私の代わりなんていくらでもいると言うのなら
「おい!早く肩を揉め!俺は仕事で疲れ切ってんだよ!」
「……承知いたしました」
夫のブルスグは椅子に深く腰をかけると、足を机の上に勢いよくのせる。机の上に置かれた花瓶がカタカタ音をたてた。
私は椅子の後ろに行き、肩を揉む。酒臭い息と、面倒だからと風呂に入らないブルスグの体臭が混じり合い、胃からこみ上がる物を感じる臭いがした。食後であれば、ブルスグの後頭部は吐瀉物で酷い有様になっていたかも知れない。
「おい!力が足りないぞ!もっと強くだ!」
「……はい」
普通の家であれば使用人の仕事も、この家では私が行う。金策のためだ。この家には十分な使用人を継続的に雇うだけのお金すらないのだ。
原因はブレスグの浪費癖。
「そういえば、昨日ばったりレンター商会の者に出会ってな。掘り出し物があると言うので見に行ったらワニ革のソファがあったんだ!すぐ購入してやったよ!」
「――それはおいくらされたのですか?」
「金貨5万枚さ。お買い得だろう!?」
「金貨5万枚!?ブルスグ様、今家にそんなお金は!」
「うるさいなぁ!黙れよ!俺の金だ!どう使おうと俺の勝手だろう!」
ブルスグは苛立ったように、机に投げ出した足を細かくゆらす。カタカタ花瓶の音が、止まることなく耳に届く。その音があまりにも不快で、耳を塞ぎたくて仕方がなかった。
「お前は俺に口出しなんて出来る立場じゃねぇんだよ!黙って俺に奉仕しろ!――それができないなら離婚してやっても良いんだからな!お前の代わりなんていくらでもいるんだ!分かったら俺のために身を粉にして働け!」
「……」
「おい!なに手を止めてやがるんだ!さっさと手を動かせ!」
「……離婚いたしましょう」
「はぁ?今なんて言った!?」
「離婚いたしましょうと言ったのです」
私の言葉に、ブルスグはギラッとこちらを振り返る。
「結婚は家同士の取り決めだ!そう簡単に離婚できると思うなよ!まずは実家の許可を取ってから言ってこい!――俺を不愉快にさせた罰として、今日から三日メシ抜きだ!」
「……実家の許可ならいただいております」
「はぁ!?」
「数ヶ月前より、実家の方から戻ってこないかと話があったのです。この領地の財政状況などを知ったのでしょう。私は、それは義に反するから、とお断りをしておりましたが――私の代わりなんかいくらでもいるようですので」
私の言葉に少しの沈黙。その後、ゆっくりブルスグは口を開いた。
「好きにしろ!後悔しても知らんからな!――その年齢で家に帰ったところで、もらい手があると思うなよ!」
ブルスグの言葉に私は黙って頭を下げると、部屋を後にした。
******
「十分な給料もいただけない上に、この待遇。私たちはこの屋敷を去らせていただきます……オリアナ様がいらっしゃるときは良かったのですが」
オリアナと離婚してしばらくすると、使用人風情が、何名かそう言って家を去った。まぁ、どうでもいい。あいつらの代わりなんていくらでもいるのだから。
「酷い税金に、何の配慮もない扱い。もう耐えられん!俺らはこの領地から出るぞ!……オリアナ様がおられた時は、まだ俺らの意見を聞いてくださっていたのに」
それからまた少しして、農民が徐々に減っていると連絡を受けた。まぁ、どうでもいい。あいつらの代わりなんていくらでもいるのだから。
「お金がお支払いになれないのでしたら、商品の購入もできませんよ。家を担保にですか?――申し訳ありませんが、廃れた伯爵領にある家など銅貨程の価値もありません」
そう言って商人も俺の元から離れていった。まぁ、どうでもいい。あいつらの代わりなんていくらでもいるのだから。
「おい!誰か!俺の為に肩を揉め!料理を持ってこい!」
俺は声を張り上げる。だが、反応する者はいなかった。俺の周りには誰も居なかった。
どうしてこうなった?俺はどこで道を誤った?金遣いが荒かったからか?人使いが荒かったからか?その両方か?――それともオリアナと離婚したからか?
「どうしてこうなったのだ」
俺の問いかけに答える者は誰も居なかった。耳を澄ませても、ただ、静かな屋敷に風が吹き込む音が聞こえるだけだった。
******
ブルスグ伯爵が亡くなったらしい。聞いた話によると、自ら命を絶ったそうだ。
私は紅茶を一口飲む。少しの罪悪感と少しの嬉しさと、そんな気持ちに辟易する心がない交ぜになって。紅茶が少し苦く感じた。
私は砂糖を少量加え、再びカップを手に取ると、一気に飲み干した。
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