1.チューエンの恋
東京都某区のライブ会場。座席は観客で悉く埋まり、ミラーボールに反射した光が場内を彩っていた。
この日は国民的アイドルグループ・violaのライブが行われており、彼女らは華やかな衣装でパフォーマンスを披露していた。
『皆さん、今日は来てくれて本当にありがとうございました!ファンの皆さんと作り上げるこの瞬間が何よりの宝物です!』
violaのリーダー・大山蒼勇の元気な声が響き渡る。水色のドレスを身に纏い、肩まである茶髪を揺らしてダイナミックに踊るその姿は最年長とは思えないほどに若々しい。
『短い間でしたが、violaとして活動できて、そしてここにいる皆さんと出会うことができて本当に幸せでした!』
最年少メンバー・高柳レイが涙ながらにそう言った瞬間、場内に盛大な拍手と歓声が湧き起こる。それはまるで、彼女の新たなスタートを祝福しているかのように見えた。
高柳レイ、18歳。
彼女はこのライブを最後にviolaを脱退し、芸能界を去る決意を固めていた。
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レイのグループ脱退及び芸能界引退は次々とニュースに取り上げられることとなり、世間を大きく騒がせた。
「おい、一体全体どういうことだ!」
彼女の父親・高柳俊治はテーブルを力強く叩いて怒鳴り声を上げた。
「芸能界引退だと?勝手に話を進めるんじゃない!こちとらレイにどれだけの金をかけたと思っているんだ!」
身勝手な言い分で怒鳴り散らす俊治に、妻・美宏の怒りは頂点に達した。
「貴方には何度も話したじゃないの!レイのやりたいことをさせてあげたい、レイの意見を尊重してあげましょうって!それなのに耳を傾けようともしなかったのは貴方でしょ!?」
「そうだよ、いつだって支えてくれたのはお母さんなの!お父さんにどうこう言われる筋合いないから!」
レイも負けじと反抗する。
「何だと、この恩知らず共が!養ってもらっている分際で口答えするな!」
逆上した俊治は拳を振り上げ、美宏とレイに殴りかかろうとした。その様子を横で見ていた長男の彰は言葉を失い、震えながら涙を流している。
「もういいわ、離婚します!子供の意向を尊重しないどころか、暴力まで振るおうとするような父親なんて悪影響でしかないわ!」
「ああ、上等だ!」
美宏から離婚届を突きつけられると、彼はそれを乱暴に取り上げた。
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「…先生、京先生!」
自分を呼ぶ声を聞いて、彼女ははっと我に返る。
「大丈夫?ぼうっとしてた?」
「はい、すみません…」
芸能界引退から5年。高柳レイ改め京レイは、都内の公立高校・天葉第一高等学校の体育教師として働いていた。隣のデスクには、理科教師の花原由加里が物憂げな表情で座っている。
「あのね、彰くんのことで相談があって…」
「…は、はい…弟が何か?」
彼女の弟・京彰は天葉第一高等学校の生徒で、レイが受け持つ1年2組に在籍している。彼は中学に入った頃から不良になり、高校生になった今も何かと問題を起こしているため、学年の教師全員の悩みの種となっていた。由加里は黒髪のロングヘアを耳にかけると、やや言いにくそうに話し始めた。
「彰くん、授業態度があまり良くなくて…何度か注意しているんだけどいつも真剣に聞いてくれないの。担任の京先生からも言っておいてくれる?」
「そうですか…申し訳ありません、きつく叱っておきます」
レイは深く溜め息を吐いた。
「京先生、ちょっといい」
そこへ声をかけてきたのは、古典教師の藤塚美羽であった。横髪を平成女児風に結った髪型が特徴的な彼女は、由加里の実の妹でもある。
「藤塚先生、お疲れ様です。どうされました?」
「彰が出してきたノート、数式やら英単語やらがごちゃごちゃ書いてあるの。肝心の国語のページが見にくいから、整理してから出すように伝えておいてくれない?」
「…分かりました、それも注意しておきます。ただ公私混同するわけにはいかないので、彰ばかりに厳しくすることも出来なくて…」
「難しい所だよね」
彼女らが頭を抱えていると、職員室のドアがガラッと開いて男子生徒の宇佐美伊弦が入ってきた。彼は教師間でも有名になるほど成績優秀な生徒で、誠実な性格ゆえ女子生徒からの人気も高い。
「失礼します、1年2組の宇佐美です。3限は数学なんですが…」
「あっ!ごめん、忘れてた!」
伊弦が声を掛けると、奥から1年2組の副担任で数学教師の中垣佑人が慌てた様子で出てきた。佑人は親しみやすい人柄だがどこか頼りなげで、指導も緩いため大半の生徒には舐められている。バタバタと忙しなく駆けていく彼を横目に見ながら、レイは呆れたように呟いた。
「中垣先生ってば、授業変更あるってあれほど言ったのに…っていうか朝のホームルームでも言ったし、何ならその場にいたと思うんだけど?」
「中垣先生、相変わらず天然だねぇ」
「私、そろそろ失礼しますね。次の授業の準備をしなければならないので」
そう告げると、彼女は職員室を後にした。
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「ふぅ…」
4限が終わり昼休みに入った頃、レイは体育館での授業を終えて1人廊下を歩いていた。
職員室に戻ろうと1階の多目的ホールを横切った時、ベンチに座っている数人の男子生徒が目に留まる。
「(あそこあんまり人がいるイメージ無いけど、使う人いたのね…)」
「あっおい、そこの非リア厚化粧BBA!」
癪に障る声が聞こえてきたのはその時だった。驚いてベンチを見ると、弟の彰が友人の天花寺隼人、井沢心太と共に座り込んで昼食をとっているのが見えた。日常的に3人で固まっている彼らは、巷ではヤンキートリオと呼ばれていた。
「(げ、ヤンキートリオだったのか!)
学校では先生と呼べっていつも言ってるでしょ!?百歩譲って厚化粧は認めるとして、非リアとBBAは聞き捨てならないわ!」
レイは思わず声を荒げるが、彼らは構わず囃し立てる。
「先生厚化粧認めんのー?www」
「草生えんだけどwww」
一体誰に似たのか、そんな思いが彼女の脳内を駆け巡る。その時彰が口を開いた。
「まあ聞けよ、姉貴ってチューエンとどういう関係なんだ?」
「は?チューエン?」
聞き覚えのない名前を出され、レイは困惑した。彰は家から勝手に持ってきたレイのプリンを掻き込みながら続ける。
「チューエン、知らねえの?中垣だよ」
「中垣って、音読みにするとチュウエンだろ」
「…ああ、中垣先生!?変な呼び方しないでよ、分からなくなるから…何の関係もないよ、ただ担任と副担任ってだけ」
そう答えたが、ヤンキートリオはにやりと笑みを浮かべた。
「そうかぁ?チューエンの方は姉貴のこと、何の関係もない奴だとは思ってねえみたいだけどな」
「え…どういうこと?」
レイが首を傾げていると、端に座っていた心太が意気揚々と話し出す。
「俺ら聞いちゃったんすよ、昨日の放課後に。チューエンの奴、教室で物思いに耽ってるから変なやつだなあと思って観察してたの。そしたらあいつ、『京先生…』って呟きながら顔真っ赤にしててさ!」
「…え!?」
「あれはぜってー好きだろ!www」
「俺影で笑い転げたわー、あいつどんな趣味してんだよ!www」
「(嘘でしょ…中垣先生が!?あの人いつもぽやっとしてる癖して一体何考えてんのよ!?)」
顔を真っ赤にし、慌てふためくレイ。彰はそんな彼女に追い打ちをかけるように続けた。
「てか顔真っ赤じゃん、姉貴もチューエンのこと好きになっちゃったんじゃねーの?w」
「なっ…何言ってるの!そんなわけないでしょ!?大体今のだって話半分にしか聞いてないんだからっ…ほら、そろそろ昼休み終わるんじゃない?教室戻って授業の準備しな!」
「はいはい、バレバレでーすw」
レイは慌てて彼らを追い返すが、どこか真に受けてしまっている自分がいることに気付いた。
もし佑人が本当に自分を好きだったら──そう考えるたび、彼女の心臓は激しく鼓動するのであった。
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「で…では、帰りのホームルームを始めます」
夕方になっても、彼女の気持ちの整理はつかないままであった。ヤンキートリオの話を聞いてからというもの佑人の姿を見る度に緊張してしまい、手元の作業に集中できなくなってしまう。
「明日の水曜は、放課後に課外があって…」
「先生、明日は水曜じゃなくて火曜です」
「っ!ごめんなさい」
生徒に指摘され、頬を染めるレイ。そんな彼女を、ヤンキートリオはにやにやと笑みを浮かべながら見つめる。
「明日の火曜は放課後に課外授業があります。希望制ですが、積極的にご参加ください。では挨拶します」
「ありがとうございましたー」
「さようならー」
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「先生、今日数学の授業で分からないところがあったんですけど…」
ホームルーム終了後、レイは伊弦に声を掛けられた。彼女は日頃から体育や健康の相談の他、勉強に関する質問を受けることが多い。
「どれ?」
「この、二次関数のグラフについてです」
「ああ、これは…」
2人が悩んでいると、ガラッと扉が開いて佑人が教室に入ってきた。
「宇佐美君、俺がもう一度解説するよ」
「!な、中垣先生…あっ!」
カシャン。
焦ったレイは、つい手に持っていたペンを落としてしまった。佑人はさっとペンを拾い上げ、埃を払って彼女に手渡す。
「おい彰、例の2人がイチャついてるぞー!」
「ぎゃはは、お熱いねーwww」
「SNSにアップしようぜ!www」
教室の後方で騒ぐヤンキートリオ。レイは呆れて黙り込むが、伊弦は冷ややかに言い放った。
「3人とも…囃し立てるのは好ましくないよ」
「あはは…いいのよ伊弦」
生徒に気を遣わせる訳にはいかない。そう思いフォローを入れるも、彼は目を伏せて続けた。
「実は僕、職場恋愛に憧れているんです。僕の両親もそうなんですけど…同じ夢を叶えた者同士が結ばれるって、運命的ですごく素敵です。そう思いませんか」
「伊弦…」
伊弦の言葉に、彼女は胸の奥が熱くなるのを感じた。
「では、僕はこれで。さようなら」
「うん、さようなら」
「気をつけてね」
ガラッ。
教室のドアが閉まり、2人の間に沈黙の時間が流れる。誰もいない教室に秒針の音だけが響く中、佑人が重い口を開いた。
「…京先生?」
「!は、はい…」
「大丈夫?なんかさっきから変だよ」
心配そうに顔を覗き込む佑人。無意識に速くなる胸の音を感じながら、レイはこれ以上誤魔化すことはできないと悟った。
「…実は…昼休み、彰たちから聞いてしまったんです。昨日の放課後、中垣先生が私の名前を呟きながら顔を赤らめていたって…話半分に聞いていたんですけど、どこか真に受けてしまってる自分もいて…」
「…京、先生…」
「それでつい、中垣先生のことばかり考えてしまって…出鱈目なのにおかしいですよね」
その言葉に、佑人は思わずレイの手を取った。
「出鱈目なんかじゃない」
「…え?」
「厳しくも優しくて、生徒のことを第一に考えてて…それでいて俺みたいな人にも親身になってくれる、そんなレイ先生が好きだ」
「…!!」
レイの顔がぽっと熱くなる。しかし、彼女には佑人を想うがゆえに揺れている気持ちがあった。
「中垣先生…ありがとうございます。でもごめんなさい、今はまだ担任と副担任の関係を壊したくないです…」
「…うん、分かった。レイ先生の本音が聞けてよかったよ。しばらくはこのままで、これからも一緒に頑張っていこうな」
「はい」
2人は顔を見合わせ、やがて微笑んだ。
窓から差し込む茜色の夕陽は、まるで彼らの青春の1ページを彩っているように見えた。




