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ウラシマの刑        :約4000文字 :発明系

作者: 雉白書屋
掲載日:2026/04/09

 ――まるで電子レンジだな。


 ある日、博士の自宅兼研究所を訪れた男は胸の内でそう呟いた。

 研究室へ通され、そこで目に飛び込んできたのは筒状の巨大な装置。天井に届きそうな高さがあり、全体を鈍い光沢を帯びた灰色の金属が覆っている。無機質で冷たい質感が部屋の空気まで張り詰めさせているようだった。

 下部からは太い配線が何本も伸び、床を這うように広がっている。正面には扉があり、その中央には四角い窓がはめ込まれている。その窓が、男に電子レンジを連想させたのだった。


「それかね、博士。この前、君が開発したと言っていた装置は」


 男はゆっくりと装置へ歩み寄り、窓を覗き込んだ。厚みのあるガラス越しに椅子のような台座が見えた。


「え、ええ。それです……」


「なんだ、大きさの割にやけに謙虚じゃないか」


 返ってきた博士の声が思いのほか小さかったので、男は冗談めかしてそう言った。


「それで、何の装置なんだ?」


「これはですね……その……」


 博士は一度言葉を切り、口を閉じた。そして男に歩み寄ると、わざとらしく声を潜めた。


「……タイムマシンでございます」


「た、タイムマシン!?」


 男は思わず声を上げた。その瞬間、博士は顔をくしゃっと崩して笑った。


「ははは! いやあ、実に良い反応です。発明家冥利に尽きるというものですなあ」


「い、いや、長い付き合いだ。君が優れた科学者ということは百も承知だが、いくらなんでもタイムマシンは……」


 男は言いながら、もう一度装置へと目を向けた。

 金属の継ぎ目は緻密で確かに適当に作った張りぼてには見えない。むしろ軍事機器めいた無骨な説得力があった。だが、それでもやはりタイムマシンなどとは荒唐無稽。時間を操るなど、とても信じられるものではなかった。


「ええ、ええ、ごもっとも。ははは、確かに少々見栄を張ってしまいましたな」


 博士は肩をすくめ、照れたように笑った。


「タイムマシンというのは、あくまで比喩のようなものでして。正確に申し上げますと、中に入ったものの時間だけを経過させる装置なのです」


「ほう……それはつまり……」


「例えばタイマーを十年に設定して起動しますと、装置の内部では十年分の時間が流れます。もっとも、外から見ればほんの一瞬ですがね」


「おお……」


 男は感嘆の声を漏らした。が、すぐに眉をひそめ、首を傾げた。


「それは……どういう使い道があるんだ?」


「ご意見ごもっともです」


 博士は目を伏せ、深いため息をついた。しかしその口元には消しきれないかすかな笑みが残っていた。

 何か考えがあるらしい。男は腕を組み、小さく唸りながら用途を思案し始めた。


「んん……あ、ワインか」


 やがて男は博士のほうへ顔を向け、にやりと笑った。


「楽に熟成できるだろう。他にもチーズや漬物なんかもいけそうだな」


「ええ、確かに理論上は可能です。しかし……試したところ内部で破裂してしまいまして。どうにもうまくいかないのです」


「なんだ、そうか……」


 男は顔をしかめ、再び装置を見つめた。が、すぐにまた博士に視線を戻した。


「だが、それならなぜ時間が経過していると確信があるんだ?」


「ええ、猿で試しました」


「猿? ん、猿……」


「どうやら生き物は問題ないようでして」


「猿……あっ、じゃあ庭にいたあの猿は実験台だったのか? 妙に年老いていて、近づいても逃げる素振りを見せないとは思ったが」


「ええ、ご明察です。もともとは子猿でしたが、あの装置で三十年分の時を過ごしました」


「おお、それはまた……。だが、やはり使い道がわからんな。子鰐でも成長させて革に加工するか。他に毛皮で人気が高いのは……」


「おお、それは思いつきませんでした。さすがですな」


「含みのある言い方だな」


 男はふっと息を吐いた。


「いえいえ、とんでもない。資本主義の恩恵には私も諸手を挙げるところ。ただ……」


 博士は少し間を置き言った。


「私が提案したい用途は、人間に使うことでございます」


「人間に……?」


 男は眉をひそめた。


「だが子供を一瞬で大人にしたところでな。労働力は増えるかもしれんが頭が追いつかん。そもそも人道的にどうなんだ」


「ええ。おっしゃる通りです。ですから人間といっても対象は囚人でございます」


「囚人?」


「正確には裁判で有罪が確定した者です。刑務所に移送する代わりに、この装置の中で量刑に応じた年月を経過させるのです」


「すると……どうなる?」


「経費削減です。二十年、三十年と収容し続けるには莫大な税金がかかりますからね。それに近年は長期拘束そのものが人権侵害という声も強くなってきております」


「まあな。しかし、ずいぶん地味な使い方だ。それに被害者側が納得しないだろう。有罪が決まったというのにすぐに釈放ではな。受刑者だってむしろ喜ぶかもしれん」


 年は取りたくないがな――男はぼそりと付け加えた。 


「そうだ。逆に若返らせることはできないのか?」


 博士はゆっくりと首を横に振った。


「残念ながら……それは今後の研究をもってしても難しいでしょうな」


「ま、そううまくはいかないか……」


「ええ。それで、あなたにはぜひ、この装置を政府に売り込んでいただきたいのです。政界とも太い繋がりをお持ちのあなたに」


「なるほどな。それで私を呼んだわけか。まあ構わないが、さっき言ったように受刑者を喜ばせる仕組みでは世論も納得しないだろう」


「ええ。ですが、一瞬で終わる、というわけではないのです」


「ん? だがさっき――」


「装置の中にいる者の体感時間は外界と変わらないのです」


「何……? というと十年なら十年間、あの中にずっと……?」


 装置を見つめた男は首を横に振った。


「いや、しかし、そんなことわからないだろう。確かめようがないじゃないか。猿に聞いたのか?」


「いえ、わかるのです。いや、よくわかっております」


 博士はずいと男に顔を近づけた。


「まさか……試したのか?」


「はい。タイマーをセットし、私自身が装置の中へ入りました」


「それでどうなった。いや、時間は? 三日か? 一週間か?」


 男の問いに、博士は静かに首を横に振った。


「一年です。一週間程度では、せいぜい髭が伸びるだけでしょう。それでは説得力に欠けます。猿で実証済みとはいえ、やはり人間での実験は必要ですからね。一年分の寿命は惜しいですが、開発者自身が体験したという事実は、制度設計の場で強い武器になるでしょう」


「一年……」


 男はあらためて博士の顔をまじまじと見つめた。最初は薄暗い照明のせいだと思っていたが、よく見ると以前より確実に老け込んでいる。肌には細かな皺とシミが増え、頬はわずかにたるみ、眉毛はぼさぼさに伸びていた。


「それで一年間、どうやって過ごしたんだ? 何か持ち込んだのか?」


「いえ……。私も当初は一瞬で終わると考えていましたので」


「だ、だが内側から開けられなかったのか?」


「ええ。開けること自体は可能です。しかし、そもそも立ち上がることができなかったのです。外と変わらないのはあくまで体感時間だけ。実際に立ち上がったときには、すでに所定の時間が経過し、ドアは自動で開きました。つまり、意識だけが一年間あの装置の中……椅子に縛りつけられていたのです」


「……で、では、立つこともできず、ただ座り続けていた、と?」


 博士は静かに頷いた。


「何もできない。それ自体が拷問でしょう。眠ることさえ許されません」


 博士はじっと男を見つめた。その瞳は底の見えない暗い井戸の水のようだった。途端、背筋に冷たいものが走り、男は震え上がった。


「つまり……体感では、一年間身動きが取れなかったのか……。いや、眠れもしないとなると、実質何年になるのか……。よく耐えたな。さすがと言うべきか」


 男は言いながら装置をちらりと見た。灰色の外殻が先ほどよりもずっと圧迫感を帯びているように感じられた。


「……よし、あとは私に任せてくれ。すぐに知人の政治家に声をかけ、制度を立ち上げようじゃないか。君は大金を得るだけでなく、その名は歴史に刻まれるぞ。君は偉大だ。実にすばらしい」


 男は勢いよく博士の背中を叩いた。その顔には過剰なほどの笑みが貼りついていた。

 博士は視線を落とし、床の一点を見つめたまま低く呟いた。


「ですが……やはり、この装置は残酷かもしれません。たとえ相手が犯罪者であっても。壊してしまうのが最善なのかもしれない……」


「な、何……? それは、ほ、本気で言っているのかね?」


「え? え、ええ……なんだか、そうしたほうがいいような気がして……」


「き、き、き、きいい、きい……!」


 男の顔が引きつり始めた。頬がけいれんし、口の端から小さく泡がこぼれる。

 その急変に博士は思わず目を見開き、一歩後ずさった。


「きき、きききききき!」


「え、あ、あの」


「き……き、君はなんて優しいんだ! マザーテレサだ! アインシュタインだ! ナイチンゲール! あああ、愛してる。君を愛してる!」

「私も!」

「僕も!」

「おれも!」


 男が両手を振り上げた瞬間、若者や主婦らしき女、背の曲がった老人、学生服の少年――まるで駅前の雑踏を一握りすくってそのまま投げ込んだかのように、人々がどっと研究室へ雪崩れ込んできた。

 彼らは男とともに博士を取り囲み、満面の笑みを顔に貼りつけたまま、ぐるぐると円を描いて回り始めた。


「さあ、みんな歌おう!」


「はーかせ! 偉大なはーかせ! せ・い・き・の発明者、はーかせ! 愉快なはーかせ! すばらしー発明者、はーかせ! こわい装置をはかいせー! はーかせ! 装置こーわせ! せ・い・ぎ・体現者、はーかせ! セイギのはーかせ!」





 ――はーかせ。そうちこーわせ……。


 自らを実験台にした博士の意識は床に舞い落ちる細かな繊維よりも、なおゆったりとした時間の流れの中を漂っていた。眠ることもできず、一瞬たりとも途切れない意識は、やがて現実から少しずつ距離を取り、空想の世界を築き上げていき、そこへ避難した。

 今、どれほどの時間が過ぎたのか。いつ終わるのか。それすらわからず、また考えないようにしながら博士はひたすら世界を創造し続けた。人物を作り、会話を作り、物語を作り、自分をそこへ置いた。完全な空想の世界、過去、未来――。


 この拷問が終わったとき、果たして自分は装置を破壊するのか。

 それとも空想のとおりに男をここへ招き、この装置を世に解き放つのか――その答えはまだ出ていない。


 研究所の外では年老いた猿が呆けた顔で、ぼんやりとただ空を眺めていた。

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