ジュニア冒険者 ユイと犬の真白
わたしはユイ。
ジュニア冒険者をしている。
冒険者って言うと、びっくりされることもあるけど、べつに特別なことじゃない。
ママと一緒に、クエストに行くだけ。
今日は日曜日。
朝ごはんのあと、ママの端末が光った。
音は小さい。
でも、あの光は見逃さない。
「ママ、クエスト。だよね」
ママが頷く。
わたしは、すぐ靴下をはいた。
車で向かった先は、住宅地のはずれだった。
大きな建物じゃない。看板もない。
でも、中に入った瞬間、においで分かった。
生きもののにおい。
「おはようございます」
中から、女性が出てきた。
目の下に、くま。でも、背筋はまっすぐ。
ママが、軽く頭を下げる。
「おはようございます。冒険者です」
ママは軽く挨拶を交わすと建物の中へ。
建物には数匹の犬と猫。数は多くない。
でも、人が足りていない。
散歩、清掃、記録。やることは、たくさんある。
わたしは、ノートを渡された。
「記録、できる?」
「はい!」
ジュニアでも、できることはある。
名前。体重。食べた量。
それを、書く。
でも。一匹だけ、名前の欄が空いている子がいた。
白い犬。
「この子は?」
わたしが聞くと、施設の人は少し黙った。
「まだ、決まってないの」
わたしは、犬を見る。
犬も、わたしを見る。しっぽは、振らない。
でも、目は、ちゃんとこっちを見てる。
名前がない。
それって、どういう気持ちなんだろう。
白い犬は、ケージのすみで丸くなっていた。
近づくと、少しだけ顔を上げる。
でも、鳴かない。
わたしは、ノートを持ったまま、しゃがんだ。
「ねえ」
声をかけても、反応は小さい。
名前がないから、呼びようがない。
それって、こんなに、静かなんだ。
「澪」
ママが言った。
「無理しなくていいよ」
「うん」
でも、離れなかった。
だって、この子、ちゃんと見てる。
わたしのことも、この場所の人のことも。
見てるのに、呼ばれない。
それは、ちょっと、さみしい。
記録の時間になった。
体重計に乗せる。
白い犬は、少しだけ震えたけど、逃げなかった。
「いい子だね」
思わず言う。
言ったあとで、はっとした。
いい子、って。誰に?
名前がなくても、いい子は、いい子。
でも。
記録欄の「特記事項」に、
わたしは、少しだけ書いた。
――人を見る。
――呼ぶと、耳が動く。
ママが、ちらっと見た。
何も言わなかった。
午後、少し休憩。
施設の人と、ママが話している。
「名前は、つけないんですか?」
わたしは、聞いてしまった。
施設の人は、困ったように笑った。
「つけるとね、情が移っちゃうから」
「移ると、だめ?」
「だめじゃないけど……仕事だから」
仕事。
冒険者も、仕事。
でも、名前は、仕事じゃない。
「決まる前に、もらわれていく子もいるし」
「だから、番号だけ」
番号。
わたしは、ノートを見る。
そこには、きれいな字で、数字が書いてある。
でも、さっきの犬は、数字じゃなかった。
白くて、あったかくて、ちょっと、こわがり。
それは、数字じゃない。
「澪」
ママが、静かに言った。
「どう思う?」
考えた。
考えて、ちゃんと言わなきゃ。
「名前って、呼ぶためのものだと思う」
「呼ばれると、ここにいていい、って思える」
施設の人は、しばらく黙っていた。
白い犬が、こちらを見ている。
今度は、しっぽが、少し動いた。
「……仮の名前なら」
施設の人が言った。
「いいかもしれない」
胸が、少しだけ跳ねた。
「仮?」
「正式じゃなくていい。記録用でもなくていい。
でも、呼ぶときの名前」
それで、十分。
わたしは、白い犬を見る。
白い。でも、まっ白じゃない。
耳の先が、少しだけ、茶色。
「……こはく」
小さく言ってみた。
犬の耳が、ぴくっと動いた。
「こはく」
もう一度。
今度は、顔を上げた。
「こはく」
しっぽが、ゆっくり振れた。
ママが、息を吸う音がした。
施設の人が、目を細めた。
「……反応、いいですね」
その日から、ノートの端に、小さく名前が書かれた。
番号の横に。仮の名前。
でも、呼ばれる名前。
クエストは、まだ終わっていない。
でも、何かが、始まった気がした。
朝は、少し冷えていた。
白い犬――こはくは、前よりも、よく顔を上げるようになった。
名前を呼ぶと、ちゃんと、こっちを見る。
それだけで、世界が少し、はっきりする。
クエストは、今日で終わり。
ママは、端末を確認している。
〈護育〉クエストは、予定どおり、完了。
「最後の記録、お願い」
ママが言った。
わたしは、ノートを開く。
体重。食事量。特記事項。
そして、名前の欄。
番号の横に、小さく書かれた文字。
こはく。
消さない。
仮でも、ここにあった。
施設の人が、言った。
「昨日ね、問い合わせが来たの」
わたしは、顔を上げた。
「こはくの?」
「ええ」
こはくは、何も知らずに、床に伏せている。
「写真を見て、会いたいって」
写真。
誰かが、見た。
番号じゃなくて。
白い犬を。
「今日、来るそうよ」
胸が、きゅっとした。
うれしいのと、さみしいのが、同時。
でも、それでいい。
だって、護育だから。
守って、育てて、手を離す。
それも、仕事。
午後。
ドアが開いて、人が入ってきた。
若い夫婦と、小さな女の子。
女の子は、すぐに、こはくを見つけた。
「あ」
声が、短くて、まっすぐ。
こはくは、ゆっくり立ち上がった。
しっぽが、振れる。
「この子、名前は?」
施設の人が、少し迷ってから、言った。
「仮ですけど……こはく、って」
女の子が、笑った。
「こはく!」
呼ぶ。
こはくが、走った。
迷わず。
わたしは、息を止めた。
そして、ちゃんと、吐いた。
よかった。
ママが、そっと言う。
「澪」
「うん」
「いいクエストだったね」
「うん」
報酬は、いつものとおり。
数字が、表示される。
ジュニアの分は少ない。
でも、ノートは、いっぱい。
帰り道。
車の窓から、夕日が見えた。
オレンジ色。
「ねえ、ママ」
「なに?」
「冒険者ってさ」
「うん」
「名前を、つける仕事でもあるね」
ママは、少し考えてから、言った。
「名前を呼べる場所を、つくる仕事かな」
それも、いい。
家に着く。靴を脱ぐ。端末が、静かに光る。
ママ、次はどんなクエストを選ぶかな。
わたしは、澪。ジュニア冒険者。




