3 危機一髪
誰かが、僕の周りで話している。
『……熱にやられたのじゃ。水をたっぷり飲み、栄養を摂るがいい』
『まさか、二人ともこのまま死んでしまうことはないだろうな?』
『まあ、そう簡単に死にはせん』
『でも、こいつらはもっと涼しいところから来たんだ!』
アブドラの声だ。僕は体を起こした。いつの間にか眠ってしまったみたいだ。ふかふかしたものがはさみにあたる。三郎だ。
三郎は眠っていた。胸がゆっくり上下している。いびきまでかいている。
「アブドラ?」
僕は、言い争っているサソリに声をかけた。
「ジョニー、気がついたのか!」
アブドラは飛び上がって喜んだ。
「僕、どうしちゃったんだ?」
「三郎と同じく、ぶっ倒れたんだ」
「へえ」
どうりで頭が何となく痛い。
「一緒にいるのは誰?」
アブドラの後ろから、茶色いネズミがひょっこり顔を出した。
「おや、目覚めたようじゃの。ひと安心じゃ」
「三郎はまだみたいですけど……」
「そこの彼も起きたら、ふた安心じゃ」
なんだかとぼけた感じのネズミだ。年取ってるらしくひげが垂れ下がっているし、毛並みにつやがない。だけど黒くて小さな目はりんりんと輝いていた。
「アブドラ君から話は聞いたぞ。エジプトに行きたいそうじゃな」
「はい……あ、もしかしてここがエジプト?」
「いや。ここはタイじゃ」
がっかりした僕に、そのネズミが小さな何かの種を差し出した。
「お食べ。元気がつく」
「はあ……ありがとう」
かじってみて、僕が飛び上がった。激烈な辛さが体いっぱいに広がったからだ。とりわけ口の中は痛いほど辛くなってしまった。
「これ、なに!?」
「トウガラシの種を干したものじゃ。わしらの気つけ薬での」
「三郎が起きたら、食わせてやろうぜ」
アブドラがニヤニヤしている。
その時、僕たちの声が聞こえたのか、三郎がうめき声を上げながら目を覚ました。
「三郎!」
アブドラがさっと駆け寄る。
「ん? あれ……もう夜なのか。川に来たまでは覚えてるけど……」
「お前はずっと眠っていたんだよ。きっと疲れていたんだ」
三郎はくちばしを開けて笑った。
「そうかもしれない。だけど、もう元気になった。どこまでも飛んでいけそうだ」
アブドラの顔が陰った。
「それなんだけどな……」
アブドラは僕と三郎を見回して、ためらいがちに言う。
「……やっぱり、日本に帰らないか」
「はあ!?」
「何のためにこんなところまで来たと思ってるんだ!」
僕と三郎は怒った。言い出しっぺがやめようと言い出すなんて、とんでもない裏切りだ。
アブドラはらしくないうろたえ方をしている。
「だって……だって、二人ともこんなにつらそうじゃないか。エジプトはまだまだ遠いし……暑さで死んじまう前に、帰った方が……」
「そんなの駄目だ! ここまで来たんだから、アブドラの家でくつろぐまでは帰らないぞ!」
「俺もそれに招いてもらえるのかな?」
三郎が首を傾げる。
「いや、もうエジプトには行かない。帰る」
アブドラも頑固だ。
「じゃ、アブドラも日本に戻るのか? あんなに、じめじめしたところは嫌だって言っていたのに?」
「オレは……自力で、帰る方法を探すさ」
「こいつ、大馬鹿だ」
三郎と僕は顔を見合わせた。険悪な雰囲気を、老ネズミだけはにこにこと見守っている。
「爺さん、何か知恵ないか」
三郎がネズミにお伺いを立てた。ネズミはあっさりと答える。
「要は砂漠に行きたいのじゃろ。もっと近い砂漠を目指すのはどうじゃな」
「もっと近い砂漠?」
僕たちは声を揃えて繰り返した。
「そう。例えば__タクラマカン砂漠とか」
何それ?
「たくらまかん?」
「そういう名前の砂漠がある。今度は北へ北へ飛べば良い。もちろん、ちゃんと休みもとるのじゃぞ」
「そこ、からっからに乾いてるか?」
「砂漠じゃからな」
「小っさい虫もいるか?」
「世界中どこでも虫はおるわ」
アブドラは興奮して、はさみを振り上げた。
「よし! その、タマラン砂漠とやらに行こう!」
「タクラマカン!」
「失礼。とにかく、そこを目指そうじゃないか!」
僕より先に、三郎がくちばしを開いた。
「なんだ、いい加減な奴だな」
それに、エジプトにあるというアブドラの家はどうなるの?
尋ねると、アブドラはあっさりとかぶりを振った。
「ああ、あんなものいいんだ。どうせ今頃他のサソリが住んでるよ」
「いい加減な奴だな」
三郎は同じ言葉を繰り返した。
「だけど、お前らがそれでいいなら付き合うよ」
「ほんとに?」
「日本に戻ったって、やることなんかないから……」
「じゃあ決まりだな! 出発だ!」
まだ夜なのに。
「そう焦らずとも、もう1粒トウガラシを食べてからにしたらどうかな」
謹んでご辞退申し上げます。
「何だそれ、旨そうだな」
何も知らない三郎が、トウガラシに興味を示す。僕とアブドラは何も言わないことにした(その後翼ではたかれた)。
ネズミに見送られ、僕らはタイの森を後にした。三郎は北へ向かって翼を広げ、すうっと飛び上がる。僕とアブドラは足につかまって、遠ざかっていくネズミにはさみを振った。
「三回目となると、さすがに慣れてきた」
アブドラがつぶやく。
「よかったね。あのまま日本に住んでたら、泳げるようにもなってたかもね」
「いや、それはごめんだ」
きっぱりと言ったアブドラが、はっと前方を見つめた。
「おい、見ろよあれ……
「え?」
三郎の目の前を、何百もの鳥の大群が横切っていた。三郎はさっと降下し、ぶつかるのを避けた。
「あいつら、どこに向かうんだろうな」
アブドラの疑問に、三郎が答える。
「暑いときは涼しいところに行って、寒いときは暑いところに行くのさ」
それから何度か休憩をはさんで、僕らはついに砂漠を見つけた。
一面砂しかない不毛の地につくと、アブドラが騒ぎ出した。砂の中に潜り込んでは飛び出し、あっちこっち見て回っている。
「よかったな、念願の砂漠だぜ」
羽つくろいをしながら三郎が言った。
「なんか喉渇いてきたよ」
砂が混じった風にあたると、ますます水気がなくなっていく。僕は、はしゃぎまくるアブドラを見ながら寝転がった。
「本当に、砂しかないな」
「水場が近くにないか、見てきてやるよ」
三郎はあっという間に飛んでいった。残された僕は、はさみでさらさらの砂をいじったり、時折見つける地虫を口に入れたりして時間をつぶした。
「砂漠に来てはみたけど、やっぱり用水路が一番だな」
アブドラが満足したら、早く帰りたいや。そんな弱気が頭をもたげる。
ひとしきり騒いで満足したらしいアブドラが戻ってきて、僕の隣に座った。
「どうだ、砂漠は?」
「うーん……まあまあかな」
この時僕は建前でそう言ったんだ。本当は、こんな味気ないところはないなと思っていた。
「いいところだろ」
「うーん」
返事に困っていると、アブドラは捕まえたらしいクモをくれた。
「意外とおいしいぞ」
「ありがとう」
たしかに旨みはあったけれど、余計に喉が渇いてしまった。
その時、地面が大きく揺れ始めた。
「な、何だ!?」
アブドラと僕はなすすべもなく揺れに合わせて跳ねるばかり。
「人間かな?」
「いや……人間の臭いはしない……?」
困惑していると、空から三郎の声が降ってきた。
「おーい! お前ら逃げろ!! そこから離れるんだ!」
彼はすごく焦っていた。僕らは空を見上げ、叫んだ。
「なんで!?」
「あいつが来るぞ!」
あいつって?
「モンゴリアン・デス・ワームだ!!」
次の瞬間、すさまじい音と共に、巨大なミミズが地面から飛び出した。
僕らは悲鳴を上げながら逃げ出した。そのミミズは体をくねらせながら追いかけてくる! 振り向いたら、そいつが口からまき散らすぬめりのある液体が見えた。
「何だあれ……!」
「分からん!」
ドンと、重い衝撃が体に走った。ミミズが僕らのすぐそばに体当たりしたのだ。びりびりと体がしびれ、動けなくなった。砂の上に落下し、なすすべもなくのびている僕とアブドラの前に、モンゴリアン・デス・ワームは立ちはだかった。目は見えない。口元から垂れる液体が砂に落ち、たまたまそこにいた虫が煙を上げて消えた。
「ど、毒だ……」
アブドラがつぶやく。モンゴリアン・デス・ワームは僕らに向かって、そのおぞましい口から毒液をだらだらと垂らし、ぐっと近づいてくる__
あわやという瞬間、三郎が飛んできて、僕らをくわえて逃げ去った。モンゴリアン・デス・ワームは悔しそうに飛び跳ねたけど、三郎には到底届かない。
「な、な、な……」
アブドラは恐怖のあまり固まっていた。十分離れたところで三郎はようやく降り立ち、僕らを下ろした。
「あれは、一体何だったんだ……?」
僕はあの、意思疎通ができそうにない、顔のない虫の姿を思い出し、震えが止まらなかった。
「あれはモンゴリアン・デス・ワームだよ。噂で聞いたことがあった。毒があるから誰も食べられない」
三郎も怖かったらしい。しきりに荒い息をついていた。
「お前ら、本当に間一髪だったな……」
あのまま、毒に溶かされて食べられてしまうところだったんだ。
僕は、ふらりと砂の上に倒れてしまった。渇きと恐怖で、もう限界だった。
砂漠は、ザリガニには向いていないみたいだ……。