと見よ」
某の部隊は血煙りを撒く獣のようにポテト軍に囲まれ矢襖を浴びながら狩られ一人として生きて還るものは居なかった。
総大将の日和見はハクスイよりその知らせを受け、翌日には単身姿を誨せた。
逃げたのだ。
ハクスイは呆れや怒りを思うより寧ろその神速ぶりに感嘆する思いだった。
某の暴走により日和見本隊は弧軍となり、さながら芋の洪水に浮かぶ只一羽の痩鶏のようだった。
降り掛る危険に関しては鼻が利きすぎる日和見がこの危機に座して過ごすはずも無い。
ハクスイの報に接するや、まるで煙霞の様に戦場より消え失せた。
逸話が、ある。
後年日和見はこの脱出行について「デロデロ沼をジタジタと這い進み」と苦労顔に述べていると
「殿は嘘を言われる」とsiranuiが横槍を入れた。
siranuiは日和見の子飼いで勿論この時も付き従っていたが
「あの時の殿は雲を踏み飛ばんがばかりに疾く、我らは何度も置いて行かれそうになった」と指摘した。
だが日和見は平然と
「そうかえ、だがわしにはジタジタとしか思えんかった」と返し羞じる色も無かった。
つまり、日和見とはそういう男だった。
いもくん率いるブリテン軍は燎原の火の如く各地を掠殺しながら進む。
みちみち婦女子を奪い田畑を焼き墳墓を暴き、為にデロデロ湿地以西の地は四路悉く毀ち人馬も絶えた。
日和見の跡を継ぎ防備の任に就いたハクスイ@デコピンは百合国から派遣された二将と首肓し
『ポテト軍をデロデロ湿地に引きずり込み疲労せしめこれを撃つ』との方針を提起した。
百合の豺狼、と異名をとる程にこすっからい乃木希典はすぐに賛意を示したがもう一人の将軍は違った。
七角は由緒ある百合貴族の産まれながら文弱だの典雅だのとはまるで無縁な硬骨漢であった。
常日頃、
「昨今の将たちはどうにも頼りない。陣奥深くで兵に下知を振るうばかりでは戦に勝てぬ。
将たる者、兵のぼんの窪を見るは下。
常に先陣に身を置き叱咤してこそ将である」
と言い立てる程の勇将の七角は「まずは一当たり」とハクスイ@デコピンと乃木坂希典を置いて出撃してしまった。
七角とポテト軍が衝突した戦場跡には今日も無数の首塚が残されている。
最新の技術により分析されたそれらは多くは七角側の兵であり、
千五百年前にこの地で行われた事象は『戦闘』ではなく一方的な『虐殺』に近いことを物語る。
――何故ポテト軍が当時、異常な程の戦闘力を持ち得たか?
この疑問はしばしば、史学上の論争を起こした。
一つにポテト軍が強力な共通意識で強くまとまっていた点。
「グレートブリテン!北アイルランド!」の掛け声と共に一斉吶喊する統制はポテト軍の特色だった。
更に一つは、当時主流であった個人的武勇による合戦形式を採らず集団密垉戦術を採用していた点である。
要するに、ポテト軍の本質とは
心気・勇猛・命欲・名利…当時の戦士達が力とする、名誉とする諸々を一切重要とはせず唯々勝利を遂げる事に立脚した絶対の機構であった。
これらを創りあげ、練磨したいもくんは只人ではない。
超常の人と後世に云われる所以であるが、この種の人間にありがちな弊も持ち併せていた。
人心の機微に疎く、時に『アプローチをしないでプロポーズを行い手酷く袖にされる』などの奇矯な言動をとるようなことが儘あった。
閑話休題、
某を屠り七角を一蹴したポテト軍の意気は天を衝かんばかりであった。
いもくんは平素軽朦と無縁の重苦しい男であったが彼をしても、皇都への王手に等しい戦果には心浮立つものがあった。
対するハクスイ@デコピンの憔悴は甚だしく、主力をデロデロ湿地まで温存する為の足留め部隊――言わば捨て石の死兵の選別に余念がない。
余りに無能では足留めにならず、かと言って有能な将をここで損じてはデロデロ湿地での決戦に支障がでる。
熟慮の末に選ばれたに二人の将、
いくら、そして、らっど。
二人の相克と愛憎はこの時に端を発したといって良いだろう。
時に皇紀281年、初夏の刻であった。
この二人を端的に顕す逸話がある。
いくら15歳、らっど28歳の時に皇都で高価なモンスターエッグをガチャで当てたトマポという若者が話題となった。
トマポを遠くに見たらっどは
「いいなぁ、羨ましいなぁ…」
と指をくわえて呟くだけだった。
そのあまりに物欲しげな様子を見るに耐えなかった子分の伝説の幼兵は四方に手を尽しモンスターエッグを手に入れ、らっどを喜ばせた。
同じくトマポを見たいくらは、
無言だった。
だが、その夜の内にトマポの家に押し入ると彼を半殺しにしてモンスターエッグを強奪した。
この話は後年、講談師が捏造したと言われているが見事に二人の人となりを描いている。
つまり彼らはそのような人間だった。