こうなるって分からなかった?
私は王立学園に通う二年生。
生徒会長である我が国の王太子や副生徒会長であるリナルド・オベルティ公爵子息に推薦され、生徒会の庶務を担当している。
私にはボニート・ディ・ベルガモ伯爵子息という婚約者がいた。
両家で決めた政略的な婚約。
財政が傾きつつあるベルガモ伯爵家からの強い望みたっての婚約だった。
しかし私も彼も、互いに好意は抱いていない。
ボニートは女であるのに自分より身分が高い、侯爵令嬢の私の言動に何かと『偉そうだ』と難癖を付けたし、私もそんな男の発言を日常的に許せる程の器の大きさは持っていなかった。
それでも婚約者であり、結婚は貴族の義務だからと、公の場や両家の前では最低限婚約者らしく振舞おうとしたが……残念ながらボニートは協力してくれなかった。
彼は大勢の前でも、互いの両親の前でも、私といる事で不機嫌になっていると主張するような態度を取り続けた。
そんな事ばかりしているから、我が家の両親はボニートに愛想を尽かしていたし、『いつ婚約を解消したって良い』、『お前の為に早々に解消すべきだ』とまで言ってくれていた。
ベルガモ伯爵夫妻も気が気ではなかっただろうが……彼らの悪い所は、嫡男をとんだ我儘息子として育ててしまった事だ。
伯爵夫妻はボニートにとても甘かったのだ。
理屈ではなく息子可愛さという感情で動くような貴族が領地経営で上手くいくわけもない。
まだボニートが聞く耳を持つ者であれば、私の助言で多少なりとも家を立て直す事も出来ただろうが……それが不可能な事はよくわかっている。
故に私としてもそろそろ潮時かと婚約の解消を申し出ようとしていたのだが――
――そんな時に起こったのが、卒業まで語り継がれる事となる『婚約破棄騒動』だ。
「ディーナ・ディ・ランツェッタ! お前との婚約を破棄する!」
ボニートは大勢の生徒の前で私にそう告げた。
わざわざ放課後のエントランスに呼び出された時点で良からぬことを考えているとは思った。
しかしまさか、ここまで愚かだったとは。
私は呆れから漏れそうになるため息を何とか堪える。
ボニートは傍らに小柄で可憐な女性を連れていた。
ルチッラ・ディ・ギアッチ男爵令嬢。
その愛らしい見目で異性を口説き回っているという、女子生徒の中では悪い噂が上がりやすい生徒だ。
「お前は他の女子生徒と結託し、ルチッラを虐め続けた! おまけには大怪我まで負わせようとし、彼女に精神的な傷を大きく残した! お前のような悪女と婚約するなんて御免だ! よってお前との婚約は――破棄する!」
「どうぞ」
勿体ぶって吐かれた決め台詞に私は間髪入れず返事する。
「……はぁ?」
まさか、拒否するとでも思っていたのだろうか。
彼は怪訝そうな顔をした。
「元々こちらからも婚約解消をお願いしようと思っていたところですので、好都合です」
「な、な……ッ、ふざけるな!」
顔を真っ赤にして憤るボニート。
自分が私を拒絶する事は良しとするが、自分が私から拒絶される事は許せないのだろう。
何とも、プライドだけは高い男である。
「強がっていられるのも今の内だぞ! お前のような性根が腐った女を選ぶような貰い手なんて、社交界にいる訳がないだろう!」
少なくとも貴方よりはまともなお相手が見つかりそうですが。
そんな事を言えば相手が激昂し、会話すら成立しなくなる可能性があったので、私は何とか言葉を呑み込んだ。
「そ、そもそも、彼女に謝罪の一つもないのか! 自分の悪事を公表されたからと開き直った態度を取るなど……っ! お前が素直に謝れば、情けを掛けてやろうとも考えていたというのに!」
「掛けて頂く情けなどありませんわ。私、貴方がおっしゃるような事は一切行っておりませんもの」
私はルチッラ男爵令嬢を見据える。
「彼女の悪い噂は耳にしておりましたし、貴方が彼女と友人以上の関係を築いている事も気付いておりました。その上で野放しにしていたのです。……興味がありませんでしたので」
あんまりな理屈をぶつけるボニートにはほとほと嫌気がさしていたし、苛立ちもある。
しかしそれを表だってみせるのは淑女に有るまじき行いだ。
私は微笑を浮かべながら淡々と話す。
「先程もお話した通り、私は貴方との婚約解消を既に念頭に置いておりました。ですから婚約者がいる異性に色仕掛けをするといった、私に対する侮辱を働くルチッラ様の言動も、それを良しとして生家の立場を顧みる事も出来ない愚かな婚約者の行いも大変都合がよかったのです。――何故なら、ボニート様が不貞を働けば働く程、婚約解消を申し出る事を正当化できますから」
「な、んだと……ッ、――ディーナァァアッ!!」
「ああ、それと。これまでは婚約者として大目に見ておりましたが、これからは他人ですから。その様な物言いはお控えくださいね。我が家より下位の立場にある家の者から罵詈雑言を浴びせられる事は流石に看過できません」
「ふざけるな! お前の地位など関係ない! お前のような醜い女に払う敬意など――」
「そこまでだ」
すっかり理性を失った獣のようになったボニート。
その声を遮るように、良く通る声がエントランスへ響き渡った。
「誰もが行き交うこのような場所で、長時間に渡る騒音――それも貴族らしからぬ品のない怒鳴り声など。恥を知れ」
野次馬の中から私の傍まで歩み寄ったその方は、リナルド・オベルティ公爵子息。
彼は私の一つ上の学年であり、この学園の副生徒会長だ。
リナルド様は青い瞳でボニートとルチッラ男爵令嬢を睨んだ。
氷のように冷たい眼差しに、二人が震え上がる。
「り、リナルド様……っ、しかし、この悪女が……ッ」
「悪女?」
リナルド様が私を見る。
それから馬鹿馬鹿しいとでも言うように鼻で笑った。
「彼女をそのように評するのは、貴殿とそちらの御令嬢くらいだろうな。彼女が学園生活に於いて如何に優秀な成績を収め、尚且つ他の生徒へ貢献してきているか、その名声を知らぬ者はこの場にはいないはずだ」
リナルド様が周囲を見回す。
集まっていた生徒達は一様に頷いていた。
「な……ッ、だが彼女は本当にそうだと!」
「では問おう、ルチッラ・ディ・ギアッチ」
ルチッラ男爵令嬢の肩が跳ねる。
顔は青く、リナルド様に怯えているようだった。
「ディーナ嬢に最後に虐められたのはいつだ?」
「あ、えと……その」
「早く答えろ」
「ッ、き、昨日……だったような」
直近も直近。にもかかわらず何故言葉を濁すのか。
その答えは明白だった。
リナルド様は目を細める。
「おかしな話だな。昨日、彼女が学園で一人になった時間はないはずだ」
「え?」
「何故なら休憩時間は他の生徒会の女子生徒と共に、校舎の設備の不具合について確認をしていたし、放課後は生徒会室で会議があった」
「じゃ、じゃあ、一昨日とか」
「生憎、一昨日もその一つ前も、一週間前――一ヶ月前も。彼女は学園で一度も一人になっていない。つまり、アリバイが証明できるという事だ」
「そ、そんな……っ、いくら何でも嘘に決まってます!」
「残念ながら、嘘ではない。何故なら、彼女の悪評が広まり始めた半年前から――彼女の冤罪を晴らす為に我々は動いていたからな」
「……な!」
ルチッラ男爵令嬢が言葉を失う。
そんな彼女を見たボニートは困惑の表情を浮かべていた。
彼は私の言い分を聞かない男だ。恐らくはルチッラの訴えだけを鵜呑みにして、このような騒ぎを引き起こしたのだろう。
「そもそも、生徒会の役員の推薦には王太子殿下が絡んでおられる。殿下は勿論、成績だけではなく人間性も考慮した上でお選びになるというのに……。王族の判断すら疑うとは、随分と立場を弁えない貴族が居たものだ」
「ッ!? ち、違うんです、そんなつもりじゃ――」
「また、上位貴族を侮辱した罪、ましてや無実の罪を被せようとした罪。これらが不問で終わるなどとは考えない事だな」
「そ、んな……っ、馬鹿な……ッ!!」
「ああ、それと」
戦慄くボニートへ、リナルド様は嘲笑を浮かべる。
「彼女を選ぶような者はいない……だったか」
そう言うとリナルド様は私の肩を抱き寄せ、頬にそっと口づけをした。
ここまで怒りを抑える為に必死に無表情を貫いていたというのに、私の顔は彼のせいでじわじわと熱を帯びていく。
「生憎彼女には既に予約がある。折角婚約者が直々に手放してくれるというのに、出遅れて他の男に取られてはいけないからな」
「……ハ? な……」
『何故お前のような女が公爵子息に?』
ボニートの顔にはそう書いてあった。
確かに私も、まさかリナルド様が心を許してくれるとは思っていなかった。
とはいえ、社交界で貰い手がいないなどという自己評価はしていない。
何故なら私は上位貴族という立場で、また整った環境下で幼少から淑女教育を受けて来ていたし、学園でも常に成績はトップ。また社交界でも学園でも顔は広く、話術によって他者との関係性を深める事が得意だった。
自分で言うのもなんだが、そこそこの優良物件であるという自負はあった。
私の成績も、周囲の評価も、全く耳にしなかった訳ではないだろうに。
それを信じられなかったのはボニートの視野の狭さと考えの浅さが原因としか言えないだろう。
「さて。後の事は――殿下と教員に報告の上、話を進めよう」
リナルド様はそう言うと、野次馬から離れた場所に立っていた王太子殿下と、恐らくは彼が連れてきていた教員を見る。
殿下は満足そうに頷き、教員はすぐにボニートとルチッラ男爵令嬢へと近づく。
「ッ、おい、ディーナ! クソ、お前、一体どうやって周りを言いくるめたんだ!」
リナルド様に促されその場を後にする私の背に、そんな声が投げられたが、振り向くつもりもない。
私はそのまま、エントランスを後にしたのだった。
***
それから。
二人の噂は学園だけではなく社交界にまで広がり、彼らは大きな笑い者となった。
進んで仲良くなろうとするような貴族はおらず、元々貴族社会では弱い立場にあったギアッチ男爵家はすぐに社交界から姿を消した。
また、ボニートはというと――停学処分を受け一ヶ月間登校を禁じられたのだが、その間に婚約破棄の撤回を申し出る文書が我が家へ届いた。
恐らくは両親に叱られ、私との関係を修復しなければ廃嫡しなければならない等と脅されたのだろう。
いくら彼に甘い両親とはいえ、そのくらいの事は言ったはずだ。
彼が自ら広めた悪評の件も相まって、今後ランツェッタ侯爵家以上の地位の者と繋がりを持てる機会は皆無に等しかったのだから。
勿論そんな申し出は突っぱねたし、逆に権力や悪評を材料に、婚約破棄を認める書面にサインをさせた。
私との繋がりが切れれば、最早ボニートを後継者として選ぶメリットがベルガモ伯爵家には存在しなくなる。
となれば、恐らくは次男あたりが家を継ぐことになるだろうと踏んでいたのだが……ここで想定外の事が起こった。
何と彼は停学中にもかかわらず、学園へ乗り込み、私の前で泣きついたのだ。
みっともなく地面に這いつくばり、私の名を呼びながらやり直そうとするボニート。
婚約破棄騒動の時とは随分な変わりようだ。
彼はそのまま私の足に縋りつこうとした。
私は驚きと嫌悪から身を硬くしたのだが――幸いにも、傍に居たリナルド様が私を庇ってくれた。
その際、リナルド様はうっかり足が出てしまい、ボニートの顔にそれが直撃したが……幸いにもリナルド様が罪に問われる事はなかった。
そもそも停学中だった生徒が学園に侵入し、あろう事か被害者へ接触したという事実。
またそもそも、女性が脚を見せる事がタブーとされる世の中だ。
異性の服の裾を掴むなど言語道断である中での行いに対する、愛する者を守る為のリナルド様の振る舞いが責められる事はなかった。
……殿下には「ディーナ嬢の事になると衝動的になるのはどうかしてくれ」と、少しだけ怒られたようだが。
「それにしても」
新たな婚約者となったリナルド様のお家で私はお茶を頂く。
高級なお茶の香りと味を楽しんでから、カップをソーサーに戻し、私は口を開いた。
「私の地位、学園や社交界で築いた信頼、学園での成績……そしてあのような騒ぎを引き起こすという悪手」
私は小さく息を吐く。
「普通、こうなるって分かるでしょうに」
「だが彼がそういう質ではない事を知っていたからこそ、貴方は見限る決意をしたのだろう?」
正面に座るリナルド様が微笑む。
普段は仏頂面がトレードマークのような彼だが、私と共にいる時だけは少し表情が柔らかくなるのが、何とも愛おしい。
私は誤魔化すように笑って視線を落とす。
一度は恥ずかしくて呑み込んだ本音。
しかし何故だか、リナルド様にお伝えしたい気持ちが抑えきれず、そわそわとしてしまう。
こんな風に自分の心が上手く制御できないのは、この人の前だけ。
私は観念して一つ息を吐くと、小さく呟いた。
「それだけではないのですよ」
「うん?」
優しい声が届く。
それに笑みを深めながら私は答えた。
「欲張りになってしまったのです」
私は視線を上げ、リナルド様を見る。
「愛する人と添い遂げられるならば、と」
青い瞳が見開かれた。
それから彼はゆっくりと席を立ち、私の傍へ寄る。
そうして、赤く染まっているだろう私の頬に手を伸ばし――
「ディーナ」
「……はい」
「…………全く。貴女は本当に愛らしくて、困ってしまうな」
ぎこちなくはにかんだ私を見て、リナルド様も整った顔に笑みを浮かべる。
それから私達は互いの唇を重ね合わせ――互いの愛の深さを確かめ合うのだった。
最後までお読みいただきありがとうございました!
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