2 旅立ち
サソリと僕は、人間の街に出た。ネズミやネコを見ては走って隠れ、人間の足に踏みつぶされそうになりながら、公園までやってきた。僕はもうくったくた。
「そういえば、お前の名前は何ていうんだ?」
すっかり元気になったサソリが聞いた。
「僕? ジョニー」
「ふうん。いい名前じゃないか」
「あんたは?」
「オレはアブドラさ。いいかジョニー、大事なのは度胸とはったりだ。びくびくしていれば相手にもバレちまう。堂々としてればいいのさ」
「そんなこと言われたって……」
「おっと、早速おいでなすったぞ」
アブドラが空を見上げて言った。その瞬間僕は全速力で逃げ出した。
「こら、待て!」
待つものか! このままサソリに振り回されて危ない目に遭うのはごめんだ!
サソリも僕を追いかける。だけど僕の方が速い。
その時、頭上から影が落ちた。目の前が暗くなった瞬間僕の体を恐怖がさっと駆け抜け、固まってしまった。羽の音がすごく近くに聞こえて、見上げると鋭い嘴がぎらりと光った。
鳥だ!
動けない僕と、襲い来る鳥の間に、アブドラが滑り込んだ。アブドラは、降りてきた鳥の足をはさみで思いっきり締めた。
「ギャーッ!」
鳥が悲鳴を上げる。サソリはそのまま足に食らいつき、凄みのある声で鳥を脅した。
「痛いか? オレのかぎ爪はもっと恐ろしいぞ。猛毒だから、ちくりとでも刺したらお前はたちどころに地獄行きだ」
鳥はぴょんぴょんと跳ねて、アブドラを振り落とそうとした。
「おっとっと、大人しくしろ! オレの手元が狂っちまうぞ!」
僕は彼らの元へ駆け寄った。鳥がサソリにわめいているのが聞こえる。
「わ、分かった分かった! お前を食べたりしないから、放してくれ!」
「そうは行かないんだ。毒にやられたくなければ、言うことを聞け」
アブドラは鳥にこう言った。
「オレとこのジョニーを、できるだけ西へ連れて行け。海を越えられればなお良い」
「何で……そんなことを俺が……!」
「嫌なら刺す。さあ、どっちがいい? もだえ苦しんであの世へ行くか、ちょっと旅行をするか!」
「分かったよ……」
鳥はがっくりとうなだれ、僕たちを横目で見た。
「足につかまれ。だけど、俺はそんな遠くまで飛べないんだよ」
「それでもいいさ。いけるところまで」
サソリは僕に、ここまで来いよと合図をする。はじめて触った鳥の足は、硬くて、でも温かかった。
空を飛んだのも、もちろんはじめてだ。地面が、どんどん遠くなっていく。風に乗るのがこんなに気持ちが良いなんて、知らなかった!
「もっとゆっくり飛んでくれ!」
アブドラは最初の方こそそんな悲鳴を上げていたけれど、鳥が空の高いところに昇っていくにつれ、口もきけなくなったみたいだ。それでも、しっぽをしっかりと鳥の足に巻きつけていた。
「頼むから、絶対に、飛んでいる間は刺さないでくれよ」
鳥が、羽ばたきながら言った。返事もできないアブドラに代わって僕が答える。
「気をつけろって言っとくよ!」
「今飛べなくなったら、お前らも終わりなんだからな!」
「分かってる!」
丸一日飛んで、鳥はやっと地面に降りた。心なしか、さっきよりずっと暖かい場所にいる気がする。そこに池があったから、僕はこれ幸いと水浴びをした。
サソリはぐったりと倒れていた。
「大丈夫か?」
「う……飛ぶのは、嫌いだ……」
「じゃあ、どうやって日本まで来たんだよ」
「行きは船だった。エジプトから運んだ、人間の食料に潜り込んだんだ」
「どうして、日本にまで来たの?」
「うーん」
さそりはしっぽを持ち上げ、弱々しく振った。
「なりゆきだよ。いろいろあって、仲間と別れることになってな」
「あんた、ワガママだもんね」
「うるさい。……1人になろうと逃げ込んだ先が、日本行きの船だったらしい。海を見たときにはたまげたよ」
「海かあ」
僕はまだ海を見たことがない。だけど、僕がいた用水路がいつか川につながっていて、その川がまた海に流れ込むことは知っている。
井戸の中の蛙は海のことを何も知らないかもしれないけど、川はどこにでもつながっているんだ。
だけど、まさか空の旅をすることになるとは思わなかったなあ……。
僕はぽつんと呟いた。
「鳥、どっかに行っちゃったね」
「ああ」
「また別の鳥を捕まえなきゃだね」
「ああ」
だけどその時、僕らを呼ぶ声がした。
「休憩はそろそろ終わりだぞ」
いつの間にか、あの鳥が側に来ていた。びっくり。
「戻ってきたの?」
「逃げたのかと思ってたぜ」
鳥は怒り出した。
「何だその言いぐさは、俺をタクシー代わりにしたのはお前らじゃないか!」
「それはそうだけど……もしかして、もっと先まで連れてってくれるの?」
鳥は、くちばしをカランと鳴らした。
「暇だから、ちょっと遠くまで羽を伸ばしてもいいかなって思っただけさ」
「ありがとよ」
サソリがしっぽを振り立てて鳥に向かって行く。鳥はのけぞった。その様子がおかしくて、僕は笑ってしまった。
鳥の名前は、三郎というらしい。
「何で三郎なの?」
「兄弟の中で、生まれたのが三番目だった」
三郎は風に乗りながら答える。
「お前……よく、平気でしゃべれるな」
飛んでいる間、アブドラは大人しい。一方僕は、滅多に味わえることのないスリルを楽しんでいた。
「ところで、お前らは結局どこに行きたいんだ」
アブドラはやっぱり答えられる余裕がないらしい。
「アブドラの故郷の、砂漠だよ。エジプトだって」
「エジプト!?」
三郎が驚いて、がくんと落下した。アブドラが悲鳴を上げたけど、すぐに持ち直した。
「気をつけて飛んでくれ……」
「悪いな。……エジプトって、どこにあるんだ?」
「分かんない。だけど西だってアブドラは言ったね」
「西へ西へ、太陽の沈む方向へ……か」
三郎は唄うように言った。それから、ふと下を見た。
「あ、」
「どうしたの?」
「海だ」
僕も下を見た。
一面の青が広がっていた。海って、とてつもなくでかい。僕のいた用水路が何千何万も集まってできたみたいだ。どこまで行っても水しかない。
僕はふと怖くなった。海にザリガニやおたまじゃくしや、ミジンコはいるのだろうか? あんなところにぽちゃんと落ちたら、誰も彼も孤独なまま死んでしまうんじゃないだろうか?
「アブドラが落ちたら、死んじゃうだろうね」
「おい、なんてことを言うんだ!」
アブドラが叫んだ。ちょっと元気になったみたいだ。三郎が、はじめて大きな声で笑った。
次に休んだ場所はものすごく熱くて、三郎も僕も動く気になれなかった。だけどアブドラだけはいきいきとしていた。
「これでもっと乾いてりゃ、天国なんだけどな! どうした? ジョニー! 元気出せよ」
「うるさいよ……」
「三郎も、おい! みみずでも捕まえてきてやろうか?」
「……ジョニー、こいつを黙らせろよ」
「空を飛ばせてあげればいいよ……」
僕らが相手にしないでいると、アブドラはふいっとどこかに行ってしまった。それから少し経って、小さい虫を山ほど抱えて持ってきた。
「ほら、食えよ。力がつくぞ」
「今は虫より水がほしいよ……」
「あっちに川があるぞ」
三郎がよろよろと這い上がって、アブドラが教えた方向に歩いて行った。
「お前も来るだろ?」
「うん……」
アブドラに支えられて、僕も川に向かった。川の水はぬるくて、濁っていた。だけど水の中にいたらちょっと元気になった。
三郎も水を飲んだはずなのに、まだその場でぐったりしている。
「おい、大丈夫か?」
アブドラがちょっかいをかけても、三郎は返事すらしない。僕は不安になって、三郎に近寄った。
三郎は目を閉じて、ゆっくり呼吸をしている。
「なあ、ちょっとやばいんじゃないかな……?」
「そうだな」
アブドラも顔を曇らせている。
「ここは熱すぎるよ。それに、三郎はずっと僕らを運んで飛んでくれたんだ。疲れてるはずだよ」
「……そうだな」
僕は川の水を何度も運んで、三郎にかけた。そうしたら、ちょっと涼しくなるんじゃないかと思って。三郎は薄目を開けて、また閉じた。
気がつけば、アブドラがまたいなくなっていた。勝手な奴だ。無性に腹が立ったけど、三郎の側を離れるのは嫌だった。