SF作家のアキバ事件簿273 ミユリのブログ ハロウィン家族
ある日、聖都アキバに発生した"リアルの裂け目"!
異次元人、時空海賊、科学ギャングの侵略が始まる!
秋葉原の危機に立ち上がる美アラサーのスーパーヒロイン。
ヲタクの聖地、秋葉原を逝くスーパーヒロイン達の叙事詩。
ヲトナのジュブナイル第273話「ミユリのブログ ハロウィン家族」。さて、今回は自閉症の幼女から"パパ"と呼ばれて起こる騒動です。
舞台は、ハロウィンに浮き足立つパーツ通り。南瓜、魔女、猫耳…君の父親はホントに僕なのか?時空に消えたリアル娘の面影が重なって…
お楽しみいただければ幸いです。
第1章 ミユリのブログ
"その時、金髪巨乳のティルは、テリィ様の目をまっすぐに見て、堂々と宣う。
「人間のそれとは、ちょっと違うみたいだけど……
私、アナタの子を妊娠したみたい」
秋葉原の夜に、その言葉だけが妙に明るく響く。
きっとテリィ様は、顔面蒼白になったはずよ。その話を後から聞かされた私は、もっと顔面蒼白になったけど。
ただし、テリィ様が青ざめた理由と、私が青ざめた理由は、たぶん少し違う。
テリィ様は、そのとき私にこう仰った。
「僕の娘が、遥か遠くの時空で苦しんでいる。
何とかして助けてやりたいんだ」
娘。
遥か遠くの時空。
そして、妊娠。
普通の人生なら、どれか1つだけでも
十分に大事件で盛り上がってるはず。
でも、ここは秋葉原。
超能力に"覚醒"した、私たちスーパーヒロインが集まる世界。
だから私たちは、3つとも、1度に受け入れるしかなかった。
そして季節は、ハロウィン。
街には魔女が現れ、吸血鬼が歩き、猫耳が増える。
その陰で、時空を越えた妊娠と、未来の娘をめぐる物語が、静かに始まろうとしている。
たぶん誰も、こんなハロウィンになるとは夢にも思っていなかったわ。
もちろん、私も。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
秋葉原。パーツ通り。
すっかりハロウィンだ。魔女、吸血鬼、猫耳……
そして何の仮装なのか最後まで分からない人たち。
その中を僕は、これからシフトに入るマリレと肩を並べて歩いている。
同伴出勤?
YES。ただし、夜の街で想像するようなものではない。行く先は、メイドカフェだ。
マリレは、既にメイド服。
ヲーナーである僕は、私服。
この時点で、僕の立ち位置はかなり違っている。
「マリレ。その後、スピアとは?
ホントに別れたのか?」
マリレは、少し考えてから、肩をすくめる。
「距離を置きたいとか、今でも私が必要だとか。
いまいち、よく分からないの」
「つまり?」
「百合って、ホント面倒だわ」
ハロウィンのアキバで、身も蓋もない結論だ。
マリレは、前を向いたまま続ける。
「それより、御屋敷の新メニューを食べに行こ?」
「新メニュー?」
「"ザ・ギルティ"」
「何、それ」
「背徳バターのホットドッグ」
名前からして、健康診断の結果に直結しそうな食べ物だ。
「やめとくよ」
即答する。
「それにマデラに見つかったら、まずい」
「なんで?」
「僕、まだ出禁なんだ」
マリレが立ち止まる。
「……御屋敷のオーナーなのに?」
「そう。御屋敷のヲーナーだけど、出禁」
自分で言ってみても、設定としてかなりおかしい。
店を持っている。
でも入れない。
経営者だが、客としては不適格。
ちなみに、出禁になった理由については、僕からは説明しないことにしている。
何より、マデラが聞いているところでは、僕自身の口からは絶対に言えない。
ただ1つ言えるのは、僕が店の売上を落としたからではないと言うことだ。
むしろ、ある意味"店を盛り上げすぎた"結果だったと分析している。
「細かいこと、気にしないで」
マリレは、笑う。
「きっと、ミユリ姉様が喜ぶわ」
「僕が御屋敷に入ったら?」
「たぶん」
マリレは、少し考えてから言う。
「でも、マデラが喜ばない」
「だよね」
僕たちは、再び歩き出す。
ハロウィンのパーツ通りは、何も知らない顔をして僕たちを迎えてくれる。
この時期、魔女も吸血鬼も珍しくない(猫耳も)。
それでも"自分の店から出入りを禁じられたヲーナー"という怪物は、たぶん僕だけだ。
そして今宵、そのコスプレしない怪物は、メイドと一緒に御屋敷に出撃する。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
マリレと御帰宅。
御屋敷では、メイド服姿のエアリがハロウィンの飾り付けを陣頭指揮している。
「飾り付けもライトもキャンドルも、全部パンプキンにするの。急いで!」
「またエアリのハロウィン警察が始まったわ」
マリレが小声で言う。
「ほっといて」
エアリは聞こえないふりをして、パンプキンの配置を数センチ単位で修正している。
ミユリさんが僕のところへ駆け寄る。
「テリィ様。来てくださって、うれしいです」
背伸びをして、僕の頬にキスをする。
その光景を見たマリレが、少し離れたところにいるスピアに声をかける。
「元気?」
「……まあね」
「シフトのあと、どこか遊びに行かない?」
スピアは、少し間を置く。
「今夜は、ちょっとやるコトがあるの」
「そう」
マリレも、それ以上は聞かない。
僕は苦笑しながら、カウンターを見る。
そこに、小さな女の子が座っている。
そして、ずっと僕を見ている。
「ミユリさん」
「はい?」
「僕をずっと見ている子がいるんだけど」
ミユリさんが振り返る。
「え。また元カノ出現ですか?」
「いや、未だだよ」
「未だ?」
「だから、カウンターに座ってる幼女。
やっぱり僕のことを見てる」
ミユリさんは、女の子を見る。
「だから、なんですか?」
「いや……」
「テリィ様。ハロウィンですよ」
それで話が済むらしい。
マリレが横から口を挟む。
「今日は、コスプレした母娘連れも多いから。
そんな怖い顔してないで、みんなでゴルフ観戦でもしない?」
その横で、メイド服姿のジェシが静かにうなずく。
彼女は、メイドである。
そして、弁護士でもある。
つまり、メイド弁護士だ。
「せいぜい、のんびり楽しんで」
エアリが言うと、ジェシは大真面目な顔で大きくうなずく。
「実に意義深い意見だわ」
「……あなた、いま何を意義深いって思ったの?」
「"のんびり楽しんで"という提案についてよ」
「普通、そこに法的評価はいらないの」
「では、撤回するわ」
「撤回しないで。お願いだから普通に返事して」
「YES」
ジェシは、また大きくうなずく。
「善処するわ」
「何を善処するのよ」
「だから、のんびりするコトよ」
「あなた、弁護士でしょ?」
「YES」
「だったら、もう少し常識に従って」
ジェシは、顔色1つ変えず、少し考える。
「努力するわ」
「努力目標じゃないの!」
僕は、思わず吹き出す。
百合婚したばかりの2人だが、新婚夫婦の会話というより、契約締結前のタフなネゴシエーション中。
「ジェシは、相手にしないで」
エアリは、話題を〆る。
「マリレ、パーツ通りに行きましょう。商店会とのワーキングランチと、ハロウィン村の立ち上げを仕切ることになっているの」
ハロウィン警察、かつボランティア主義者。
よく見ると、すでにハロウィン仕様のメイクまで、バッチリ済ませている。
マリレが呆れる。
「ジェシ。新婚さんなんでしょ?」
「はい」
「新婚生活は?」
「ボランティアは、私の生きがいなの」
「単なる善意の押し売りでは?」
エアリの表情が、一瞬で消える。
完璧に消える。
「……どうして? そんなこと言うの?」
声だけが少し弱くなる。
「商店会が潤って、子供たちに喜んでもらう。
そうすれば、自分も嬉しいし、幸せになれるわ」
「なるほど」
ジェシだけが、真顔で大きくうなずく。
「経済効果と児童福祉の双方に資する活動ですね」
エアリが振り返る。
「……そうよ」
「合理的だわ」
「そうでしょう?」
「ただし、本人の幸福を対価として考慮する必要があるわ」
「……え?」
「ボランティア活動によって、本人が幸福を得るのであれば、完全な無償奉仕とは言えないわね」
エアリの眉が動く。
「ジェシ」
「はい」
「あなた、私を分析してる?」
「夫だから」
「じゃなくて、弁護士の目で?」
「夫として、弁護士として」
「両方やめて」
「どちらを?」
「えっと……夫の方は、やめないで」
一瞬、ジェシが黙る。
「承知したわ」
「そこは普通に照れて!」
「え。照れる合理的な必然性が……」
「照れなさい!」
判決は下る。
この2人は、恐らく新婚生活を法廷として運用しているのだ。
ミユリさんが身を乗り出す。
「いいわね。そういうの素敵。
私もボランティアやってみようかしら」
すると、マリレが身を乗り出す。
「何かやっていれば余計なことを考えずに済むし。
何もしないでいると、嫌なことをつい思い出し
ちゃうから」
エアリの顔がぱっと明るくなる。
マリレの顔はむっとする。
「大歓迎よ!やる気があるなら」
「じゃあ私も姉様とやってみようかな。
ペアでやる仕事ある?」
マリレが悪乗りを始める。
エアリは、即答だ。
「もちろんあるわ。じゃあ後で芳林パークに来て」
ジェシが手を挙げる。
「私も参加するわ」
「貴女は法廷でしょ?」
「妻のボランティア活動に参加するコトは、
夫婦円満に資すると判断されるわ」
「……」
エアリが黙る。
「それ、ボランティアじゃなくて
私についてくるだけじゃない」
「そうよ」
「あら。認めるのね」
「貴女と同じ時間を過ごすことに
合理的な理由は必要ないわ」
今度は、エアリが黙る。
そして、小さく言う。
「……それは、ちょっと反則」
ジェシは何も言わず、満足そうにうなずく。
こうして、ボランティアの人数がまた増える。
エアリのハロウィン警察は、いつの間にかヲタクな人間関係まで巻き込んで逝く。
そのときだ。
カウンターにいた女の子が、椅子から降りる。
母親が振り返る。
「サミエ?どこに行くの?」
サミエと呼ばれた、その女の子は、まっすぐ僕のところへ歩いてくる。
そして、僕の前で立ち止まる。
僕を見上げる。
「パパ」
腰から力が抜ける。
目の前の景色がグルグル回りだす。
「……え?」
思わず、ミユリさんを見る。
ミユリさんは、恐ろしい顔で僕を見る。
そして、厳しい顔のまま器用に首を傾げる。
母親が"信じられない"という顔で駆け寄る。
「サミエ?」
女の子を見つめる。
「今……しゃべったの?」
母親は、僕を見る。
「娘が、今あなたに何か話しましたか?」
「えーと……」
答える前に、ミユリさんをチラ見。
「僕のことを……パパって」
「まさか……」
母親の顔から血の気が引く。
「うちの子、まだ1度も言葉を話したことがないんです」
店内の空気が、ほんの少し変わる。
ハロウィンのパンプキンが、何事もなかったように笑っている。
そしてサミエは、僕から目を離さない。
まるで、昔から僕を知っていたかのように。
第2章 握手会の惨劇
御屋敷のバックヤードには、ベランダと呼ぶにはあまりにも狭い場所がある。
空調の室外機とダクトに囲まれた、ベランダというより、建物が最後に残した時空の隙間だ。
その隙間で、ミユリさんはメイド服の上にカーディガンを羽織り、ハロウィンの飾り付け中。
僕はその横で、天体望遠鏡を睨みながら腕を組み、ぐるぐる歩き回っている。
「テリィ様。私にも聞こえました。あの子、
確かにテリィ様のことを……パパ、と」
僕は、意味もなく望遠鏡の接眼部を覗く。
もちろん、何も見えない。
「僕の娘が、時空を超えて何か
話しかけて来てるンじゃないかな」
「幼女を使って、ですか?」
「これは、時空を超えたシグナルなのだ」
「……まさか」
ミユリさんは、少し考える。
「いや」
僕は、顔を上げる。
「まさかじゃないのかもしれない」
僕の娘は、恐らく"母なる世界線"へ行ってから
1度も僕を忘れてはいない。
ずっと何らかのシグナルを寄越している。
それが1ヶ月前から、突然途絶える。
「送れない理由があるんだ」
僕は、望遠鏡を見つめる。
「サミエという子には、何か特別なものがあるのかもしれない。娘はサミエを経由して、この世界線にコンタクトしている」
「どうしてサミエちゃんなんでしょう?」
「わからない」
僕は、少し間を置く。
「ただ"母なる世界線"側には
この世界線の腐女子を乗っ取って
自由にコントロールする技術があるらしい」
「……かなり怖い話ですね」
「怖い話ほど真面目に考えた方が良い」
ミユリさんは、黙って僕を見る。
「もちろん、単なる人違いという可能性もある」
僕は、望遠鏡から離れる。
「でも、なぜ僕を"パパ"と呼んだのか。
それだけは調べてみたいんだ」
ミユリさんは、ハッキリうなずく。
「では、その幼女さんと直接会って
お話ししたら如何でしょう?」
「どーやら、それが最短距離のようだ」
僕もそう思う。
天体望遠鏡より、人間に聞いた方が早い時もある。
ただし、今回は相手が幼女だ。
そして、彼女は時空を超えた通信装置なのカモ。
ハロウィンという季節は
こういう話をするには、実に便利な季節だ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
同時刻。
ラギィ元警部のペントハウスでは、別の事件が始まっている。
ペントハウス?
ヲタクたちが、そう呼んでいるだけで、実際には雑居ビルの屋上にあるプレハブである。
空調機とダクトに挟まれているので、夜になるとカボチャより先に人間が蒸し焼きになる。
その狭いキッチンで、ラギィはカボチャにせっせと具を詰めている。
居候のカレルが、それを眺めている。
「ラギィが張り切る理由は、わかってるつもりさ」
「そうなの?」
「今年は色々あったからねぇ」
カレルは、優しく微笑む。
「ティルが突然いなくなったりしたしなー。
だから、今年のハロウィンを盛大にやるのは
全部僕のためなんだろう?」
「え……」
「ありがとう。すごく嬉しいよ」
ラギィの手が止まる。
カレルは、勝ち誇ったような顔をしている。
人は自分の推理が当たると、なぜか少し偉くなる。
「そうだわ、カレル」
ラギィがカボチャを見つめたまま言う。
「貴女に言っておかなくちゃいけないことがあったわ」
「うん?」
「ついつい忘れてたんだけど」
ラギィは、実に何でもないことのように続ける。
「今夜、イブのディナーにヲ友達を招待してるの」
「イブ?何の?初号機?」
「ハロウィンよ」
沈黙。
カボチャの中だけが、妙に充実して逝く。
「……そうか」
カレルはうなずく。
「それで、そんなに頑張ってたのか」
「ええ」
「でもさ」
カレルは、少しだけ眉を上げる。
「どうして居候である僕には一言も相談せずに、ハロウィンイブ(何だソレ?)に客を呼ぶの?」
「ごめんなさい」
元警部が小さく頭を下げる。
「カレルが嫌なら……」
「いや、違う」
カレルは、すぐに遮る。
「構わないよ。良いって。気にしないで」
「マジ?」
「YES」
ラギィは、ほっとしたように笑う。
「ありがとう」
カレルも笑う。
2人の間に、平和が戻る。
ただし。
それは家庭内外交として必要な手続きを、すべて終えたという意味に過ぎない。
ラギィは、再びカボチャに具を詰め始める。
カレルは何も言わず、その背中を見つめる。
そしてラギィも、何も言わない。
ただ、カボチャを前にして、深い溜め息をつく。
今宵、ここにはヲ友達が来る。
問題は、その"ヲ友達"が誰なのか。
そして、その"誰か"は、果たしてラギィのことを"ヲ友達"だと思っているのか。
その界隈については、まだ誰も確認していない。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
秋葉原ヒルズ。
レジデンス棟の高層階まで上がると、電気街の喧騒がウソのように遠くなる。
僕は、ミユリさんからコッソリ教えてもらった部屋の前に立つ。
インターホンを推す。
しばらくして、ドアが開く。
そこに、サミエのお母さんが立っている。
今朝、御屋敷で会った時よりも
少し警戒した顔をしている。
「突然すみません」
僕は、頭を下げる。
「今朝のことが、どうしても気になってしまって。
僕はテリィといいます」
「あの……」
彼女の表情が変わる。
「もしかして、あの国民的SF作家の?」
「いえ、ソンな」
「"地下鉄戦隊メトロン5"の作者の?」
「参ったな、こりゃ」
「……でも、どうしてウチに?」
当然の質問だ。
僕だって、逆の立場なら先ず聞く。
僕は、少し考えてから答える。
「お嬢さんのために、何か出来るコトがあるならと思いまして」
パーフェクトな回答だ。
「サミエのために?」
「YES」
すると、彼女はますます不思議そうな顔をする。
「なぜ……そこまで?」
ソレは僕にも、うまく説明出来ない。
「わかりません」
正直に言う。
「ただ、そうすべきだと感じルンです」
その瞬間、彼女の警戒が一段深くなる。
「……そうすべき?」
僕は、うなずく。
「はい」
母親は、僕をじっと見る。
そして突然、意を決して勝負に出る。
「だったら私、次週の"地下鉄戦隊"、
悪の女幹部にどうかしら?」
「え?」
「そこそこ美人でしょう?」
「……あ、はい」
「実は、ヌードもOKです」
何で戦隊モノで女優が脱ぐんだよ?
温泉シーンや水着回じゃダメなのか?
暫し沈黙の後、彼女の顔はすぐに母親の顔に戻る。
「テリィたん」
「はい」
「ハロウィンのボランティアをしたい
その崇高なお気持ちには敬意を表します」
「いや、ボランティアというより……」
僕は、言いかけてヤメる。
娘かもしれないナンて言えないし。
僕の娘が、この子を通して、時空を超えて話しかけているのかもしれない。
ただ、そんな説明をしたところで、警察を呼ばれる可能性のほうが高い。
「……お嬢さんの役に立ちたいんです」
「助け合いの精神は、とても尊いことだとは思います」
母親は、穏やかに言う。
「でも、この子は人見知りが激しいんです」
僕は、部屋の奥を見る。
そこにサミエがいる。
僕を見る。
じっと。
今朝と同じ目だ。
「自閉症だから……」
母親は、僕とサミエの間に立つようにして言う。
「人との接触が苦手なんです」
「でも、今朝……」
「たまたまです」
母親は、断言する。
「たぶん、何かを見て、そう言っただけなんだと思います」
「パパ、ですよ?」
「YES」
「僕を見て、ですよ?」
「そういうコトもあります」
ミユリさんの前で証言して。
「だから、あまり気にしないでください」
僕は、サミエを見る。
サミエも僕を見る。
どちらも目をそらさない。
「……でも」
僕は、1歩だけ前に出る。
「僕には、あの子が僕を知っているように見えて仕方ないのです」
母親は、すぐに1歩下がる。
まるで、僕の1歩がサミエに近づき過ぎたかのように。
「テリィたん」
声が少し強くなる。
「この子を、普通の子と同じように考えないで」
「いえ、普通とか、そーゆーコトじゃなく」
「この子は、自閉症なんです」
ハッキリ宣言する。
「だから、知らない人が急に近づいたら怖がることもあります。まして、初対面の男性に"娘かもしれない"なんて言われた日には……」
「娘とは言ってません」
「顔に描いてあります」
しまった。
僕は、サミエを見つめる。
母親は、僕を見つめる。
その2人の視線の間に、サミエがいる。
僕にとっては、遥か遠くの世界線から届いたカモしれないシグナル。
母親にとっては、ただただ守らなければならない、かけがえのない娘。
同じ幼女を見ているのに、世界観がまるで違う。
「ボランティアなら」
母親が静かに言う。
「も少し扱い易い子供から始めたらどうですか?」
僕は、少し笑う。
「扱いやすい、ですか」
「悪い意味ではありません」
「わかっています」
僕は、サミエから目を離さない。
「でも、僕はお嬢さんの役に立ちたいのです」
母親が溜め息をつく。
「どうして、そこまで……」
「僕にも、わかりません」
僕は、答える。
「だから、知りたいのです」
サミエが、ほんの少し首を傾ける。
そして、また僕を見る。
僕は、確信に近いものを感じる。
この子は、僕を見ている。
ただ、それが父親を見る目なのか。
それとも、時空の果ての誰かが僕を見ているのか。
まだ、わからない。
「お願いします」
僕は、母親に頭を下げる。
「この子のそばに、少しだけいさせてください。
悪の女幹部は無理でも、女戦闘員の1人なら……」
母親は、厳しい顔で僕を見る。
その後ろからサミエが僕を見ている。
親子なのに、見ている方向が違う。
僕は、そのことが妙に気になる。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
同時刻。秋葉原ヒルズ、レジデンス棟。
ジェシとエアリの新婚家庭。
キッチンではジェシが、口を真一文字に結び
眉間に深いシワを寄せている。
テーブルの上には、ハロウィン用のクッキー。
ただし。
黒い。そして、形が悪い。
クッキーというよりも、焼き菓子が進化した最終形態に見える。
ジェシは、1枚ずつ慎重に並べながら、真剣な顔で眺めている。
そのとき玄関が開く。
「ただいまー!」
山のような買い物袋を両手にぶら下げたエアリが帰ってくる。因みに、2人ともメイド服。
「……なにそれ?」
「ハロウィンのクッキーよ」
エアリは、クッキーを見る。
1秒。2秒。
「まあ……かわいい」
「ありがとう」
「でも、それって……」
エアリは、首を傾げる。
「とっても茶色いわね」
ジェシの眉間のシワが、さらに深くなる。
「幼稚園のときに習ったの」
「年季入りなのね?」
「YES」
ジェシは、胸を張る。
「毎年、欠かさず焼いてるのよ」
「そう……」
エアリは、微笑む。
「ロマンチックね」
そして、サイクロン並みの溜め息をつく。
「ふぅーーーーーーーっ」
「どうしたの?」
「え?何でもないわ」
エアリは、買い物袋を置く。
「何でもない顔ではナイわ」
「新婚生活には、色々あるのよ」
「法的な問題?」
「そういうところ!」
エアリは、頭を抱える。
しかし、すぐに気を取り直す。
「あ、そうだ」
「なに?」
「見て欲しいモノがあるの」
「はい」
エアリは、買い物バッグに手を入れる。
そして、何かを探るように手をかざす。
すると。
袋の中に入っていたチョコクッキーが、淡い光に包まれ、分子構造が変換される。
数秒後。
エアリが取り出したのは、きれいなキツネ色をしたフィナンシェだ。
「えっへん!私の手作りよ」
ジェシの目が輝く。
「貴女のお手製?」
「YES」
「いつの間に?」
「意外と焼くのは簡単なの」
ジェシは、フィナンシェを両手で持ち上げる。
「すごいわ」
「でしょう?」
「今年は私のクッキーと2つ並べて飾りましょ!」
「そうね!」
エアリが笑う。
「……でも待って」
急に真顔になる。
「どうしたの?」
「貴女のクッキーは、別の場所にした方が良いのではナイかしら」
「あら、なぜ?」
「だってハロウィンだもの」
エアリは、部屋を見回す。
「どこが良いかしら……」
2人で考える。
窓際。
「ここじゃない」
テーブル。
「食べられるわ」
玄関。
「持っていかれる」
テレビの横。
「ゴルフ観戦の邪魔になる」
そして最後に。
エアリは、ソファの前で立ち止まる。
「ここね」
ジェシが黒いクッキーを1枚
ソファの端にそっと置く。
「なるほど!」
エアリが手を叩く。
「子供たちにもゴルフ観戦してもらうのね?」
「え?……はい」
「良いアイデアだわ!」
2人は、満足そうにソファを見る。
黒いクッキーと、キツネ色のフィナンシェ。
夫婦の個性が、そのまま焼き菓子になっているw
「良かった」
ジェシが言う。
「これでハロウィンの準備は完璧ね」
「さぁ忙しいわよ」
エアリは、時計を見る。
「あと2日」
「2日……」
ジェシが呟く。
そして、何かを思いついたようにエアリを見る。
「でも、エアリ」
「なに?」
「ちょっと考えたんだけど……」
ジェシの手が、ゆっくり伸びる。
ソファの上のフィナンシェへ。
「ダメよ!」
エアリが即座に手を叩く。
「触っちゃだめ!」
ジェシの手が止まる。
「なぜ?」
「ハロウィンの朝までお預け!」
「しかし、これは食品よ?」
「知ってるわよ!」
「では、保存状態を確認……」
「ダメ!」
「品質管理の一環として……」
「ダメ!」
「味覚検査なら……」
「ジェシ!」
「はい」
ジェシは、しょんぼり手を引っ込める。
そして、フィナンシェを見つめる。
「……おいしそう」
「だから、朝まで我慢して」
「はい」
ジェシは、素直にうなずく。
しばらくして。
「エアリ」
「なに?」
「1個だけなら?」
「ダメ」
「半分なら?」
「ダメ」
「分子構造を確認するだけなら?」
「絶対的にダメ!」
ジェシは、深い溜め息をつく。
新婚家庭の夜は、静かに更けて逝く。
そこには世界線を救うより難しい問題がある。
"フィナンシェを、いつ食べるか"
そして、ジェシは未だ知らない。
この夫婦の場合、ハロウィンが終わるまでには
クッキー以外の問題が山ほど焼き上がることを。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
秋葉原ヒルズのレジデンス棟。
ベランダへ続くカーテンを
サミエが開けたり閉めたりしている。
開く。
床に光が落ちる。
閉じる。
光が消える。
また開く。
床にできた光と影の模様が変わるたび
サミエは嬉しそうに笑う。
僕はソファに座り、その様子を眺めている。
「サミエは、光が好きなの」
いつの間にか、ママが僕の向かいに立っている。
「カーテンを開け閉めすると
光の模様が変わるでしょう?」
「なるほど」
僕が頷くと、ママは少し迷ってから
僕の隣に腰を下ろす。
さっきまでなら、僕と一定の距離を取る。
その距離が、今日は少しだけ縮まっている。
部屋の中は、すっかりハロウィンの飾り付けだ。
壁にはカボチャ。
窓にはおばけ。
天井からはコウモリ。
その真ん中で、サミエだけが光と遊んでいる。
「落ち着くらしいの」
「そうですか」
「テリィたん」
ママが僕を見る。
最初に会った時とは、声の響きが違っている。
「辞めたいと思ったら、すぐ辞めてもらって良いのよ」
「え?」
「あなたが想像していたボランティアとは、違うでしょ?」
僕は、サミエを見る。
またカーテンが開く。
床に光が伸びる。
「いえ」
僕は笑う。
「そんなことないです。楽しいですよ」
ママは、少し驚いた顔をする。
「……そう?」
「はい」
「普通は、もっと大変そうな顔をするものだと思ってた」
「ええ。僕も最初は、そうなると思ってました」
「でも?」
「サミエが楽しそうなので」
ママは、黙る。
サミエがまたカーテンを閉める。
部屋が少し暗くなる。
そして、また開く。
光が僕たちの足元まで伸びて来る。
「ねえ、テリィたん」
ママが小さな声で言う。
「あのね」
「はい」
「サミエが今朝みたいなことをしたの、ホントは初めてなの」
僕は、黙って聞いている。
「なぜテリィたんに近づいていったのかしら」
ママ自身も、まだ答えを探しているようだ。
「私も不思議なの」
少し間を置いて、
「だって……」
ママは、サミエを見る。
「他人に話しかけたこと、1度もなかったもの」
「僕にも、わかりません」
ホントにわからない。
娘なのか。
時空を超えたシグナルなのか。
それとも、ただの偶然なのか。
未だ何もわからない。
「そうよね」
ママが微笑む。
その笑顔には、もう最初の警戒はない。
代わりに、ほんの少しだけ期待がある。
「今日は午後から、お医者様の診察の日なの」
「はい」
「もし……」
ママが言葉を選ぶ。
「テリィたんが一緒に行ってくださったら、また娘は何か話すかもしれないわ」
僕は、ママを見る。
「厚かましいお願いだけど……」
「行きます」
即答だ。
ママの目が大きく開く。
「……え?」
「行きます」
もう1度言う。
「もちろんです」
ママは、しばらく僕を見つめている。
そして、ふっと息を吐く。
「ありがとう」
その「ありがとう」は、さっきまでの社交辞令とは違っている。
少しだけ、誰かに頼ってみようと思った人の声だ。
ママは、サミエを見る。
サミエは、相変わらず、カーテンを開けたり閉めたりしている。
開く。
光。
閉じる。
影。
また開く。
光が僕たちのところまで届く。
ママはその光を見ながら、小さく笑う。
「もしかしたら……」
「はい?」
「テリィたんが来ると、サミエは何か話してくれるのかもしれないわね」
僕は、答えない。
答えられない。
ただ、サミエを見る。
サミエも僕を見ている。
そしてまた、カーテンが開く。
今度は、さっきより少しだけ長く。
部屋の中に差し込んだ光は
僕たち3人を同じ場所に照らす。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
裏アキバ、芳林パーク。
ハロウィン村の設営が、着々と進んでいる。
いや。
エアリによって、着々と進まされている。
「もっと右!」
「はい!」
「カボチャは30cm大きく!」
「そんなサイズ、どこにあるんですか?」
「探して!」
ハロウィン村の一角では、別の戦いも本格化。
"ウル虎ノ門5姉妹"のコスプレイヤー・オーディションだ。
ノ門。
ジーベン。
新ノ門。
ジロウ。
それぞれが銀色のコスに身を包む。
審査員の前で決めポーズを披露していく。
「シュワッチ!」
「デュワッ!」
「ビィバッチェ!」
ジェシは、毎回楽しそうに大拍手だ。
「モノホンそっくりだ!」
しかし、その隣のエアリは
腕を組んだまま微妙な顔をしている。
1人がポーズを決める。
エアリ、無言。
2人目がポーズを決める。
エアリ、無言。
3人目。
「はい。不合格」
「えっ?」
ジェシが振り返る。
「まだ何も言っていませんが」
「顔に描いてあるのよ」
「何が?」
「全員、不合格って」
エアリは、キッパリ言う。
「みんな不合格だわ」
「でも、2人目は良い感じでしたよ?」
近くのボランティアが恐る恐る言う。
エアリが振り返る。
「良い感じ?」
「はい……」
「私は、このハロウィンに賭けているの」
エアリの目が光る。
ドン引くボランティア。
「並みのレイヤーじゃダメなの。
とびきりのコスプレじゃないと!」
「……」
「子供たちが一生忘れないハロウィンにするの」
ジェシが隣で大きくうなずく。
「意気込みは、十分伝わってくるわ」
「でしょう?」
「はい」
「だからジェシ、あなたも何か言って」
「全員不合格です」
「そこまで言わなくて良いの!」
そのとき。
「エアリ!」
声がする。
振り返ると、メイド服のミユリさんとスピアが駆けてくる。
エアリは、露骨に腕時計を見る。
「……まぁ」
そして、2人を見る。
「7分の遅刻だわ」
「ごめんなさい」
ミユリさんが頭を下げる。
エアリは、隣のボランティアに小声で言う。
「7分よ」
「はい」
「ハロウィンに7分の遅刻は大きいわ」
「……はい」
エアリは、すぐに仕事に戻る。
「そこのカボチャ、もっと大きいものにして」
「はい」
「ライトも増やして」
「はい」
「もっと大きなカボチャを載せて!」
「でも、もう十分大きいような……」
「ハロウィンなのよ?」
その一言で、すべてが終わる。
ボランティアは黙ってカボチャを運び始める。
エアリは、満足そうにうなずく。
そして、ミユリさんとスピアに何かを渡した。
「はい。これがコスよ」
「コス?」
「"ウル虎ノ門"の姉妹役を頼むわ」
2人が固まる。
「……え?」
ミユリさんが衣装を見る。
「ウルトラの門?」
「違うわ」
エアリは、真顔だ。
「"ウル虎ノ門"よ。港区の新キャラ」
「知らないわ」
スピアが即答する。
「知らないの?」
「知らない」
「冗談でしょ?」
「こっちが聞きたいわ」
エアリは、胸を張る。
「港区のご当地キャラなの」
「ウルトラ5兄弟のパクり?ヒロピンなの?」
「3回続けて言えば、ウルトラマンに聞こえるし」
「その理屈、今初めて聞いたわ」
スピアがコスを恐る恐る持ち上げる。
「……これ、何?」
そこに、ウルトラマンはいない。
銀色の全身タイツ。
胸元には、なぜか虎の顔。
頭には虎耳。
そして額には、小さな東京タワーが1本建つ。
腰には赤いベルト。
その中央に書かれている文字は。
"虎ノ門"
しかも、胸にはカラータイマーを意識したらしい 丸いLEDが3つ。赤。青。緑。
信号機だ。
「……エアリ」
スピアがコスを持ったまま振り返る。
「何?」
「これ、ウルトラマンじゃないよね?」
「当然よ」
エアリは、胸を張る。
「"ウル虎ノ門"だから」
「どこがウルトラマンなの?」
「名前」
「名前だけじゃない!」
ミユリさんもコスを覗き込む。
「虎……ですね」
「虎ノ門だから」
「東京タワーは?」
「港区だから」
「信号機は?」
「秋の交通安全運動」
「そこだけ急に現実的ってか、もう終わってるし」
スピアが頭を抱える。
「とにかく、これ……」
コスの背中を確認する。
そこには巨大なロゴが入っていた。
"MINATO CITY × TORANOMON"
「ご当地感が強すぎる!」
エアリは、満足そうだ。
「子供たちにも覚えやすいでしょう?」
「ウルトラの世界観より、区役所の観光PRキャラクターに近いわよ!」
「失礼ね」
エアリは、真顔で抗議する。
「"ウル虎ノ門"は、虎ノ門の未来を守るヒロインなのよ」
「具体的に何から守るの?」
「再開発」
「敵じゃないでしょう!」
「渋滞」
「それは倒して!」
「あと、ランチタイムの行列」
「それもゼヒ倒して!」
スピアの反応が少しだけ前向きになる。
しかし、コスの胸元を見て、また固まる。
「待って」
「何?」
「この虎、笑ってる」
「そうよ」
「怖くない」
「子供向けだから」
「むしろ、ちょっと腹が立つ笑顔なんだけど」
確かに虎は、口を大きく開けて笑っていた。
その口の中に、なぜか八重歯が2本。
さらに右手には、銀色のマイク。
左手には、虎ノ門名物でも何でもない
なぜか巨大なPASMO。
「これは何?」
「握手会で使うの」
「PASMOを?」
「未来的でしょう?」
「ただの交通系ICカードよ!」
ジェシが横からコスを見つめる。
そして、真剣な顔でうなずく。
「完成度は高いと思うわ」
「どこが?」
「ウルトラの世界から脱却してる点において」
「褒めてない!」
ミユリさんは、クスクス笑いながら言う。
「でも、テリィ様が見たら喜びそう」
「どうして?」
「こういうの、お好きだから。ヒロピンぽい」
「私たちは、これを着て何をするの?」
「握手会よ」
「握手会?」
「そう。子供たちと握手するの」
スピアの顔が引きつる。
「つまり?」
「ミユリ姉様は"帰ってきたウル虎ノ門"。
スピアは"ウル虎ノ門ジロウ拉麺"」
「"拉麺"ついたし」
「恐らく、握手の列は人気のジーベンにしか出来ないわ。貴女たちは、列に並ぶ子供たちを喜ばせるの」
スピアは、コスを見る。
それから、エアリを見る。
「私、手伝うって言ったわよね?」
「ええ」
「もっとボランティアぽい仕事したいんだけど」
「これも立派なボランティアよ」
「でも、握手の列に割り込んでくる
うざいガキの相手をするわけでしょ?」
「うざいガキじゃないわ」
エアリは、真顔で訂正する。
「未来の大人よ」
「同じ意味に聞こえるわ」
「とりあえず、小さなボランティアから始めて」
「小さいって、身長のこと?」
「他に小さいのは……胸?」
エアリは、衣装を指差す。
「だって、それを着られるAカップの人、他にいないもの」
「……」
スピアは、絶句する。
ミユリさんも衣装を持ったまま黙っている。
エアリは、もう次の仕事へ向かっている。
「ジェシ、次は受付の列を……」
その背中を見送りながら、立ち尽くす2人。
後ろでジェシが、満面の笑顔で大きくうなずく。
「まさに、ボランティアの精神の発露だわ」
スピアが怖い顔で振り返る。
「ジェシ」
「何?」
「あなた、ハロウィン警察に何を教えられたの?」
「奉仕の精神をね」
「そう……」
スピアは"ウル虎ノ門"のコスを見る。
「じゃあ、貴女も着れば?」
ジェシは、一瞬だけ考える。
「胸のサイズが合えば」
「そこじゃないの!」
芳林パークに、スピアの声が響く。
そしてハロウィン村では、また1つ、誰にも頼まれていない善意が始まろうとしている。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
秋葉原ヒルズ。
レジデンス棟のユーティリティフロア。
その一角に"ヒルズクリニック"がある。
診察室では、レベカが興奮気味に話している。
「ホントなんです。サミエがしゃべったんです」
主治医のレミラは、曖昧に微笑む。
「それは素晴らしいことですね、レベカ」
「ハッキリ聞いたんです。ちゃんと聞きました」
「多少なりとも、これまでの治療の効果が出てきたようですね。外界との関わりを持ち始めたことで、サミエちゃん自身にも変化が起きているのではないでしょうか?私の治療方針は正しかったわ」
「はい、センセ。サミエは、やっとコミュニケーションを取り始めたんですね!」
レベカの顔に、久しぶりの明るさが戻っている。
そのときだ。
「レベカ。よすんだ」
低い声が割って入る。
サミエの父親、ウォレだ。
腕を組んでいる。
「あなた、なぜ?」
「何度も同じことの繰り返しだ」
「どういうこと?」
「期待しすぎるな」
「でも、サミエは笑ったのよ。しゃべったのよ」
「気のせいだよ」
「そんなことないわ!」
レベカの声が大きくなる。
サミエは診察室の隅で、画用紙に黙々といたずら描きをしている。
「あなた、私から希望を取り上げないで」
ウォレは、黙って妻を見る。
「希望を持つことが悪いと言っているんじゃない」
「じゃあ、何なの?」
「また失望するのが怖いんだ」
一瞬、レベカが黙る。
しかし、その目はまだ萌えている。
「私は、失望したっていい」
「レベカ」
「だって、やっと変化が起きたのよ」
レミラが夫婦の間に入る。
「誰も希望を取り上げたりはしないわ」
そして、静かにレベカを見る。
「でも、レベカ。あまり期待しすぎると、その期待そのものがサミエにプレッシャーを与えてしまうかもしれない」
「希望を持って、何がいけないの?」
「悪いとは言っていません」
「じゃあ……」
レベカは、言葉を詰まらせる。
その横で。
サミエの手が止まる。
画用紙の上を走っていたクレヨンが静かに止まる。
サミエは顔を上げる。
父を見る。
母を見る。
医師を見る。
そして、また画用紙を見る。
ウォレがため息をつく。
「もういいだろう」
「よくないわ」
「また同じことになる」
「ならない!」
夫婦の声が重なる。
サミエが肩をすくめる。
その小さな動きを、誰も見ていない。
「確かに、今朝は違ったんです」
レベカが再びレミラに向き直る。
「実は、待合室にサミエが話しかけたヲタクが来てくれています」
ウォレの顔色が変わる。
「レベカ、待て」
「何のために?」
「そんなことまで……」
「先生の前でも、彼となら話すかもしれません」
「レベカ!」
「それは、良い考えだわ」
レミラが言う。
ウォレが振り返る。
「先生まで?」
「先ずサミエがどう反応するのか見てみましょう」
そして、レミラはドアの方を見る。
「テリィたん。入ってもらえる?」
僕は、診察室に入る。
ハロウィンの飾り付けがされた、子供用の診察室。
壁にはカボチャ。
棚には小さなおばけ。
椅子まで幼稚園のように小さい。
両親も、レミラも、その小さな椅子に座っている。
僕も腰掛ける。
「主治医のレミラです」
そして、僕の顔を見る。
「あら?」
「はい?」
「あなた、もしかして……国民的SF作家の?」
「はじめまして」
「あの"地下鉄戦隊メトロん5"の作者?」
「よろしくお願いします」
「あの、もしよろしかったら、私を次作の悪の女幹部に……」
レベカが遮る。
「3才の頃からずっと、サミエを診ていただいているの。こちらは父親のウォレ」
「よろしく」
「はじめまして」
ウォレは、短く答える。
レミラが僕を見る。
「テリィたん。今朝のことを話してくれない?」
「はい」
僕は、サミエを見る。
「僕は御屋敷で、友達と朝食を食べていました」
サミエは、画用紙を見つめている。
「すると、彼女が僕の方を見ていたんです」
僕とサミエの目が合う。
「鋭い視線でした」
その瞬間。
サミエが立ち上がる。
画用紙を胸の前に抱えている。
両親が息を呑む。
サミエは、ゆっくり歩き始める。
僕のところまで来る。
そして何も言わず、画用紙を差し出す。
僕は、笑って受け取る。
「ありがとう」
サミエは、少し恥ずかしそうに僕を見る。
そして、ゆっくり戻っていく。
誰も言葉を発しない。
僕は画用紙を見る。
そして、息を呑む。
そこには、螺旋がいくつも重なって描かれている。
円でもない。
渦でもない。
無数の螺旋が、奥へ奥へと続いている。
まるで、時空そのものが裂けたようだ。
僕は、知っている。
これは、かつてアキバに開いた
"リアルの裂け目"だ。
時空と時空をつなぐ、時空トンネル。
僕の娘がいる、あの世界線へと通じる裂け目。
僕は、サミエを見る。
サミエはもう、こちらを見ていない。
ただ、父と母の間に座っている。
ウォレは、腕を組んでいる。
レベカは、泣きそうな顔でサミエを見ている。
そして僕には、その2人の間に
さっきとは違う沈黙が生まれたように思える。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
僕のペントハウス。
テーブルの上には、サミエから渡された画用紙が置かれている。
僕はそれを何度も見返していた。
ノックの音がする。
ドアが開く。
「やっほー!テリィ様!」
ミユリさんが入ってくる。
フィギュアスケートのコスプレ。
スケート靴を片手に持ち、ミニスカートをひらひらさせながら走ってくる。
「スケートなんて久しぶりです。素敵」
そのまま僕の首に抱きつく。
「ミユリさん」
「はい?」
「これを見てくれ」
僕は、画用紙を差し出す。
ミユリさんは、受け取り一瞬で表情が変わる。
「……"リアルの裂け目"ですね」
「わかるのか?」
「もちろん」
ミユリさんは、絵を眺める。
「上手。すごい傑作だわ」
そして、僕を見る。
「誰が描いたの?」
「サミエだ」
「サミエちゃんが?」
僕は、うなずく。
「今まで、人も太陽も木も、絶対に描いたことがなかったそうだ」
「……」
「でも昨日、これを描いて僕に手渡した」
ミユリさんの声が落ちる。
「だから、何なの?」
僕は、画用紙を見る。
「やっぱり娘が僕にシグナルを送っているんだ」
「テリィ様……」
ミユリさんが、項垂れる。
「主治医も驚いていた。明らかに変化が起きているって」
僕たちは、ソファに腰掛ける。
ミユリさんが僕を見る。
「ずいぶんサミエちゃんに入れ込んでますね」
「ミユリさん」
「はい」
「僕を手伝うと言ってくれたよね?」
「はい。確かに申しました」
「これが唯一の手がかりなんだ」
僕は、画用紙を握る。
「彼女は」
「テリィ様」
ミユリさんが遮る。
いつになく真剣な顔だ。
「自分の探し物だけして、幼女の人生に入り込んで、それで用が済んだら立ち去るなんてこと」
僕を見る。
「絶対にしないでください」
僕は、黙る。
「僕を信じてくれ」
「もちろん信じています」
ミユリさんは、少し笑う。
「だからこそ、心配なんです」
そして、急に立ち上がる。
「先ずスケートに行きましょう」
「え?」
「御屋敷はアスリートDAYだったので、コスプレのまま、直接お邪魔したのです」
ミユリさんがスケート靴を持ち上げる。
「ほら。この世界、巨乳はNGでしょ?ツルペタOKのコスプレなんて……」
「何の話?」
「話は後です」
僕の手を取る。
ドアへ向かおうとしたところで
僕が小さく溜め息をつく。
ミユリさんが振り返る。
「何?」
「今日はサミエに会いに行く約束をしてるんだ」
「……」
「ごめん」
ミユリさんは、少し考えてから微笑む。
「わかりました」
「今宵じゃダメかな」
「今宵はハロウィン・イブです」
スケート靴を抱え直す。
「無理っぽいわ」
「どうして?」
「私たち、"ウル虎ノ門"のコスプレでこき使われる予定なので」
「……ごめん」
「わかりました。またにします」
ミユリさんは、ドアを開ける。
そして、振り返る。
「でも、テリィ様」
「ん?」
「サミエちゃんのこと、大切にしてくださいね」
僕は、うなずく。
ドアが閉まる。
僕は、1人になる。
テーブルの上には、あの絵。
無数の螺旋が、暗い紙の上で奥へ奥へと続く。
僕には、それが娘からの声に見える。
けれど同時に。
診察室で両親が言い争っていたとき、サミエが描いていたものだということも、僕には忘れられない。
時空の裂け目なのか。
それとも、言葉にならない何かなのか。
未だ、僕にはわからない。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
裏アキバの芳林パーク。
ハロウィン広場。
ステージの中央で、銀色のぴちぴちスーツが2体、月明かりを反射している。
"帰ってきたウル虎ノ門"。
そして"ウル虎ノ門ジロウ拉麺"。
中に入っているのは、ミユリさんとスピアだ。
2人はマイク片手にウル虎ノ門の主題歌を熱唱中。
ところが。
目の前に並んだ子供たちの顔は、死んでいる。
そして、曲が終わる前に。
「早く引っ込め!」
「へたくそ!」
「キモい!」
ブーイングが広場を揺らす。
子供というものは、忖度という言葉を知らない。
ミユリさんがマイクを握り直す。
「待って!」
必死の営業トークだ。
「"ウル虎ノ門5姉妹"あっての港区なのよ!」
子供たちは静かになる。
少しだけ期待する。
「ウル虎ノ門がいないと、港区にご当地キャラはいなくなってしまうの!」
沈黙。
「私たちはレアなのよ!」
スピアが小声で言う。
「それ、人気がないってことじゃない?」
「レアと人気は違うの!」
ミユリさんは、堂々と言い切る。
その直後。
「ジーベン!」
「ジーベン!」
「ジーベン!」
突然、子供たちが一斉に叫び始める。
ミユリさんとスピアは顔を見合わせる。
「……ジーベン?」
「何それ?」
「ドイツ語でセブン?」
そのときだ。
ハロウィン広場の入口から、カボチャをボンネットに載せた真っ赤なカーゴトラックが入ってくる。
ブレーキ。
キキッ。
ドアが開く。
そして降りてきたのは……
黒いサングラスの銀色のウルトラヒーロー。
いや、サングラスではない。
黒い"ウル虎ノ門アイ"だ。
「誰?悪役?」
「山田省吾かしら?」
「ウル虎ノ門ジーベンが来たぞ!」
子供たちが爆発する。
「ジーベンだ!」
「モノホンよ」
「超かっこいい!」
さっきまでブーイングを浴びせていた子供たち。
一斉にヒーローへ駆けて逝く。
姉妹の2人は、完全に置いていかれる。
「……嘘でしょう?」
ミユリさんが呟く。
スピアも目を細める。
「もしかして、あれって……」
ヒーローの体型をよく見る。
銀色のスーツ。
胸のライン。
腰のライン。
どう見ても、どこか女性っぽい。
そして。
「ほほほほほ」
悪の女幹部みたいな高笑い。
その声には、聞き覚えがある。
「マリレなの?」
ヒーローが振り返る。
ウル虎ノ門アイの奥から、得意げな目が覗く。
「何しに来たの、マリレ?」
「エアリに無理矢理言われて」
マリレは、肩をすくめる。
「ほら、逆らえないでしょ?」
そして、子供たちに囲まれながら続ける。
「じゃ、後は交通整理よろしくね」
ミユリさんとスピアを見る。
「ウル虎ノ門ジロウ拉麺さん」
「誰よ、それ!ってか、もう名前がウルトラマンより、かなり長くなってるし!」
マリレは聞こえないふりをして、ゆっくりウル虎ノ門アイを外す。
歓声。
「メイドのマリレちゃんだ!」
「握手、いいえ、抱いて!」
「ジーベン、檄かっこいい!」
マリレは、満足そうに微笑む。
「ほほほほほ」
完全に悪の女幹部である。
それなのに、子供たちは大喜びだ。
ミユリさんとスピアは、ステージの端で呆然と立っている。
つい数分前まで、自分たちが主役だった。
今は違う。
銀色のぴちぴちスーツも。
主題歌も。
港区のご当地キャラとしての誇りも。
すべて、黒いウル虎ノ門アイ1コに負けてる。
スピアがぼそりと言う。
「……世の中って、厳しいね」
ミユリさんは答えない。
ただマリレの周囲で跳ね回る子供たちを見ている。
その背後では、真っ赤なカーゴトラックのボンネットのカボチャが、なぜか誇らしげに笑っている。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
芳林パーク。
ハロウィン広場の反対側にある、子供用の小さなバスケットゴール。
サミエがボールを抱えて立っている。
僕は、少し離れて構える。
「サミエ、もう1回」
サミエがボールを投げる。
ぽん。
リングに当たって、外れる。
「惜しい」
僕がボールを拾って渡す。
「もう1度頑張ろう」
サミエは黙ってうなずく。
そして、もう1度。
今度は、きれいにボールがリングを抜ける。
「すごいわ、サミエ!」
レベカが拍手する。
僕も笑う。
「ナイスシュート」
サミエは、少しだけ嬉しそうに僕を見る。
そのときだ。
「ウォレ」
レベカの声が硬くなる。
振り返ると、父親が立っている。
「君が国民的SF作家のテリィたん?本人なのか?」
いきなりだ。僕が答える前にレベカが目を伏せる。
サミエもボールを抱えたまま黙っている。
ウォレは、特にした様子もなく、
サミエの前にしゃがむ。
「やあ、サミエ。お前のケープだぞ」
車に忘れていたらしい。
赤いハロウィンのケープを差し出す。
しかし、サミエは受け取らない。
サミエの視線はケープではなく、僕の持っているバスケットボールに向いている。
ウォレは一瞬、手を止める。
「……そうか」
僕は、空気を読んで立ち上がる。
「じゃあ、僕はそろそろ」
その瞬間、ウォレが僕を呼び止める。
「いや。いいよ」
そして、少し疲れたように笑う。
「どうせ俺はこれから仕事なんだ」
レベカが振り返る。
「え?ハロウィン村に行く約束でしょ?」
「仕事で徹夜になる。明日にしよう」
「明日は、週末だから、すごく混むの」
レベカの声に、少しだけ焦りが混じる。
「でも、今日中に行かないと"ウル虎ノ門ジーベン"と握手できないわ」
ウォレが溜め息をつく。
「どうせ握手なんかしないさ」
「……」
「今までだって無理だったろ?」
その言葉で、レベカの表情が止まる。
「サミエは、そもそも人に触るのが無理なんだ」
「でも、ハロウィンなのよ」
「どうせ分からないんだから、関係ないよ」
芳林パークの片隅に、その言葉だけが残る。
サミエは、何も言わない。
ボールを抱えたまま、ゴールを見ている。
レベカも反論しない。
ただ、小さくうなずく。
「……そうね」
ウォレは、腕時計を見る。
「じゃ、俺は仕事に行くよ」
「わかったわ」
「じゃあな、サミエ」
返事はない。
ウォレは、そのまま歩いて逝く。
僕は、背中を見送る。
レベカが小さく息を吐く。
「ウォレが言う通りなの」
僕は、黙って聞く。
「この子、握手会で1度も握手したことがないの」
サミエはまだ、バスケットボールを抱えている。
握手の話をしているのか。
それとも、もう別の世界にいるのか。
僕には分からない。
けれど、あの「パパ」という言葉と
あの絵を思い出している。
僕は、少し迷ってから言う。
「よかったら……僕がご一緒しますよ」
レベカが僕を見る。
「握手会に?」
「はい」
僕は、笑う。
「"ウル虎ノ門5姉妹"に知り合いがいるんです」
レベカは、何も答えない。
サミエも答えない。
ただ、腕の中のボールを少し強く抱きしめる。
ハロウィンの音楽が、遠くから聞こえてくる。
握手をすることが目的なのか。
ただ、そこへ行くことが目的なのか。
僕にも、未だ分からない。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
芳林パーク。
特設されたハロウィン村は、子供たちの歓声と音楽で溢れている。
その中でも目玉イベントは"ウル虎ノ門5姉妹"との握手ショーだ。
そして現在、人気ナンバーワンは……
ウル虎ノ門ジーベン。
中に入っているのはマリレだ。
「さぁ、今年はどんなお菓子が欲しいのかな?」
「ブラックパンダーの『義理チョコ5000』だよ、ジーベン!」
「あらぁ。それはお目が高いわねぇ。あれは美味しいから」
子供との会話が妙に滑らかだ。
握手。
ポーズ。
写真。
次の子。
マリレは、完全にプロだ。
ミユリさんが感心したように眺める。
「ねぇ、見て。マリレったら、精神年齢が子供たちとシンクロしてるわ」
スピアも頷く。
「ほんと可愛いんだから……」
そこで、自分の言葉に気づく。
「……あっ」
顔が赤くなる。
「もう何言ってるの、私。もう別れたのに。
心が揺れちゃうじゃない」
スピアが小さく笑う。
「スピアったら、まだ好きなんじゃない?」
「姉様、うるさい」
そのとき。
スピアが広場の向こうを指差す。
「ほーら姉様。今度は、ソチラになかなか見慣れないお客様が来たわよ」
ミユリさんが振り返る。
そこにいたのは……
レベカ。
サミエ。
そして僕。
「……あら」
スピアがミユリさんに"ウル虎ノ門"の人形を手渡す。
「姉様。行ってあげたら?」
「え?」
ミユリさんの顔が一瞬で明るくなる。
そして、嬉しそうに駆け出す。
「テリィ様!」
「ミユリさん」
僕は、レベカとサミエを紹介する。
「こちらがレベカとサミエ。
こちらの"ウル虎ノ門の母"はミユリさん」
「え。姉妹ですけど」
しまった。地雷だ。
「こんにちわ!」
木っ端微塵になった僕を尻目に
ミユリさんは、サミエの前にしゃがむ。
「昨日、御屋敷に御帰宅してくれたわよね。
サミエちゃん、ハッピーハロウィン」
サミエは、ミユリさんを見る。
僕は、小さく笑う。
レベカが口を開く。
「ミユリさん。握手会なんですけど、列に並ばないとダメでしょうか?」
周囲は、子供たちでいっぱいだ。
「この子、人混みが苦手なの。
できたら、順番を飛ばしてもらえない?」
ミユリさんは、即答だ。
「お安い御用です」
そして、サミエに手を差し出す。
「さぁ、来て」
レベカが慌てて言う。
「ごめんなさい。この子、人に触れるのがダメなの。もしウル虎ノ門と握手するのも嫌がったら、無理させないでください」
ミユリさんは、うなずく。
「もちろんです」
そして、レベカを見る。
「それじゃ、レベカもご一緒に」
その瞬間。
「すみませーん!」
係員が飛んでくる。
「ヒーローとの握手は子供限定です!
お母さんは御遠慮ください!」
ミユリさんが振り返る。
「待って」
声が低くなる。
「この子は特別なの」
係員が固まる。
「地球の平和のために、事務所も了解してるわ」
「……」
数秒の沈黙。
「どうもありがとうございます」
レベカが頭を下げて、特例が成立する。
サミエの手を引くレベカ。
その先には"ウル虎ノ門ジーベン"。
マリレがいる。
「ジュワッキー!」
「……受話器?」
僕は、首を傾げる。
そのとき、ジーベンが僕を見る。
「……テリィたん?」
「やや?マリレ?何してルンだ?」
「見れば分かるでしょ?」
ジーベンは、胸を張る。
「夢を与えてるの」
そして、レベカを見る。
「テリィたんこそ何よ。この人、も、もしかしてリアル妻なの?」
「違う」
「じゃあ、リアル家族かしら?」
「だ・か・ら!違うって」
「秋葉原にリアル人生を持ち込むのは禁止よ?」
「マリレ、今ヒーローバイト中だろ?」
「……そうだったわ」
マリレは一瞬だけ黙り、すぐにサミエを見る。
「ねぇ、サミエちゃん」
瞬時に声が優しくなる。やっぱりプロだ。
「さぁ!君も裏アキバで"ウル虎ノ門ジーベン"と握手よっ!」
サミエがジーベンを見る。
そして、僕を見る。
僕は、小さくうなずく。微笑む。
すると、サミエも、ほんの少しだけ笑う。
レベカの顔が明るくなる。
「大丈夫みたい」
ミユリさんも嬉しそうにうなずく。
「さぁ、握手よ」
サミエが1歩進む。そして。
小さな手が。
銀色のグローブに触れる。
握手。
「……!」
レベカが息を呑む。
「サミエ……」
ミユリさんが声を上げる。
「すごいわ!」
僕は、何も言えない。
ただ、その瞬間を見ている。
人に触れられなかったサミエが。
今、自分から手を伸ばす。
「偉いわね、サミエ」
レベカが抱きしめる。
サミエは、誇らしげな顔をしている。
僕の胸の奥は、熱くなる。
これは、偶然じゃない。
昨日の「パパ」。
あの螺旋の絵。
リアルの裂け目。
そして、今日の握手。
すべてが一本につながったような気がする。
もしかしたら。
娘が。
"母なる世界線"から。
僕にシグナルを送っている。
そんな確信が、僕の中で膨らんで逝く。
「写真を」
レベカが係員に頼む。
「しっかり撮ってね」
「はい」
「もう1枚お願いします」
レベカとサミエが並ぶ。
すると、レベカが僕を見る。
「待って」
「え?」
「テリィたんも入って」
「いいえ。僕は、結構です」
僕は、1歩下がる。
けれどレベカは、笑っている。
「お願い。一緒に入って」
その笑顔には、昨日までとは違うものがある。
僕は、少し迷う。
そして、サミエの隣に立つ。
ミユリさんがカメラを構える。
「じゃあ、いきますよー!」
僕とサミエとレベカ。
3人が並ぶ。
「3, 2, 1!」
シャッターが切られる。
その瞬間。まるで家族写真だ。
僕は、笑っている。
サミエも笑っている。
レベカも笑っている。
少し離れたところで、それを見ていたミユリさんだけが、なぜか遠い目をしている。
そして僕はまだ知らなかった。この写真が……
今年のハロウィンのピークになることを。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
秋葉原。パーツ通り。
ハロウィンの飾りが並ぶ通りを、レベカはまだ興奮した様子で歩いている。
「サミエ、今日はよく頑張ったわね」
サミエの手を握りながら、何度も笑う。
「ママ、本当に嬉しかったわ」
そして通りに面したスタンドを指差す。
「こんな幸せな日は"32.5アイスクリーム"のチョコミントでお祝いしなきゃね」
サミエがアイスクリームを見る。
「アイス、大好物なの。毎日だって食べてるわ。
そうよね?」
サミエは小さくうなずく。
「僕が買ってきましょう」
「いいえ、テリィたん。私が行くわ」
レベカは、笑う。
「サミエはテリィたんとここで待っていてね。
すぐ買ってくるから」
そして、僕を見る。
「じゃあ、テリィたん。お願いね」
レベカは、スタンドの中へ消える。
僕とサミエだけになる。
僕の胸は、まだ高鳴っている。
握手。
笑顔。
家族写真。
今日、サミエは確かに変わる。
いや。変わったのは僕の方だったのかもしれない。
僕は、勝負に出る。
「お母さん、とても喜んでるね」
サミエは、黙っている。
「もちろん、僕も嬉しい」
僕は、サミエの持っている絵を見る。
あの"リアルの裂け目"を思わせる絵だ。
「ところで、君に聞きたいことがあるんだ」
サミエは、答えない。
「変な質問だけど……」
僕は、絵を指差す。
「これ、誰かに描けって言われたの?」
沈黙。
サミエはパーツ通りの飾りを見ている。
僕は、焦る。
昨日の「パパ」。
この絵。
そして、今日の握手。
全部がつながっている。
そう思いたい。何としても。
「サミエ」
僕は、少し身を乗り出す。
「思い出してくれ」
サミエが僕を見る。
「僕を助けて欲しいンだ」
言ってから、自分でも少し変な言葉だと思う。
でも、止められない。
「どうして昨日の朝、僕に話しかけてきたの?」
サミエは、答えない。
僕は、さらに近づく。
「サミエ」
サミエの視線が揺れる。
僕は、最後の一手に出る。
「触られるのは嫌だろうけど……」
一瞬、ためらう。
「君とつながりたいから、ちょっとだけ触るね」
僕は、サミエの腕に手を伸ばす。
「良いね?」
次の瞬間。
サミエが、はっと息を呑む。
身体が固まる。
僕は、そのまま腕をつかむ。
「大丈夫だよ、サミエ」
サミエの目が大きく開く。
怯えている。
「大丈夫」
僕は、笑おうとする。
「何もしないよ」
その瞬間だ。
サミエが僕の手を振りほどく。走る。
「サミエ!」
僕も立ち上がる。
「待って。大丈夫だ!」
サミエは、止まらない。
次の瞬間。
大きな声が、通りに響く。
「いやぁぁぁ!」
泣き叫ぶ。
ハロウィンの音楽も、笑い声も
全て、その声にかき消される。
「サミエ、落ち着いて!」
僕は、追いかける。
「大丈夫だ。何もしない!」
けれどサミエは、さらに激しく泣き叫ぶ。
まるで、悪魔にでも取り憑かれたように。
ハロウィンには、まだ少し早い。
サミエはレベカのいるスタンドへ走る。
途中、椅子に足を引っかける。
派手に転ぶ。
卓が倒れ、椅子が転がる。
「サミエ!」
僕は駆け寄り、抱き起こそうとする。
「サミエ、落ち着いて」
そのとき。
「どうしたの?!」
レベカが飛び出してくる。
手にしていたアイスクリームを放り投げる。
「サミエ!」
僕は、サミエを抱き起こしている。
レベカの顔が変わった。
「何してるの!」
僕を突き飛ばす。
「サミエ!」
レベカは、サミエを抱き寄せる。
「大丈夫?痛いの?」
サミエは顔を歪め、身悶えしている。
「よく見せて」
レベカが僕を見る。
その目に、さっきまでの笑顔はない。
僕は何も言えない。
「もう大丈夫よ」
レベカは、サミエを抱きしめる。
「ママがいるから」
サミエは、泣き続けている。
僕は、その場に立ち尽くしている。
ついさっきまで。
娘からのシグナルだと確信していた僕は愚かだ。
握手できた、笑ってくれた、家族写真まで。
僕は、何か特別なものを手に入れたと思い込む。
でも。違う。僕が握ったのは……
サミエの手だ。そして今、その手は
僕から逃げている。
レベカは、サミエを抱きしめる。
僕を見る。
その視線だけで分かる。
もう、僕に近づいて欲しくない。
ハロウィンの街は、相変わらず明るい。
笑い声がする。
音楽が流れている。
さっきまでの僕は、その真ん中だ。今はただ1人。
落ちたアイスが歩道の上でゆっくり溶けて逝く。
僕には、それを拾う資格さえない。
第3話 平和の敵は百合
外神田ER。
救急入口の前で、レベカはサミエを抱いている。
そこへ、ウォレが駆け込んでくる。
「具合はどうだ?」
息を切らしている。
「電話では、頭から血が出てるって聞いたぞ」
「転んだだけよ。大丈夫」
レベカは、そう答える。
ウォレは、サミエの顔を覗き込む。
「サミエ。平気か?」
サミエは、答えない。
「ウォレ……」
レベカが小さな声で言う。
「やめて。不安がるわ」
ウォレは、口を閉じる。
僕は、頭を下げる。
「すみませんでした」
2人が僕を見る。
「僕のせいです」
レベカが首を振る。
「テリィたん、いいの。気にしないで」
そしてサミエを抱いたまま、ERの中へ消える。
ドアが閉まる。
残された僕とウォレ。
ウォレが振り返る。
「おい」
僕を見る。
「何があった?」
僕は、すべて話す。
レベカがアイスを買いに行ったこと。
サミエに絵のことを聞いたこと。
昨日の朝、なぜ僕に話しかけたのか聞いたこと。
そして。
「触られるのは嫌だろうけど
君とつながりたいからって……」
僕は、言葉を止める。
「腕をつかんだんです」
ウォレの顔から表情が消える。
「それで?」
「突然、怯えて……」
僕は、うつむく。
「叫び出しました」
ウォレは、しばらく黙っている。
そして、ERの壁際にある階段に腰を下ろす。
僕にも座るような目を向ける。
どうやら、怒鳴るつもりはないらしい。
「……いつものことだ」
僕は、顔を上げる。
「え?」
ウォレは、溜め息をつく。
「よくあるんだよ」
「よく……?」
「君の目には俺は、さぞかし」
ウォレは、苦笑する。
「家族を捨てた、ダメ男に見えるだろうな」
僕は、何も言えない。
たしかに、そう思っている。
握手会にも来ない。
サミエに期待するなと言う。
ハロウィンより仕事を優先する。
僕には、そう見えている。
ウォレは、床を見ながら続ける。
「でもな」
少し間を置く。
「分かってもらいたいんだ」
顔を上げる。
「君は、サミエを知って未だ2日」
僕は、黙っている。
「俺は、7年だ」
その言葉だけが、妙に重い。
「7年間、サミエやレベカと家族をやってきた」
ウォレは、膝に肘をつく。
「どうすれば笑うのか。何を嫌がるのか。
どこまでなら近づいて良いのか……
何をすると眠れなくなるか」
1つずつ、確かめるように話す。
「俺だって、最初から分かってたワケじゃない」
そして、小さく笑う。
「失敗ばっかりだよ」
僕は、ウォレを見る。
「でもな。7年やってると……」
ウォレの声が少し低くなる。
「失敗するのにも、理由があるとわかルンだ」
僕の胸に、何かが刺さる。
ウォレは、続ける。
「前にも、あの子が1度しゃべったコトがある」
僕は、息を止める。
「レベカからは、何も聞いてないだろ?」
僕は、首を振る。
「4才のときだ」
ウォレは、少し笑う。
「アイスクリームが食べたいって」
僕は、思わず目を伏せる。
今日のアイスクリーム。
偶然なのか。
ウォレは、笑いながら続ける。
「サミエ、アイスが大好物でな」
「……」
「たった1言だった」
ウォレは、遠くを見る。
「でも、俺たち夫婦は舞い上がった」
その笑顔は、嬉しかった記憶を語っている。
だが、果てしもなく寂しい顔で。
「明日は何を食べたいって言うかな」
「ママって呼ぶかな」
「パパって言うかな」
僕の胸が痛くなる。
「1年以上、待ったよ」
ウォレは、静かに言う。
「固唾を飲んで、次の言葉を待った」
そして。
「でも」
笑顔が消える。
「2度と、話さなかった」
僕は、何も言えない。
7年。
僕が「パパ」という1言に舞い上がっていた
その何倍もの時間を、この男は待ったのだ。
そして、何度も待つことを諦めたのだ。
ウォレは、僕を見る。
「なぁ、テリィたん」
その呼び方には、もう敵意がない。
むしろ、少しだけ優しい。
「君がサミエのために色々してくれるのは
ホントにありがたい」
僕は、顔を上げる。
「本心から言っている。ありがとう」
ウォレは、うなずく。
「今日、ヒロインと握手できたことも
きっとレベカはスゴく嬉しかったと思う」
僕の胸が少しだけ痛む。
「でもな」
ウォレは、続ける。
「サミエに期待するのは……」
言葉を選ぶ。
「いや」
苦笑する。
「君がサミエに何を期待しているのか
俺には分からないけど」
僕は、目を伏せる。
「それは、無駄だと思うよ」
胸の奥が締めつけられる。
僕は、なぜか泣きそうになる。
どうしてなのか、自分でも分からない。
娘からのシグナル。
"母なる世界線"。
"リアルの裂け目"。
昨日から僕の中で膨らみ続けていたものが
7年間という時間の前で、急に小さくなって逝く。
ウォレは、そんな僕を責めない。
ただ、優しく見つめている。
まるで。
7年前の自分を見るように。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
ハロウィンの飾り付けが残る御屋敷。
カボチャ。
魔女。
お化け。
ポップな壁画。
その華やかさの中で、僕だけが沈んでいる。
カウンターの隅でミユリさんに粘着している。
「サミエのパパが言った通りだったのかな」
ミユリさんは、カップを拭いている。
「何がです?」
「サミエが僕をパパと呼んだのも
ウル虎ノ門と握手したのも……」
僕は、うつむく。
「ただの偶然だったのかもしれない」
「……」
「でも、時空トンネルだぜ」
僕は、サミエの描いた絵を取り出す。
「これだよ」
ミユリさんが覗き込む。
「きっと何か意味があるはずなんだ」
僕は、絵を見つめる。
そのときだ。
「テリィ様」
ミユリさんは、御屋敷の壁を指差す。
そこには御屋敷のポップな壁画がある。
その一角。
秋葉原にかつて突如出現した、通称……
"リアルの裂け目"
時空トンネルと思われる、複雑な螺旋構造をポップなアートとして描いたものだ。
僕は、立ち上がる。
サミエの絵と見比べる。
似ている。
いや。ほとんど同じだ。
「……」
僕の顔から血の気が引いていく。
「これ……」
ミユリさんが言う。
「そっくりですね」
僕は、絵を壁に近づける。
「サミエは、これを見たのか?」
「御屋敷の壁画ですから、可能性はあります」
僕は、頭を抱える。
「じゃあ……」
声が震える。
「この絵を模写しただけなのか」
ミユリさんは、何も言わない。
「僕が勝手に意味をつけただけだったのか」
絵を握る手が震える。
「娘からのシグナルじゃなかった」
そして、力なく椅子に座る。
「……何の意味もなかったのか」
僕は、頭を抱える。
しばらく、沈黙が続く。
やがてミユリさんが、静かに聞く。
「それで、どうしますか?」
僕は、顔を上げない。
「サミエを傷つけてしまった」
「……」
「僕は、関わるべきじゃなかったんだ」
ミユリさんは、カウンターに肘をつく。
頬杖をついて、僕を見ている。
しばらく考えている。
そして。
「でも」
僕が顔を上げる。
「テリィ様に話しかけたのには
何か別の理由があるんじゃないですか?」
「別の理由?」
「はい」
ミユリさんは、少し首を傾げる。
「サミエちゃんは、テリィ様に"何か"を
感じたのかもしれません」
「"何か"……」
「他の人とは違う"何か"です」
僕は、苦笑する。
「僕の何が違うんだよ」
ミユリさんが真顔で答える。
「キモさ」
「……」
「他の人にはない、独特のキモさ」
「僕を励ます気ある?」
「もちろん」
即答だ。
そして、少し笑う。
「でも、テリィ様の、そのキモさこそが
サミエちゃんには必要だったのかもしれません」
僕は、黙る。
ミユリさんの声が柔らかくなる。
「サミエちゃんは、誰かに助けてほしかったのかもしれません」
「……」
「自分では伝えられない"何か"を、テリィ様のお力を借りて、誰かに伝えたかった」
僕は、ミユリさんを見る。
ミユリさんは、カウンターから身を乗り出す。
そして、僕の顔を覗き込む。
「だから、テリィ様に近づいたのでは?」
だからって、いきなり"パパ"はないだろう。
「……そう思う?」
「思います」
「でも僕は、あの子を傷つけた」
ミユリさんの表情が変わる。
今度は、笑わない。
「だからって、テリィ様まで自分を傷つけなくて良いのです」
僕は、黙る。
ミユリさんは、そっと僕の頭に手を置く。
「もう十分です」
その手は、子供をあやすように髪を撫でる。
「今日はもう、何も考えなくて良いです」
「……でも」
「でも、じゃありません」
少し強い声だ。
「サミエちゃんのことは、サミエちゃんの時間に返してあげましょう」
僕は、目を閉じる。
「テリィ様は、お嬢様を探せば良いのです」
その言葉に、胸が詰まる。
「そして、もしサミエちゃんがホントに何かを伝えようとしているなら……」
ミユリさんの手が、もう1度、僕の頭を撫でる。
「そのときは、ちゃんと待ってあげましょう」
僕は、何も言えない。
ただ、その手に頭を預ける。
御屋敷の壁では、リアルの裂け目が笑ってる。
その螺旋の向こうに、僕の娘はいるのか。
それとも、ただのアートなのか。
今の僕には分からない。
でも、少なくとも。
僕にはまだ、ここで頭を撫でてくれる人がいる。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
秋葉原ヒルズ。ジェシとエアリの新居。
プラズマTVにはアメラグの試合が流れている。
「そうよ!そこ!」
ソファのジェシが身を乗り出す。
「へたくそ!何を見てるの?全くもう!」
そこへエアリが帰ってくる。
「ただいま」
TVをチラ見。
「ジェシ、何してたの?」
「TV観戦」
ジェシは、画面から目を離さない。
「最高なのよ、良いわ良いわ!やったー!」
両手を高々と上げる。
「最高の試合なの?」
「YES」
「それは良かったわね」
エアリは微笑み、ジェシの隣に腰を下ろす。
一呼吸。
そして。
「……あのね、ジェシ」
「はい」
「今日はハロウィンイブの朝なのよ」
「ハロウィンの……イブ?」
「前日なの。やることが山積みでしょ」
ジェシは、胸を張る。
「やってるわ。ほら」
お菓子で作ったネックレスを見せる。
エアリが見る。
「……それだけ?」
「それだけって……」
「順番も違うし」
「順番?」
「コーンが5コに、ベリーが2つ」
「数まで警察なの?」
「ハロウィンの秩序だから」
「コレで不満ならマジで妖精を雇うのね」
ジェシは、ポップコーンを1粒食べる。
エアリは、深呼吸する。
「分かった」
「何が?」
「私がなんとかするわ」
「何を?」
「ハロウィンを」
「もう十分やってるじゃない」
「ジェシもパーフェクトなハロウィンにしたいでしょ?それとも、パーフェクトは嫌なの?」
ジェシは、TVを見る。
そして、エアリを見る。
「これ以上どうやってパーフェクトにするの?」
「もっとあるわ」
「既にパーフェクトよ」
「まだね」
「これ以上はやりすぎ」
ジェシは、首筋を掻く。
「ほら」
赤くなっている。
「蕁麻疹が出た」
エアリが固まる。
「……え?」
「こんなの生まれて初めて」
「病院に行く?」
「行かない」
「でも……」
「原因は分かってるから」
ジェシは、ポップコーンを食べる。
「ハロウィン」
「……」
エアリの顔が引きつる。
「今日、私は2人のハロウィンのために」
「違う」
ジェシが遮る。
静かに。
「これは貴女のハロウィンよ」
エアリが黙る。
「いろいろ企画を立てて」
「……」
「貴女の飾り付け」
「……」
「貴女のボランティア」
「……」
「貴女の慈善活動」
エアリの眉が少しずつ下がっていく。
「全部、とても素晴らしいわ」
ジェシは、微笑む。
「ホントに」
そして、TVを見る。
「でも……」
少し間を置く。
「私たちのハロウィンは?」
エアリが顔を上げる。
「……私たち?」
「YES」
ジェシは、ソファを指す。
「こうして2人で座って」
ポップコーンを1粒食べる。
「TVを見て」
アメラグの選手がタックルを決める。
「お話をして」
ジェシが笑う。
「リラックスして過ごす」
「……」
「それも楽しいわよ?」
エアリは、黙る。
ジェシは、首を傾げる。
「それじゃダメなの?」
「ダメじゃないわ」
「じゃあ、どうしてそんな顔をするの?」
「私は……」
エアリは、言葉に詰まる。
「もっと、素敵なハロウィンにしたくて」
「素敵よ」
「でも……」
「エアリ」
ジェシが少しだけ真剣な顔になる。
「私、貴女と結婚したのよ」
「……」
「ハロウィン実行委員会と結婚した覚えはないわ」
エアリが固まる。
「……それは」
「それに」
ジェシは、ポップコーンを差し出す。
「夫の仕事は、夫が決めるものよ」
「……弁護士モード?」
「夫モード」
「一番怖い奴だわ」
エアリは、溜め息をつく。
「じゃあ、一緒にハロウィン村に行く?」
「え?」
「それとも」
エアリは、少し意地悪に笑う。
「のんびりするのに忙しいかしら?」
ジェシの眉が上がる。
「……なるほど」
立ち上がる。
「では、散歩に行ってくるわ」
「ジェシ?」
「頭を冷やしてくる」
「待って」
ジェシは、玄関へ向かう。
「ジェシ!」
ドアが閉まる。
静かになった部屋。
TVでは、アナウンサーが興奮して叫んでいる。
エアリは1人、ソファに残る。
テーブルにジェシが作ったお菓子のネックレス。
コーン5コ。ベリー2つ。完璧ではない。
でも。
それは確かに、ジェシが2人のために作ったハロウィンだ。
エアリは、それを見つめる。
「……私、ハロウィン警察じゃなくて」
小さくつぶやく。
「新婚警察になってた?」
TVから歓声が上がる。
しかし今度は、エアリは拍手しない。
新婚家庭に、重大な捜査案件が発生している。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
ラギィのペントハウス。
ピンポーン。
カレルが玄関を開ける。
そこに立っていたのは、小学生の女の子だ。
「ん?」
カレルが目を丸くする。
「シルビ?」
「こんにちは」
「久しぶりだな。幼稚園の運動会以来か?」
カレルは記憶をたどる。
「何年ぶりだろう。えーと……」
そして玄関先の少女を見る。
「まさか、ハロウィンのお菓子か?
それなら明日だよ」
シルビが首を傾げる。
「あら。ラギィからは何も?」
「え?」
カレルが振り返る。その先。
寝室から顔を出すラギィ。
なぜか妙に嬉しそうだ。
「シルビ、来たのね!」
カレルの顔から笑顔が消える。
「……おい」
ラギィが振り返る。
「何?」
「まさかラギィ……」
☆ ☆ ☆ ☆
芳林パークのハロウィン村。
エアリは、忙しそうに装飾を続けている。
「そこ! カボチャは3cm右!」
カレルが近づく。
「エアリ」
「なに?」
「ちょっと相談がある」
エアリは、カラースプレーを吹きながら答える。
「どうぞ」
「ラギィのことなんだけど」
「シルビ?」
エアリは、平然としている。
「最後に会ったときが幼稚園の年長だったから……今は小六くらいじゃない?」
カレルが絶句する。
「分かってるのか?」
「何が?」
「ラギィとシルビだよ」
エアリは、スプレーの向きを変える。
「シルビは、ラギィに憧れてるんじゃない?」
「そういう問題じゃない!」
「じゃあ何?」
「ラギィが本気なんだよ!」
エアリの手が止まる。
「……え?」
カレルが小声になる。
「百合とか、そういう話じゃない。あれは完全に大人が止める案件だ」
エアリは、しばらく黙る。
そして、真顔でカレルを見る。
「カレル」
「なんだ」
「それを最初に言いなさい」
「言っただろ!」
「私は今まで、ラギィの恋愛相談だと思ってた」
「小学生だぞ!」
エアリが溜め息をつく。
「ラギィ、時空だけじゃなくて
倫理観まで漂流してるわね」
「笑ってる場合じゃない!」
エアリは、装飾を続ける。
「分かった。私が話す」
「頼む」
「でも、本人たちが真剣なら……」
カレルが振り返る。
「そこは駄目だろ!」
エアリがようやく真顔になる。
「そうね」
1拍置く。
「子供が誰かを好きになることと
大人がそれに応えることは別問題だもの」
カレルは、少し安心する。
「やっとまともな話になった」
そのとき。
「カレル!」
遠くから声がする。振り返る。
ラギィとシルビが、2人で歩いてくる。
腕を組んでいる。
カレルの顔が固まる。
「来た……」
エアリも見る。
「ラギィ」
2人が近づいてくる。
カレルが先に声をかけた。
「やあ」
ラギィが立ち止まる。
「何よ?」
「見せびらかしに来たのか?」
「違う!」
「それともハロウィンの事前偵察?」
「だから違うって!」
その横でシルビがエアリを見る。
そして、にっこり笑った。
「あなた、エアリね?」
「ええ」
「元気だった?」
「……え、ええ」
「綺麗になったわね」
エアリが一瞬黙る。
「ありがとう」
完全に子供に褒められた大人の顔だ。
シルビは、ラギィを見る。
「行こう、ラギィ」
「う、うん」
ラギィは、明らかに動揺している。
カレルが慌てる。
「おい、ラギィ」
「何よ」
「その子はまだ小学生だぞ」
ラギィが口を開く。
「だから……」
言葉が続かない。
シルビが不思議そうに2人を見る。
「どうしたの?」
エアリがしゃがむ。
「シルビ」
「はい」
「ラギィのこと、好き?」
「うん!」
即答。
カレルが頭を抱える。
しかし、シルビは続ける。
「だってラギィ、私が困ってるといつも助けてくれるし。大きくなったら、私はラギィのお嫁さんになるの!」
エアリとカレルは、顔を見合わせる。
ラギィが真っ赤になる。
「シルビ、それは……」
「だから、今日も一緒に歩きたかったの」
エアリが立ち上がる。
そして、ラギィを見る。
「……ラギィ」
「はい」
「あなた、勘違いしてない?」
ラギィが固まる。
カレルもうなずく。
「俺も、それを言いたかった」
ラギィは、しばらく黙る。
「……」
そして、小さくつぶやく。
「私、ものすごく恥ずかしい?」
「ものすごく」
カレルが即答する。
エアリもうなずく。
「史上最大級に」
シルビだけが事情を理解していない。
「どうしたの?」
ラギィはしゃがんで、シルビと目線を合わせる。
「シルビ」
「はい」
「私はね……」
一瞬、言葉に詰まる。
「あなたのお姉さんみたいなものだから」
シルビは屈託なく笑う。
「うん!」
そして、2人は歩いていく。
少し離れたところで、ラギィが振り返る。
「カレル!」
「何?」
「この件、誰にも言わないで!」
「無理だろ!」
エアリがカレルの肩を叩く。
「大丈夫」
「何が?」
「ハロウィン村の警察は、もう動いてるから」
「警察って誰だよ」
エアリは、胸を張る。
「私よ」
カレルは、空を見上げる。
ハロウィンの空は、今日も平和だ。
ただし、ラギィの家庭内外交だけは
完全に非常事態だ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
芳林パーク。ハロウィン村。
"ウル虎ノ門5姉妹"の握手会コーナーは、ヲタクなパーツ通りキッズで満員御礼でいっぱいだ。
玉座に座る姉妹で人気No.1のジーベン……いや、マリレは、すっかりヒロインになりきっている。
「で、君は将来、スケボー選手をやるの?」
「いや、僕はeスポーツだよ」
「男らしいのね。好きなゲームは?」
そんな会話の横で"ウル虎ノ門5姉妹"でジロウ役のスピアは、退屈そうに貧乏ゆすりをしている。
その姿を見たジーベンが指を鳴らす。
「ジロウ。飲み物を持ってきて」
「……なんですって?」
「喉がカラカラなの。さっさとお願い」
スピアの眉が動く。
「マリレ、はっきり言って――」
「マリレ?」
マリレは、ウル虎の玉座の上で胸を張る。
「誰それ?私の名前はウル虎ノ門ジーベンよ」
「……」
「ジーベンの人気は絶対なの」
すると、子供たちから一斉に声が飛ぶ。
「当たり前じゃないか!」
「だって、お前、ジロウだろ!」
「飲み物くらい持ってこいよ!」
「その通り!」
マリレは、満足そうに頷く。
「後で足のマッサージも頼むわね」
「……」
スピアのこめかみに青筋が浮かぶ。
「ねぇ、ジーベン」
「何よ?」
「ジュースを飲みたいのなら、飲み物はウル虎の星にあるのよ」
「え?」
「ここにはないわ」
「ちょっと、待って」
スピアは、マリレの腕をつかむ。
「ジロウ、何するの!」
「来なさい」
「私、ジーベンだけど!」
「知ってるわよ!」
そのまま、マリレを玉座から引きずり下ろす。
フェスの係員が飛んで来る。
「ちょっと!人気者をどこへ連れて行くの!」
「人気者じゃなくて、私の元カレ!」
係員は絶句、会場が一瞬、静かになる。
ませたパーツ通りキッズも顔を見合わせる。
「……元カレ?百合?」
「ジーベン、連れてかれた!」
「ジロウ、ガチ檄怒ってるけど!」
そして2人は、テントの裏へ消えて逝く。
あ。ウル虎の星か。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
"ウル虎の星"。
テントの中で、2人は向かい合っている。
「何なのよ。偉そうに」
「だって、ジーベンは偉いのよ」
「マリレ。これって、わざとでしょう?」
「何がよ?」
「私にフラれて、そのウサを晴らしてるんだわ」
「違うわ」
スピアは、腕を組む。
「いい、ジロウ?仕事に私情を挟まないで」
「バカにしてんの?」
「してないわ」
「じゃあ、なんで私にだけ偉そうなのよ」
「それは……」
スピアは、言葉を止める。
「……あんたを忘れたくて、ボランティアを始めたのに」
マリレの表情が変わる。
「知らないわよ」
「私だってエアリに言われたからやってるだけよ」
「じゃあ、どうして怒ってるの?」
「怒ってない」
「怒ってるじゃない」
「怒ってない!」
「怒ってる!」
2人の声が、テントを揺らす。
外ではキッズが聞き耳を立てている。
「……だから」
スピアが小さく言う。
「今宵だけよ」
「何が?」
「これで切りだから」
マリレも意地を張る。
「望むところよ」
「絶対、絶対よ」
「絶対よ」
「……」
「……」
長い沈黙。
やがて、マリレがつぶやく。
「無理だわ」
「え?」
「私も好き」
スピアが顔を上げる。
次の瞬間。2人は抱き合う。
そして……キス。
「うわーーーーーっ!」
テントの外から絶叫が響く。
2人が飛び離れる。
「ジーベンとジロウがキスした!」
「うわ!百合キスだ!」
「違う、ウル虎キスだぞ!」
「ママーーー!」
子供たちが一斉に走り出す。
ハロウィン広場は、大混乱だ。
「待って!」
マリレとスピアも慌ててテントから飛び出す。
「違うの!」
「何が違うのよ!」
「説明して!」
2人は、逃げようとする。
ところが……
胸のカラータイマーのコードが絡まってるw
「ちょっと!」
「動けない!」
「そっち引っ張って!」
「引っ張ってるわよ!」
2人同時に、その場で転倒する。
ごろごろごろごろ。
銀色の2人が、地面を転がって逝く。
「うわー!変態だ!」
「ジーベンとジロウが百合やってる!」
「ママーー!」
母親たちが子供を抱えて逃げて逝く。
「まぁ、なんてこと!」
「握手会じゃなくて百合ショー?」
「待って、誤解よ!」
しかし、キッズは聞く耳を持たない。
そして……
「ハロウィン村、ヤバいーーー!」
叫びながら走り去る。
静寂。そこへ。
テントの入口から、エアリが大口を開けて現れる。
「…………」
2人を見る。
絡まったカラータイマー。
乱れた衣装。地面に転がる銀色の2人。
それは…微妙な距離で座り込む元カップル。
「2人とも!」
エアリの怒声が、ハロウィン村に響く。
「家に帰って、きちんと話し合って!」
「え?」
「マリレ!貴女がジーベンをやりたかったのは
このためだったのね?!」
スピアが振り返る。
「なんですって?」
マリレの顔が、みるみる引きつって逝く。
そして、全て観念したような顔になる。
「……やられた」
エアリは、指を突きつける。
その先で顔を見合わせるマリレとスピア。
「あなたたち――」
「……」
「2人ともクビよ!」
「えええええっ!」
マリレが頭を抱える。
「何なのよ、これ!」
その横でスピアが小さく笑う。
「でも……」
「何よ」
「好きって言ったのは、聞いたから」
マリレは、一瞬黙る。
そして、少しだけ笑う。
握手会の会場では、まだ子供たちが叫んでいる。
「ジーベン帰ってこーい!」
「ジロウもー!」
「早く!」
エアリは頭を抱える。
ハロウィン村の平和は、首の皮1枚だ。
ただし今度の敵は、怪獣ではない。
百合だ。
第4章 ハロウィン、その聖なる夜
真夜中。
サミエの寝室。
僕は、そっとドアを開ける。
眠っているサミエのそばまで歩いていく。
そして、そっと肩に触れる。
サミエが目を開ける。
僕を見て、身体を起こそうとする。
僕は、唇に人差し指を当てる、
「大丈夫だよ。僕だ」
微笑む。
「驚かせてごめんね」
サミエは、黙って僕を見ている。
「僕にはね、前から探している娘がいるんだ」
サミエの目が、少し動く。
「君のご両親が君を探しているようにね」
僕は、部屋を見回す。
ハロウィンの飾り付け。カボチャ、魔女、蝙蝠……
「でも、どうやら僕は探す場所を間違えたらしい」
サミエを見る。
「だから、君はあんなに嫌がったんだね」
言葉が、少しずつ重くなって逝く。
「僕は、サミエのコトじゃなくて
自分自身のことばかりを考えていたよ」
サミエは、黙っている。
「君は、それに気がついたんだね」
もう1度、部屋を見回す。
窓。カーテン。夜の闇。そして、サミエ。
「でも、今夜は違うよ」
僕は、両手を差し出す。
「今度こそ、君が言いたいことを口に出来るようにしてあげる」
サミエは、僕を見つめている。
「僕が手伝うよ」
僕は、サミエの頭を両手で包む。
どこからともなく、聖歌のような歌声。
僕は目を閉じる。
額に汗が浮かぶ。
僕は荒い息をつきながら、サミエを見る。
「サミエ……」
名前を呼ぶ。
「サミエ。さぁ……」
自分でも何を言っているのか
分からなくなっている。
「話してみて」
サミエは、黙って僕を見ている。
「何か言ってごらん」
沈黙。
「もう話して良いんだよ」
僕は、笑おうとする。
「大丈夫だから」
サミエは、じっと僕を見ている。
「さぁ、サミエ」
声が震える。
「喋ってくれ」
サミエは、何も言わない。
ただ、いつものように夜の闇を見ている。
僕の向こう側にある何かを見ているように。
僕は、ゆっくり手を下ろす。
そして、がっくりと首をうなだれる。
癒せない。
再び僕は、失敗する。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
御屋敷。バックヤードのベランダ。
夜風が吹いている。
僕は、手すりにもたれている。
その隣に、ミユリさんが立っている。
「で、どうだったのですか?」
「失敗だったよ」
僕は、答える。
「癒してやれなかった」
ミユリさんは、少し黙って僕を見る。
そして、優しく言う。
「それは、癒される必要がないからです」
「……え?」
「テリィ様が助けられるのは
傷ついている人だけですから」
僕は、ミユリさんを見る。
「サミエには、悪いところなんてないもの」
夜風が吹く。
「ただ、人とはちょっと違うだけです」
僕は、何も言えない。
「テリィ様は、サミエを治そうとしたんですよね」
「……」
「でも、あの子は病気じゃない」
その言葉が、静かに胸に入ってくる。
「だから、テリィ様の癒しが届かなかったんです」
僕は、夜空を見る。
「癒されるべきは……」
言葉が止まる。
「……あの子じゃなかったのか」
ミユリさんは、答えない。
代わりに僕の頭に手を置く。
「はい」
ぽん、と軽く撫でる。
「たぶん」
もう1度。
ぽん。
「テリィ様です」
僕は、うつむく。
「僕が?」
「はい」
ミユリさんは、微笑む。
「サミエちゃんを助けようとしていたつもりで
ずっとお嬢様を探していたんですよね」
僕は、何も言えない。
「だから、もう探さなくて良いとは申しません」
ミユリさんの声が柔らかくなる。
「ただ……」
僕の頭を、今度は両手で包む。
「見つからない寂しさまで
サミエちゃんに背負わせなくて良いのです」
僕は、目を閉じる。
初めて、何も考えずにいられる。
「テリィ様」
「……うん」
「今宵はもう、頑張らなくて良いのです」
その言葉だけで、胸の奥に張りつめていた何かが
少し緩む。
サミエの部屋では、きっと夜の闇が続いている。
でも、もう僕は、その闇を無理に光らせようとは思わない。
誰かを救うということは、その人を自分の望む場所へ連れていくことじゃない。
ただ、その人がその人のままでいられる場所を、そばにいて守ってあげるコトなのかもしれない。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
人が去った、真夜中のハロウィン広場。
昼間の喧騒がウソのように静かだ。
消えかけたイルミネーション。
誰もいないベンチ。
遠くで、風に揺れるハロウィンの旗。
スピアとマリレは、まだウル虎5姉妹のコスプレのままだ。
2人並んで、公園のベンチに座っている。
しばらく、何も話さない。
やがてスピアが、ぽつりと言う。
「マリレ」
「なに?」
「ちょっと待って」
マリレが振り向く。
「私ね」
スピアは、自分の銀色の衣装を見つめる。
「私、いい加減すぎるわ」
「今さら?」
「そうじゃなくて」
少し笑う。
でも、その笑顔はすぐに消える。
「明日の朝、私たちが目を覚ましたら……
また元通りになってるかもしれない」
マリレは、何も言わない。
「今日のことも、なかったことになって」
「私は、それでも構わないけど」
「……そうね」
スピアは、うつむく。
その言葉を聞いた瞬間、何かを決めたように
顔を上げる。
「やっぱり、もう、そろそろ家に帰るわ」
立ち上がろうとする。
その腕を、マリレがつかむ。
「待って」
「……何?」
「1人は嫌よ」
スピアが振り返る。
マリレは、少しだけ照れたように笑う。
「ハロウィンだから」
「それ、理由になる?」
「なるわよ」
「ならないわ」
「私にはなるの」
スピアは、黙る。
そして、もう一度ベンチに座る。
マリレも隣に座る。
しばらく2人で真夜中のパークを見る。
「じゃあ……こうしましょう」
「何?」
「私、ホットチョコレートを作る」
「ここで?」
「ここで」
「どうやって?」
「そこは、なんとかする」
スピアが笑う。
「相変わらずね」
「何が?」
「良い加減」
「貴女に言われたくないわ」
2人で笑う。
そして、マリレが言う。
「朝まで」
「え?」
「朝まで、ここに2人で座って話すの」
「何を?」
「何でもいい」
少し間を置いて。
「昔のこととか」
「うん」
「別れたときのこととか」
「うん」
「これからのこととか」
スピアは、夜空を見上げる。
「……朝までに決めなくてもいい?」
「良いわ」
「明日、元通りになってても?」
「それでも良いわ」
「また喧嘩しても?」
「もっと良い」
スピアは、少し笑う。
「じゃあ……」
マリレを見る。
「朝まで、ここにいるわ」
マリレは、うなずく。
2人は、未だ銀色のコスのままだ。
それは今日一日のための、借り物のヒロイン。
でも今は、そんなことはどうでも良い。
二人の間には、失った時間がある。
言えなかった言葉がある。
そして、戻れない場所もある。
だからこそ。
今夜、2人は答えを出さない。
ただ、隣に座る。
遠くの空が、ほんの少しだけ朝焼けに染まる。
ハロウィンの夜が終わる。
そして2人の長い夜は、まだ終わらない。
失ったものを取り戻すのではなく、失った場所から、もう1度始めるために。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
秋葉原ヒルズ。レジデンス棟。
ジェシとエアリの新居。
ジェシは、散歩に出たきり戻らない。
部屋には、エアリと僕だけだ。
僕はスマホを取り出し、画像を見せる。
サミエと、レベカと、ウォレ。
3人で撮った家族の肖像。
エアリは、画像を見つめる。
「つまり……」
顔を上げる。
「この2人を、サミエちゃんの夢の中に連れていくってこと?」
「出来るな?」
「やったことないわ」
「やれば、きっと出来る」
エアリは、僕を見る。
「テリィたん。何のためなの、これ?」
「ご両親にサミエのことを分かって欲しいんだ」
画像を見る。
「リアルなあの子を」
エアリは、しばらく黙っている。
そして、うなずく。
「わかったわ。リア充のお手伝いね?」
人差し指を伸ばす。
目を閉じる。
画像に指先が触れる。
画像が、水面のように波打つ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
サミエは、夢を見ている。
プラレールが走っている。
ガタン、ゴトン。
サミエは、目を輝かせている。
その横で、エアリが笑っている。
サミエが振り向く。
微笑む。
エアリも微笑む。
そこへ。
レベカが現れる。
「サミエ!」
サミエが振り向く。
続いてウォレも現れる。
「おお……」
2人は、しばらくサミエを見つめる。
サミエは何事もなかったように
プラレールを走らせている。
ウォレがしゃがみ込む。
「最後にヤシマ作戦のNERV専用車両を走らすぞ」
「サミエ、上手に走らせてね」
サミエは、嬉しそうにうなずく。
NERV車両をプラレールに載せる。
ガタン、ゴトン。
3人でプラレールを眺める。
そのときだ。
サミエが言う。
「お母さん、大好き」
レベカの目が見開かれる。
「……え?」
「お父さんも大好き」
ウォレが固まる。
2人は顔を見合わせる。
そして。
泣き出す。
「サミエ!サミエがしゃべった!
「サミエ……!お前!」
抱き合いそうになり、2人とも1歩引く。
「ちょっと、あなた!」
「何だよ!」
「私、あなたより先に泣いたわよ!」
「いいや。俺の方が先だ!」
「そーゆーアナタは、今まで何回サミエを泣かせたと思ってるの!」
「お前だって何回"もっと頑張りましょう"ってプレッシャーかけたんだ!」
「……」
「……」
2人が同時に黙る。
そして、サミエを見る。
サミエはプラレールを走らせている。
ガタン、ゴトン。
レベカが小さく言う。
「……私たち、バカだったのかしら」
ウォレも答える。
「たぶん」
「あなたも?」
「もちろんだ」
「じゃあ、同罪ね」
「そうだな」
2人は笑う。
サミエも笑う。
プラレールは、3人の周りを何周も回り続ける。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
秋葉原ヒルズ。
ソファの上で、エアリが目を開ける。
僕が後ろから身を乗り出す。
「出来たか?」
「ええ」
「どうだった?」
エアリは、少し考える。
「清らかだったわ」
「そうか」
僕は、安堵する。
すかさずエアリが付け加える。
「ただし、両親は最初の5分くらい
夢の中でも喧嘩してたわ」
「え?」
「どっちが先にサミエを好きだったかで」
「何だソレ?」
「でも、最後は2人とも泣いてた」
「それなら良い。thank you」
エアリは、微笑む。
「リアル家族って、面倒ね」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
引き続き真夜中。
レベカの家。
ベッドサイドテーブルのスマホが鳴る。
レベカが手を伸ばす。
「もしもし」
ウォレだ。
「おい」
「何?」
「俺は……夢を見たぞ」
レベカは黙る。
「……ウソ。私も」
「サミエの夢だ」
「YES」
「なんだか、すごくリアルだった」
「私ったら、夢の中であなたと喧嘩してたわ」
「……ウソ。俺もだ」
「夢の中でもあなたは面倒だった」
「お前もな」
2人は笑う。
そして、急に静かになる。
「なあ」
「何?」
「俺たち、サミエに何を求めてたんだろうな」
「……普通にしてほしい、とか」
「普通って何だ?」
「知らないわよ」
「だよな」
また沈黙。
「じゃあ」
ウォレが言った。
「もう、やめようか」
「え。何を?」
「サミエを俺たちの思い通りにしようとするの」
レベカは、少し間を置く。
「……そうね」
そして、突然思い出したように言う。
「それより、あなた」
「何?」
「今すぐ来て」
「もちろんだ。俺はサミエに会いたい」
「じゃあ早く」
「今からで良いよな?」
「今からで良いから」
「パジャマだけど」
「それは着替えて」
「……」
「何?」
「いや」
ウォレが笑う。
「俺たち、急に仲良くなりすぎじゃないか?」
「夢を見たからよ」
「便利だな、夢って」
「便利ね」
2人は、また笑う。
電話を切る。
レベカは、眠っているサミエを見る。
そして、小さな声で言う。
「ごめんね」
サミエは、眠っている。
「もう、頑張らなくて良いからね」
そのとき、隣の部屋から物音。
ウォレ?隣の部屋からかけてたのか。
「早っ!」
「だって、会いたかったから」
「……あなた、さっきまで電話してたわよね?」
「会いたくなったんだよ」
「私も」
2人は顔を見合わせる。
「……」
「……」
「サミエ、大好き」
「俺も」
「じゃあ、寝かせてあげましょう」
「そうだな」
2人は、そっとサミエのそばに座る。
その夜。
家族は、少しだけリアルな家族に戻る。
いや。もしかすると……
今までより、もっと少しだけ、リアルな家族になれたのかもしれない。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
翌朝。ラギィのペントハウス。
カレルは、キッチンで朝食を作っている。
トースト。
目玉焼き。
コーヒー。
ただし。
ラギィの前に置かれた皿だけ、異様に小さい。
トースト、半分。
目玉焼き、黄身だけ。
そしてコーヒーではなく、白湯。
「……」
ラギィが皿を見る。
「カレル」
「何?」
「私の朝食、何これ?」
「反省食」
「反省食?」
「昨日の反省を促すための食事」
「修道院?」
「元警官用の更生プログラムだ」
「そんなものナイから」
「今、出来た」
ラギィは、白湯を1口飲む。
「味がしない」
「反省に味は不要」
「……」
「食べたら?」
「え。そうね」
ラギィは、黄身だけを口に入れる。
1口で終わる。
「カレル」
「何?」
「黄身だけなの?」
「白身は?」
「俺が食べる」
「ひどい」
「ひどいのは昨日のラギィさ」
ラギィは、黙る。
そして、ぽつり。
「彼女とは別れたわ」
「……え?」
カレルの手が止まる。
「別れた?」
「少し距離を置くことにしたの」
「なんで?」
「やっぱり歳が下すぎたわ」
「……」
カレルは、しばらくラギィを見る。
「そうか」
少し安心したようにうなずく。
「元警官だから、もちろん罪悪感もあったし」
「うん」
「とにかく落ち着かなかったわ」
「そうだよな」
カレルは、納得する。
そして、ラギィの皿を見る。
「……じゃあ」
「何?」
カレルは、トーストを1枚追加する。
「更生食、ちょっと昇格」
「やった!」
ラギィの顔が輝く。
「パン1枚!」
「半分食べて」
「……」
「まだ刑期中だから」
「刑期って何よ!」
ラギィは、溜め息をつく。
「でも、なかなか可愛い子だったと思わない?」
カレルの手が止まる。
「……」
無言でトーストを1枚取り上げる。
「ちょっと!」
「減刑取り消し」
「なんでよ!」
「余計なことを言ったから」
「横暴だわ!」
「次にその話をしたら、明日の朝食はお湯」
「今日もお湯だったじゃない!」
「明日は、ぬるま湯」
「悪化してる!」
カレルは、冷静にコーヒーを飲む。
「ちなみに昼食は?」
ラギィが恐る恐る聞く。
「昼は普通」
「ホント?」
「ただし」
「ただし?」
「カレーの具は、反省した人から」
「……」
ラギィは、真顔になる。
「私、今日からものすごく反省する」
「急に?」
「カレルのカレー食べたいから」
「動機が不純なんだよ!」
朝のペントハウスに、カレルの諦めの嘆き。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
秋葉原ヒルズ。
長い散歩から戻ったジェシは、リビングのテーブルで足を止める。
ハロウィン用の皿。
その上には、自分で焼いた黒いチョコクッキーが並んでいる。
「……」
ジェシは、ほんの少し笑う。
「私のクッキーだわ」
それだけで、機嫌が直る。明快なのだ。
キッチンからエアリが出てくる。
「ごめんなさい。
今夜の予定は、全部キャンセルしたわ」
「そんなこと、しなくて良かったのに」
エアリは何も言わず、ジェシの肩に手を回す。
「あなた流のハロウィンを、私に教えて」
「どうしたの?」
「明け方の4時になって、ようやく気づいたの」
エアリは、少し照れたように笑う。
「ハロウィンで一番大切なのは、完璧じゃない」
そして、ジェシを見る。
「家族と一緒にいること」
「……」
「そして、私の家族は……あなた」
ジェシは、笑う。
テーブルの上には、少し焦げた黒いクッキー。
でも2人にとり、それはもう十分にパーフェクト。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
ハロウィン当日。
秋葉原は、朝からいつもより少しだけ騒がしい。
子供たちは仮装し、大人たちはそれを撮影し、
メイドたちはお菓子を配る。
そして、誰もが少しだけ、いつもの自分ではない。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
ハロウィン村。
ウル虎ノ門ジーベンの前には、今日も長い行列が出来ている。まるで物販の勝ち組。
その長い行列の先で、サミエは、ウル虎ノ門ジーベンと、しっかり向かい合っている。
マリレ、いや、ウル虎ノ門ジーベンが手を差し出す。
サミエは、ほんの少し迷ってから、その手を握った。
しっかりと。
その姿を、レベカとウォレが見つめている。
2人とも、何も言わない。
ただ、笑っている。
ジーベンの右には、ミユリさんの"帰ってきたウル虎ノ門"。
その隣には、スピアの"ウル虎ノ門ジロウ拉麺"。
2人とも、すっかりこの役に慣れてしまっている。
「今年もやるの?」
「たぶん来年もよ」
「……人生って長いわね」
「ジロウ、笑って」
「私は笑ってるわよ」
そんな会話が聞こえてくる。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
その少し離れたところを、僕は歩いている。
手には、ハロウィンのクッキー缶。
サミエの家族を見つける。
3人でいる。
レベカの隣にサミエ。
そのサミエを、ウォレが抱き上げる。
サミエは父親の腕の中で
少しだけ身体を預けている。
その光景を見て、僕は笑う。
あの日とは違う。
もう、僕がそこに入っていく余地はない。
僕は家族ではない。
今は。
でも。
サミエと目が合う。
僕は、恐ろしく不器用に微笑む。
そして、持っていたクッキーの缶を見せる。
少し考えてから、そっとミユリさんに渡す。
ミユリさんは何も言わず、それを受け取る。
僕は、何も言わない。
ただ、サミエを見る。
父親に抱かれたサミエも、じっと僕を見ている。
そして。
微笑む。ほんの小さな笑顔。
でも、それで十分だ。
ハロウィンの街には、コスプレした子供たちの笑い声が響いている。
誰かにとってのハロウィンは、完璧なイベント。
誰かにとっては、恋人とやり直す夜。
誰かにとっては、リアル家族の最初の夜。
そして僕にとっては。
誰かの家族を、遠くから見守る夜だ。
その距離が、今の僕にはちょうど良い。
秋葉原の夜は、いつも少しだけ優しい。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
御屋敷のバックヤード。
ハロウィンの握手会から戻ったミユリさんは、なぜかものすごく忙しい。
「よいしょ……」
フィギュアスケートのコスプレに着替える。
ミニスカを思い切りヒラヒラさせる。
「えっと……」
スケート靴を履く。
1度立ち上がる。
「……違うわ」
座る。
もう1度、靴紐を締め直す。
「ミユリさん」
「はい?」
「さっきから3回くらい履き直してない?」
「気のせいです」
「そうかな」
「完璧な演技には、完璧な準備が必要なんです」
「今日は演技する予定ないよね」
「あります」
即答だ。
僕は、笑う。
ミユリさんはスケート靴の刃を確認し、コスの裾を整えてから、髪を直す。
そして、ようやく僕を見る。
「……では、参りましょうか」
「どこへ?」
「スケートです」
「やっぱり?」
「やっぱりです」
僕たちは、バックヤードを出る。
しばらく歩いてから、僕は言う。
「ミユリさん」
「はい」
「もしも、だけど、もしも僕が娘を見つけたら、
この先どうなるんだろうって
心配したんじゃないか?」
ミユリさんの足が止まる。
「それ、話す必要がありますか?」
「ない」
「なら、良いじゃないですか」
「うん。でも、さっきサミエが家族と一緒にいるのを見て、そのとき気づいたんだ」
僕は、ミユリさんの手を握る。
「僕には、ミユリさんが僕の家族なんだって」
ミユリさんは、しばらく黙っている。
そして、とびきりの微笑。
「……今ごろですか?」
「ごめん」
「遅いです」
そう言いながら、握った手を離さない。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
秋葉原ヒルズの谷間。
そこに、小さな人工スケートリンクがある。
ハロウィンの夜だから、客はほとんどいない。
やがて人工降雪器が動き始める。
白い粉雪が、静かに降ってくる。
「わあ……」
ミユリさんが空を見上げる。
「まるでクリスマスだね」
「まだハロウィンですよ」
「細かいことは良いじゃない」
僕たちは、2人きりのリンクに滑り出す。
ミユリさんは、まるでモノホンのフィギュアスケーターみたいだ。
軽やかに滑る。
ターンする。
くるりと回る。
僕は。
「うわっ」
よろける。
「ちょっと!」
ミユリさんが笑いながら手を伸ばす。
「大丈夫ですか?」
「家族だから助けて」
「はいはい」
僕は、その手につかまる。
ヨタヨタと滑る。
ミユリさんは僕の手を引きながら
楽しそうに笑っている。
ハロウィンなのに。
秋葉原なのに。
なぜかクリスマスみたいな粉雪が降っている。
そして僕は、人生で初めてかもしれない。
スケートリンクの上で、初めて気づく。
転ばないコトより大切なコトがあるってコトを。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
ハロウィンの夜。
芳林パークの石段では、マリレとスピアが並んで座って、話している。何を話しているのかは、聞こえない。ただ、ときどき2人の笑い声が聞こえる。
ペントハウスでは、ラギィとカレルが向かい合って乾杯している。
「今日は反省したわ」
「明日の朝まで覚えてたらね」
2人とも笑っている。
新居のソファでは、ジェシとエアリが静かにキスをしている。
そして。
サミエは、父親に抱かれながら、母親を見上げている。レベカが笑う。サミエも笑う。その光景を、誰も邪魔する者はいない。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
秋葉原ヒルズの谷間。
小さなスケートリンク。
粉雪が降っている。
僕は、ヨタヨタと滑っている。
ミユリさんは、その隣を軽やかに滑っている。
「もっと膝を曲げて」
「無理」
「怖がらない」
「怖いよ」
「家族でしょ?」
「それ、今使う?」
「使います」
僕は、笑う。
鼻の頭に人工雪が乗る。
ミユリさんが指でそっと払う。
そして、僕たちは止まる。
誰もいないリンク。
降り続ける粉雪。
僕は、ミユリさんを見る。
ミユリさんも僕を見る。
そして。
僕たちはキスをする。
離れたあと、ミユリさんは満足そうに微笑む。
その笑顔を見ながら、僕も笑う。
ハロウィンの夜なのに。
雪が降っている。
まるでクリスマスみたいさ。
そして僕には、もう分かっている。
世界線がいくつあっても。
娘を探す旅が、これからどうなっても。
帰る場所は、ここにある。
僕の隣には、ミユリさんがいる。
粉雪は、静かに降り続ける。
おしまい
今回は、海外ドラマによく登場する"パパと呼ばないで"をテーマに、〆以外は、王道ラブコメも含め、全編コミカルに描き込んだら、意外な長作になりました。
リアルな家族のあり方について、描きながら自ら考えたりした作品となりました。
海外ドラマでよく舞台となるニューヨークの街並みを、中華抜きのインバウンドにもホボ慣れた秋葉原に当てはめて展開してみました。
秋葉原を訪れる全ての人類が幸せになりますように。




